水野真紀の魔法のレストランR【桂米朝が愛した味スペシャル】 2015.08.17


遺族らはあさって最高検察庁にも上申書を提出する予定です。
開拓団員の追悼集会が豊岡市で開かれました。
(米團治)この3人のスリーショットってなかなかないんですね。
(ざこば)いやしょっちゅうあるんちゃう?ありましたね。
失礼しました。
(南光)やっぱりね落語会について常に語り合ってる3人じゃないですか。
(米團治)取って付けたように。
(南光)えっ?言うとくけど私らね米朝事務所の専務常務。
(米團治・南光)ヒラ。
(南光)そうですね。
この関係をちゃんとねええ。
(米團治)大変失礼いたしました。
(ナレーション)今年3月19日に89歳で亡くなられた桂米朝さん。
弟子たちからは「お父ちゃん」を意味する「ちゃーちゃん」の愛称で親しまれました。
昨日行われた…。
代表挨拶を務めたのは一門のリーダー・ざこばさん。
果たして感極まってここまで来るとね「今日泣こか?笑おか?」とかってどないでもしてくれはると思います。
「ちょっと今日ざこばさん2分後に涙流していただけますか」言うたらね流す人やと思いますよ。
僕は泣かないと思いますけどね。
そらやっぱり一門を引っ張っていかないかんというそれがあるからそんな泣いてられへん。
だから今まで米朝師匠がいてはってよう泣いてはりましたけどね。
ええ〜何を言うてええのかわからんのですよ。
こういうの一番僕苦手でね。
南光やんが一番こういうのん上手なんですけど。
総勢約60人ぐらいいてんのちがうかなぁ。
よう師匠もようこんだけ育てはったなぁ思て。
これ南光やんに渡すわ。
(南光)いえいえ。
(笑いと拍手)一応米朝事務所の常務取締役ではございますけども。
あの〜ねっ米朝師匠が専務をされててでまあお亡くなりになったんで常務Aやったこのざこばさん関口弘さんが今専務ですから。
やっぱりここは専務にお願いしたいと思います。
せっかくですんでせがれの米團治にマイクを渡したいと思います。
たとえ米朝の長男でも事務所では取締役になれないという実情をご理解いただきたいと思います。
ありがとうございました。
よろしく。
(拍手)「これをご縁に以後…」。
「お前せがれやないか!」。
「あんたおとっつぁん」。
(観客)あははは。
「せがれかい。
必ず博打はならんぞ」。
(拍手)今夜はざこばさん南光さん米團治さん3人で米朝さんの自宅へ。
伝説の料理番組「味の招待席」。
今だから話せるウラ話とは?
(米團治)まずおにいさんからちょっとご紹介いただけますか。
(ざこば)実は紹介する店の前立っとんねん。
(米團治)JRの野田駅のガード下にあります「ヤミテキ」というお店でございます。
(ざこば)おいしいんや。
ざこばさんが本当は教えたくないお店は今年4月にオープンしたステーキハウス「ヤミテキ」。
(米團治)ちゃーちゃん献杯。
昨日今日と追善興行お疲れさまでございました。
(ざこば)お疲れでした。
あっどうもご無沙汰で。
こないだありがとうございました。
これいつもの?・はいそうです。
(ざこば)ヤミテキ。
(南光)なんかうまそうですね。
ここなんて言うんやったかな?
(米團治)あばら?バラ?いやいや違う。
あばら?
(米團治)バラバラ肉。
バラバラバラの下カルピ?どこでした?ハラミや。
(米團治)食べててわからへんの?・ハラミに近いサガリっていう部位なんですけど。
(米團治)おいしいとこです。
(南光)ええとこです。
普通ね
(米團治)ほんまや!
(南光)自分だけ?ごめんなさい。
これはね1つのもう…。
(南光)注文もしてないのにもうこれ出てくる。
ご用意させてもらってます。
(米團治)これ南光にいさんに?・はい。
ヘレ肉になります。
(南光)いやちょっと。
・師匠よりええ肉です。
(南光)ははははっ。
(ざこば)これよりええ肉や言うて?
(南光)おいしいものはちゃんと見て食べないとそのおいしさがねっ入ってこないですから。
んっ!やらかくてうまい。
すごいいいですわ。
ワサビ菜の風味がとってもいいです。
(米團治)あっそうですか。
(南光)悪いけどな専務常務ヒラやで。
(スタッフ)あははは。
(スタッフ)あはははっ!シェフの島田さんは大阪の老舗洋食店「アラスカ」で10年間徹底的に洋食の腕を磨きました。
そこで学んだ技を生かした裏メニューとは?
(島田)こちら普通はないんですが裏メニューになります。
(南光)裏メニュー。
(島田)4日間かけて作りました。
(米團治)4日間かけて!?いや〜。
なるほどなるほど。
ああ〜僕のメニュー。
僕のメニューや!米團治さんは自らレトルトカレーをプロデュースするほど。
(南光)これどう?うまい。
(島田)ありがとうございます。
肉屋ですからスジはたっぷり出ますよね。
それでだしをとって…。
(米團治)いろんな味がまろやかに熟成されてますから深みがあります。
シェフ
(島田)頂けるんですか?
(ざこば)ちゃーちゃんが肉好きやったなぁ。
(南光)好きでしたよ米朝師匠はほんまに。
朝早うに10時ぐらいにいっぺん寄せてもらったときに「今朝ご飯食べてはります」つって何食べてはんのかなって見に行ったらステーキ朝から食べてはったからびっくりしたわ。
(米團治)亡くなるまあちょっと前までほんまに何も食べられへんから箸で口にねものをこうね持っていくんですけど。
なんかもうしかたなさそうに食べはんねんけどステーキのときだけは自分で。
(ざこば)へえ〜。
(米團治)ステーキのときとカレーのとき。
(南光)へえ〜。
(米團治)自分で食べはりました。
最後まで。
今度は私がお連れしたい店がございます。
(南光)ああそうですか。
へえ〜我々男を。
大概女の人連れていきはるのにね。
いらんこと言わんといてください。
そんなうれしそうな顔せんと。
米團治さんがプライベートで通うJR福島駅南側の路地奥にある
(米團治)どうぞどうぞ。
専務常務のお二人にと思いまして。
(南光)これはちょっと知らんわ。
長崎・対馬産のアナゴをしょうゆを加えず日本酒みりん砂糖だけで煮ます。
(南光)えっ?
(米團治)巻いてんの。
この巻き方が。
この巻き方がいいね。
米朝師匠もアナゴ好きでしたよ。
(米團治)アナゴ好きでしたね。
うちの親父まあすしなんでも好きでしたね。
(南光)好きでしたよね。
トロアナゴハマチ。
冬ならブリ。
脂ぎったもんばっかり。
一門会終わったときにおすし屋さんで宴会するときにわあ〜っとこう来るじゃないですか舟盛りみたいで。
もう毎回米朝師匠はトロ。
トロからいきはるもん。
トロいって次なんか違うのいくかな思たらまたトロや。
トロばっかりや。
俺腹で思てたもん。
そのトロは俺のトロやで。
やっぱりいまだに覚えてはります?
(南光)よう覚えてます。
ほんで「米朝師匠イカもどうですか」言うたら
(米團治)そうイカ嫌いでした。
イカ嫌いやねん。
全国ネットのワイドショーなど落語家が番組の司会をする先駆けとなった米朝さん。
なかでも記憶に残る料理番組といえば…。
「商売繁盛じゃ笹もってこい。
来年の吉兆はこっちだっせ」てなこと言うてにぎわいますが。
今日は宵戎でございます。
まあいい色に焼き上がりましたな。
(米朝)点心というのは茶の湯でもてなされる軽いお食事なんですがね。
これは品数が随分多い。
十日戎は今3日間やりますが明治時代はね宵戎と本戎しかなかった。
いつのころよりか残り福ってなもんができました。
さすがえべっさん。
商売上手でございます。
あれ米朝師匠の言葉で言うてはるでしょ?ほんで。
そうなんです。
一応の粗台本はあったんですがそれを自分の言葉に書き直して。
3分の間でしゃべれるとこって限られてますから。
これは無駄やとかこれは絶対入れたいとか。
さっきのね映像でも「さすがえべっさん。
商売上手でんな」っていうのは最後2秒ぐらいで足すんですよね。
だからもう時間との戦いでずっとやってはって。
(南光)はやりましたやん。
「手間なことをするんですな」っていうのがね。
そうそうそう。
(南光)あの言いようがやっぱりすっごい説得力あって。
でも本心はその〜いろんなソースで素材をごちゃごちゃにするのは好きな方じゃないんです。
そやから米朝の言葉で「この鯛を3枚におろします。
このまま食べてもええんですがこれを裏ごしにしてまたムニエルにする。
手間なことをするんですなぁ。
じゃあまた」っていう。
それ言うたあとみたいなことを言うてました。
(南光)放送では流れへん。
(米團治)「ほんとは教えたくない」とかって言うてはりました。
(南光)私はここは嫁としか来ておりませんので。
去年9月靭本町にオープンしたスペイン語で「ガストロテカ」は「美食の場所」。
「ビメンディ」は「2つの山」。
オーナーとシェフ2人の名前に「山」が付くからです。
(南光)スペインのバスク地方のお酒を。
こういうつぎ方をして空気と一緒に。
面白い!僕こんなお酒飲むの初めてや。
(米團治)僕も初めて。
ごっつフルーティーや。
うん。
こちらヨーロッパの美食地帯とも呼ばれるスペイン北部・バスク地方の料理と酒を出すお店。
南光さんはバスク地方を訪れ本場の味を経験しています。
(南光)向こうの人は飲みながらいろんなピンチョスというつまみですねお総菜を楽しむと。
バスク地方といえばこの
(南光)こんなんね女の子見たら喜びますよ。
「いや〜」ってなりますよ。
女の人を喜ばしてこそ男でしょう。
(スタッフ)ははははっ。
(米團治)おいし。
(南光)食べたことないコロッケでしょ。
(米團治)タラがこないなりますか。
(南光)こないなりますねん。
ははっ…。
いや
(ざこば)面白いな〜。
チーズこないなる?こらなんぼでもいけるわ。
(南光)そうでしょ?
(ざこば)うん。
これはええな。
(南光)ざこばにいさんあんまりこういうとこ来はらへんからねどうかなと思たんやけど。
いやいや。
おしゃれ。
(南光)次のピンチョスちょっとええやつですよ。
フォアグラのピンチョスですね。
(米團治)ピンチョスいうていわゆるつまみアテでしょ?
(南光)そうそうそうそう。
(米團治)ぜいたくすぎるじゃない。
(ざこば)うまいな〜。
(米團治)うまい。
(ざこば)うまいな〜!
(南光)ええでしょ?
(米團治)フォアグラフォアグラ。
もうわかれへんねや。
(米團治)ちゃーちゃんとおんなじ間違いしはりましたよ。
ほんまに?
(米團治)酔うたら。
ほんで1回おすし屋で南光さんがふだん頼むのは10種類以上のピンチョス3,780円のおまかせコース。
更に南光さんが予約してまででも特別オーダーするのが。
(南光)いよいよメーンが出てきまして。
(平山)南光さん用に90日熟成の和牛の。
(ざこば)熟成肉。
(平山)そうです。
南光さんは姉妹店「エチョラ」の常連客。
こちらのピンチョス専門店でも「エチョラ」特製の熟成肉ステーキを特別にお願いしているんです。
(ざこば)からしとかなんにもつけない方がいいの?
(平山)ちょっと塩と。
(米團治)塩ぐらいがええんちがう。
(南光)どうでっか?これは。
(ざこば)いいいい。
ええな。
魚でも「いやこれ獲れたてやからちょっと寝かした方が…」言うて何時間かあれ寝かす。
新鮮いうのもええ言葉やけどちょっと熟したのもいいんや。
(米團治)いいんですよね。
(ざこば)味がぐ〜っと。
うま味が出てきよんねんね。
(南光)はい。
米朝師匠はねその…「味の招待席」司会してはったからすごい食通やとこういわれてるけど実はカレーオムライス天丼そば。
ねっ。
そばでもやね米朝師匠そば大好きやねんけどなんかもう早うから用意してあってなそば全体が固まってるようなそばがあっても文句言わんとこう食べてはったもんね。
(米團治)とにかく早く口にして一気に食べるという。
(南光)口に結構ほおばって食べはったでしょ。
ほんで「ちょっとずつ食べたらよろしいのに」言うたら一番若いときにほおばってグワ〜ッ食べたかったのに食べられへんだから
(南光)「こんだけ食べれるって」。
それ言うてはったもん。
(米團治)そうですか。
(南光)そやから残したらお酒でもなんでも怒られるんです。
お酒残したら怒りましたね。
(南光)怒られましたなぁ。
(南光)言うて。
そう。
一升瓶でもこう残っとったらぺぇ〜っと数えて「これ空くな。
みんな1杯ずつついだらちょうど空く」言うて。
「余ったか?ほなわしよばれる」言うて。
で「ク〜ッといけ」言うて。
(南光)そうそうそううん。
(ざこば)食べ物は大事にせないかんっちゅう気があった…ありはったんや思うわ。
(米團治)大正14年生まれやから。
(ざこば)戦中の方やから。
米朝さんが落語家になったのは終戦直後の1947年。
その才能を認めた師匠の四代目・米團治さんから風前のともし火だった上方落語の復興を託されたのです。
まあ我々噺家にとっては…。
っていう感じですね。
これより4人の亡者針の山へと登ってまいる。
米朝さんは過去の遺物になりつつあった数多くの上方の古典落語を復活させ弟子たちを70人以上育て上げました。
そんな功績が国にも認められ1996年に人間国宝に認定。
更に2009年には落語家初の文化勲章を受章したのです。
(米團治)なんやかんや言ううちに武庫之荘に着きましたわ。
(ざこば)うれしいな。
(米團治)はい。
久しぶりです。
3人は師匠との思い出の味をたどるため武庫之荘の自宅へ。
一切料理をしない米朝さんが唯一作ったという米朝流すき焼きとは?
(ざこば)ちゃーちゃん。
今年3月に亡くなった桂米朝さんの自宅へ。
亡くなられて初めて3人で訪れました。

(米團治)ちょうど150日なんです今日。
あっほんとに。
パンパン!米朝さんが唯一作った料理とは。
(ざこば)おいしそうな肉やなぁ。
それは…。
牛肉は自宅近くの「宇杉精肉店」から。
多いときには1kgの肉を購入していました。
すき焼きには黒毛和牛の雌牛で100g1,000円前後の肉を。
一切料理をしなかった米朝さん。
しかしすき焼きだけは弟子たちに任せませんでした。
その作り方は。
まず肉だけを焼いて食べるのが米朝流。
味付けは砂糖としょうゆだけ。
「これだけでええねやがな」
(米團治)言うてこうやってうちの親父さんはもう。
「ちょう卵卵…卵溶いて。
卵溶いて卵溶いて」。
(南光)正直言うてな
(南光)いらちやから。
せわし…。
(米團治)で「うまいかうまいか?」言うて。
まだ口に入れてへんねんけど。
(南光)ほんでそのうちな
(南光)「わしは!?」言うて。
(米團治)「わしばっかりや」。
(南光)「わしがいつまでこんなことせなあかんねん!?」。
「違う。
せやから初めから私やる言うてますやん」とか。
(米團治)でうちの母がまたこのちゃーちゃんの味と違う味が好きでね。
肉は焼いて食べたい派の米朝さんに対し妻・絹子さんは割り下派。
そこで絹子さんは米朝さんの目を盗んでこっそりみりんを入れることもありました。
「アカンアカンアカン!」って。
これはうちの母親がみりん用意してましてん。
おんなじぼやきをおんなじタイミングで毎日言うてはりましたなぁ。
ざこばさんの内弟子時代。
肉の買い出しも任されましたが…。
(ざこば)その当時まあ「100g300円ぐらいのを買うてきて」って。
ほんで僕知らん顔して「250円のやつ」言うて。
でそれ…。
(米團治)差額を?
(ざこば)差額を…こないしてな。
(南光)着服してたんですか!?着服してた。
(南光)買い物に行ってえっそれをくすねるか!?ええ?米朝さんは物を大切に使い続けました。
長年愛用していたのはこのカバン。
(ざこば)これもなあこうしてはったんや。
一門でみんなできれいなええやつを贈りましたんやね。
贈ったのにボロボロのを持ってはんねん。
(米團治)そうやねん。
(南光)晩年してはった時計ってある放送局の記念品。
うん〜。
僕は38年に入門で。
まだあれやけど裕福やなかったけど僕に僕が年季明けるちょっと前ぐらいに言いはったときいやぁ師匠もうれしいんやなぁ思てな。
おお〜ってそれは感じたな。
(南光)米朝師匠が裕福になれなんだ原因はざこば師匠や。
いや違う。
そんなアホなことを言いないな。
米朝さんは酒豪としても知られていますが一方でこんな一面も。
酒も飲むし結構甘党で甘いもんも好きやし。
(南光)ねえ。
雨風っちゅうやつで。
そうそうそうそう。
(米團治)ああ雨風。
雨風。
ねえ。
雨風。
それは落語「蛇含草」に登場します。
「得な性分やなぁ。
よう世間の人はな酒飲む人は餅なんか遠慮しよるし甘いもん好きな人は酒を飲まんねや。
お前雨風やな」。
「雨風ってなんでんねん?」。
「酒も甘いもんも餅も両方いける人のことを雨風っちゅうねや」。
「ほう〜。
どっちが雨でどっちが風や?」。
「それはまあ知らんけどな。
まあ酒は米の水というさかいまあ酒が雨てなもんかな」。
「ああほんなら餅は風てなもんでやんな」。
まさに雨風だった米朝さん。
最も好きだったのは十三の鍼灸院に行く度に足を運んでいた「今里屋久兵衛」の焼き餅でした。
(南光)ママも好きやったんちゃうんですか?
(米團治)そうなんですよ。
うちの親父が焼き餅買うてきたときに「まあ〜あんさんうれしいわ。
私この十三の焼き餅好きやねん。
これやったら」って言うたらその言葉尻取って。
言うて。
100個用意しはったことがあるんです。
(南光)ほんまに?はい。
(南光)ぎょうさん買うてきて。
(米團治)これが実は100個。
いやママは食べはったやろ。
ははははははっ!ママやったらこれぐらい。
いや100個を…。
「そない食えんやろ」で普通終わるやろね。
(米團治)100個も…わあ〜!いうところをうちの親父さんはケンカになったんです。
そんな人やないと思てたけどな。
おんなじことでケンカしてはったような気するな。
ママももうわかってるやろちゃーちゃんが怒るのはって。
それ承知で怒られにいきはるんかなぁ。
(南光)朝あれでしょ。
米朝師匠が出かけるときママが…。
(南光)聞きはんねやろ。
ほなちゃーちゃん…。
(米團治)「わからんがなそんなん!」。
それをず〜〜っと言うてはったやろ。
ケンカ三昧の日々と思いきや桂米朝さんにとって妻・絹子さんは一体どんな存在だったのか。
うちの嫁はんが天満の天神さんへ。
ほなうちの師匠がいてはって。
一人で。
「師匠は?」いうて言うたら「いやいや嫁はんがちょっと…患うとるんでな。
ちょっと神さんにお願いに来たんや」。
それを嫁はんが聞いてうち帰ってきて僕に…。
言うてくれた。
一方1958年生まれの米團治さん。
高校時代落語家になりたくて父・米朝さんに弟子入りを志願。
そのときは一蹴されて断念しましたが兄弟子の口添えもあり大学在学中19歳で弟子入りを許されました。
父じゃなく師匠と思って接しようという気持ち。
ちょっと難しかったけれどもそれ以上に父の方がやりにくかったような気がしますね。
3年間の内弟子修業を終え1983年に市川崑監督の映画「細雪」への出演が決まりました。
あんなすごいとこ。
競馬でドカ〜ンと大穴を当てたんや。
(米團治)落語もまだ満足にできないときになんか映画の話が舞い込んで。
こんな分厚いシナリオをこの家へ持ってきたら。
「口説くとこやで。
グッといかなあかんねやで」。
(南光)ふっふっふふふ。
(米團治)「こいさん!今度僕〜パリに行こうと思うんやけどなぁ!」。
「言うてみ」「はい?」。
「言うの?」。
「言え」って米朝師匠にそのセリフのやりとりを教えてもらってでいざ本番ってなったんです。
(南光)あれ監督市川崑さんや。
(米團治)タバコくわえて「いきましょう用意スタート!」。
「こいさん。
今度僕パリに行こうと思うんやけどなぁ!」言うたら監督が
(一同)あははははは!まさか米朝に教えてもうた言われへんし。
これがOKシーンです。
うまいこといったらこいさんのパリ行きの費用ぐらい出したるわ。
楽しみにしてるわ。
ほなさいなら。
こいさん!何しはんの!?
(南光)いや米朝師匠はうれしかったでしょ。
自分の息子がそんな…。
まあ噺家やけど。
そういうところに普通ね抜てきされないじゃないですか。
そら絶対うれしかったと思うわ。
そんな米朝さんが最後に高座で落語を披露したのは2007年。
そのころから家族や弟子が米朝さんをお世話するようになりその日あったことを書き記すようになりました。
およそ8年分。
その数はノート48冊に及びます。
(米團治)これちゃーちゃんの介護日記なんですけどみんなが交代でやらざるをえない。
でうちの母がパーキンソンやったから。
だからこれは空いてる人がしようよっていうことになったんですが。
この…。
(南光)これでちゃーちゃんあれやろ?1月の23日か。
ああそのときのことも書いてあります。
2015年1月22日10時30分。
米團治到着。
朝から血圧が低く自呼吸が困難な状態。
13時点滴開始。
17時30分家族ほぼ揃う。
ざこばにいさんには連絡し…。
ざこばにいさんが来はって「ちゃーちゃんちゃーちゃん!」って言うて。
もうあかんと思って来はって。
思たよ。
幸いにも容体は持ち直しました。
しかし3月19日。
もうほんとに眠るようでしたね。
うん。
境目わからなんだね。
すごかったなぁ。
そらすばらしい旅立ちや思たね。
戦後滅亡の危機に瀕していた上方落語を復興させた米朝さん。
5000回を超す高座でおよそ200の演目を演じました。
実はこんな鍋もうちにありまして。
(南光)あら!これうどんすきの「美々卯」さん。
(南光)「美々卯」の鍋なの?これ。
(米團治)そうなんです。
例えばうどんすきのときとかにはこれでぐつぐつぐつぐつとこうやって。
(吉弥)この「美々卯」さんのうどんすきいうと私が米朝師匠のところへ預かり弟子いうて大師匠のとこにおりましたんで。
まあおうちでよういただいたちゅう味ですねんわ。
ありがとうございます。
この人物「美々卯」二代目で現相談役の薩摩夘一さん。
米朝さんと同じ2人は「米朝」「夘一」と呼び合う間柄だった。
(夘一)いや〜すごい勉強家やなと。
こういう方とねこのうどんすきを世に知らしめたのが二代目の夘一である。
薩摩夘一ただいま帰ってまいりました。
激動の昭和夘一の父・平太郎はいかにしてうどんすきを作り上げたのか。
父と母そして夘一。
「美々卯」家族の物語。
うどんすきのおかげで生きてるんですからね。
うどんと共に生きたいと思っております。
(吉弥)そもそも米朝師匠と薩摩さんのご関係は…。
(吉弥)丑年やから?
(夘一)はい。
同じ大正14年生まれ。
丑年の集まり「もうもう会」。
そこで2人は出会った。
(吉弥)なんかお写真をねあのときのやつでっせいうてわざわざうどんすきのセットも添えて持ってきてくれはって。
(夘一)そういうことは忘れましたけどもね。
たまたま…。
米朝さんは好物の「美々卯」のうどんすきをよく自宅で食べた。
そして妻・絹子さんは必ずその折箱を残していた。
(吉弥)「美々卯」さんのお持ち帰りの容器を大事に取ってはりましてね。
百貨店の包装紙ですなあれを置いて天ぷらの油切りに使てはりましてん。
せやから…。
恥ずかしゅうございます。
うどんすきを作ったのは明治34年堺の老舗料亭「耳卯楼」の四男として生まれた平太郎は大好きなうどん・そばの店を持ちたいとその年の3月には夘一が生まれた。
当時の名物はだしに鶏卵を入れたあつもりのそばにヒントを得て平太郎が考案。
鶏卵はそのうま味が勝ちすぎるので代わりにうずらの卵を2個。
うずら卵は当時大陸から輸入され始めた珍しい食材。
平太郎は新しい食材調理法調理器具まで考えるアイデアマン。
次に目を向けたのが…。
(平太郎)昔から鍋焼きうどんいうたら具材が決まっとる。
当時鍋焼きうどんの具は鶏肉が定番だった。
(平太郎)そうか。
大阪はうどんの文化。
うどんで名物を作るんや。
まず考えたのが鍋焼きうどんの具をアナゴやハモなど豪華にした湊鍋。
だが…。
(心の声)≪なんか1人で食べる鍋って寂しいなぁ。
もっと大勢で食べられる鍋はないやろか?≫次に平太郎はみんなで囲めるうどん用の鍋をと中国のほうこう炉からヒントを得た鍋を考案。
大阪ことばで煙突を意味するエンタツと名付けたが…。
(夘一)当時は炭火でやってましたからね。
熱の調節ができないと。
平太郎が求めたのは
(夘一)それともう1つはこれはあくまで中華の鍋やからねもっと日本的な鍋にしたいと。
そしてある日妻・きく息子・夘一とすき焼きを囲んだときだった。
(きく)やっぱりすき焼きのシメいうたらうどんが一番ですなぁ。
お母ちゃん僕も肉より最後のうどんが一番好き。
そうか…。
それや!すき焼きのシメのうどんはうまい。
それやったら初めからうどんのうまさが出せる鍋を作ったらええちゅうこっちゃ。
昭和3年ごろから平太郎は長時間煮込んでも崩れないそしてだしの濁らない少し太めのうどんを試作し続けた。
そして食通と呼ばれる人たちに何度も試食をしてもらい改良した。
また…。
あかん。
普通のすき焼き鍋やったらこのツルツルのうどんがすんなりお椀に収まらへん。
こうなったら…。
平太郎はうどんが取りやすい鍋の試作も重ねた。
そして出来上がったのがこの独特の形をしたうどんをスルスルと小皿に取れるように鍋の縁を外側に曲げかつだしがこぼれにくい設計にした。
だしは煮詰まることを考え少し薄めに作った。
具は鍋のだしが濁らずアクやクセが出ないよう下ゆでし下味までつけた。
先生この鍋どないでっしゃろ?こりゃいけまっせ。
ありがとうございます。
当時ごちそうの代名詞だったすき焼きにちなみ名前を「うどんすき」にした。
現在の1万円にも相当する値段だったがその見たこともない粋な鍋料理は谷崎潤一郎をはじめ多くの粋人たちの心をつかんだ。
しかし時代の暗い影はすぐそこまで忍び寄っていた。
昭和16年太平洋戦争に突入すると「ぜいたくは敵だ」のスローガンの下食料統制が敷かれていく。
「美々卯」も配給だけでは店を開けることができずあえなく休業。
平太郎は大砲などを作る徴用工に。
そして昭和19年長男・夘一が19歳のときに召集令状が。
平太郎は疎開先で終戦を迎えるも戦時中のけがが原因で日に日に衰弱していった。
空襲で店焼けてしもたけどなんとか店開けたいなぁ。
夘一がおってくれたらなぁ。
おとうさん頑張ろう。
しかし終戦から数えて50日目の10月5日平太郎は44歳の若さでこの世を去った。
大黒柱を失い長男も帰らない。
「美々卯」最大の存続の危機だった。
そのとき。
(きく)≪「美々卯」を再建することがおとうさんの供養になるはずや≫私頑張る。
なんと妻のきくが「美々卯」再建に立ち上がったのだ。
当時大阪は空襲で焼け野原。
きくは平野町のがれきの上に店の再建を始めた。
元手は平太郎の生命保険金だった。
そして平太郎が亡くなってから半年後。
(夘一)薩摩夘一ただいま帰ってまいりました。
夘一!生死もわからなかった夘一が復員。
昭和21年5月26日のことだったそして昭和21年7月8日。
およそ2年ぶりに「美々卯」ののれんが掲げられた。
お母さん僕にもお父さんが残したうどんすきの作り方教えてください。
今の食材やったら昔の味が出やしません。
みんなで頑張ってなんとか食材をそろえませんと。
うどんすきを復活させたい。
戦後の物資が乏しい中きくと夘一は食材探しに奔走した。
そんな中かつお節は幸いにも手に入った。
なんと平太郎がうどんすき復活を願い田舎へ疎開させていたのだ。
そして「美々卯」再建から3年後の昭和24年。
お味どうですやろ?
(夘一)あきまへんか?よう出来てまっせ。
こうして夘一によって復活したうどんすき。
四季に合わせて季節感を出す。
春はワカメやタケノコ。
秋にはマツタケ。
その具の多様さは戦前を上回っていた。
そして更にその10年後には大阪万博に大阪の味として出店。
うどんすきは一気に全国に知れ渡った。
今では…。
1992年には息子・和男さんに代を譲った。
和男さんは「美々卯」を更に発展させる。
夘一さんが米朝さんに持っていったうどんすきの宅配用は和男さんがアイデアを出したものだ。
そしてこの具だくさんの「美々卯」のうどんすきを愛したのが…。
(米朝)何よりこの具がぎょうさんあるのがええ。
(吉弥)米朝師匠がねお金ない時分はね鍋うどんを頼むんやと。
ほな上の具材をアテにして飲めるしシメで下のうどんが食べれて。
うどんすきを米朝師匠のお宅でやったときも鶏肉なんかをこうアテに飲んでおうどん食べてはりました。
ねえ。
ちょっと火…。
入れてってもいい。
(吉弥)もうね気にしはりますねんお鍋をね。
僕がしゃべっててもうどんから目離しはりませんやろ。
今から11年前の夘一さん。
当時80歳の映像が残っている。
(吉弥)米朝師匠がね「あれが商売人の動き様や。
薩摩夘一さんをよう見とけ」って言うてはりましたで。
とんでもないとんでもない。
夘一さんは90歳になった今でも時間があるときは自宅のある宝塚から本店のある平野町に行き現場を視察している。
「美々卯」に伝わる心。
(夘一)基本は大事に守っていくということが大事。
しかしそこになんやかんやプラスアルファとかいうようなものを常に考えていけよと。
夘一さんが父と母から受け継いだのは現状に満足することなく必ずプラスアルファを付け加え前に進んでいく力。
米朝さんが師匠から受け継いだのはただ一生懸命に芸を磨く以外に世間へお返しの途はないという覚悟。
それを弟子たちにも残しました。
(南光)人間国宝になってそして噺家で初めて文化勲章を受章しはった名前やからね。
私は…。
(南光)あなたにこっから精進してもらって…。
それはないと思う。
(南光)米朝という名前をやっぱり残したいから。
と思うよ。
知ってる人がいてる間に継いだらお客さんの印象がごっちゃになるじゃないですか。
このままでええと思うねん。
今の状態でね。
誰も何も言わんと。
そのうちに誰ぞが…。
自然でその場その場で出来上がるような気ぃするんで今をこれや!と決めんでも僕はいいとは思うね。
(南光)決めなくてもいいですけどねただあなたがありがとうございます。
それは頑張ります。
(南光)マジに。
はい。
言えないし。
それがほんまはあれやけど。
それはもうあんたの気の…。
それはもうあんたいくつなんねん10年経ったら。
(ざこば)あははは!まだあかん。
(米團治)どないや!
(ざこば)もう一回献杯しようか。
(南光)しましょか。
(米團治・ざこば)献杯。
(南光)米朝師匠に。
ありがとうございました。
(米團治・ざこば)おおきに。
(ざこば)師匠いろいろごちそうさまでした。
いろんなとこへ連れていってもらいましたな。
一流の料理屋さんそれから駅の立ち食いそばとか。
師匠は食べながら噺のごちそうもぎょうさんしてくれはりました。
その噺が会席料理みたいな噺でお造り天ぷら小鉢もん吸いもんいろんな種類の噺をしてくれはりました。
それを若い人に僕も師匠の後を継いでお教えせないかんねんけどなかなか。
いろいろほんまにごちそうさまでした。
ありがとうございました。
おいしかったです。
大好きです。
高橋真麻がもし主婦だったら?ああ〜もうお弁当作るの面倒くさいよ。
もうあと一品あればいいんだけどなぁ。
食卓にもうひと品欲しいときにも大活躍。
それが今話題の冷蔵庫で保存できてアレンジもできちゃう。
今日はポイントが…。
せ〜の。
…のつくりおきおかずを。
HERO’sレシピがパワーアップ。
定番メニューの王道レシピを関西を代表する2人の料理人が伝授。
三つ星料理人「菊乃井」村田さんとイタリアン「ラルッチョラ」鈴木さんが登場。
(長野)いつもはねお一人ずつですけどね。
(杉浦)並んでる。
今日ツーショットで。
(鈴木)ものすご緊張してます僕。
(村田)めっちゃ嫌な感じ。
イケメンやし。
ちょっと引き気味で。
(水野)それぞれのつくりおきのおかずを作っていただくという企画なんですけれども。
(鈴木)イタリア料理でいうところのマリネです。
で村田さんは…。
南蛮漬けです。
共に青魚を酢漬けする料理ですが和の村田流とイタリアンの鈴木流では工程も出来上がりも大きく異なります。
まずは漬け地から。
(鈴木)ここでもう玉ネギを…。
イタリアンの鈴木流はまず村田さんどうですか?こういう調理法としては。
(村田)いやもうあははは。
なるほど。
(鈴木)日本人でいうところのしょうゆみたいなもんですから。
油を食べてるという感覚よりは調味料を食べてるだけの話で。
(木本)マリネ液の…イタリアンのマリネ液の鉄則みたいなのあるんですか?
(鈴木)マリネ液鉄則としては油まあオイルですよね。
オイルと酸味。
これに塩味と甘味が入ってあと香りが入ってきます。
(杉浦)5つの要素。
(鈴木)そう5つの要素。
甘味っていうのが今回は玉ネギと砂糖とあと干しブドウ。
(高橋)干しブドウ。
へえ〜。
(鈴木)酸味が白ワインビネガー。
まあイタリアらしい感じ。
(村田)和食やったらそこに油少ないかわりにうま味が入ります。
日本ならではのうま味ですもんね。
(村田)結局うま味を使えば油の量減らしても…。
(鈴木)おいしくなるんですね。
対して和の村田さん南蛮漬けの漬け地は?村田さんの漬け地はどんな感じなんでしょうか。
南蛮地ですからこれだしですね。
だしでうま味を加えてしょうゆみりん酢の簡単割合レシピ。
(村田)酢。
1:1:5ですね。
だし5に対してしょうゆみりん酢それぞれ1を合わせて赤とうがらしを加え軽く火を入れて冷まします。
アジを揚げていきますが。
(村田)このまま揚げます。
(高橋)えっ素揚げ?なんでしないんですか?打ち粉。
(村田)打ち粉するとね保存して長いこと漬けとくとね周りにこう。
あっモヤモヤっとなりますね。
(村田)汚らしくなるでしょ?なるほど。
(鈴木)いやまだ。
まだでした。
まだ?
(鈴木)揚げましょ揚げましょ。
揚げていきましょ。
(村田)140℃に。
結構低温なんですね。
(村田)温度設定勝手にしてくれんねんね。
結構低いですよね。
(村田)骨まで全部食べてしまおうと思うと低い温度で長いこと揚げなあきません。
身も食感はカスッとなります。
身を食べようと思うと三枚におろさんと無理です。
で打ち粉してサッと揚げるっていうことですね。
(高橋)なんかお二人が共同作業してることが不思議。
不思議。
このツーショット。
そして漬けかたに最大のポイントが。
(村田)アツアツをこの南蛮地の中に。
このアツアツがやっぱりいいんですね。
(村田)アツアツを漬けるとねシュッと染みよるんです。
染みやすいんですね熱いときの方が。
へえ〜。
(高橋)何?あっ!これは…。
(鈴木)グレープフルーツですか?
(村田)グレープフルーツ。
ご家庭にあるかんきつ類でOK。
今回はグレープフルーツを搾り玉ネギニンジンは炒めずに生のまま。
5時間ほど漬けて村田流南蛮漬けの完成。
(拍手)続いては先ほどマリネ液を作ったイワシを揚げていきますがここでシェフのテクニックが!?
(鈴木)こんな感じで手開きっていって骨を取った状態のものを牛乳に漬けときます。
これで臭みが取れるという。
(高橋)小麦粉。
(鈴木)小麦粉つけて揚げるのも臭み取りの一つなんですよ。
鈴木流は薄く打ち粉をします。
(木本)鈴木さんの場合は油これ何℃ぐらいですか?
(鈴木)これ僕は175ぐらいのイメージでやってます。
(木本)ちょっと高めで。
(鈴木)身が薄いのでサッと揚げる感じですね。
(高橋)言っちゃおしまいよなんです。
(鈴木)言っちゃおしまいです。
そう。
その漬けるというポイントに和とイタリアン最大の違いが。
高温でサッと揚げたイワシに塩をして上からマリネ液をかけます。
(鈴木)できるだけどちらもある程度あったかいぐらい。
(杉浦)漬けかたも違うんですね。
シャキシャキの玉ネギとクタクタの玉ネギで。
(鈴木)こんな感じで漬けて大体冷めるまで。
冷めるまで。
(鈴木)まあまあ1〜2時間。
2時間ぐらい。
鈴木流はスダチで酸味をプラスして。
冷蔵庫でおよそ1週間は保存できるつくりおきおかずイワシのマリネ完成。
いただきま〜す。
(一同)いただきます。
(杉浦)酢の香りがしますね。
しますねぇ。
アジの南蛮漬けの方から。
(木本)村田さんのから。
(高橋)おいしい。
骨までおいしい。
(木本)ちゃんと魚の味を楽しんでますよね。
ほんとに酸味がまろやか。
(木下)こんな短時間で。
(木本)うまっ。
(鈴木)あっすごいあっさりしてますね。
ふふふふふ。
(杉浦)見つめ合う瞬間。
(村田)あっさり。
そらぁね和食やから。
(鈴木)そうですよね。
油がここまで軽くなるんやっていう。
う〜ん!うまっ!
(高橋)甘みがこちらの方が強いですね。
(木本)甘くて。
でもこっちも酸味がまろやかで。
(鈴木)はい酸味は飛ばしながらって感じですね。
(木本)酸味と甘みのバランスがものすごくいい。
なるほど。
(杉浦)どうでした?
(村田)おいしいですよね。
やっぱりイタリア料理ですねもう。
(鈴木)イタリア料理らしいイタリア料理になりました。
(村田)イタリア料理と日本料理ってね非常によく似た料理です考え方は。
素材の持ち味を生かしてという。
よく似た料理なんですけどね作り方はね全く違うんですよね。
(鈴木)味の構成全く違いますもんね。
(木下)同じ漬けるですけどね全然違う。
次回はなんと人気俳優・向井理が登場。
梅田・お初天神でコテコテグルメを食べ尽くす。
う〜ん!2015/08/17(月) 19:00〜20:00
MBS毎日放送
水野真紀の魔法のレストランR[字]【桂米朝が愛した味スペシャル】

あなたの知らない桂米朝の真実▼実はB級グルメが好き!▼ざこば&南光&米團治3人で自宅へすき焼き▼味の招待席〜秘蔵映像▼プロがおしえる「つくりおきおかず」

詳細情報
番組内容
一門を代表する噺家のざこば・南光・米團治が、おススメの寿司屋やスペインバルなどを案内!さらに、今回は特別に故・桂米朝の実家に潜入!弟子を囲んで食べた人間国宝の特製すき焼きとは?
今回の100人の料理人は桂米朝が愛した味を巡りながら、美々卯のうどんすきなど、あの大阪名物、誕生秘話を桂吉弥がお届けします。
番組内容2
「HERO’sレシピ」がパワーアップ!2人のシェフが同じテーマで異なるレシピを伝授!和食の村田さんとイタリアンの鈴木さんが、毎日の面倒なお弁当作りの悩みを解決してくれる「つくりおきおかず」を作ります!
出演者
水野真紀
長野博
高橋真麻
杉浦太陽
TKO(木本武宏・木下隆行)
ほか

桂ざこば
桂南光
桂米團治
桂吉弥

村田吉弘(京都料亭「菊乃井」主人)
鈴木浩治(イタリアン料理店「ラ ルッチョラ」オーナーシェフ)
ほか
公式HP
■番組HP
http://www.mbs.jp/mahou/
おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。

ジャンル :
情報/ワイドショー – グルメ・料理
バラエティ – 料理バラエティ
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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