(内田)私これ読むのにですね新しく老眼鏡買うたんです。
(ナレーション)今年の春ある兵士の日記が見つかりました。
肉弾三勇士っちゅうのは3人だけが行ってするかと思ったらそうじゃない。
おじさんのこの手帳を見て初めてわかった。
じゃけんこれはみんなも知っとってもらわないかん。
今の若い人もあなたたちが伝えてやらないかんですよ。
この70年間日本には戦争がありませんでした。
(安倍)日本国民の命を守り…・反対!反対!反対…。
戦争の時代に生きた日本人は何に触れ何に熱狂し何を悲しんでいたのでしょうか?大きな分岐点となったのは関東軍謀略による満州事変でした。
これが中国大陸侵略の足がかりとなり中国との本格的な戦争が始まります。
そして後の太平洋戦争につながっていきます。
この戦争の始まりに有名になった3人の兵士がいます。
第一次上海事変。
3人は中国側の鉄条網を破壊するため火の付いた爆弾を持って突入。
志願の自爆として戦の神軍神に祭り上げられました。
朝日新聞は「肉弾三勇士の歌」毎日新聞は「爆弾三勇士の歌」を懸賞金付きで募集。
熱狂的な三勇士ブームを巻き起こしました。
・「肉弾三勇士の歌」・煙幕の消え去る上に・ああ軍神肉弾三勇士
(堀田)あそこなんです。
(堀田)もうそのころ弔慰金がすごくあったんだそうです。
それでこういうものが建ってる。
お墓だってそうだと思いますね。
だからもちろん実家も。
すごい弔慰金だったそうです。
三勇士の一人作江伊之助一等兵の地元長崎県平戸市では今も当時の立派な碑が残っています。
(田中)長崎県佐々町は三勇士の一人北川丞一等兵の地元です。
三勇士は子どもたちにも絶大な人気でした。
(宮村)複数の戦史によれば鉄条網への突撃が次々と失敗したためある上官が命じて三勇士らは爆弾に点火してから出発。
途中で負傷し時間がかかったため爆発に巻き込まれますが別の組は成功し生還しました。
死者はほかにもいましたがメディアは3人だけを軍神としました。
戦意高揚させたい軍部便乗してもうけたい企業の思惑が絡み合いブームは過熱します。
三勇士は宣伝にまで登場。
お菓子の景品やパッケージにも現れました。
・轟然と大地は揺らぐ・ああ勇猛肉弾三勇士
(辻田)メディアが販売競争とかのもとにですねこういうのをやれば国民がうけるだろうと。
実際うけたからもっともっとそれをいっぱい出していこうっていうようなですねそういったのがレコードとか映画とか色んなエンタメ産業で見られるんですがそういったものが最初に起きたつまり……というものだと思いますね。
三勇士の上官の…点火してからの出発を命じました。
(内田)これが鉄条網。
親類宅に内田伍長が現場から持ち帰ったものが残されています。
この春当時の日記が仏壇裏から見つかりました。
当日の日付には点火を自ら命じ爆破成功で万歳をしたこと。
現場に行くと2人は爆死。
1人がひん死の状態でまもなく死亡したことなどが書かれています。
しかし翌日以降苦悩がつづられます。
遺体を一晩外に残したことに涙を止め得なかった。
毎夜われ死者のことのみ思われてしかたない。
部下を亡くした責任この苦悩は誰にも届きませんでした。
その代わりそういうことは隣近所の人にも…。
兵隊が死んだけんっちゅうて悲しいとか泣きようとかそんなことどん言うたらもうオーバーに言えば銃殺されるぐらい日本中は勝った勝った万歳万歳って言いようときやけん…。
仏さんに参るときはかわいそかったぞって言って。
せやけんうちの父は肉弾三勇士の話は一切せんです。
自らを責め続けた内田徳次伍長。
それから5年後満州の地で戦死しました。
・「軍艦行進曲」・守るも攻むるも黒鐵の中国との戦争が泥沼化していた1941年12月8日。
日本はアメリカハワイの真珠湾を空から奇襲。
太平洋戦争が始まりました。
軍神の新たな歴史の幕開けでした。
真珠湾攻撃は空からだけではありませんでした。
魚雷を積んだ2人乗りの小型潜水艦特殊潜航艇が5隻極秘に出ていました。
・たちまち撃ち出す・水雷に真珠湾攻撃から3カ月後軍部は乗組員9人を特別攻撃隊と命名。
九軍神となりました。
死ぬことが前提ではないものの自らの心中を三勇士になぞらえるなど死を覚悟していたといわれています。
九軍神は愛媛県の三机湾で訓練をしていました。
(大塚)
(大塚)それまではね毎日練習はして入りに来よりましたのよ。
潜行艇いいよりましたなあれのこと。
あの煙突出したり下げたりして。
(奥山)彼らを誰が軍神にしたのでしょうか?生還の見込みの少ない潜行艇を想定したのか海軍は二階級特進の制度を真珠湾攻撃直前に決めます。
従軍記者の回想録には海軍報道部少佐の発言が軍神につながったとあります。
むろん二段進級だ。
だがそれでは陸軍の後じんを拝する。
軍神軍神扱いはどうだ?ここに軍神扱いと決まった。
九軍神はたちまち日本全土に広がった。
なんの批判も疑いもなかった。
・僕は特別攻撃隊生み出された軍神は歌とともに浸透しました。
・遠いハワイの真珠湾
(保利)九軍神に関するレコードとか音楽というのは童謡から流行歌各曲も含めてですね相当作られたと思います。
過去軍神のレコードというものはいろいろ作られておりまして…しかし特別攻撃隊として出発したのは九軍神だけではありませんでした。
もう一人酒巻和男少尉がいました。
ハワイの砂浜で捕まり捕虜第一号になった人物です。
潜行艇はアメリカ各地を行脚し戦争国債で資金を作るのに利用されました。
アメリカに残る初期の尋問記録です。
当初は死だけを望んでいました。
(松原)
(松原)それは死んだもんとしてね。
けれども…そして…そして…生きて虜囚の辱めを受けず。
兵士たちを縛った一節です。
戦陣訓という軍人の行動規範で太平洋戦争の前に東条英機陸軍大臣が公布しました。
生きて虜囚の辱めを受けずという有名な言葉があってそれだけが有名になっちゃってるんですけどもこれもですね覚悟なんですよね。
本当に捕まることっていうのは当時少なかったのでそれぐらいの覚悟でふだんからちゃんと気合いを入れて戦えという意味で恐らく作った言葉だと思うんですよね。
ところがそれが実際…そのときにそういったいわば…つまり当初の目的から変わってしまったっていうのはあると思います。
・ああ戦陣訓・忠孝二道忘れまじ今もそうですよねCDとか買うときにですね歌詞の内容で買わないわけですよ。
誰々の新譜だから買おうと思って買うわけで買うまでそもそも歌詞わからないわけですから。
それが結果的にふたを開けばプロパガンダになってるということでこれは当時のプロパガンダの鉄則というかいかにもプロパガンダっぽいものっていうのは当時の人でも嫌がるのでできるだけ自然にというか…この「戦陣訓の歌」もそういうふうなものの文脈の中で理解できるのかなと思います。
アメリカで捕虜生活を始めた酒巻さん。
変わるきっかけは新聞でした。
差し入れに求めたアメリカの新聞には負け戦や政府批判の記事もありました。
遠い国で冷静になるうち日本独特の思想や軍国主義に疑問を感じます。
あれほど望んだ死への考えも変わり生きようと決めるのです。
そしてほかの捕虜の自殺も思いとどまらせました。
(酒巻)
(酒巻)だからそれは非常に重いし復員してきたときに別れそれぞれの故郷に戻るときに戦友が言ってくれた言葉にお世話になりましたっていうこの言葉。
ありがとうっていうこの言葉。
だから戦争で役に立ったとかどうのこうのじゃなくてやっぱりその…そんなところだと思いますけど。
戦後の公式戦史によると5隻の特殊潜行艇には戦果がありませんでした。
しかし終戦まで9人は軍神とあがめられました。
昭和の初め朝日と毎日が日本を代表する新聞でした。
毎日新聞は軍追従でしたが朝日新聞は軍の中国進出に反対でした。
朝日の軍部批判に関西各地の陸軍関係者が不満を持ち不買運動を起こします。
そこにさらなる追い打ちをかける出来事が起きたのです。
(前坂)
(前坂)一切やめるというですねそういう…新聞が屈したのは首相や要人が軍人に相次いで襲撃されたテロと暴力の時代でした。
次々に出される法律に新聞は報道内容を縛られしだいに国民の耳や目に真実は届かなくなります。
戦前の新聞の責任は読者に対して真実を知っておったのに…現代の日本人はあふれる情報の中で暮らしています。
そこから何を選ぶかは簡単ではありません。
・安倍政権は今すぐ退陣!
(一同)安倍政権は今すぐ退陣!・今すぐ退陣!
(一同)今すぐ退陣!・今すぐ退陣!
(一同)今すぐ退陣!戦争する国にはさせないぞ!戦争反対!・9条壊すな!
(一同)9条壊すな!・戦争反対!
(一同)戦争反対!・9条守れ!
(一同)9条守れ!・戦争反対!
(一同)戦争反対!戦争が始まりしばらくすると物資不足を補うために金属回収が大々的に行なわれます。
戦争の潮目が変わった…航空母艦4隻を失う大敗北でした。
南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島。
建設したばかりの飛行場を奪われ半年にわたる激闘でした。
物資の補給が絶たれ飢えた兵士がジャングルでさまよう戦場でした。
(日吉)
(日吉)初めの一晩はですねまだ食糧があるからね。
1週間や10日はねそんなでもなかったですけども…うん。
本当に僕もただ生きてきただけだけど…軍部はようやく撤退を決意。
しかし死者は2万人以上。
うち…新聞はこれも軍部の発表どおり転進と記事にしました。
ガダルカナル戦で負傷しながらも撤退せず部下と玉砕した…戦死から10カ月後昭和天皇に功績が報告され沖縄初の軍神となりました。
(大舛)
(大舛)いきなりそんなこと聞かれてもねわからなかったけど実際は。
大舛中隊長が生まれたのは晴れた日には台湾が見える日本最西端の島与那国島です。
ここは尖閣諸島にも近く今年2月の住民投票では…人口1,500人ほどのこの小さな島から軍神が誕生しました。
(根本)…に持ってきてこれを全部に教えて…。
戦意高揚に軍神の存在はうってつけでした。
学校は子どもたちに軍神に続けと教えます。
教育会と新聞社などがたたえる歌を募集したのは沖縄守備軍ができる直前地上戦が現実味を帯びた絶妙なタイミングでした。
みんなに…言葉は悪いけれどもね。
材料がよかったと思うよ。
アメリカ軍はついに沖縄に上陸。
中学生も兵士などに動員されました。
本土上陸を遅らせる持久戦となりましたが日米の圧倒的な戦力の差に住民は弾の中を逃げ惑い島の南部は焼き尽くされました。
沖縄の県民4人に1人が亡くなりました。
(宮平)
(古波蔵)
(古波蔵)どうしてもどうにもならないんでね。
わかってるんだ。
にもかかわらずあとで迎えに来るから頑張っておけよと…。
悲惨な記憶から軍事施設を沖縄の人は恐れます。
国土の0.6%の島に在日米軍基地の7割以上がある現実。
県内移設を強いられるのは本土からの差別だと映ります。
(翁長)沖縄の基地問題なくして日本を取り戻すことはできません。
沖縄はいつまでこの世界の情勢に自らを投げ捨てなければいけないのか?また同じ歴史が繰り返されることがないだろうかと。
将来の子や孫がまた捨て石として犠牲にならないか。
(井口)戦場にかり出された…軍神大舛中隊長に続けと教えられました。
その弟や生き残った学徒兵など当時の2年生が今月に一度集まります。
そこまでは言わないで。
そういうことでねこれは…そういうことはないよ。
恩命ですよ。
(元学徒兵の歌声)1945年8月広島と長崎に相次いで原子爆弾が投下されます。
日本は無条件降伏しました。
真珠湾攻撃の九軍神が訓練した三机湾。
みんなが…。
ラジオめったにありませんけんねここら。
そのときに初めて…
(奥山)しばらくしたら…私の前来て…・敬礼。
(ラッパ)戦後21年たってから作られた九軍神の慰霊碑。
捕虜になった酒巻さんと組んでいた稲垣清さんの名前も刻まれています。
酒巻さんもこの地を訪れています。
…そのときはだから時代的なね。
戦争のことで1つ質問をしたことがあるんですよ。
向こうでどんな暮らししてたの?とかなんとか…。
そんな質問をしたときにですね…だけです。
酒巻さんの書いた「捕虜第一号」。
重大な故障を知りつつ使命感で出発したこと。
絶望的な状況に引き返しを提案した稲垣さんをなだめ無理を続けたことなど後悔もつづられています。
真珠湾攻撃から50年のときアメリカテキサスの国立太平洋戦争博物館を訪れます。
あの潜行艇が展示されることになったのです。
シンポジウムでは当時の出来事だけを淡々と語り戦争への思いに触れることはありませんでした。
(酒巻和男英語)
(ヘレン)小学校のときにご両親に聞いてきなさいとかねなんで自分の名前をこういう具合にしたかっていうことを聞いてきなさいという宿題があったんですよ。
だから……言ったときに言ったのは。
そうやって言われたのおやじにね。
それだけです。
だからそれの深い意味合いだとかそういうものは知りません。
事実はわかんないんですけども私は…事実はわからない。
それはなんともわからないですけど。
酒巻さんは潜行艇の手入れのために毎年博物館に小切手を送っていました。
戦後ビジネスマンとして活躍し1999年に亡くなりました。
大舛重盛さん。
兄は軍神とされた一方で16歳の姉がひめゆり学徒隊として兵隊の看護に動員されました。
アメリカ軍から逃げるとき撃たれて歩けなくなりました。
(大舛)推定されるわけ。
と言ってもいいと思うんですよ私は。
(スタッフ)諦めもつくんですね?そうそう。
だからかわいそうとかなんとかいうことはねないですよ。
けど…日本は連合国の占領下に置かれました。
GHQは日本軍を解体。
民主化を進め国民は手のひらを返したように軍国主義から遠ざかろうとしました。
金属回収を免れていた東京の肉弾三勇士像。
災いを恐れた住民たちに壊され無残な姿のまま放置されました。
久留米の工兵隊にあった三勇士記念館も消え展示物の多くが行方不明です。
(持地)お寺が救った遺品は今陸上自衛隊久留米駐屯地の中にあります。
ほかの遺品とともにその軍服は大切に保管されています。
(前田)…というところでしかわれわれは考えておりませんので。
それはそうですね。
熱狂が消えるとともに作られたものの存在も人々の記憶から消えていきました。
三勇士の一人北川一等兵の遺品を集めた記念館。
かつては多くの人が訪れましたが今は親族がひっそりと守っています。
(北川)そうですね。
(北川)・戦争法案絶対反対!・戦争法案絶対反対!・戦争法案今すぐ廃案!戦後70年の今軍神が問いかけてきています。
2015/08/16(日) 01:35〜02:30
関西テレビ1
ザ・ドキュメント 軍神〜忘れられた兵士たち〜[字]
壮烈な戦死を遂げて神格化された軍人、いわゆる「軍神」。敗戦とともに「軍神」は国民の記憶から消える。戦後70年の夏、「軍神」から先の大戦を考える。
詳細情報
番組内容
安全保障関連法案が衆議院を通過し、参議院で審議がすすむ。戦後70年の夏、「戦争」をめぐる議論が身近になっている。
先の大戦で、国民から圧倒的人気をえた「軍神」、敗戦とともに国民の記憶から「軍神」は消えていく。番組では「爆弾三勇士」、「九軍神」、そして沖縄県初の軍神、「大舛中隊長」を取り上げる。軍神はなぜ登場し、消えていったのか。戦後70年の夏、「軍神」が私たちに問いかけるものは。
スタッフ
【語り】
関純子(関西テレビアナウンサー)
【ディレクター】
柴谷真理子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
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