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「首相が変わるたびに謝罪要求、国として恥ずかしい」 朴大統領の妹がニコ生で慰安婦問題について語る

「首相が変わるたびに謝罪要求、国として恥ずかしい」 朴大統領の妹がニコ生で慰安婦問題について語る

「ニコニコドキュメンタリー」のオリジナル作品第1弾として制作された、国際的な第三者の視点から日韓問題を描いた作品『タイズ・ザット・バインド ~ジャパン・アンド・コリア~』。韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領や、その父・朴正煕(パク・チョンヒ)元韓国大統領についても描かれている同作品について、津田大介氏が朴家の次女である朴槿令(パク・クンリョン)氏にインタビューを行いました。本パートでは、日韓の外交問題のひとつとなっている従軍慰安婦問題について朴氏が自身の見解を語りました。

ログ名
朴槿令氏インタビュー
2015年8月4日のログ
参照動画
朴槿令(パク・クンリョン)氏インタビュー 聞き手:津田大介
スピーカー
朴槿令(パク・クンリョン)氏
津田大介 氏
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「韓国は日本から礼儀を学ぶべき」 朴大統領の妹・朴槿令氏へのニコ生インタビュー
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戦争によって全国土が廃墟と化した

(以下、津田):先ほど韓国が貧しかった頃に、日本の文房具が憧れだったというお話がありました。

お父様は、この日韓基本条約を結んだ、日韓の国交正常化をまさに成し遂げた方でもあって、親日家でもあったのではないかと言われているんですけれども、実際にご両親とお話をしていて朴家では、教育としては日本という国に対しては、どのように教えられていましたか?

朴槿令(パク・クンリョン)氏(以下、朴):特に教育を受けたわけではありませんが、私の父は大統領として、特に父が大統領として就任していたときに、63年の夏だったと思いますが、そのときの写真を見ると半袖の夏の服を着ているんですけれども、そのときの韓国の情勢というのは共産陣営と民主陣営という2つの陣営が2つの軸となっていました。

今思っても父を誇らしく思うのは、指導者たる者は100年先を見据えて仕事をしなければいけないと思いますが、父はニクソン・ドクトリンが発表されることは知らなかったと思います。

しかし私たちは戦争によって廃墟と化し、全国土が廃墟と化しました。好戦的な戦争が好きな北朝鮮が平和協定を結ばずに、休戦協定を結んでいる戦時中の国で二兎を追わなければいけない状況でした。一兎は経済発展、もう一兎は国防でした。軍事力を、国防力を強化しなければいけないということでした。

ですので父はパートナーが必要だというふうに思いました。韓国のことわざに「隣人、近くのいとこ」という言葉があります。どんないい人でも、親戚ですとか、そういう家族が近くにいなければ意味がないわけです。近くの隣人が一番なわけです。ですので国交正常化こそ生きる道だというふうに思って、日本と国交正常化を推進したと思います。

そして父を私は誇らしく思います。当時、日本から無償、有償の援助を受けて、浦項(ポハン)製鉄所ほか、韓国産業の原動力となったんですが、新日本製鉄所や三菱、あともう1か所あったと思うんですけれども、3つの日本の大きな企業の力を得て、資本や技術の提供を受けて、韓国にも浦項(ポハン)製鉄所というところが建てられました。

韓国は技術力が乏しく、奨忠(チャンチュン)体育館というスタジアムをつくるときはフィリピンの技術や援助を受けて建てることができました。今も、その体育館はあるんですけれども。

そういったことを思いますと、父は本当にいいことをしたというふうに思います。いい判断だったと思います。私は日本との関係については、そういうふうに思います。

日韓国交正常化の際は危険で学校へ行けなかった

津田:あの時点での国交正常化があったからこそ、その後の韓国の経済の発展があったということですね。

朴:そのとおりです。決定的な要因だったと思います。

津田:なるほど。当時、ちょうど国交正常化したときに朴さんは10歳だったと思うんですが、そのときの記憶ってありますか?

朴:小学校4年生か5年生でした。父が大統領に就任してすぐ、国交正常化を推進しました。ですので、よく覚えています。

津田:そのときの、どのようなことを感じたか教えてもらえますか?

朴:日韓会談に反対する声が強かったので、学校に行くこともできませんでした。

津田:やっぱりそれは、そこの大統領の娘ということで。

朴:大統領府までデモ隊が押し寄せて、私は学校に行こうとしたんですけれども、そのまま家に帰ったことがあります。警察と対峙してる状態が続いていました。

津田:そうやって、お父さんのやられていることに反対の声が多いという状況というのは、それはやはり朴さんにとっても、つらい経験でしたか?

朴:そうですね、もちろんそうでした。しかし、そういった方々も、やはり今は経済が発展し、国が発展していますので、当時の父親の判断を理解してくれていると思います。

韓国政府は左翼化している

津田:そういう意味で、お姉さまのお話を伺いたいんですけれども、お姉さまは日本という国に対しては、どういうような感情を、大統領になる以前の、子どもの頃とかっていうのは持っていたとお考えですか?

朴:私は共通の分母、つまり家族の中では血液型が違いましても親がやったこと、また両親がやってきたことにつきまして、やはり共通しているところがあると思います。

これまでの過去の歴史問題につきまして朴槿恵(パク・クネ)政権からは、さまざまな立場をこれまでに表明してきました。また先日、本当に幸いにも、日本とこれから協力関係をさらに強化していくという、そういった立場を明らかにしました。

姉のそういった立場の表明に対して、本当によかったと私は思っています。国民も、そういった立場を積極的に支持してくれれば本当にありがたいと思っています。

これまでには政界におきまして、この場で申し上げることは、ややはばかるところもあると思いますけれども、北朝鮮寄りの、つまり北朝鮮にあまりにも近いと言えると思います。

韓国は今、共産化されてはいませんけれども、左寄りの、つまり左翼化しているのではないかというふうに私は思います。

そういった社会的な背景からして政治界が、つまり政界がアメリカの議会のように民主党、また共和党が福祉問題であるとか、またそういった政策について、お互いに討論をして、非常に建設的な、そういった論争を繰り広げています。

韓国の場合にはイデオロギー、つまり北朝鮮問題につきましては、本当にそういったイデオロギーの問題でありますので、そういった論争が沸き起こっていると思います。

まずは、そういったことを理解しなければなりません。姉はこういった立場を持っているのではないかと思います。つまり私の父親が生存の際には、まだ知られていないところ。

しかし知っていらっしゃる方もいらっしゃると思いますけれども、日本を代表する屈指のボランティア団体、そういったところでお仕事をされていらっしゃいました方々が、父親とはとても親密に交流をしていました。

例えば韓国の心臓病を患っている人々を、子どもたちを治療する、そういった仕事もしたことがありました。ある人の子どもの心臓病を治療するのに15年間もかかっていたという、そういった話もあります。

すでに亡くなられた方でいらっしゃいますけれども、本当にボランティア精神を持って治療するためには、自分のポケットマネーを出して、それで治療をしなければならないと。それで13年、15年ですべてお金を全部返したという、そういった話も聞いたことがあります。

また韓国のハンセン病を患う方々が集まっている、そういった島としてまして、子鹿(ソロク)島という島があります。国が本当にお金がなくて、そういったボランティア団体にお願いをして、その島に病院を建ててもらいました。

それに対して感謝を表明するため、朴槿恵(パク・クネ)大統領は若い時期、父親が亡くなった直後にも非常に自由の身になりまして、日本を訪問して、感謝の意を表明したこともありました。

後でまた、それについての質問をいただければ詳しいことを申し上げたいと思いますけれども、そういった日本政府と韓国政府の政府レベル。また民間レベルにおける、さまざまな協力事案がありました。非常に大きな、そういった助けがあったと思います。

しかし、そういったことが知らされていないという、そういったことがありますので、私もそれを知らしめるということにも、やはり力を注いでいきたいと思います。


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