平和の主人 血統の主人

本日のブログです。
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◆◇◆〔動画付き〕お父様へのインタービュー・・・お父様はやはり洗礼ヨハネの使命を果たしていた・・《Al Capp のインタビュー》

(以下、続く)

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◆◇◆〔動画付き〕お父様へのインタービュー・・・お父様はやはり洗礼ヨハネの使命を果たしていた・・《Al Capp のインタビュー》

下の「前半」「後半」の二つの動画は、お父様が《Al Capp》からインタビューを受けている貴重な動画です。


人格、愛情、ユーモア、自信、に溢れたインタービューです。
お父様を愛する人間なら、実に誇らしいインタービューです。


前半の〔2:50〕のところに、通訳者が「文師はメシヤの使命を果たしています。」と明確に補足しています。


前半


後半


メシヤとしてこの地上に来られたお父様が、何故、「洗礼ヨハネの使命を果たしています」と答えられたのでしょうか。
「私はメシヤです」と言えば大衆から袋たたきに合うから、この様に嘘を言って言い逃れしたというのでしょうか。


違います。


これこそ、キリスト教の失敗を蕩減している40年路程の期間にある時の、洗礼ヨハネの立場であったから、この様に説明されたのです。


そして、40年の蕩減路程を勝利されたので1992年に「メシヤ宣言」をされ、これ以降のお父様の路程は過去の40年とは全く違った立場に立たれました。


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原理講論を引用
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第三節 イエスを中心とする復帰摂理  (一)第一次世界的カナン復帰路程 (1) 信 仰 基 台


『イスラエル民族は、常に不信仰の道を歩むようになり、将来来られようとするイエスの前に、サタンが侵入し得る条件を成立させてきたので、このような条件を防いで新しい摂理をするために、預言者エリヤが来て、バアルの預言者とアシラの預言者とを合わせて、八五〇名を滅ぼすなど(列王上一八・19)、サタン分立の役割をして昇天したのであった(列王下二・11)。


しかし、エリヤの全体的な使命は、全部が全部は成就できなかったので、この使命を完遂するために、彼は再臨しなければならなかったのである(マラキ四・5)。


このように、エリヤが果たし得なかったサタン分立の使命を担ってこれを完遂し、メシヤの道を直くするために(ヨハネ一・23)、エリヤとして来た預言者が、洗礼ヨハネであった(マタイ一一・14、マタイ一七・13)。


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洗礼ヨハネが必要
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神様は隠れた摂理を展開して真のアダムを地上に送ることができても、エリヤの使命を持った洗礼ヨハネを立てなければ摂理が成就しないようになってしまったのです。


お父様はイエス様と同様に典型路程として歩まれることになりますから、お父様の前に立つ洗礼ヨハネが必要になります。


それが、金百文牧師との出会いだったわけです。しかし、お父様は詳細にはここで何があったのかはお話しされていませんが、金百文牧師は夢・啓示を受けながらもお父様をメシヤとして受け入れなかったのです。


ここまではイエス様の時と同じ事が起こりました。


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それでお父様は蕩減路程の出発として1946.6.6北に上がって行かれました。
 ①個人路程の40年、1986年まで
   人類歴史6000年を蕩減、真のアダムを地上に立てる為の蕩減路程
 ②統一教会としての40年、1994年まで
   第一イスラエル、第二イスラエルの蕩減として第三イスラエルを立てた
 ③真の父母としての40年、2000年まで
   メシヤが真の父母として出発出来るようにする基台造成の蕩減路程


この①②③の摂理が団子状態で展開していきましたから、常に混乱が伴いました。まさに、お父様中心としてしか、お父様と一体となって乗り越える以外に道はありませんでした。


お父様ご自身がたったお一人、40年路程を乗り越えられて1992年に「メシヤ宣言」となりまいた。
(もちろん、お母様の勝利基準もあってのことです。)


お父様が「メシヤ宣言」されたとなれば、蕩減原則によってメシヤの前に先立って立つ、洗礼ヨハネの使命を持った人物が必要になります。


お父様は、上記の①②③を成しながら、洗礼ヨハネを準備されてきたと見ることができます。
それが、私は、郭先生の華々しい経歴がそれを現していたと思います。



◆◇◆「真実の向こう側」さんへ、郭グループにとって統一教会は「足下の泉」だったのではないか??

「真実の向こう側」さんへ


mebiusu さんのブログ質問に対する直接の答えにはなりませんが、思いのままに思いをお届けしたいと思って、書き込んでいます。


貴殿からのブログには沢山の質問が入っていました。その一つ一つに答えることもできますが、それでも双方の解決になることはなく、考えの違いだけが際だって、時には部分的な事に過剰反応して新たな誤解にもつながりかねないと思っています。


神様の元にある私達ですから、双方の共通点である「お父様」を見出す努力が最も重要かと思います。
如何に困難であろうとも、違い見つけ出して反応的になり過ぎるよりも、共通点を守り育てることの方が人間としての智慧ある生き方ではないかと思います。


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還故郷して希望を失う
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還故郷して必死になって自立と氏族メシヤに取り組んだものの、自立と氏族メシヤの基盤を作って、ようやくその基盤も七合目辺りまで来たかなと思っていると、統一教会の献金返せと言う訴訟問題がマスコミに曝されました。
拉致監禁問題は人道的問題でありながらも、本気になってこの問題に取り組もうとしていません。
オウム真理教よりも悪い統一教会、ヤクザよりも悪い統一教会・・・、この印象が完全に定着してしまいました。
統一教会の名を出して伝道出来るとするなら、社会的に無関心な弱者層でしょう。
氏族を教会に連れて行こうとしないのは、献金の死刑台に乗せられるからです。
赤の他人を伝道する理由は、自分の経済の根拠とする為です。物販と献金のリベートバックです。
この愚かさを延々と繰り返しています。


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統一教会の名さえ誇れない、名を隠す還故郷者たち、二世達も統一教会を誇れない
これを哀れと言わずして何て言うのか?
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還故郷者にとって、社会的基盤を作ろうとすればするほど、統一教会から社会的糾弾の矢が飛んでくるのですから、堪忍の尾が切れるというものです。
そして、あろうことに、幹部の誰一人取りとして、この事実に謝罪することなく、改善することなく、更なる献金ノルマが課せられています。
その為に、自殺者、破産者、家庭問題、二世問題が拡大しているのですから、統一教会全体が掲げている氏族のメシヤは何処からも芽が出ません。
絵に描いた餅のような神氏族メシヤになってしまいました。


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更には子女様の分裂と訴訟問題に嘔吐感を覚えた
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還故郷にとって、統一教会の内紛である子女様の分裂と訴訟問題が、更に、追い打ちになりました。
相変わらず統一教会の礼拝、集会では、共産主義的に子女様を糾弾する集会が繰り返されるようになり、私は嘔吐感さえ覚えました。


事もあろうに、お母様が顕進様を取りなしする姿勢を見せずに、大鉈を揮ったことには希望を失いました。どんな母親なら自分の子供に大鉈を無慈悲に揮うことができるのだろうかと思います。


ならば、その大鉈を揮うだけの大義がお母様にあられるのだろうかと思いました。


お父様はメシヤとして愛する者を犠牲にする蕩減の道を行かれている事は理解していました。
そのお父様のご心情と一体となることを絶対条件として、母親として一人泣きながらでも大鉈を揮ったなら、揮った理由次第では、天宙の歴史に残り得るものだと見ていました。


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しかし、訓読会のお父様のみ言葉に照らして、お母様にはその大義がないと判断
ならば、顕進様に大義があるのかが、次の最重要課題になりました。
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それで、顕進様派と思われる全てのブログに目をとおしました。


その結果、統一教会がとる郭グループに対する対決姿勢も、郭グループがとる統一教会に対する対決姿勢も、全く希望が見出せないでいました。


他を批判して自己の正当性を述べていることが自己存在の原点ではないはずです。


万が一、現在の統一教会が180度転換して、お父様のみ言葉とご心情を中心として、天の摂理を担う中心となるようになったとしたら、郭グループの立つ根拠はなくなってしまうと言う心配です。



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自己存在の根拠、今後のビジョンを示さなければ、このままでは郭グループに終わりが来るのではないか
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批判、自己正当性には人を引きつける力がありません。
自己の正当性を訴える力があるうちは良いのですが、しかし、そのうちに終わりを迎えますから、今後の新しいビジョンが必ず必要になります。


もうその時が来ていると言えるのではないでしょうか。


ブログから見えてくる顕進様像と、真実の顕進様像には大きなギャップがあるのではないかと想定内として思ってます。実際の顕進様の事情、心情を仲保しているブログはないとさえ思ってしまうほどです。


私が郭グループと言われているブログに求めることは、
ざっくりですが・・・・、


負を背負った統一教会をどう導くのか?
 これを避けたビジョンではお父様から遠ざかります。
お父様に対するお考えは?
お母様に対するお考えは?
子女様の分裂に対するお考えは?
 身を切る覚悟がなければ、お父様の代身は遠いと思います。
日本の献金をどう思っているのか?
 UCI機関基盤が存在する根拠になっています。
反対派が打ってくる「六マリア」問題をどうするのか?
 お父様が心情的な血を流し続けられた、愛の十字架だったと思います。
拉致監禁に対してどう取り組むのか?
 六マリア故に、4300人の犠牲者、今も続いています。
日本の献金に対してどう思っているのか?


顕進様の大義はお父様に対する絶対信仰、絶対服従、絶対愛だけになるはずです。


郭グループのブログが現統一教会の幹部を、いくら糾弾したところで、何も変わりませんし生まれません。最近では、《金容成(キムヨンソン)のblog》がその代表なのでしょうが、自分たちは誤解されている、被害者であるという対決姿勢だけが見えています。


それよりも、UCIは糾弾されている側の機関基盤だったはずです。
その機関基盤の根拠と全く無関係に生きるビジョンはあり得ないと思います。
相手の問題を語れば語るほど、全ては己に帰ってきます。


この考察は現段階でのことです。
今後、新たな情報如何では変化することもありますが、可能性は小さいと思います。



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私にとってお父様が如何なる存在だったのか?を検証
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統一教会にも、郭グループにも希望を失っていた私は、(特に還暦を迎えて)もう一度総括してみようと思い立ちました。


経緯は省きますが、「平和の主人、血統の主人」の解読に取りかかってみることにしました。


「平和の主人、血統の主人」が見えるようになって、「天地人真の父母様定着実体み言宣布天宙大会」も見えるようになりました。しかし、まだまだ、針の穴からお父様を見ているような状態です。


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「777」は亨進様派のブログだった??
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まだ、亨進様にはお会いしたこともなく、江利川さんにもお会いしたこともありません。
私はお父様主義ですから、顕進様集会に参加することも厭いません。
神山さんの集会も参加しました。
神山さんとはアラスカ修練会でお話ししたことはありましたが、それ以降は個人的にお話したこともありません。
4研も五日間くらいかけて、広さんからも学びました。



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以上、取り留めのない内容になってしまいました。一週間でこのブログは落とします。



◆◇◆「真実の向こう側」さんへ・・・「六マリア摂理」はキリスト教の失敗を蕩減するためにあった

「真実の向こう側」さんブログにお答えします。 


タイトルが、
「真実の向こう側」さんへ・・・「六マリア摂理」はキリスト教の失敗を蕩減するためにあった



==== ↓↓ 「真実の向こう側」さんブログ引用 =


「六マリア」について、一言コメントします。


私も「六マリア」もいわゆる血わけの儀式も反対派が言われるような内容とは必ずしも一致するということは思いませんが、あったという立場ですが、


(※1)問題は、「御父様が、御父様の対場において、成されたこと」で、それは、再臨のメシアにとって必要なことであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。


そのことに、堕落人間の復帰の秘密があろうとなかろうと、お父様が成されたことで終わりということです。


ーーーー ↓ ↓ もう一つ引用します。


貴殿、「真実の向こう側」8/17の記事から


(六マリア摂理は・・、)私の理解は、 「真のアダムであるお父様が、人類救済のため、愛の問題を整理する為(御父様にしか解らないと思います。)の取り組み(摂理)であった」というもので、六マリア摂理があろうと無かろうと、御父様は、「真のアダム」として、勝利されていたと思います。



====↑↑ 引用おわり =



==== ↓↓ 「777」の答え =
(※1)問題は、「御父様が、御父様の対場において、成されたこと」で、それは、再臨のメシアにとって必要なことであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。


この文面には「777」をは違いますので、問題があると思います。「六マリア摂理」を語る前提となる条件が私と貴殿とでは違っています。


キリスト教の失敗によってお父様はメシヤの位置から洗礼ヨハネの位置まで降りて、サタン分立路程を歩まなければならなくなりました。従って、お父様のサタン分立路程の40年間と、1992年の「メシヤ宣言」以降のお父様の立場は全く違うと言うことを知っておかなければなりません。


立場が違いますから、概ね、語られるみ言葉もサタン分立のみ言葉からメシヤとしての重生のみ言葉へと変わっていくようになります。お父様を中心人物としての40年サタン分立時代から、洗礼ヨハネ的人物を中心とした責任分担時代へと変わっていくことを理解しなければなりません。
現在の統一教会がこの様な観点を全体的に理解していませんから、摂理の理解が混沌としています。
お父様はメシヤであることを原理で学んでいるが為に、お父様がメシヤの位置から洗礼ヨハネの立場に降りてサタン分立しているという原理的位置を理解しないでいます。
幹部達は原理も部分的にしか理解しておらず、摂理も十分に理解していませんから、現在のような信仰スタイルで教会運営が呵責なくできるのです。


余談ですが、金孝律補佐官の語られた様々なメッセージを読んでも、独特の原理観というか、部分的な原理のみ言葉を持って摂理展開の人物(特に顕進様に対して)を批判していることが多くあります。また、語り方が非常に人情的というか、「はい」と答えざるを得ないことを丹念に繰り返して、それを部分的な原理のみ言葉で包み込んでしまおうとするところがあります。
知的基準と心情的基準は五段階評価で「2」位と思います。


お父様にとって金百文牧師は「A」のカードであるとするなら、郭先生はお父様の教育により「J」くらいで、金補佐官は「4~2」のカードくらいかも知れません。


話しを戻します。
私のスタンスは、キリスト教が失敗しなければ、「六マリア摂理」はお父様にとって必要ない摂理でったということです。レアとラケル、タマル、エリサベツとマリアと言ったサタン分立摂理は真のアダムを誕生させる摂理だったわけですが、その条件が叶ってイエス様の誕生になりました。


問題は、何故、「六マリア摂理」が必要となったのかです。これに関して私は、キリスト教の失敗の為に、過去の第一イスラエルの摂理、第二イスラエルの摂理までサタンが侵入してしまったというのが原理観です。そして、これを蕩減復帰する為に統一教会、祝福家庭が生まれ、「六マリア摂理」があったというのが私の考察です。


ですから、「六マリア摂理」はお父様がもう一度メシヤとしての足場を再構築する為に必要な摂理でもありました。そして、お父様は40年の蕩減期間を勝利されたことによって1992年に「メシヤ宣言」
となって、実質的にメシヤとして出発されたことになります。
これは洗礼ヨハネの失敗によるイエス様と全く同じことになりますが、イエス様は再びメシヤ宣言ができずに十字架に逝かれました。
しかし、再臨主は再出発の蕩減条件を勝利しましたので、お父様の前に洗礼ヨハネ的中心人物は郭先生であり、次の金孝律補佐官であったと考察しています。



ですから、貴殿が言われる、
「御父様が、御父様の対場において、成されたこと」で、それは、再臨のメシアにとって必要なことであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。 」
、と言うことではないと私は考察しています。


お父様に対して洗礼ヨハネの立場に立った金百文牧師は混婬派にあり、第一夫人はその教会を通過していますが、第一夫人はその様な環境をサタン分立してお父様の元に帰らなければならなかったと思います。第一夫人が如何なる試練が襲おうともお父様と一体となっていればサタン分立ができて、第一夫人は長成期の完成級を超えることになったのだと思います。


しかし、キリスト教の失敗は摂理の黄金期を失いました。再臨主の再出発で再び到来した摂理の黄金期も、再び失うことになりました。


イエス様の十字架の道の近因は、エリサベツとマリアの仲違いにありました。真のアダムを誕生させる立場にあったマリアと、洗礼ヨハネを誕生される立場にあったエリサベツが仲違いすることは、イエスの十字架の一番の原因となったとお父様は語られています。


お父様も同様に、キリスト教の失敗によって旧訳と新約の摂理にサタンが侵入したのですから、お父様が再臨主としてもう一度出発する為には、エリサベツとマリアの失敗を蕩減することと、レアとラケルの蕩減も含めて、更には、タマルのような摂理までも蕩減する為に「六マリア摂理」があったと私は考察しています。


貴殿が言われるように、メシヤにとって必要な「六マリア摂理」としては見ていません。その様な立場を原理的観点から説明できないと思います。
即ち、メシヤとして出発されている立場であれば、「六マリア摂理」は必要なかったことと考察しています。
今後更に詳しく、原理基準に沿って解かれる時が来ることを待っています。




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「真実の向こう側」さんへの答えはまだ終わっていません。


次回は「六マリア摂理」の渦中にあって信仰混乱に陥った弟子達と子女様、お母様を考察します。
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