日本の戦前の世代は、過去について負い目を感じていた。韓国を下に見ていたため、韓国に配慮するそぶりを見せる余裕もあった。また、米国は韓米日の三角同盟体制を維持するため、日本に譲歩を促した。韓日外交戦の「運動場」は片側に傾いていたのだ。
だが月日がたち、事情は変わっている。安倍首相は「1945年の終戦以降の世代は謝罪する必要がない」としたが、その免責世代には54年生まれの安倍首相自身も含まれる。日本は2010年、世界第2位の経済大国の地位を中国に譲った。かつてははるか後ろにいた韓国も、追い上げてきている。日本は北東アジアの大国としての誇りと体面を失った。中国と覇権争いを繰り広げる米国も、韓日の間で弱者に肩入れするほど暇な状況ではない。
朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は就任以降、日本に対して強攻策を取り続けてきた。自身の原則に従って相手を追い込み、連戦連勝してきた国内政治の必勝公式を韓日の外交にもそのまま当てはめた。政治の舞台では、国民という審判が「原則と所信を持った政治家」の味方をしてくれたりもした。だが、国際関係には審判がいない。国益に有利な方向に相手を動かすため、各国が力対力で相対する実力対決が通じるだけだ。
安倍首相は最初から、韓国に謝罪する考えはなかった。そして韓国は、安倍首相に望まないことをさせる手段を持たなかった。以前なら韓国の味方をしてくれたであろう米国も、韓国の歴史問題に対する執着にうんざりしている。朴大統領の原則は、外交舞台では全く通じなかった。
韓日の外交はこれまで、ハンディキャップ付きのゲームだった。日本は歴史問題というハンデを背負って韓国と向き合ってきた。その日本が、終戦70年という節目の年に、ハンデをなくして「普通の外交」に転換すると宣言したのだ。歴史に対する反省の期限を自ら定める日本の態度には呆れるが、そうした議論はさておき、歴史問題の追及に依存していた韓国外交は実力対実力で日本を相手にせねばならない現実に直面することになった。
外交戦の勝負は物理力だけで決まるのではない。原初的な力は及ばなくても、その派生効果を極大化できるポジションを選び、同盟関係を活用することで望む結果を得ることも可能だ。大勢を見極める洞察力でハードパワーの不足を補うことが求められる。韓国の内部でしか通用しない生半可な大義名分を掲げて相手を怒鳴りつけても、国際舞台で嘲笑されるだけだ。韓国は果たして、平らな運動場で日本と相対する準備ができているのだろうか。