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タモリがレギュラー番組『ヨルタモリ』(フジテレビ系列)の7月26日放送で、もう見過ごせないとばかりに話し出した。
「子役が誰彼かまわず『お疲れ様です』といって回るのはおかしい」「『お疲れ様』というのは、元来、目上の者が目下の者にいう言葉。これをわかっていないんですね」
『週刊ポスト』(8月14日号)がさっそく<タモリが問題提起した「若者の“お疲れ様”はおかしい」 「ヘンな日本語」について考える>と取り上げた。確かに、近頃は職場や会合、どうかすると飲み会の別れ際でも「お疲れ様です」とあいさつし合う。
タモリの「おかしい」に「我が意を得たり」と喝采したのが中高年世代であると、週刊ポストは50代男性のこんな声を紹介している。「先に帰る若手社員に『お疲れ様です』といわれるとカチンとくる。そこは『お先に失礼します』だろう!」
そもそも「お疲れ様」はどういう言葉なのだろう。「『ご苦労様です』『お疲れ様です』というのは、本来、人をねぎらう言葉。目上の人が使うのが伝統的で、目下の人が目上の人に使うのは失礼にあたります」(日本語教育研究家で山形大学地域教育文化学部准教授の園田博文氏)
それがいつの間にか目上に対するあいさつとして使われるようになった。そのへんの事情を言語学者の金田一秀穂氏はこう分析している。「日本語には、会った時に目上の人に対してきちっと使える、万能の挨拶(あいさつ)語がないんです」「『お疲れ様です』が広がったのは、適当な挨拶が他にないというのも大きな要因でしょう」
ある広告会社のワンマン社長が、疲れてもいないのに、朝からお疲れ様ですはおかしいだろと「お疲れ様禁止令」を出したら、社員はそれに代わるあいさつを思い浮かばなかったという。「お疲れ様」はいまや便利なあいさつとして、すっかり定着したのだ。
ところが、まったく違う解説もある。NHKで時代考証を長年担当している大森洋平ディレクターは、著書『考証要集 秘伝! NHK時代考証資料』で「(おつかれさまは)日本の一般的伝統的なねぎらいの言葉ではない」と指摘している。その一例として、俳優の長谷川一夫の隣に住んでいた劇評家でエッセイストの矢野誠一氏が「隣家でもって交わされる、『おつかれさま』という挨拶語を生まれて初めて耳にした。いまでこそ立派に市民権を得ている『おつかれさま』だが、その時分はもっぱら藝界や水商売の世界で用いられていて、少なくとも山の手の生活圏には無かった」と書いているという。これもなかなか興味深い。
タモリの憤慨をきっかけに「お疲れ様論争」はさらに広がるのだろうか。
1950年横浜生まれ。週刊誌、月刊誌の記者をへて76年に創刊直後の「日刊ゲンダイ」入社。政治、経済、社会、実用ページを担当し、経済情報編集部長、社会情報編集部長を担当後、統括編集局次長、編集委員などを歴任し2010年に退社。ラジオ番組のコメンテーターも10年つとめる。現在はネットニュースサイト「J-CAST」シニアエディター。コラムニスト。
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