産経新聞は7月21日付大阪版夕刊1面トップで、「最後の陸相が遺した気概 阿南惟幾 聖断に従い本土決戦を回避」と見出しをつけた戦後70年企画記事を掲載し、「終戦の日を前に、最後の陸相、阿南惟幾大将が再評価されている」などと記した。しかし、阿南惟幾大将は終戦前の陸軍大臣としては最後だが、陸軍省は1945年11月30日まで存続しており、最後の陸相は下村定大将だった。したがって、阿南惟幾を最後の陸相と報じたのは歴史的事実として正確ではない。
阿南は、昭和天皇による「大東亜戦争終結の詔書」が放送される直前の1945年8月15日早朝、自決したとされる。その後、鈴木貫太郎内閣は総辞職し、8月17日に組閣した東久邇宮稔彦王が一時陸相を兼務したが、8月23日に下村が陸相に任命された。下村陸相は続く幣原喜重郎内閣でも留任した。
陸軍省は「第一復員省官制」に関する勅令により11月末をもって廃止。12月1日よりその業務は第一復員省に引き継がれた。下村陸相は11月末に帝国議会で最後の陸相として答弁し、全国民に謝罪していた。
産経の記事はニュースサイト「産経WEST」にも掲載されている。このほか、産経大阪版の8月2日付朝刊「編集日誌 戦後70年を考えよう」にも7月21日付夕刊記事に言及する形で「最後の陸相、阿南惟幾大将」との誤った記述があった。
産経新聞大阪版2015年7月21日付夕刊1面トップ ※ニュースサイト「産経WEST」にも同じ記事(8月18日閲覧確認)。
陸軍省
主として日本陸軍の軍事行政を所管した中央官庁。兵部省陸軍部を前身に、1872年2月28日、太政官の一省として設置された。1878年12月5日、参謀本部が、軍令事項を所管する天皇直属の機関として独立。1900年4月24日、教育総監部が、陸軍の教育を所管する天皇直属の機関として独立。省内の組織は変遷を重ね、終戦時には、大臣官房と人事・軍務・兵務・経理・医務・法務の六局だった。1945年9月28日、上陸地支局を小樽・浦賀・新潟・清水・敦賀・広島等の各地に開設し、陸軍軍人軍属の復員業務に当たった。同年11月30日に廃止。その業務は第一復員省が引き継いだ。アジア歴史資料センター
第89回帝国議会 衆議院本会議(昭和20年11月28日)
國務大臣(下村定君) 齋藤君の御質問に御答へを致します、所謂軍國主義の發生に付きましては、陸軍と致しましては、陸軍内の者が軍人としての正しき物の考へ方を過つたこと、特に指導の地位にあります者がやり方が惡かつたこと、是が根本であると信じます、此のことが中外の色々な情勢と、複雑な因果關係を生じまして、或る者は軍の力を背景とし、域る者は勢ひに乘じまして、所謂獨善的な横暴な處置を執つた者があると信じます、殊に許すべからざることは、軍の不當なる政治干與であります(拍手)斯樣なことが重大な原因となりまして、今囘の如き悲痛なる状態を國家に齎らしましたことは何とも申譯がありませぬ(拍手)私は陸軍の最後に當りまして、議會を通じて此の點に付き全國民諸君に衷心から御詫びを申上げます(拍手)陸軍は解體を致します、過去の罪責に對しまして私共は今後事實を以て御詫びを申上げること、事實を以て罪を償ふことが出來ませぬ、洵に殘念でありますが、どうか從來からの國民各位の御同情に愬へまして、此の陸軍の過去に於ける罪惡の爲に、只今齋藤君の御質問にもありましたやうに、純忠なる軍人の功績を抹殺し去らないこと、殊に幾多戰歿の英靈に對して深き御同情を賜はらんことを、此の際切に御願ひ致します(拍手)
軍國主義の發生の經緯竝にそれを抑制し得なかつた理由等に付て、此の議會に開陳をせよと云ふ齋藤君の御希望、洵に御尤もであります、之には愼重の檢討を要することでございまして、私共固より其の必要を感じて居りますが、今議會中に於て齋藤君の御滿足の行きますやうに、具體的に詳細に申上げられるかどうかは御約束が出來ませぬ(拍手)帝国議会会議録検索システムより
- 昭和二十年・勅令第六七五号・第一復員省官制 (アジア歴史資料センター) ※下村定陸相の署名があり、附則に陸軍省の廃止が記されている。
- (初稿:2015年8月18日 11:05)