西海(黄海)の向こうで大変なことが起きているのは確かだ。中国は昨年末以降、相次いで利下げを実施した後、先週には人民元の為替レートを3日間で4.5%も切り下げた。4日目にはブレーキをかけたが、追加的な切り下げ観測は根強い。
為替レートは国旗のように一国の価値を象徴する。その重要性からみて、金利政策、財政政策に続き最後の手段となる劇薬療法だ。ひそかにミクロ調整を行うことが国際慣例である為替政策のカードを全世界が「人民元ショック」に陥るほど過激に使ったということは、中国の内部事情がかなり複雑化しているようだ。
中国の過激な為替政策は今回が初めてではない。21年前の1994年もそうだった。93年に就任したクリントン元米大統領は慢性的な貿易黒字を上げる日本に円高政策で対抗した。そのさなか、中国の江沢民国家主席は人民元を大幅に切り下げた。トウ小平氏の改革開放路線に沿い、輸出部門の雇用を増やすための措置だった。人民元の為替レートは93年の平均1ドル=5.7元から翌年には同8.6元へと51%も切り下げられた。
中国の動きに日本は即座に反応し、円安誘導を始めた。 94年に1ドル=99円70銭だった円相場は、98年には同130円80銭まで下落した。「ミスター円」と呼ばれる榊原英資元大蔵省財務官は、クリントン政権と秘密交渉を行った上で、為替相場の流れを変えたとされる。
しかし、韓国と東南アジア国家はそうした流れに乗ることができなかった。自国通貨は下落したが、一気に切り下げを行った中国や数年かけてじわじわと円安に向かった日本に比べ、下落幅は小さかった。結果は残酷だった。輸出企業は中国や日本の製品に押され、価格競争力を失い、ドル資金が底を突いた。97年にタイ、インドネシア、香港、韓国を襲ったアジア通貨危機の中国責任論はそこに根拠を置いている。