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【茨城】

あの歴史を後世に(5)「恒久的な史料館になれば」 旧司令部庁舎の保存に奔走

記念館内で資料を眺める金沢さん

写真

◆記念館代表 金沢 大介さん(44)

 特攻隊員が婚約者に宛てた遺書、出撃直前に文通相手に送った手製のペンダント、新郎の遺影と挙げた結婚式の写真…。記念館として期間限定で公開されている筑波海軍航空隊の旧司令部庁舎(笠間市)には、特攻隊員の写真や遺品などが並ぶ。

 「『何人が亡くなった』と人数でくくらず、どんな人で、どんな生き方をしたのかを感じてほしい」。記念館代表の金沢大介さん(44)=笠間市=は、隊員の人柄や逸話を伝えることに、こだわっている。

 もともと政治や戦争に興味はなく、地元の建物などを映像に記録する活動をしていた。旧庁舎が映画「永遠の0」のロケ地になったのを機に、二〇一三年六月、元隊員や遺族らによる慰霊祭を撮影した。

 「仲間に誘われ、最初は嫌々だった。ろくに質問もできないぐらい知識もなかった。『解体する予定の旧庁舎を残したい』『風化させたくない』という思いは感じたが、自分が関わる気はなかった」と打ち明ける。

 だが、元特攻隊員の木名瀬信也さん=今年一月、九十五歳で死去=に都内でインタビューして、考えが変わった。意に反して出撃できなかった経緯、死んだ仲間の思い出などを語ってもらった。撮影は四時間に及んだ。「今も負い目を感じ、六十八年たっても戦後が終わらないまま、心を痛め続けている」と衝撃を受けた。

 仲間たちも「旧庁舎の映像を残すだけではいけないんじゃないか」と言い出した。元隊員らが歴史的価値を訴えても、保存は認められなかったが「ロケ地としてアピールすれば、保存は可能ではないか。まずは数カ月だけ一般公開できないか」と考えた。

 存続を図るプロジェクト実行委員会を遺族会などと発足させた。県から建物を無償で借り受け、一三年十二月に関連史料を展示して公開した。約半年という限られた期間だったが、十万人以上が訪れ、公開は来年三月まで延長された。知名度が上がって、遺族や関係者から新たな史料も寄せられている。県も保存に柔軟な姿勢に転じ始めた。

 「今さらやめるとは言えない状況になった」と笑いながら「号令台や桜並木、グラウンドも残っている。特攻の中核的な場所で、歴史的建物として保存されるのがゴール。恒久的な史料館になれば一番いい。政治的な主張に関係なく、戦争の記憶の継承は共感してもらえるはず」と訴える。

 木名瀬さんら元隊員が今年、相次いで亡くなり、保存の必要性を、より強く感じている。「いずれ戦争を知らない世代が、戦争を伝えなければいけなくなる。それは今、かろうじて残っている物を守り、次の世代に残すことではないか」

  (宮本隆康)

  =おわり

 

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