反社会学講座ブログ

パオロ・マッツァリーノ公式ブログ
反社会学講座ブログ TOP > 未分類 > リベラルな靖国参拝論

リベラルな靖国参拝論

 こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。世間のオトナたちは、今日あたりからお盆休み明けで再始動といったところでしょうか。

 毎年この時期、日本の首相や閣僚が靖国参拝するかどうかでもめてるのが、不思議でなりません。
 その答えは、日本国憲法にちゃんと書いてあるじゃないですか。
 結論からいうと、日本の首相や閣僚が靖国参拝するのは、個人の自由です。
 誤解しないでいただきたいのですが、私がいう自由とは、参拝する自由と参拝しない自由、どちらも含まれます。どちらを選ぶかは個人の自由選択にまかされていて、その意志は尊重されるのです。
 憲法にはこんなことが書かれてます。信教の自由は、何人に対してもこれを保障すること。そして、宗教上の行事に参加することを強制されないこと。これを踏まえれば、参拝するもしないも個人の自由ってことです。参拝しろだのするなだの、他人に圧力をかけるのは大きなお世話だし、もし強制すれば憲法違反です。

 議論に歴史的経緯を持ち出す人がいますけど、歴史の尊重と参拝は無関係。靖国神社に戦死した軍人が英霊として祀られているというのは、神社がそう主張してるだけのこと。霊が存在するか否かは、科学でも歴史でも証明できません。肯定も否定もできない以上、それは純粋に信仰の問題なんです。
 各個人がそれを信じるか否か、それだけにかかってます。信じるのなら参拝すればいいし、信じないのなら参拝する必要はありません。ただし公人の場合は、自分が選択した行為によって起きたことに対して責任は取らなければなりませんが、それは参拝問題にかぎったことじゃありません。

 私はまったく信じてないから、参拝する気はありません。そもそも霊なんてもの自体、信じてないので。ただし、参拝したいという信者を止めることはしません。少なくとも神社に参拝するという行為は暴力的でもないし、他人に危害を加えてもいませんから止める理由はありません。
 参拝する人に対しても、しない人に対しても、私は悪感情を持ってません。私がなにより許せないのは、選択の自由を奪おうとする人間です。自分の価値観や信仰だけを唯一の正解として、他人にも押しつけるヤツがとにかく嫌い。
 霊を信じないことは不敬でも不遜でもありません。霊を利用して自分の政治信条などを他人に押しつけようとする人こそが、もっともばち当たりなのでは? そういう人間がまっ先に霊に呪い殺されてても不思議じゃないのに、そうなってないことが、霊が存在しない証明になるんじゃないの。ま、霊を信じる人たちは論理的説明を拒否するから納得しないだろうけど。

 私は唯物論も無神論も唱えてません。そういうめんどくさいものは、勉強する気になりません。心を否定しないけど、歴史と信仰の間には一線を画せといってるんです。歴史はまず事実ありき。信仰や感傷はあとからついてくる分にはいいけれど、先に立ててはいけません。
 神社仏閣教会など宗教施設を訪れるのも好きなんですが、宗教建築や美術品を見たいからです。行っても拝んだり祈ったりしません。それは神の存在を否定してるわけじゃなく、神頼みをしないだけ。
 人間、死んだらそれで終わりと割り切ってます。死ぬまでどう生きるかが大事です。だけど、死んだあとのことはどうでもいい。墓もいらないし、墓参りをしてほしいとも思いません。
 よく、好きな作家やミュージシャンの墓参りをする人がいますけど、あれ、理解に苦しむんですよね。生前住んでた家やゆかりの地、作品の舞台を訪ねるというのならわかるのですが、墓はその人の業績とは関係ないから、他人が行っても意味ないじゃん。あ、自分はしないけど、墓参りしたい人にするなとはいいませんよ。それは自由ですから。
[ 2015/08/17 17:40 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)
プロフィール

Author:パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。

パオロの著作
昔はよかった病

日本文化史

偽善のすすめ

13歳からの反社会学(文庫)

ザ・世のなか力

怒る!日本文化論

日本列島プチ改造論(文庫)

パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

コドモダマシ(文庫)

13歳からの反社会学

続・反社会学講座(文庫)

日本列島プチ改造論

コドモダマシ

反社会学講座(文庫)

つっこみ力

反社会学の不埒な研究報告