岸政彦著
評 佐々木敦 批評家
語りの中に潜む輝く細部
「断片的なもの」とは何か。社会学者は「社会」を相手取る。その際に前提とされるのは「社会」を構成する様々なデータである。素材と呼んでもいいだろう。著者は過去の著作においても、取材対象となった人物へのインタビューに敢(あ)えて整理や編集を施さず、短くはない対話をほぼ丸ごと提示するという特異な方法論を採ってきた。しかも話を聞く相手は何か特別な体験をした人とは限らない。そうではなく、私たちの「社会」の中で、私たちと同様に「断片的なもの」として存在している誰かの人生や生活、その述懐の内に、それ自体「断片的なもの」としてささやかに輝く細部があるのだ。著者はこう言っている。「本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う」。こんな本である。
ところでしかし、本書に綴(つづ)られているのは、決していわゆる「取るに足らないもの」、であるがゆえに「かけがえがないもの」とされるようなことではない。ささやか、などとつい書いてしまったが、ここにあるのは「平凡な日常」や「普通の人生」といったものとは一線を画している。むしろ次々と現れるエピソードは、相当にユニークであり、可笑(おか)しく、哀しく、突飛で、時に奇怪でさえある。小説の一部や都市伝説のように読めるものもある。ここで重要なのが「語り」という要素である。すべては語られている。それは嘘(うそ)や虚構ということでは勿論(もちろん)ない。だが事実そのままでも、おそらくはない。自分の話を語るという行為に潜む謎と秘密。淡々とした筆致でありながら、著者の視線は、人間の、社会の、世界の「分析も解釈もできないこと」をしかと見据えている。
どれか具体的なエピソードを引き写そうかと思ったが、やめておく。これはまず第一に、無類に面白い書物である。語る人たちに、共感ではなく理解をベースにひたすら寄り添おうとするスタンスは、著者が本物の「社会学者」であることを端的に伝えている。
(朝日出版社 1685円)
<略歴>
きし・まさひこ 67年生まれ。大阪市立大大学院文学研究科単位取得退学。研究テーマは被差別部落や沖縄など。