(2015年8月17日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

安倍首相が戦後70年談話を発表

8月14日、都内の首相官邸で会見し、戦後70年談話を発表する安倍晋三首相〔AFPBB News

 欧州では第2次世界大戦の悲惨な出来事から時間が経てば経つほど、交戦国間の憎しみが薄れていく。北東アジアでは、悲しいかな、その反対が当てはまるように見える。70年前の出来事が遠ざかるほど、憎しみが増していくのだ。

 部分的には、これは、日本は自国が与えた恐怖について完全に悔いることがなかったという中国人、韓国人が抱く本物の気持ちのためだ。

 部分的には、憎しみの炎を生かしておこうとする計算高い行為のためだ。このことは自己の正当性を強化するために反日感情を利用する中国共産党について特に当てはまる。

 日本は過去と真正面から向き合うべきだとする共産党の絶え間ない要求は、同党が自分たちの血まみれの歴史についてこれほどひどく不正直でなかったら、もっと説得力を持つだろう。

 ここ数十年、日本は「謝罪外交」という見苦しい光景に閉じ込められてきた。日本の指導者たちは悔悟の声明を出し、その言葉が本物の反省の証拠があるかどうか検証される。安倍晋三首相が終戦70周年を記念する演説を行ったのは、こうした背景の下でのことだ。

安倍首相の戦後70年談話

 何カ月も前から、修正主義的な見解で知られる安倍氏が過去の謝罪の中心的な原則をいくつか書き替えるのではないかとの憶測があった。しかし、結局、首相は概ね、台本を守った。「侵略」「痛切な反省」「お詫び」などのキーワードをすべて使った。歴代首相が日本の罪をはっきり説明した過去の声明を明確に支持した。

 確かに、安倍氏は自身のお詫びは加えなかった。さらに、一部の表現は過剰に慎重な言葉で表された。特に、帝国陸軍によって性の奴隷になることを強いられた「慰安婦」については、はっきり語ろうとしなかった。

 対照的に明仁天皇は、安倍氏が見習ったらよかった率直な反省の意を表明した。問題は、次に何が起きるか、だ。