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<R18> 18歳未満の方は移動してください。

HONEY!

 
 無数に聳え立つ本棚の森。
 棚の口には、ぎっしりと本が埋め込まれている。
 敷き詰められた本は、最新刊から、私が生まれる前に発行された本まで。
 古びた童話から参考書、漫画に小説。バラエティに富んだ本の種類。

 そんな街角の小さな古本屋さんで、蜂蜜色の髪がさらさらと揺れる。

「えーっとぉ、じゃあ、お兄さんをくださーい」
「ざんねーん。お兄さんは非売品でーす」
「えー」

 阿呆か。

 きゃっきゃとレジ前で戯れる女子高生。そのノリに便乗する金髪男。
 私はドン引きしながら、その一部始終を眺めていた。
 両手が小説の束で塞がっている為、生憎メガネのフレームを押し上げられない。
 重力に従って下がるフレーム。その隙間から、呆れた視線を金髪に送る。
 甘い香りが漂ってきそうな髪、蕩けるような甘いマスク。甘ったるく、きらきらと黄金色に輝いて――…まさしく、蜂蜜のような男。


「水嶋さん」

 脚立に立ち、両腕を小説で埋める中。
 呼び止められた声で、重い顔を持ち上げる。

「半分持ちますよ」
「…ありがとう。でも今日は店長休みでしょう?二人とも此処にいたらレジ空いちゃうし。棚の整理は大丈夫だから、会計に戻ってもらえる?」
「重!女の人がこんなに持っちゃダメですよ」

 話聞いてねえ。

 ハードカバーの小説が奪われ、霧崎くんは棚の整理を始める。
 この野郎、と苛立ちを抑えながら背中を向ければ、トントンと肩を叩かれた。

「……水嶋さん」
「…はい?」
「か行の次って何でしたっけ」

 おまけに馬鹿かよ。

 はあ、と分かりやすく溜息を吐き、自由になった右手で、フレームのブリッジを押し上げる。
 水嶋透子(みずしまとうこ)、三十歳。
 キチンと髪を後ろに纏め、シャツは第一ボタンまできっちり締める。瞳はレンズにおさめられ、正に神経質で几帳面な性格が具現化したような外見である。

 彼氏がいなければ若さもない。面白みのない、古本屋勤務の三十路女。

 対して彼は、霧崎直(きりさきなお)、二十歳。大学生のアルバイターだ。
 日差しをたっぷりと浴びて、きらきら光る金色の髪。
 透き通った茶色の瞳に、すらりと伸びた身長、あどけなさの残る笑顔。女の客層が増えたのは、彼のお陰と言っても過言でない。
 イケメンで軟派で、チャらくて軽い大学生。

「――…水嶋さん」

 十二月下旬の空の下。
 裏口から出た途端、自転車のサドルに跨った彼が、にこにこと笑顔で待ち構えていた。
 実の弟よりも年下。私との年齢差、なんと十歳。そして、地味な私と華やかな霧崎くんとでは、全てに置いて次元が違う。

「自宅まで送りますよ」
「ははは。三十歳の私に二ケツ帰宅しろと?」

 から笑いをして、霧崎くんから視線を外す。
 馬鹿か。
 遠まわしに断りながらも、年下の彼はにこにこと笑い、悪びれもなく後ろをついてくる。
 自転車があるにも関わらず、ハンドルを押し、歩幅も合わせる霧崎くんに、思わず溜息をつきたくなった。
 日の短くなった十二月の空。六時になればキラキラと星屑が散りばみ、藍色の絨毯に星座が広がってゆく。
 日の下がった時間帯に、女性を送るという紳士な行動は理解できるが、誰が好き好んで三十の地味女を襲うのか。
 十歳も年下の霧崎くんは、ぱっと見、軽く軟派な性格で。チャラチャラとして見えるけど、遅くなった帰りは送ってくれるし、重いものを女性に持たせないし。実際のところ律儀で紳士で、芯の入った子だ。
 悪い子でないと、わかっている。
 わかっちゃいるが、同時に部類の違う人間だということも、わかっている。
 伊達に三十年生きていない。自分がどんな女であるのか、充分理解しているつもりだ。
 若くて格好良くておまけに軽い男の子と、三十路で地味な堅物女とでは、世界が違いすぎるのだ。
 断っても結局着いてくる霧崎くんに、小さく溜息を吐き、肩を竦める。
 ちら、と見上げた蜂蜜色の髪と、色素の薄い瞳が視界に入る。

「…霧崎くんの髪って自毛だっけ?」
「いや、これはブリーチです。もー、頭皮が痛くてハゲるかと思いました」

 ハーフというわけでもないその髪は、天然でなく人工物らしい。
 チャラヘッチャラなスーパーサイヤ人のチャラ髪を揺らし、ハハッとはにかむ年下男子。
 あほですか?という言葉を飲み込んで、代わりに「あのね、霧崎くん」と鉛を含んだ口を開く。

「…別に、毎日毎日送ってくれなくても結構よ。こんな地味なオバさんを襲う稀有な人間がいるとは思わないし。何より、霧崎くんの家と方向逆でしょう?わざわざ遠回りする必要ないと思うの」
「俺のことなら気にしないでください。大丈夫です、俺が送りたいだけなので」
「なんて恐ろしく鬱陶しいポジティヴ思考なのかしら。そういうことじゃないんだけど」
「いえ、俺が好きでやってることですし、俺が心配なんです」

 霧崎くんは立ち止まり、まるで独り言のように呟いた。

「俺は、水嶋さんと一緒に居たいんです。だって俺は…俺は……!!!――って、居ねえ!!」

 ガー、とマンションの自動ドアが口を開ける。

 遠くで霧崎くんが何か叫んでいた気がしなくもないが、果たして「おやすみなさい」の挨拶は聞こえていたのだろうか。

 目の前には、どこにでもあるような、ありふれた紺色のマンション。
 街角の一角に佇むそれは、築十年ほどで、最寄り駅から徒歩十六分。職場からは二十分程といったところか。
 エレベーターに乗り込み、五階のボタンを押せば、四角の箱はゆったりと口を閉じて、私を運ぶ。
 吐き出された五階の奥から、三番目の部屋。
 五○三の部屋に鍵を差し込み、靴を脱ぐと、暖房器具の電源をつける。
 一人暮らしのワンルームマンションは、あっという間に温まり、冷え性の足先をじわじわと刺激する。
 お腹空いたな、なんて思いながら冷蔵庫を開けると、先日買った芋焼酎が眠っていた。その隣で、昨晩作り置きしたおかずが腰を下ろしている。
 一人暮らしに慣れてしまうと、食生活は適当になりがちだ。だからこそ、基本的に手作り料理をするよう心がけている。栄養を考えて、バランス良く食事を摂る。冷蔵庫の中身を腐らせるなんて、この神経質な性格が許せない。
 彼氏なし、一人晩酌が唯一の楽しみ。三十路女の一人暮らしなんて、こんなものだ。
 ふと、テーブルの前に、蜂蜜色の瓶がどんと腰を下ろしていることに気づいた。
 とろりと蜂蜜色の液体が詰め込まれたそれは、「MEAD」と表記されている。
 そういえば、と。
 先日宅飲みをした友人のことを思い出し、彼女の忘れ物であることに今更気づく。
 地元で家庭を築き、年に一、二回しか会うことの出来ない彼女は、甘い酒しか飲むことが出来ない。好みの違う私達は、それならばと別々で酒を購入したことを記憶している。
 私は甘いものが全般的に苦手だ。
 甘い酒よりも、飲み口が辛めのものを好んで飲む。
 若い頃は今より甘いものを好んでいたが、食の好みが変わった現在では、あの舌に残る甘ったるさが、どうにも好きになれないでいた。
 このお酒の持ち主である友人とは、当分会うこともないだろうし。
 郵送しようにも、ボトルの中身はあと二、三杯程度。加えて子育てが忙しく、普段は飲む機会がないのだとか。
 郵送する必要があるのか、果たして疑問。
 自分で消費することもできないし、かと言って友人と会う機会もない。
 うーん、と悩んだ末、ボトルを冷蔵庫に仕舞う。
 とりあえず保管しておこうと決めて、焼酎の口を捻った。

 

「――…は?」
「それで、家の鍵なくしちゃって」

 ははは、と苦笑する金髪少年に、目眩を覚える。

 お前は家の鍵を紛失して、何故笑っていられるんだ?

 夕方になり、講義を終えた霧崎くんが、バイト先にやって来た。
 今日シフト入っていたっけ?なんて思いながら、本の整理をしていると、笑顔で「家の鍵なくしちゃいました」なんて恐ろしいことを言い出した。
 話を聞くと、霧崎くんは本日大学を出てすぐ、自宅の鍵が無いことに気づいたのだという。
 大学入学と同時に一人暮らしだという彼は、友人達を頼ろうにも、大学は今日から冬休み。皆今日から実家に帰省する為、泊めて貰うことが出来ないのだとか。
 大学生の冬期休暇は、恐ろしく長い。そのため都内住みの大学生は、年末年始に帰省してしまうのだろう。

「……ホテルに泊まるとか、自宅に帰るとか」
「それが、財布は家の中で…」

 本物の馬鹿だな。

 何故、財布を持たずに外出できるんだ?
 心底呆れ、内心ドン引きしながら、乾いた笑いを溢す。
 そのクセ、チャリの鍵はちゃんと持っているというのだから、救いようがないレベルの馬鹿だ。

「この際、公園で新聞紙敷いて、寝泊りしちゃおうかな…って」
「霧崎くんは何? 自殺願望でもあるの?」

 この十二月下旬の寒空の中だ。今朝のニュースで、今夜は今年一番の冷え込みだとアナウンサーが話していたことを思い出す。
 加えて、霧咲くんは本日、何も食べていないのだとか。
 翌日のニュースで知り合いが凍死していた、なんて目覚めが悪い。
 肩を竦める金髪へ、ちらりと視線を送る。
 チャラヘッチャラな外見だが、二十六歳の弟よりもずっと年下。
 十歳も年下の男の子を、寒空の下放置するだなんて、忍びないではないか。
 はあ、と分かりやすく且つ大袈裟に溜息を吐いた後、観念したように口を開く。

「…一晩だけなら、うちに泊まる?」
「――…え…。……えええぇえ!?!?」
「流石に知り合いが凍死なんて、後味悪いし」

 男物の洋服諸々は、確か弟のものがあった筈だと思いながら、積み重なった本の山を仕分けした。

 ***

「お邪魔します!」

 勢いよくドアを開けた霧崎くんは、スーパーの袋片手にきょろきょろと周囲を見回している。
 部屋の中は、基本的に散らかってない。毎週掃除はきちんと行っているし、部屋にホコリが生まれる隙すら与えていない。
 ベッドと丸テーブル、それに本棚とソファというシンプルな家具に囲まれているが、小説の数だけが異様に多く、読みかけの小説が机の上に寝転がっていた。

「適当にくつろいでて。わたし先にお風呂に入って、」
「このソファふかふかですね!あ、この本はこの間買ったやつですか?水嶋さん好きな著者ですよね~!」

 話聞けよ。

 霧崎くんの視線の先には、積み重なった小説の瓦礫。
 職場だけでは飽き足らず、暇さえあれば読書か掃除、それと図書館に出かける。
 適当にしててと言いながら、そのままバスルームへと向かう。
 引っ詰めていたヘアゴムをするりと解き、メガネを外す。
 一日の疲労をシャワーで洗い流し、身体中を泡立てた。
 厚化粧ではないけれど、社会人の身嗜みとして、顔には薄めの化粧が施されている。仮面のように張り付いたそれを剥がして、洗顔をする。
 立ちっぱなしの仕事であるため脹脛は膨れるし、重い本を抱えるため、体中が悲鳴をあげる。節々は痛み、年を重ねるごと、身体にガタを感じてゆく。
 熱めのお湯に脚を浸せば、冷え性の足は熱に浸透し、ぴりぴりと痛みを覚えた。
 そうしてタオルで髪を包み、スウェットに着替える。

「…出たよ。タオルは棚の向かって右上。来客用の寝巻きはタオルと一緒に置いてあるから、それを使ってくれたら、」
「水嶋さんメガネ外した方がいいですよ!美人!!!」
「貴方は人の話を聞くというスキルを身につけた方がいいと思うわ」

 半ば無理やり霧崎くんを風呂場へ押し込む。うるさいのが居なくなった、と盛大な溜息を吐きつつ、買ってきたスーパーの袋を確認する。

 カルピス、白滝、納豆、長ネギ、豆腐、キムチ、アイスクリーム、沢庵。

 あの馬鹿は一体何をつくる気なんだ?

 中身の統一性のなさに打ち震えながら、ぎりぎりと袋を握る手に力が篭る。
 落ち着け、と頭を抱えながら、冷蔵庫の残りと照らし合わせる。
 あの金髪頭には一体何が詰まっているのだろうか、と苛々しながら、具材を取り出しては戻し、戻しては取り出す。
 ふと、賞味期限が切れかかっている豚肉が目に留まる。
 野菜は、少ないながらも多少は残っている。
 ふむ、と考えた後、選抜したのはキムチ。それに木綿豆腐と白菜、長ネギ。白滝に豚肉、そこに残っていたニラ、エノキ茸を取り出す。
 二人分にしては多過ぎたか?と思いつつ、食べるのは育ち盛りの若い男の子だ。ぺろりと平らげてしまうだろう。
 自己解決しながら、クッキングヒーターの電源を点ける。
 数十分後、霧崎くんが戻ってきた頃には、台所の中央に一つのお鍋が腰を据えていた。
 お鍋なんて、久しぶりだ。
 独り身の私には、量が多すぎて食べきれない。
 一人用の鍋もあるけれど、残った食材を消費できないため、コスト的にも優しくない。
 だったら外食で一杯三百円のカレーを食べる方が、余程コスパが良いと判断し、鍋やカレーといった鍋物は避けて生活していた。
 ぐつぐつと煮えている中身は、キムチ鍋だ。キムチの赤い汁を吸い上げ、豆腐や野菜、白滝は密やかに踊る。

「いいにおい!」

 ひょこ、とキッチンへ顔を覗かせる金色の髪は、まだ生乾きである。

「作ってから訊くのもなんだけど、霧崎くん辛いもの平気?」
「水嶋さんが作ったものならなんでも食べますよ」
「そう。とりあえず邪魔だから退いてくれる?」

 言いながら鍋をテーブルへと運ぶ。
 木綿豆腐に白菜、長ネギ。白滝に豚肉、ニラ、エノキ茸。具材が豊かで、買ってきた野菜類は余ることなく、殆ど使い切ってしまった。 

「普段外食とかコンビニ弁当ばかりだから、手作りなんて嬉しいなあ」
「…栄養偏るわよ、なんて小学生でも分かる言葉を言いたくないけど、自炊はするに越したことないわよ。好きなものだけ食べるとか、野菜を摂らないとか、そういった食生活は身体に悪いわ。コンビニのお弁当は添加物も多いし、」
「あ、でも女の子達が時々お弁当を作ってきてくれます」

 そろそろ追放していいだろうか。

 ていうか。泊まる場所がないと言えば、泊めてくれる女の子の一人や二人はいるんじゃないの?
 そんな苛立ちを覚えながら、冷蔵庫に眠る焼酎を起こし、ふと蜂蜜酒を手に取った。
 そういえば、お米を買ってくることを忘れていた。全く精米がないわけではないが、二人――…それも若い男の子が食べる分量を考えると、足りる量ではないだろう。
 今晩は晩酌でいこう、と思いつつ、蜂蜜酒に視線を送る。

「霧崎くんって、甘いお酒とか好き?」
「好きですよ」

 にこにこと笑う霧崎くんを見て、じゃあとコップに蜂蜜酒を注ぐ。
 残っていたミードは、丁度コップ一杯分。最後の一滴までコップに注ぎ、自分のコップには八幡の焼酎を注ぎ込む。

「なんですか?このお酒」
「ミード。地元の友達の忘れ物」

 膝を折って、二つのコップをテーブルに置く。箸を二膳、コップと取り皿を二つ。中心にはぐつぐつと煮えるキムチ鍋。
 辛い食べ物は大好きだ。それをつまみに焼酎を飲むなんて、最高の贅沢だろう。
 正面に座り、いただきますと手を合わせた後、取り皿に具材をよそう。豆腐を割って、ひと欠片を頬張れば、口内にじゅわっと汁が広がる。
 ほくほくと口の中は熱を持ち、煽るようにして焼酎を喉に流し込む。
 鍋に上手い下手などないだろうが、我ながら美味しいと思う。
 ぽかぽかと身体が熱を持つ。
 酒も飲み口が良く、鍋との相性はピッタリだった。
 それに倣って、霧崎くんも蜂蜜酒を口に含む。とろりと光る金色の酒は、金髪で甘い言葉をさらさら吐く霧崎くんにピッタリのお酒だと思った。

「お酒、美味しいですねー思ったほど甘すぎないし」
「そう?私甘いものってダメだから、助かったわ」

 そういえば、昔の私は甘いものが好きだった、なんてことを思い出す。
 甘党という程ではなかったけれど、友達に付き合って、ケーキバイキングに行くことだってあった。
 いつから甘いものが苦手になっただろう、と考えるが、霧崎くんの「美味しい!!」という言葉により、思考回路が停止してしまった。

「すっごくおいしいです!!水嶋さんって、料理上手なんですね!!」
「鍋なんて材料を煮て味付けるだけよ。猿でも出来るわ」
「俺が作った時は、誰も食べてくれなかったんですよー。隠し味にハーゲンダッツのラムレーズンを入れて、甘口にしたんですけどね」
「猿には難しかったかもしれないわね」

 そんな応酬を繰り返しながら、酒を流し込む。
 金色に揺らめくコップの中は、金貨のようにきらめいている。
 金色の酒がゆらゆらとコップの中を踊り、照明に反射してきらきら光を帯びていた。
 ふつふつと煮えていた、いっぱいの鍋はペロリと二人で平らげ、あっという間に胃袋へおさまった。
 御馳走様でした、と霧崎くんは、律儀に手を合わせる。

「本当にありがとうございます。泊めるだけじゃなくて、夕飯まで」

 本当に、「意外と」律儀な子だ。
 人の話を聞かなくて、チャラチャラしているように見えるけど、意外と紳士で律儀な一面を持っている。
 外見にそぐわず、律儀で素直。
 年下で、人の話を聞かなくて、まるで子供みたいな子――…いや。

「いいわよ、霧崎くんは弟みたいなものだし」

 紛れもなく、子どもなのだ。

 あっさりと返した言葉に、霧崎くんは「え」と驚いたように瞳を丸くさせた。

「私の弟、二十六歳なんだけどね。霧崎くんは私の弟よりも年下だし。私にとって霧崎くんは、もう一人の弟みたいな感じかしら」

 少なくとも、私の弟は真っ黒髪で、背丈は小さく横に大きく、朝晩問わずゲームをプレイする、自宅警備員という名の無職(ニート)なのだが。
 それに、こんな美形が弟だったら、私は一生両親を恨み続けるだろう。似ても似つかない。
 酔った頭でそんなことを考えつつ、残った酒を煽る。

「弟、ですか」
「そうね。色々な意味で似ても似つかないけどね。まあ、十歳も離れていたら、弟と呼ぶにも年が離れ過ぎているけど。でも、困っているところを見たら、多少は放っておけないくらいには、」

 そこまで言いかけたところで、私はバランスを崩し、ソファの上にもたれ掛かった。
 正確に言うのなら、圧し掛かってきた霧崎くんによって、足のバランスを失ってしまったのだ。
 咄嗟に何が起きたのか判断がつかず、「え?」と間抜けな声を上げる。

「…なに、」
「…水嶋さんにとって俺は、弟なんですか?」

 投げかけられた質問に、「は?」と素っ頓狂な声が喉を滑った。

「…え。ちょ、意味がわからないんだけ、」
「弟だから、俺は何もしないと思っているんですか? 水嶋さんは困ってる人がいたら、誰でも家にあげるんですか?」」

 言葉の尻を遮って、霧崎くんはその先を続ける。
 弾丸のように続く問いかけの内容を、理解する時間すら与えられない。
 半年ほど美容院に通わず、それでも努力してケアを行ってきた髪。生乾きのそれが、ソファにはらりと広がる。
 同時に、開いた口に霧崎くんの唇が強引に重ねられた。
 何が起こったのか、まるで訳がわからなかった。
 霧崎くんの金髪を、今までで一番近い距離で眺めて。そして風呂上がりの熱い体を、強い力で抱きしめられる。状況を理解するまでに、数秒の時間を費やした。
 唾液が唇を潤し、口内に甘い味覚が広がる。蜂蜜の味。歯列をなぞられて、唇の輪郭を縁取る。絡め取られ、吸い寄せられる舌に、くらくらと脳天まで蕩けてしまう。
 銀色の糸がつう、と唇を繋ぎ、きらきらと静かに震えた。

「…それとも、そんなに俺は男に見えませんか。気にする対象でも、ないってことですか?」

 まるで独り言のように呟いて、Tシャツの中に手を這わせる。直に触れられた胸は、霧崎くんの掌にすっぽりと収まる。そして、形を確かめるように。やわやわと解してゆくように、掌は主張した先端を摘む。

「え、ちょ、待っ、」

 零れる甘い声を留め様と、息を飲み込めば、霧崎くんは身体を近付けて、胸元へ顔を埋めた。
 露になった胸に、熱い吐息が降りかかり、身体が小さく反応を示す。
 そんな些細な反応を確かめるかのように、ざらりとした舌が乳房の上を歩く。ねっとりと這う舌先は、透明の痕を残して。歩いた痕は冷えた空気に触れ、ぶるりと身体が震える。
 そして、胸元から次第に下る指先は、腰のカーブに沿って、内腿へと伝い、スウェットの奥へと侵入する。
 ゆったりと下げられた下着、露わになった秘部。その茂みを確かめるように、周辺を弄って。つぷり、と侵入した霧崎くんの指先に、私の息は荒くなった。
 流石にその先はまずい、と残った理性がブレーキをかける。

「ま、待って、霧崎く」
「俺は、水嶋さんの弟になった覚えはありません」
「ほ、本当に待っ、」
「年下だと思って甘く見てるのかもしれないですけど、俺だって、」
「待てって言ってんだろこの猿!!!!!!」

 バアアアアンと目の前の金髪を思い切り引っ叩き、ぜえぜえと肩で呼吸をする。
 突然押し寄せたイレギュラーな出来事に、ずきずきと頭痛を覚えた。
 頭を叩かれて、正気に戻ったのだろう。霧崎くんは、額を抱えて唸っていた。
 一体なにが起こったというのだろう。十歳下のチャラチャラ大学生が、地味な年増のオバさんをからかっているのだろうか?悪趣味にもほどがある。

「…からかうなら他当たってくれるかしら。生憎若い子に弄ばれるほど、気力もお金も持ち合わせていないの。それとも何かの罰ゲーム?」
「も、弄ぶ!?弄んでいるのは水嶋さんじゃないですか!」
「おもしろくない冗談」
「冗談!?本気ですよ!!」

 きゅっ、と唇を小さく噛む姿に幼さを感じ。焦りを隠せない表情が、不覚にも可愛いとさえ思ってしまう。
 そんな姿に心が揺れる理由は、「情が湧いた」ただそれだけ。もしくは、冬の風呂上がりにお鍋、そこにぽかぽかと温まる酒の力が加わり、程よく酔いが回っている所為だろう。
 霧崎くんは、普段飄々として掴みどころがないのに、変なところは生真面目で、女の子みんなに優しくて。若くてチャラチャラとした、一番苦手な人種だ。

 それは、甘ったるい味を仄めかせ、女性を誘う。
 誘われた女性たちは、その甘さに浮かされて、彼の虜になってしまうのだ。

「…お、弟なんて、言わないでください」

 それはまるで、花の香りに誘われる蝶のように。

「…お、俺だって、ただの男なんです」

 蜜の甘い香りに誘われて、酔いしれてしまうのだろう。

 キラキラと光るその甘さに、自ら虜になってしまうのだ。
 ひと時の甘さを堪能し、またその甘さを欲してはやって来る。
 その心地良い甘さを忘れられずに。
 毎日訪れる少女達は、本が目当てで本屋に通っているわけではない。甘くとろけるような、蜂蜜色の少年に会うために、皆街角の小さな本屋に通っているのだ。


「だって俺は…俺は、水嶋さんのことが、」
「霧崎くん」

 名前を読んだその唇で、霧崎くんのそれを塞いだ。
 甘さを含んだ唇を舐め、舌を絡めて甘味を欲する。
 甘いものは好みでない、けれど単純に、自分も酔い痴れたくなったのだ。

 身体に回った酒が拍車をかけて、熟れた体に発情を促す。
 重ねるだけだった口づけは、唇の間を割ってぬるりと口内に侵出する。
 互いの唾液を混ぜ合わせ、お風呂上がりの体温に居心地の良さを覚えた。回した腕に力を込めれば、少しの躊躇いの後、こわごわと抱きしめ返す霧崎くんの温もりが伝わった。
 二人分の重みをソファに預け、衣服を剥いで、身体中を舐められる。揉まれる二つの乳房。熟れてゆく身体。
 蜜を使って、膣内に指を挿入される。濡れた舌が、胸の上を這っていた。
 唾液の跡が身体に残り、無性に自分も触れたくなった。
 膨らんだ霧崎くんの下肢に、指の腹を這わせる。スウェットを下ろし、下着を下ろして、直接触れた。
 小さな息が溢れて、その吐息が前髪を震わせる。
 太ももに、局部の張り詰めを感じる。
 太腿を寄せて、自分の性器と霧崎くんの性器を布越しに触れあった。ズボンの上から硬く主張した局部。下着越しに擦り合わせ、欲情を誘う。
 腰を動かし、挿入をしない、ぎりぎりの距離感を保ちながら。酸素を与えるように、唇を舐める。
 浅い呼吸を繰り返し、濃密な空気を抱いて、互いの身体に欲情する。 
 発情を促された体は、ずくずくと疼きを覚えていた。
 滲む精液をつかって、しゅ、と互いの性器を摩擦する。

「み、ずしま、さ…」
「なに…?」
「俺、も…無理…」

 小さく呟いた後、霧崎くんは私の太ももへ、静かに吐精した。
 あたたかい白濁を腿に感じながら、唇を重ねる。
 霧崎くんより経験値は低いだろうが、地味で堅物とはいえ、三十歳にもなれば、一回や二回は経験を積んでいる。
 十代、二十代の頃に抱いていた羞恥心など、とうに忘れてしまった。
 ティッシュで精液を拭き取って、睾丸を口に含み転がすと、陰部に熱い息がかかった。
 互いの性器を口に含み、部屋には淫猥な水音が響く。

「あ、水嶋さ、あっ、は…っ…ああ、ん、」

 女子か。

 突っ込みたくなるような喘ぎをこぼしているが、悪い気はしない。
 霧崎くんは精液までも甘いのだろうか?なんて、馬鹿なことを考えていたが、舌に広がるのは紛れもない苦味。
 綺麗な顔にそぐわない、グロテスクなそれを舐めあげて、貪る。

「霧崎く、ん」
「っ、は…、あ、なんです、か…」
「気持ち、いい?」

 渡した質問に、数秒の喘ぎの後。「はい」と小さく呟いた、霧崎くんの声が耳に届いた。
 そんな彼を可愛いとさえ思ってしまうのだから、自分も少し参ってる。
 もっと鳴かせてみたい。もっと甘く、もっと濃密に。
 陰部に舌が埋め込まれ、膣内をぬるぬると蠢く。
 舌に広がるのは、蜂蜜の甘さでなく、精液の苦味であるはずなのに。どうしてか蜂蜜を口に含んだように、甘い。
 赤く熟れた豆を摘まれ、幾度かの絶頂を引き出される。

「あ、みずし、まさ…!い、いく…!」

 その言葉通り、局部はどくん、と口の中で硬度を増し、直後白濁を吐き出した。

 ***

 どさっとベッドに雪崩る。
 倒れるようにして、白い海に体を任せた。
 こういった性行為は久しぶりだった。
 思ったより体力が必要な上に、数年行為をしていなかった所為で、普段使っていない筋肉が悲鳴をあげていた。

「…風呂…」

 入ったばかりだというのに、身体がベタベタして敵わない。
 加えて、片付けも何もしていない。
 さっさと食器を片付けて、この気持ち悪いベタつきを洗い流したいが、身体が鉛になったように重い。
 きちきち神経質な自分の性格上、このまま眠ったら、明日は確実に後悔する。
 しかもキムチって臭うんだよ、と腕を伸ばしたところで、ベッドにもう一つの重みが加わった。

「一緒に入りますか?」

 言いながら背中に擦り寄られたが、鬱陶しいことこの上ない。
 ベタベタして気持ちが悪いというのに、更にベタベタさせないでいただきたい。

「遠慮するわ。それと鬱陶しいから離れてくれるかしら。生憎これシングルベッドなの」
「俺が隅々まで洗ってあげますよ」
「時折霧崎くんが日本語を理解しているか心配になるわ」

 毛布を頭まで被って、霧崎くんに背中を向ける。
 数分前まで性交をしていた相手とは思えない。
 というか、酒が引いて我に返ったけれど、そもそも十歳も年下の男の子に、何をやっているんだ自分。
 ぎりぎり成人とはいえ、相手は二十歳の金髪美形、それも現役大学生。
 社会的に見てこれってどうなの。
 いや、でも相手はチャラチャラとした遊び人だ。こういった展開は慣れているだろう。少なくとも場数は私より踏んでいるはず。

 むしろこの際、お互いの為にハッキリ告げておこう。

「霧崎くん」
「はい?」
「私は一回関係をもったからと言って、彼女面するようなことはしないから」

 こういった関係を持って、勘違いする女にはなりたくない。

 霧崎くんのことだ。一度関係を持った女性など、星の数ほどいるだろう。
 心地良く時間を堪能し、関係を割り切った年下の男の子。
 仮にも職場が一緒なのだ。お互い、後腐れなくいきたい。
 ばっさりと告げた言葉に、霧崎くんは数秒間停止する。直後、「は!?」と声を上げた。
 止めていただきたい。今が深夜何時だと思っているのだ。近所迷惑だろう。

「み、水嶋さん。え、ど…どういうことですか?」
「どうもこうも。言葉の通りだけど」
「水嶋さんは、お…俺のこと好きなんじゃないですか?」
「? 何を言っているのかよくわからないけど、霧崎くんのことは人間として、」
「そうじゃなくて!!!」

 毛布を叩かないで欲しい。ホコリが舞うではないか。
 今から洗い物をしなきゃいけないし、お風呂に入らなくてはいけないし、お米も炊いていない。歯も磨かなければ気持ちが悪い。今から洗濯機を回したら、やはり近所迷惑だろうか。

「じゃあなんで俺にキスしたんですか!?」
「………気分?」
「水嶋さんは気分でキスするんですか!!気分で!!」

 霧崎くんの叫びを耳からシャットダウンし、ああそうだと思い出す。
 そういえば、絶頂へ導かれた最中、甘いものが嫌いになった理由を思い出した。
 数年前、友人と行ったケーキバイキングでの出来事。ケチくさい友人は「元を取るのよ、元を!!」と言って、私に三十個余りのケーキを渡してきた。
 レアチーズケーキにチョコレートケーキ、ショートケーキにモンブラン。その数、約二十種類以上。
 その時渡されたケーキの糖分は、私のキャパシティを越えていたのだ。
 舌に残る甘ったるさと、胸焼けする甘味の匂い。明らかな糖分過多。
 吐きそうになりながら――…というより、実際二回ほど吐いた。結果、数週間は甘い香りがするだけで、胸焼けを覚えていた。
 味覚が変わったということもあるが、その出来事が大きな引き金となり、それきり私はケーキを始め、甘いもの全般が苦手になった。

「俺は遊びだったんですか!?年下弄んで楽しいですか!?俺、初めてだったんですよ!?」
「楽しい冗談」
「楽しくないですよ全然!!」

 つまりは、胸焼けがするのだ。

「そもそも私、年下って好みじゃないんだけど」
「今更!?」
「霧崎くんが私より年上になったら、考える」
「無茶!!!」

 霧崎くんは目尻に涙を溜め、キッと私を見据えてみせた。

「み、水嶋さんは俺の身体目当てだったんですか!?」

 突然真剣な顔で、楽しい台詞を吐くものだから、つい眠気が引いてしまった。
 お腹を抱えながら「やだ」と笑ってしまう。

「ちょっと、やめてよ。女の子みたいな言い方するの」
「じゃあ、俺が若いからですか!?それとも顔ですか!?」

 また大笑いしてしまう。
 そもそもそんな台詞、軟派な霧島くんにアンバランスすぎる。

「年下の男心を弄んで楽しいですか!?」
「それよりシャワー浴びてくる」
「水嶋さん!!!!!水嶋さん!?!?」

 そろそろ疲れた、と思いながら、重い腰を持ち上げる。
 そうして、水嶋さん!!という叫びを背に、私はシャワールームへと向かった。

 fin.
 

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