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俺様のラッカス・前編
夜は大好きだ。
世界中が、俺様と同じ漆黒に染まる。
「そう思わないか? ラッカス」
俺様がそう言うと、ラッカスは細い尻尾を垂らして呟く。
「あたし、あんたと同じ色で、本当に不名誉だわ」
俺様がこの街にやって来てから、そろそろ一週間になる。いつもならそろそろ出発する時期なのだが、まだそのタイミングを掴みかねている。
「どうしような……」
呟いてみるが、声は夜空に消えていく。ラッカスは俺様の寝ている足元で、そ知らぬ顔で前足を舐めている。綺麗好きなやつだ。
俺様が寝ている場所、というのは、古い教会の屋根の上だ。もう人が住んでいるのかも分からないくらいボロボロの建物で、構造も古臭い。俺様が乗っているこの屋根は、十字架が取り付けられている一番高い場所なのだが、傾斜が急で寝づらいことこの上ない。足を雨樋に引っ掛ければ、頭は十字架の真下まで来る。で、ラッカスは雨樋伝いに俺様の周囲をうろうろしている、というわけだ。
「あーもう、寝苦しい」
俺様の次の独り言には、ラッカスの容赦ない切り返しがついてきた。
「じゃ、ここじゃなくて神社の屋根で寝れば? 広かったわよ」
「バーカ、広けりゃいいってもんじゃねーだろ」
「でも、そこは寝苦しいんでしょ?」
「気分がよけりゃ、寝苦しくてもいいんだよ」
俺様はとうとう体を起こして、夜空に浮かぶ月を眺める。俺様の髪と同じ銀色をした満月だ。俺様の気分はかなりよくなる。
「……ラッカス、この街は好きか?」
「別に? じゃ、あんたはどうなのよ?」
「さあな」
俺様は腕を伸ばして、ラッカスを抱き上げた。
「にゃっ」
ラッカスは猫らしい抵抗をしてみせるが、俺様は気にも留めてやらない。ツヤツヤした黒い毛をゆったり撫でてから、
「一緒に寝ようぜ、ラッカス」
長衣を広げてそう言うと、ラッカスは不満たらたらにこう言ってくる。
「嫌よ、そんな寝心地悪そうなの……裾がボロボロじゃない」
「そこがいいんだよ」
確かに、ギザギザになってしまった長衣は大して寝心地もよくないが、どうせ眠りなんて俺様にとってそれほど重要なことではない。ただ……特に他に今出来ることもないから、眠るだけだ。
「呆れた。宵の口から寝るなんて……」
「うるさいな、寝ないんならどっか、俺様の邪魔にならないところに行けよ」
「言われなくてもそうするわよ」
ラッカスはさも嫌そうな声でそう言うと、こちらを振り返りもせずにさっさと歩いていく。俺様はそれを少し眺めてから、さっさと長衣を頭までかぶる。
「強がらずにはっきり言ったらどうなの? どうせ、次の町にいく力もないんでしょ」
ラッカスの悪態が聞こえてきた。
俺様は何か言い返そうとしたが、言葉を思いつく前に熟睡していた。
俺様は目を開けた。目が覚めるのと同時だったが、意識ははっきりしていた。長衣から顔を出すと、美しすぎる夜が目の前に広がっている。一瞬、眠りに落ちてから丸一日ほどたっているのかと思ったが、すぐに思い直した。満月は欠けた様子もなく、しかもまだ天頂には達していない。どうやら、眠っていたのはほんの数時間のようだ。
ラッカスはまだ出掛けているのか、そこにはいなかった。まぁそれも仕方がない。
しかし……いい夜だ。ため息が出そうになる。
俺様は気取って跳ね起きると、十字架の上に立った。姿勢には自信があるので、このポーズは結構サマになる。ここ数日ほとんど一日中寝転がっていたので、疲れた体にもいくらかの元気が注ぎ込まれている。
風ではためく長衣はまずまずかっこいいが、俺様は一旦それを脱いだ。この季節なので、長衣の内側に着ている黒のカッターシャツは半袖仕様だ。シャツくらい白にすればどうだとラッカスに言われたこともあるが、こればかりは譲れない。混じりけなしの漆黒が、俺様の銀髪によく似合うのだ。ついでに、赤のリボンタイも。
まったく、いい夜だ。
俺様は月に向かってニヤリと笑ってみせてから、右手に持った長衣を空中に放り投げた。黒い長衣が広がって舞い上がるのを長めつつ、俺様自身も夜空に躍り出る。十字架からダイブして、大きく前方へ。
銀髪が後ろへ流れる。体を縮めてから一気に伸ばすと、俺様の背中から一対の羽が伸びる。蝙蝠に似た黒い羽。俺様のトレードマークというわけだ。
いつもながら、気持ちがいい。
ゆっくり滑空してから上昇に転じる、その間一秒未満。宙に浮かんだままの長衣を手に取ると、俺様はそれを体の周囲に広げた。裾のギザギザになった薄っぺらい長衣だが、このときだけはいつもの二倍ほどの大きさになって、素早く回転する。次の瞬間には、長衣は夜空と一体化して、俺様の姿を周囲から隠してくれるのだ。
ああ。……いい夜、だ。
最近は夜明けが早い。それほど時間に余裕はないようだ。
俺様は夜空に溶け込んだ体を回転させると、大通りに向かって羽を動かした。上空から見る街灯の列は妙に綺麗で、人工的で、俺様の好みではなかった。
吸血鬼、と呼ばれるのは嫌いだ。
それは俺様の事を上手く言い表しているとはいえないし、呼ばれて気持ちいい呼び名でもない。少なくとも俺様は自分が「鬼」だとは思っていない……いや、そういえばラッカスと初めて会ったときに、無視しようとしたら思いっきり「鬼」だの「悪魔」だの呼ばれたな。まあ、関係ない話だ。それに、結局俺様はラッカスを拾ってやったわけだし。
俺様は大通りに沿って飛びながら、目をつけていた公園に飛び込んだ。
吸血鬼、と呼ばれるのは嫌いだが、吸血鬼、と呼ばれる者であることは大切にしようと思っている。
俺様の父親は由緒正しいトランシルヴァニア育ちの立派な吸血鬼(父さんは綺麗な発音でヴァンパイア、と呼んだ)だ。二度の大戦を地下室で乗り越えた父さんは退屈で死にそうだったそうで、ユーラシアをゆっくり横断してとうとう日本まで来てしまった。その後、ごく普通の日本人だった母さんと「大恋愛」をして俺様の誕生と相成った、らしい。だから俺様は国籍もハーフだし、種族としての血も半分しか持っていない事になる。もっともそれによる弊害は、あまり速く飛べないことくらいだから、別に気にはしていない。
こんな刺激の少ない旅暮らしの身でも、俺様はトランシルヴァニアの血を受け継ぐれっきとしたヴァンパイア(父さんの真似をしてみる)なのだ。
と言い訳したところで、俺様は今日の獲物を見つけた。
人気のない公園でぼんやりブランコに座っている、金髪の女の子だ。見た目の年齢は俺と大差ないだろう。俺様は音もなく彼女の目の前に着地すると、夜色の長衣を払いのけた。
相手からすれば人間が目の前にいきなり現れたわけだから、驚かれても仕方がない……悲鳴を上げられては困るので、その素振りを見せたら口を塞いでしまおうと身構えてもいた。ところが彼女はとろんとした目をこちらに向けただけだった。
ドラッグだろうか。だとしたら面白くない……あれは血をまずくする。
「……誰?」
女の子はやたら幼く見える口調で問いかけた。俺様の返事を遮って話し続けやがる。
「誰でもいいかなぁ……でも素敵な色の髪ね。どうやてブリーチしたの? 黒服、似合うじゃない」
「髪は父さん譲りだよ」
俺様は事実を口にした。
「ふうん……あれ、それ羽? かっこいー」
奇抜な格好はまだ流行しているのだろうか。もっとも、こんな大きい羽をつけた奴というのはライブハウスのステージでしか見たことがない。
あ、笑わないでほしい。俺様だってたまには……羽を伸ばすために、羽を畳んで若々しい遊びをしたりするのだ。
駄洒落はさておき、俺様は彼女の肩に手を乗せた。仕草は紳士に、活動は大胆に。父親に仕込まれた、俺様のやり方だ。
さすがに、相手はちょっと驚いたらしい。
「何、するのよぉ……?」
しかし、やはり覇気に欠ける。
「好きだろ? 刺激的な事」
俺様は目を閉じて軽く息をつくと、脇目も振らずに彼女の首筋にむしゃぶりついた。
「テッメー、俺の女に何しやがる!」
濁った怒声に顔を上げると、男が三人俺の方へ駆け寄ってくるところだった。中央にいる男がどうやら、今は眠っているこの女の子の恋人らしい。金色の髪はあちこち黒い筋だらけで、お世辞にもあまりかっこいいとは思えない。
女の子をゆっくり地面に座らせていると、男はバタフライナイフを片手に襲い掛かってきた。俺様は素早く飛びのいて、空中にぶら下げておいた長衣を巻きつけた。これで、俺の姿は見えなくなっただろう。
ところが、安心するのは早かった。
突然の事態に混乱した男は、見境なくナイフを振り回し始めたのだ。錯乱しているのか……ドラッグでもやってるのか。いや、何でも薬のせいにするのはよくないだろう。さっきの子も意外と美味かったし……
が。更に運の悪いことに、次の瞬間、男の手からナイフがすっぽ抜けてしまった。それだけなら武器が消えたと喜ぶ所だが、あろう事か俺様の方へ一直線に飛んでくる。慌ててかわして上昇したが、ナイフが長衣に引っ掛かってしまった。ビリビリッと嫌な音がして、長衣が破れて……俺様の周囲から剥がれ落ちた。
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