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二人と一頭の旅 作者:千原昌泰
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始まりの地<2>

 獣道を下っていくと荷馬車が一台通るのがやっとといった程度の道に出た。現実世界の林道より整備されていない荒れた道だが、それでも獣道を歩くことに比べたら楽なため自然とペースは上がる。エンジは暇なのだろう、キョロキョロとあたりを見回したり、偶に先行して道の先で待っていたりした。
偵察してるつもりかな?

「ありがと」

こちらに向けるその顔は、ちょっと自慢げに見える。



30分ほど歩くと森を抜け丘の向こうに村が見えてきた。
しかし、エンジをこのまま村に入れていいだろうか、と考える。エンジの体長はおおよそ3m、普通の犬と言い張るにはちょっと無理がある大きさだ。
まともに考えたら、まものが現われて村を襲いにきた、と誤解されそうな気もしなくはない。連れて歩くことは、ゲーム時代はなんの問題も無かったが、だからといってこのリアルとゲームが入り混じったような世界でも問題が無い、といっていいのか。NPCの村人が、村に侵入したまものに追われ、魔物討伐の依頼。低レベルクエストとしてはありがち過ぎるし、そんな事態はあまり楽しくないなと少し心配になり、そういえば、と魔法鞄に手を伸ばしその中身を物色する。

「あった」

取り出したのは、水晶で出来た魔法の品<獣誼の勾玉>。それをエンジの首に回して結びつける。勾玉に手を添えて念を送ると、エンジの身体が輝きだし、やがてその光が消えるとエンジの身体は三分の一ほどに縮んでいた。エンジは不思議そうにして、自分の身体を見ようとその場をクルクルと回る。その姿は、自分の尻尾を追っかけているようで滑稽に見えた。やがて身体の変化を理解したのか、不安そうに自分の毛皮を舐めまわし、スーノへと赤い瞳を向ける。

「なにこれ」

あくまでエンジの風体は狼である。だからどのような感情を持とうとも、その表情は殆ど変わることは無い。でも何故かスーノには、今のエンジが困惑し不安を感じていることを有り有りと感じ取ることができた。

「ごめん、ちょっと我慢してくれるかい」

いつもは誇らしげに真っ直ぐに伸びている尻尾が、今はだらんと垂れて後ろ足の間に隠れてる。

「大丈夫、元に戻れるよ」
「ほんと」
「ああ、本当」

納得したのか、それともやはり不安なのか、甘えるように身体を寄せてくる。
可哀想だが我慢してもらおう、そう考え頭を撫でてやる。小さくなったその身体は見たところ1m弱、現実世界の大型犬ぐらいだ。これならば村に入っても騒ぎになることは無いだろう。






 村の外周には外敵避けの柵が囲んでいる。門といえるほど立派なものではないが、柵に開いた大扉から村に入る。日が落ちるとこの大扉は翌朝の日の出まで締め切られるのだろう。
 村に入って進んでいくと、村の中央に広場が見えた。なぜかその周囲に村人らしき人々が集まって顔を寄せ合って話をしている。村人の視線の先には、鎧を纏った男がいた。広場に入ると村人がこちらに気づき、スーノのほうに振り向いた。太った中年の男とそれよりは若い痩せた男、どちらも鍬を携えているから、農民だろう。
 さすがに無視するのは失礼だよな。とりあえず村人に歩み寄る。

「こんにちは」

 NPCに挨拶をするのもおかしなものだな。
 そんな考えも浮ぶが、なんと言っても相手の見た目は普通の人間で、目が合ったらとりあえず挨拶をしておくのは社会人としてはごく普通のことだよね。なんて、小心者の自分がちょっと恥ずかしい。

「こんにちは、おや冒険者さんですか」

 はい、と返事をして少し村に滞在することを伝える。

「ようこそ、何も無い寂れた村ですけど、ゆっくりしていってください」

 にこやかで愛想が良い対応に、自然と会話が弾む。ありがちな天気の話やこの地方のことなど、世間話程度だが、それでも十分有用な情報を得ることができた。そして村には小さいが宿もあり、食堂も併設していることを教えてもらう。

「それで、冒険者さんに相談があるんですけど」

 中年が小声でぼそぼそと言うと、背中越しに指を先ほどの鎧の男に向ける。
 曰く、見た目から冒険者だと思われるが、どうにも混乱しているようで、まともに会話もできない。朝からあそこに座り込んでブツブツ独り言を呟いているだけで、正直なところ薄気味悪くて困っていると。
 おそらくゲームに取り込まれた状況に混乱しているのだろう、同じプレーヤーとしては無視することもできないので、スーノは村人に自分が対応しますと請負い、その鎧の男に歩み寄っていった。近づくと、特徴的な耳の形状からエルフ種族だというのがすぐわかった。エルフらしく身長は高く、鎧に隠されて判り辛いが、身体の線は細くスマートな体型だ。しかしまあ、わかりやすいぐらいに落ち込んでいる。
 スーノは、自分もエンジがいなかったらこんな風に落ち込んだままだったのかも、と当時の自分の状況を振り返る。

「君もゲームの世界に巻き込まれた口かい」

 男はゆっくり顔を上げてこちらを向くが、いまひとつ思ったような反応を見せない。予想していたのは、ゲームに取り込まれた自分の境遇を嘆くか、この状況について質問攻めにくるか、やつあたりでこちらを攻めてなじってくるか、そのあたりだった。しかし帰ってきたのは、予想したものとは違っていた。その言葉の内容も、さらには発した声も。

「ゲームって何?」

 泣き腫らし、真っ赤に充血した目をこちらに向け話す声は、見た目に反して女性でしかも若い娘の声だった。
 なるほど、女性が男性キャラクターでプレイしていたんだな。ネットゲームではままあることだ。エルダーテイルはボイスチャットが導入されていたから、あまり多くはなかったが、声は出さずにテキストチャットを使用するか、または気にせず地声のままで通すか、どちらにせよ性別反転プレーヤーが一定数いたのは確かだ。
 まあ、そこに追求するのは個人的にもあまり面白くないので、軽く流す。

「いや、エルダーテイルって、ネットのMMOゲーム。君もやってたろ」
「アタシ知らない」

 どうやら本当に知らないらしく、彼(彼女?)はその顔を小さく振る。一緒にきれいな金色の髪もさらさらと揺れた。朝からずっと泣いていたのだろうか、疲れ切ってるのが一目でわかる。
 スーノはこの状況は予想していなかった。自分がゲームをしていたときに転移したから、当然そうだと決め付けていたが、もしかしたらゲームに取り込まれたという仮定がそもそも間違いだったのだろうか。だとすると事態は更に複雑になるな、と考え込むが、まあゲームだろうと何だろうと異世界に取り込まれたことには変わりがない、と開き直るしかない。
 とりあえず彼女 (といってもいいだろう)にもう少し話を訊きたいが、彼女は呆然とし、瞳の焦点も合ってないようだ。会話をしても、どこか現実感を感じられない受け答えで、これは話を聞ける状態じゃないな、と判断する。かといって時間が経てば気力が回復するかというと、状況が状況だけにとてもそうは思えない。このまま無視してしまうのは忍びないが、どう対応するのが正解か、いまひとつ良い回答が出てこない。

 そのとき、彼女の前にエンジが歩み寄り、喉を鳴らす。臥せた顔を上げて彼女がエンジを覗き込むと、エンジはその頬を一舐めして、彼女の胸に身体を寄せていった。エンジの毛皮の感触、それにその暖かな体温を感じたのだろう、それをきっかけに、彼女の焦点の合わない瞳に光が徐々に宿った。彼女はエンジの首に腕を回してひしっと抱きつく。そして、その青い瞳から大粒の涙が流れ落ち、その後、彼女は少女のように大きな声を上げて泣き出した。
 エンジには理由はわからないが、この子は傷つき弱っている、ということを本能で感じ取ったのか、エンジは抱き付かれて綺麗な白の毛並みに涙と鼻水を擦り付けられても、嫌な顔ひとつせずじっとしていた。

 五分も泣き続けていただろうか、その瞼は腫れ真っ赤に充血した目元だったが、だけどスッキリした表情でエンジの赤い瞳を見つめていた

「ありがとう」

 彼女はエンジにぎゅっと抱き、その耳元で囁く。そしてスーノに視線を向けると「この子の名前は」と尋ねる。

「エンジ」

 そう答えると、彼女は嬉しそうに「ありがとう、エンジ」と繰り返した。




「ごめんなさい、落ち着きました」

 バックから、まあ清潔なタオルを引っ張り出し彼女に手渡すと、彼女は少しはにかんだ様な態度で感謝の言葉を伝えてタオルを受け取った。

「話をしても大丈夫かい」

 彼女はうなずく。その表情はしっかりしていて、瞳にしっかりした意志の力が見える。もうパニックに陥ることはないだろう。

「僕はスーノ、森呪遣いでサブは調教師」

 順番がおかしくなったけれど、まずは自己紹介をしないと。だがその内容を図りかねているように、彼女の反応がいまひとつはっきりしない。

「森呪遣い?調教師?」

 そうだった、おそらく彼女はゲーム、エルダーテイルを知らない。

「訳の分からないことを言ってゴメン」

 ゲームのことを知らない人間にゲームの職業など話しても混乱させるだけだ。僕はなに言ってるんだ、とスーノは自分の考えなしの発言に舌打ちする。

「で、ちょっと訊きたいんだけど、この場所に来る前の記憶、何か覚えてるかな」

 杏奈はその時のことを、記憶を探るようにゆっくりと話し始める。



















「おにいちゃん、ここ教えてよ」

アタシは参考書を片手に兄の部屋の扉を開ける。

「ノック」

兄はモニターに向けた視線を変えることなく、返事をする。

「へ?」
「ノックをしろっていつも言ってるだろうに」
「まあいいじゃない、減るもんじゃないし」
「減るんだよ、俺のプライベートが。あとお前のデリカシーもな」

兄は不機嫌な態度を隠しもせず、椅子を回してアタシに顔を向ける。

「いいからいいから、見られて困ることなんて無いでしょ」
「あるよ」
「あ~はいはい、恥ずかしいところ見ちゃったら黙っててあげるからさ~で、ここ教えてよ」

昔はあんな可愛かったのに、まったくなんて下品な女になっちまったんだ、と嘆く兄を無視して、机に参考書を置き鉛筆で丸印をつけたところを指してベッドに座り込んだ。

「わかったから、ちょっと待ってろ」
「え~どこ行くの」
「トイレ」

 そう言って兄は扉を開けて廊下に出るとドアから顔を出して

「コーヒーいるか、インスタントだけど」

いろいろ失礼なところもある兄だけど、まあ気が利かないわけじゃないし、顔はまあそれなりに見えるし、なんといっても、アタシの隣に来ても恥ずかしくない身長がある。
と言うのも、アタシは女子にあるまじき高身長なのだ。
先月、春の新学期の計測では183cmと3mm。さすがにもう伸びは止まったみたいだけど、大体の男子はこの身長に尻込みするんだよね。
でもその代わりといっては何なんだけど、部活のバスケットボールではこの身長を武器にさせてもらってました。
ポジションは身長を生かしてセンター。去年秋の県大会ではチームは準優勝でした。
おかげでバスケで大学に推薦入学なんて話もあるけど、色々あってちょっとそれには尻込みしています。
推薦で進学した先輩の話を聞いてみると、やっぱり厳しいところもあるみたいだし、実力で進学って線も考えなきゃ。
で、GWの真っ最中なのに、けなげにも勉強してるところです。

そうそう兄の話だけど、そんな感じで悪いヤツじゃないよ。
頭も良いしさ、なんていっても地元の国立大学法学部現役合格だしね。
実は友達に結構評判良いのは、内緒だ。
高身長で高学歴、もうひとつ高収入が入れば、バブルのころじゃ引く手あまたの好物件ってやつだね。
最近は巷では、ゆとりだ、さとりだ、って言って、今の女の子は高望みなんかしないとか言ってるけど、結局のところ女の子の本音は大して変わってはいない。
ルックスもまあまあで、頭もいい、おまけに趣味でギターをやってるとくれば、女の子が黙ってるわけないよね。
同級生でも紹介してほしいって娘が何人かいるけど、みんな(アタシが)断ってるし。
まあ、実のところは、パソコンにエロ動画を溜め込んでるエロ助でゲームオタクの冴えないお兄ちゃんなんだけどね。

「アタシはココアがいいな~」

兄は「注文が多い」と口元をへの字に曲げるが、すぐにあきれたように苦笑して

「了解、ちょっと待ってろ」

と言って階段を下りていく。

ベッドの隣に、壁に立てかけられた兄が愛用しているエレキギターがある。
そのギターを手に取って、兄に教えてもらったリフを爪弾いてみた。
エレキだから、アンプに繋がなければ大きな音は出ない
だから深夜でも階下で寝ている両親は怒り出さないないよね。
弾くのは、誰でも知ってるイギリスのハードロックバンドの、誰でも絶対聞いたことのあるギターリフ。
お兄ちゃんから、ヘタクソでもそれなりカッコ良く響くからって教えてもらったけど、未だに思ったような音が出ない。
いつもお兄ちゃんにダメだしされて凹みまくってます。

やはりいつもの通り左手が追いつかず、ぐだぐだな音しか出ない。
嫌になってギターをベッドに投げ出し、パソコンデスクの椅子に座る。
目の前にはパソコンのモニターがあり、そこには見慣れたRPGの画面が映し出されている。
画面の隅には時計があり数字は23:59だった。もうすぐ日付が変わる。

「またこのゲームしてんのね」

アタシが中学入ったころだから兄は高校一年だったかな、それからずっと夢中になってやっているゲームで、名前はなんていったっけ。前にちょっと興味があって訊いたら、一時間くらい延々と説明されてしまって大変だった。
なんかインターネットで繋がって、いろんな人と一緒にできるゲームだとか、仲間がグループを作って協力するんだとか、嬉しそうに説明してたけど、実はほとんど聞いてませんでした、ごめんなさいお兄ちゃん。
しかしゲームに夢中になってて、よく国立の法学部なんて合格できるもんだ。
我が兄ながら感心します。

ゲーム画面には、鎧を纏った騎士っぽいのが大きな剣を構えている。兄が遊んでいるところを後ろから見てたことはあるから、なんとなく動かし方もわかる。

「たしかこのキーを押すとキャラクターが動くんだよね」

お、動いた動いた。

















「なるほど・・・ね」

 どうにか状況が飲み込めてきた。つまりは、目の前にいるこのプレーヤーキャラクターは彼女の兄のものだ。
 そして拡張パックが適用される瞬間、パソコンの前で操作していたのが彼女、妹の加藤杏奈。それでどのような間違いが起きたのかは分からないが、どういう訳か彼女がゲームに取り込まれ、兄のキャラクターに憑依してしまった。おそらくこれが正解ではないだろうか。

 ということは、やはり無関係に異世界に転移させられたと言うわけではなく、やはりエルダーテイルというゲームが引き金になっているというのは変わらないとみて間違いなさそうだ。やはりコレはゲームの仕様で起きた現象?だとしたら原因はゲーム開発のアタルヴァ社が何かしらの新仕様を導入して事故に繋がったとみるのが・・・
 スーノはブツブツと独り言を呟きつつ、自分の世界に篭っていく

「ねえ、一体どうなってるの」

 一方的に質問した挙句、その後は無視するというのはあまりにも失礼だったと、「ゴメン」と一言謝ってからスーノは話し出した。

「おそらく君のお兄さんがやってたゲーム、エルダーテイルっていうんだけど、それになぜか関係のない君が取り込まれてしまったみたいだね。そのキャラクターは君のお兄ちゃんが使っていたキャラクターだと思うよ」
「え、アタシはアタシだよ」
「そう言ってもね・・・君、本当は女性だよね」

 その言葉に、彼女の顔色から血の気が引いていく。何か言葉を発しようとするのだけれど、何を言うべきか自分自身わからず、言葉を失ったように大きく開いた口を震わせる。
 もしかしたら、混乱して自分が男性の身体になっていることが頭から消えていたのかな?などとスーノが訝しんでいると、

「そうだった!なんなのよ、なんでアタシ男になってるの!!こんなのおかしいよ!!」

 人間の顔色ってこんなに早く赤くなったり青くなったり変わるんだな。そんなつまらないことにスーノは関心する。杏奈は勢いよくスーノの肩をつかんで強引に振り向かせ、鼻が当たるくらい顔を近付けてきた。彼女の瞳の中がぐるぐる回ってる。

「いったいどうなってんのよ~」

 スーノの肩を押さえ込んでブンブンと振り回す。スーノの身長は160cm以下。身長差が20cm以上で相手は戦士職、おそらく守護戦士の杏奈が振り回せば、スーノの身体など紙人形のごとし。

「ちょっとまって~」

 必死に叫ぶスーノだったが、残念ながら杏奈の耳には届かない。
 ああ、このまま振り回されて死んでしまえば、現実世界に戻れるかな。なんて現実逃避のスーノ。

 ウワォ!

 エンジが吼える。興奮した二人に冷や水を浴びせかけるようなエンジの咆哮に、二人は頭を冷やす。
 こいつらしかたね~な、とでも言いたげなエンジは、二人を見回した後、座り込んで毛づくろいを始めた。顔を赤くした二人は咳払いなんかしつつ辺りを見回すと、怯えたように遠巻きにした村人が見える。しかも先ほどより確実に人数が増えている。
 さすがにこれはまずい。

「ちょっとこっち来て」

 スーノは杏奈の手を取って村のはずれに連れて行った。背の高い杏奈の手を引いて連れて行く姿は、その身長差からあまり見た目の良いものじゃない。早足で歩いて村の外れの木陰に入る。ここなら村人からは見えないはずだ。
 杏奈のその落ち込みようは可哀想なほどだった。確かにこんな訳がわからない世界に連れてこられて、おまけに男に性転換させられているなんて、ショックで立ち直れなくなってもおかしくないか。そうはいってもまた先ほどの、ショックを受けて泣いて説明して慰めて立ち直って、を繰り返すのは勘弁して貰いたい。
 しかし、男の身体になってしまっていたことを今まで気づかなかったのか。それとも茫然自失で、それどこころじゃないかったのかもしれない。たしかにこんな状況に放り出されてしまえば、それも無理も無いか。
 ・・・仕方ないな。
 スーノは困惑して座り込んでしまった杏奈の目を見つめた。

「やっぱり男の身体は嫌だよね」

 スーノの言葉に座り込んだ杏奈は力無くうなずく。
 ここで渡してしまっていいのかと、個人的には一瞬躊躇するが、この気の毒なほどの落ち込みようを見ていると、これは無視するわけにはいかないと決心する。そしてスーノは魔法鞄に手をいれ、ごそごそと何かを探す。

「あれ貰ったの結構昔だし、確か鞄に入れっぱなしだったはずだ・・・おっあったあった」

 はいこれ、と細かく装飾された青い瓶を杏奈に差し出した。

「女性に戻りたければ、この薬を飲みな」

 杏奈は「これは何」と言いたげな表情を見せる

「外観再決定ポーションって薬。まぁ詳しく説明するのはメンドくさいから省略するけど、要するに見た目を自分の希望通りに変更する魔法薬」
「魔法?」
「騙されたと思って飲んでみな、毒じゃないのは保証する」

 その瓶を受け取る杏奈。太陽に透かすと中には液体が見える。杏奈は不安げに瓶を眺めた後、その蓋を開け匂いを嗅ぐ。

「飲んだ後もし何かガイドが出てきたらそれに従って、何も無い場合はとにかく現実の自分を強くイメージしな」

 杏奈は少しの間躊躇していたが、意を決したように瓶の中身を呷った。喉仏が繰り返し動いているのがスーノの目に入る。
 飲み終わり、ふう、と一息つく杏奈の身体が光を放ちだし、その後杏奈は喉元を掻き毟りながら痛みに苦しむような唸り声を上げ始めた。
















その瓶の中身は見た目は透明だった。
怪しげな薬だし飲むのは怖くてどうしようかと悩んだけど、男の身体で生きていくのはカンベンなので、なけなしの勇気を振り絞って瓶の中身を飲み干す。
見た目通りと言うべきか、その液体は無味無臭で飲み込むことは簡単。
だけど、飲み終わってからが、なんというか酷かった。
詳しいことは省略します。思い出したくない。
どんな状況だったのかは、一部始終を見ていたスーノさんが、顔を真っ青にしてそのまま木の陰に隠れ、嗚咽と一緒にボトボトといや~な音をたてた、というので察してください。
エンジが心配そうにアタシの顔を覗き込んでいる。
大丈夫、と頭を撫でてやると嬉しそうに擦り寄ってきた。
ちなみにご主人様が木の向こう側で苦しんでいるんだけど、それはいいの?まあ出しちゃいけないもの出してるし、あんまり近寄りたくないよね。
終わってしまえばアタシの気分は爽快、スーノさんのほうがよほど調子悪そうで、「イヤなものを見た」なんて呟いてタオルを出して口元を拭ってます。

そんなことより、自分の身体の確認をしないと。
まず手を見ると、女の子にしては大きな手。
これはもともとそうだったから仕方ないかな。
けれど、指は細くすらっとして男性の手とは違う。
ほかの部分、具体的には女性特有の胸部の形、ちょっと他人より大きかったりするけど、とか、無いのが当たり前というかあってたまるかっていう両足の間の存在とか。ぱっと身体を見回せば、きちんと女性の身体になってます。
とりあえず一安心。
するとスーノさんが手鏡を差し出してくれます。
鏡を覗き込むと、そこには見たことがあるような、ないような微妙な造りの顔がありました。
髪の毛は綺麗なロングの金髪で、その色は日本人の黒髪をブリーチして染めても絶対にならない輝くような金色でした。
顔のつくりはいわゆる北欧系で、目の色は薄い青。
よく見るともともとのアタシの特徴は残ってるみたい。
垂れた目じりにちょっと目立つそばかす。
それはアタシとしてはあまり意識したくないコンプレックスだったのだけど、今のこの顔だとちょっとしたアクセントになって、これはこれでいいかもなんて思える。
耳はなんか面白くて、妙に長くて尖っているけど、バランスが悪いわけじゃない。
というか、アタシってこんな美人だったけ?

「自分の顔に見惚れてるとこ悪いけど、ゲームだから基本的に女性は美人で男もかっこいい見た目になるのはごく普通」

スーノさんが意地悪く言ってくる。
ブロンドとか、青い瞳とか、そんな見惚れてたわけじゃないし。
なんて赤くなった顔で凄んでみても、全然カッコがつかないし、スーノさんは涼しい顔でにやけているしで、ちょっと気に入らないけど、気分がいいから許してあげます。
立ち上がると、さっきまでの男の体のときよりは身長は低くなっているみたいで、元の世界の背の高さと同じかな。
手足の長さとかも元と同じくらいで、だいたい違和感無い。

少し身体を動かしてみる。おお、軽い軽い。
こんな重そうな金属の鎧を着けているのに、まったく重さを感じない。
中、高とバスケやってたから、身体能力にはそれなり自信があったけど、今のこの身体はそれとは比べ物にならないくらいの能力がありそう。









「ありがとうございます、本当に助かりました」

 杏奈が深々と腰を曲げて感謝してくる。結構礼儀正しい娘じゃないか。
 性別が戻り不安が解消されたからか、始めの混乱はすっかり消え、にこやかに笑顔を見せる。もともと性格の明るい娘なんだな。嬉しそうにエンジとじゃれ合っている。さすがにやりすぎなくらいで、エンジも少し迷惑気味だが、それでも我慢してされるがままになっている。しかし異世界に連れて来られてしまっているのは変わらないのだけれど、そのことは気にならないのかね。
 せっかく明るさを取り戻したのだから、とりあえずそれでいいか。独り納得していると、杏奈が話しかけてきた。

「でも、スーノさん良かったんですか、あの薬アタシが使っちゃって。スーノさんも性別違いますよね。男性に戻らないんですか?」

 たぶん彼女に悪意は無い。だが悪意があろうと無かろうと言ってはいけないことはあるんだよ。

「そっかあ、あの薬まだもうひとつ持っているんですね」

 にこやかに気楽な言葉を言ってくれるが、残念ながら外観再決定ポーションは非常にレアな魔法薬なもので、自分が持っていたのはあのひとつだけです。ああ、君はいままで考えないように、触れないようにしていた微妙な問題を掘り起こしてくれるね。

「もしかして女装するのが趣味とか。ってどうしたんですか、お金でも落ちてました」

 お金拾ってるんじゃないのよ。跪いているのは落ち込んでいるからだよ。んっエンジ、ああ慰めてくれるの。ありがとね。お前だけだ、僕の気持ちわかってくれるのは。でもあんまり舐められると、顔が涎でべとべとになっちゃうんだけど。

 スーノの現実世界の名前は菅原直人、26歳、もちろん男性である。メインキャラクターは人間族のレベル90の守護戦士<ビクトル>。設定では身長190cm以上の筋骨隆々のがっちりとした体型で、当然性別は男性だ。ビクトルはアキバの戦闘系有力ギルドの<ホネスティー>に所属しており、このゲームの中ではまあ超一流では無いけれど一流といっていいランクだった。でも、やっぱり長く続けてくるとマンネリというか飽きもくるもので、違ったことをしてみたくなり新たにセカンドキャラクターを製作した。そのとき作ったのが、今の姿であるスーノ、森呪遣いの女性キャラクターだった。
 自分がこのキャラクターを使っているのことを知っているのは、古くからのゲーム仲間ひとりだけで、彼は現在ログインしていないのがフレンドリストを見ればわかる。女性キャラクターを製作して遊んでいたくせに、覚悟が足らないと言うか、正直なところ自分が女性キャラクターを使っていることはあまり親しい仲間には知られたくはなかった。ゲーム時代は音声チャットは使わずにテキストチャットのみでコミュニケートしていたぐらいだ。このキャラクターではギルドにも所属していない。

「女性キャラクターを作ってみたくなるのは男の子として仕方ないことなんだよ、僕は間違ってない!!」

 スーノは拳を硬く握り、唾を飛ばしつつ言い放った。その目は血走っているようにも見える。
 その情けなくも必死な姿を見た杏奈は、微妙な表情をしてスーノを眺める。口には出さないがその顔は、うわ~~~~~ないわ~と語っていた。

「ゲームなんだしカワイイ女性キャラクターでも遊びたくなるのも仕方ないんだよ~~」
「はいはい」

 杏奈の視線が冷たい。顔には「ネカマキモイ」って書いてある。そして散々からかった後スーノの落ち込む姿を見て、ちょっと言い過ぎたかな、と杏奈はクスっと笑った。

「可愛いモノになりたい気持ちは分からなくもないし、中身が男ってのはちょっと気持ち悪いけど、許してあげます」
「許してあげるってとこがちょっと引っかかるけど、ありがとうございます」

 二人は視線を合わせ、堪えきれなかったように同時に噴き出して笑い合う。やがてどちらかともなく笑いが収まった頃、杏奈が真面目な顔をみせ頭を下げた

「ごめんなさい、大事な薬を使っちゃって。本当はスーノさんが自分のために使うものだったのにアタシなんかに」
「いいんだよ、あんなに落ち込んでる姿を見れば仕方ない」

 杏奈の真剣な態度にスーノは手をひらひらと揺らして「それにこのキャラクターにも愛着あるしね」と答える
 実際、こんな異常な状況はそう続くとは思えない。焦らず待っていれば、元の世界に戻れるだろう。スーノはそう考えていた。



 これが甘い予測だったと、後日スーノはこの会話を思い出し後悔しているが、残念ながらこの時の彼にはそれを知る術は無い。


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