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The fragment of 26-year-old my memory.
あの頃の私は、14歳にして人生に初めて現れた分厚い壁に真っ向からぶち当たっていた。
今思えばそこまで悲観になる必要もなかったように感じるけど、それが全てだった14歳の私にとっては生きている理由を失ったように思えて、この先一体何をして過ごしたらいいのか、死ぬまで退屈と遊ぶのか、と、なんともふざけた哲学的な考えに捕らわれていた。
周りを気にする余裕なんて微塵もなかったくせに、いつしか腫れ物を扱うような態度の親にも、好き勝手に態度をコロコロ変える友人にもうんざりしてどんどん自分だけの殻に閉じこもっていった。
反面一人になると、どうにか新しい自分を見いだそうと必死だった私は、手っ取り早く変わった姿をこの目に焼き付けたくて、まずは真っ黒だった髪の毛を金髪に染めた。それから運命が変わることを期待して、耳に穴をあけた。
ただそれだけのことだけど、周囲の目には「道を外しそうな危険な女の子」と映ってしまったらしい。理解されるはずもない自尊心は、両親を傷付け、友人を遠ざけ、先生達からの信頼を失わせて、結果自分の評価を下げただけになってしまった。
だけどそれがかえって好都合だった。
そのためだけに学校に行っていたと言っても過言ではない私にとって、学校に通うことは苦痛でしかなく、出来ることならそれをこの先目にしないまま生きていきたいと考えていたのもあって、自分の部屋から一歩も出ることのない生活は、この上なく快適だった。
頭はの中はそれで一杯なのに?
今ならそう問いかけてやりたいところだけど、そんなことはもちろん不可能で。
とにかくあの頃の私は誰がどう見てもやさぐれかけの自己中心的な中坊だった。
秋が終わって、冬が過ぎて、春を迎えて学生が春休みに入っても、まだそんな状態のままだった私をみかねて、両親は私を母方の親戚のもとに「気晴らし」という名目で1週間いう期限つきの滞在をさせることを決めた。
叔父と叔母には子供がいなくて、小さい頃から私を実の娘のようにかわいがってくれた。
田舎育ちの私からすると叔父と叔母の住むその街は充分都会で、驚くほど畑が少なく、驚くほど家が密集していて、驚くほどコンビニが多かった。
車通りが激しくて、誰もが何かに急かされるように歩いている。
のんびりした空気の流れる私の住む街とはまさに対照的だった。
その街の街づくりの一環なのかどうかはわからないけど、やけにいたるところに桜の木が植えてあることに気付いて、素直にその疑問を叔父にぶつければ、「この街は「桜国」って呼ばれてるだ。国指定の天然記念物の桜があるからだろうな。小学校にも中学校にも、もちろん高校にも校庭にはびっちり桜が植わっていて、少し遠いけど見事な桜土手もあるぞ。ちょうど今頃は満開だろうな。週末まで花が残っていたら、一緒に花見に行こうな」と、ついでに土手の場所とおすすめの花見ポイントも教えてくれた。
見た目が変わった私にも叔父と叔母は変わらず優しくて、それが14歳の私にとってどれほど嬉しかったことか。
その温かさを素直に喜べたこと、その点についてはあの頃の自分を唯一褒め称えてやれる。
無邪気にはしゃいで毎日桜土手に向かう私をやはり温かい眼差しで見つめてくれた叔母はもうこの世にはいない。伝えたかった感謝の気持ちの半分も言葉にはできないまま、抗がん剤を最後まで拒否し続けた叔母は痛みをマヒさせる薬の効いた身体で、眠るように逝ってしまった。三年前の、夏のことだ。
あの頃の叔母はまさかそんな未来が待っているとは想像もできない程に元気で、毎日スーパーにレジ打ちのパートに出ていた。
昼間一人になってしまう私に、おいしいお弁当を朝早くから作ってくれて、それを持って叔母に借りた自転車で毎日桜土手に走った。知り合いのいないこの街では、隠れるように暮らす必要はなくて。それをわかっているからこそ、両親は私をここへ連れてきたのかもしれない。久しぶりに感じるの外の空気は、意外な程に気持ちよかったのを覚えている。
アップダウンの激しい道のりを経て、自転車で約30分。
私の街のお花見スポットとは、似ても似つかないほど、たくさんの、見事な桜が咲き乱れていた。
小高い遊歩道から少し傾斜した道路脇に植わる、立派な幹の桜達。その遊歩道を挟んでちょうど反対側には一面整備された芝生が広がっていて、さらに奥には大きな川が流れている。
私が桜土手に初めて訪れたその日は、叔父の行った通り桜の花びら達はまさに満開を向かえていた。
その頃世間は春休みで、集団でお花見を楽しんでいる同じ年頃の子達や、昼間からビールで乾杯している大学生達がたくさんいた。避けるように、隠れるようにして、叔父の教えてくれたとっておきの花見ポイントを探した。ドキドキとワクワクと焦燥といろんなものが入り混じった不思議な感情を胸の奥底に携えて。
長く伸びる遊歩道をひたすら歩くと目印は割と簡単に見つかって、今度は遊歩道から少し傾斜を下る。そこへレジャーシートを広げて腰を下ろせば、今まで見たこともない幻想的な景色が視界を伝って一気に脳内に流れ込んできた。
一直線に植わっている桜の木は、道路脇に植えられていることもあって、桜の木の下で花見をしたければ、おのずと民家も一緒に視界に入る。
だけど叔父の教えてくれたこのポイントでは、ちょうど重なり合った満開の桜の花びらが民家を覆い隠してくれる。ピンク色のルーバーのようだった。隠しているのは、民家なのか、私なのか、それはよくわからなかったけど。
目に入るのはどこまでも続く桜と、抜けるような青い空。
土手を覆う草の緑も、桜の幹の茶色も、視界に広がる全ての色が鮮やかなコントラストを描いた。
なぜかふいに涙が浮かんできて、慌てて体育座りをして膝とおでこを摺り合わせたのがまるで昨日のことのよう。
荒んだ心に、美しすぎる景色が染みた。
喧騒はやけに遠くて、頬を撫でる風が暖かかった。
そう。ちょうど今と同じように暖かい風があの頃も吹いていた。
私のお尻の下に敷かれているのは、叔母の持たせてくれたレジャーシートではないし、あのおいしいお弁当はもう食べることができないけれど。
いつだってこの場所だけは変わらない。どんなに街並みが変わってしまっても、そこに居るはずだっ人が居なくなってしまっても、私がどれだけ年を重ねても。
ここに来るといつだって泣きたくなる。あの頃のように、体育座りをして、膝とおでこを擦り合わせて涙を堪えるんだ。
14歳の春、3月の最終週。文字通り満開の桜の下、ここで、私は君に出逢った――――――。
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