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雪花 作者:ぴよこ
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Sweet memory~The 1st day~

ここから、過去のお話になります。
「綺麗…」

言葉に出してみると、尚更美しさが増すような気がするのはなぜだろう。
空に舞う花びらを視界いっぱい収めたくて、借りてきたレジャーシートの上に、仰向けになって思い切り寝転ぶ。
立派に連なる満開の桜ももちろん綺麗だけど、青い空に舞い上がるピンク色の花びらはもっと綺麗だ。なんて贅沢。

お昼になったら、まり子さんもきっと休憩になるはず。あとで電話しよう。そう決めてから携帯電話で時間を確認する。

お父さんに無理やり持たされたこのピンク色の携帯電話には、実家の番号とお父さんとお母さんの携帯の番号、それから叔父である(いさむ)くんと、叔母のまり子さん、それぞれの携帯の番号しか登録されていない。

学校に行かなくなってから持たされたから、もちろん友達の番号なんて知らない。
そもそも携帯電話を持っている子自体が少ない。
友達…。友達、だったはずだけど、今は違うんだろうな。今の私には友達なんかいない。

嫌なことを思い出して、両手で顔を覆う。
私にだってわかってるんだよ。こんな状態、いつまでも続けていたって仕方ないって。だけどどうしたらいいかわからないの。私、これから何をして生きていけばいいの…?

もう何百回も自分自身に問いかけているその質問の答えは、いつになっても見つかりそうにない。私を置いて、季節も時間もどんどん過ぎていく。
いつになったらこの暗いトンネルから抜け出せるのだろう。縋るような気持ちで開けたピアスには、なんの効果もなかった。

「はぁ~…」

周囲に誰もいないことは確認済み。独り言を言っても、盛大にため息をついても変に思われることはない。
顔を覆っていた手をどかして、もう一度空を見上げる。抜けるような青い空には、雲はひとつもない。温かい風が心地いい。
目を閉じて、春の香りを肺いっぱいに吸い込む。

気持ちいいなぁ。もう私、ずっとここにいたい…。

「あれ?」

「!?」

思考にふけっていたので、唐突に響いた声に飛び上がるほどびっくりした。
飛び上がる、とまでは行かないけど仰向けの体を猛スピードで起こす。そのままの勢いで声のする方を向けば、そこには同じくらいの年の男の子が眉をハの字に垂らして、見るからに残念オーラを撒き散らしつつ立っていた。

「なぁ!俺も隣に座っていい?ここからの景色、最高だよな〜!」

一瞬前の表情は気のせいだったのかと思うほど、今度は満面の笑みで私に話しかけてくる。
も、もう座ってるじゃん!!まだいいって言ってないけど!!

「よっ」と言いながらレジャーシートの端に腰を降ろして、いそいそと靴を脱ぎ始めた。
私にとっては予想外の行動を、さも当然と言わんばかりにしていくので、黙ったまま何も言えずにその様子を見守ってしまう。本当は聞きたい。あなた誰!

「今年は咲くの早かったな」

「…………。」

この辺の桜の開花時期なんて知らないよ!
と、心の中では思いながらも声には出せない。
どうしよう。どうしよう、緊張する。家族以外と話すの、いつぶりだろう!どうしよう…!

「ん?なぁ、聞いてる?」

だんまりの私を不思議に思ったのか、自身の右手を私の顔の前でヒラヒラさせて、返事を催促している。
いきなり近づいてきた手と、初めて真正面から見たその子の顔に、二度驚いてしまった私は、前屈み気味になっていた上半身を脱兎のごとく思い切り後ろに引いてしまった。

「…………。」

今度はその子もびっくりした表情のまま口を噤んでいる。い、いや、別に嫌だったわけじゃなくて、びっくりしただけなんだけど、だってすごい綺麗な顔!うちの中学校で一番モテるらしい男子より数百倍綺麗!なにこの子!え、芸能人!?ジャ○ーズ!?顔ちいさい!目がでっかい!鼻高い!

あまりにもお粗末な表現かもしれないけと、何物にも形容しがたい程にその姿は美しかった。少し離れた距離を保ったまま、向こうもまだびっくり顔で固まっている。

ざぁぁ―――――――――!

桜の枝がミシミシと音をたてて歪んで、吹いた風の強さを知らせた。引っ張られるように靡いた自分の髪を左手で押さえると、金色の髪が目に刺さるように映る。この色は綺麗な景色に全くそぐはない。
この地域特有のその風はあっという間にあたりの花びらを散らして一瞬のうちに去っていった。

花びらが、空から落ちてくる。
狂ったように宙を待って、不規則にひらり、ひらりと降り注ぐ。
青い空から注ぐピンクのそれはまるで…。

「「雪みたい」」

思わず口に出して呟いた声が、ぴったりと重なった。
空に向いていた目線を元に戻すと、その子も同じように視線を私に向ける。

ふっと笑みをもらしてから、「すげぇ!」と、今度ははしゃぎだした。私に手を伸ばすために四つん這いような体制のまま固まっていた体を、どしんとお尻から崩して足をジタバタさせている。
な、なんなの…?思わず首を傾げれば、男の子は誇らしげに顎をしゃくった。

「俺、お前とは仲良くなれそう!てか仲良くしたい!!」

ものすごい破壊力のある笑顔を一点のくもりもない瞳と共に向けられて、眩しさで眩暈がする…。その眩しさ、心染みるからやめて欲しい。

「お前、じゃない…」

「え?なになに?」

ようやく会話が成立することが嬉しかったらしい。身を乗り出すようにしてからお尻をズズッと移動させ開いていた距離をどんどん近付てくる。
好奇心丸出しの表情。この子、きっと学校で人気者なんだろうな。嫌われたことなんてなさそう。誰とでも仲良くなれるって信じてるんだ…。
ほの暗い考えに支配されていることにはすぐに気付いたけど、だからといってそれを修正する力は持ち合わせていなかった。

「私、お前って呼ばれるの嫌い。別にあなたと仲良くしたいとも思わない」

下を向いて一気に言った。傷付いた表情も、呆れた表情も、もう見たくない。もう嫌なんだ。どうせいなくなるなら、最初からいない方がいい。
負の感情を向けられるのは覚悟の上だっだ。前半部分は本当のことだけど、後半は真っ赤な嘘。本当は、久しぶりに掛けられた声は嬉しかった。…でも。

「えー、俺は仲良くしたいな〜。お前って呼んだのは謝るからさぁ!名前教えてよ!」

「………ッ!」

あまりにも予想外の反応に目を見開いて驚けば、当の本人はニコニコ笑いながら私の言葉を待っている。
嫌な顔をされて当然なはずの態度。なのに、それを微塵も感じさせず、当てつけのように擦り付けられたはずの非をなんの険もなく詫びた。
まずい。涙出そう。
そう思った時には、私の目には涙がすでに溜まり始めていたらしい。

「あ〜!ご、ごめん!そんなに嫌だった!?悪かったよ!泣くなって!!俺もう行くからさ!!な!?」

甲高い声を上げて、焦りながら脱いでいた靴に足を突っ込んでいるその子は、どうやら自分のせいで私を泣かせてしまったと誤解しているようだ。違う!! そう叫びたかったけど、今何かを口から発したら、必死に耐えている涙の防波堤が決壊しそうでできなかった。そうこうしているうちに立ち上がって、土手を小走りで登って行ってしまう。

「ユ、ユキ!鳴沢ユキ!」

上擦った声が花びらと共に宙に舞う。
意気地なしの私がしたことは、涙まじりの声で自分の名前を叫ぶ、というなんとも間の抜けた行為だった。

叫んだ声が木霊したあとに、その子の足音がぴったり止んだのを確認してから、脳内で自分自身を叱咤する。止まった位置で振り向いてから、こちらの様子を伺っている戸惑いの表情に向かって、勇気を出してもう一言。

「ご…めん!泣いたのは、恥ずかしくて…」

口を開いた私の目からは涙が溢れていて、慌てて手のひらで顔を覆う。
恥ずかしかった。卑屈な自分が。ただそれだけ。あなたのせいじゃない、そう意味を込めて呟いたけど、目の前の男の子は腕を組んで小難しい顔をしている。
それから今度はゆっくりと土手を降りて来て、先ほど座っていた位置に腰を再び降ろす。靴は履いたままだった。

「もしかして、極度の人見知りなの?」

目が点になる、というのを自分の身を以てして初めて体感した。
真剣な眼差しで私を見つめているこの男の子は、ひとしきり悩んだ後、私を「極度の人見知り」と定義付けたようだった。へにゃり、と歪む口元を堪えられない。私はそれに素直に従った。

「ふ…あはははは!」

「なんで笑うんだよー!」

「はは…ッ、あははは!」

拗ねたような顔が更におかしい!元々笑い上戸を自負する私は、お腹を抱えて、羞恥の涙が笑いのそれに変わるまで笑い続けた。目尻に貯まった水分を人差し指で脱ぐうと、すっと大きな手が頭上に伸びてくる。

「よくわかんねぇけど…泣き止んでよかった」

にっこり微笑んだ後、私に伸ばした手の反対の手のひらに桜の花を乗せる。
さきほど舞っていた花びらだろうか。いつからついてたんだろう、虚勢張りながら頭に花びら咲かせてたとしたら相当恥ずかしいな、と地味に落ち込んで俯いていると、靴を脱いで胡座をかいたその子が、ひだまりのような声で私に言った。

「俺、谷口陽斗(はると)!よろしくな!」

満開の桜に負けないほど、綺麗な笑顔を浮かべた「はると」という名前の男の子に、私は思わず顔を赤らめてしまった。なんて、綺麗に笑うんだろう。こんな綺麗な男の子、見たことがない。
ドキドキとうるさい心臓を押さえてから、温かい空気を思い切り吸い込む。一言言葉発するのにこんなに気合いが必要だったっけ。久しぶりの身内以外とのおしゃべりは、予想外に体力を消費する。

「さっきは、ごめんね…あの、泣いたのは、自分が恥ずかしかったからで、」

「いーって!気にすんなよ!」

「あ、ありがと…」

「なぁ、ゆきってどういう字書くの?」

「あ、名前?カタカナで、ユキ」

「へ〜!なんかぴったりだな!ユキって呼んでいい?俺のことも、陽斗って呼んで!」

「はる、と」

「うん!ちなみに漢字は太陽の陽に北斗七星の斗だ!」

誇らしげの言うその顔はかわいい。コロコロ表情を変える陽斗は、見ているだけでも気持ちが明るくなるから不思議。あったかくて、柔らかい。声も、その表情も、まるで春の日差しのよう。名前がぴったりなのは、陽斗の方だ。

「ユキ、その頭って自前?」

「ううん。えと、染めてるの…」

色素の薄いらしい陽斗の髪の毛は、太陽の光で反射して薄茶色に輝いていた。自然の輝きだからこそ綺麗に感じて、真っ金金に染められた自分の髪の毛がすごく下品に思えた。胸上まで伸びている髪の毛を、視界に入らないように片手で首の後ろでひとつにまとめる。ゴムは持っていないから、すぐほどけちゃうだろうけど。変わりたくてやったことなのに、精一杯の自己表現もこの有り様。本当に、私なにやってるんだろう…。

「すっげぇいい色!俺もやりたいな〜」

男の子にしては少し長いさらさらの髪の毛に手をやりながら、陽斗が言った。ふんわりと優しい風が吹いて、お互いの髪の毛がゆっきりと靡く。さっきの突風のような風と、正反対の温かい風だった。

「き、きれいなのに、染めたらもったいないよ」

「そうかぁ?ユキの髪の方がキレイだけどなぁ!サラッサラの金色!」

「そんなことない…。元々は真っ黒だから、なかなか色が抜けなくて何回もブリーチしてて…痛んじゃってるし」

「え!元は真っ黒なの!?」

「うん」

「想像つかねぇなぁ!そっか!春休み限定ってことか!ユキ、ヤンキーって感じじゃないし」

「ヤ、ヤンキー?」

「おう。最初転がってるユキを見たときは、外人かと思ったんだけどさぁ」

「ヤンキー…外人…」

やっぱりこの髪の色はどうやっても不自然てことか。
もう胸元に戻ってきてしまった髪を一房つかんで目線の高さまで持ち上げる。元々猫っ毛なうえに、細くて柔らかい髪質だ。
…あぁ、枝毛だらけ。ムチャなブリーチを繰り返したんだもん、当然だよね。

「俺、今度中3になるんだけど、ユキは?」

「あ、同い年…」


「同い年かぁ〜!中学どこ?」

「私ここ地元じゃなくて…親戚のところに一週間だけ遊びに来てるの。」

「そっか!このへん中学校4つあるからさ。知らない奴の方が多いんだよね」

「4つ!?」

「うん。そんなに驚くことかぁ?」

…都会っ子にはこの衝撃はわかるまい。と思ったけど、それは口に出さなかった。
私の地元には小学校も中学校もひとつだけ。もちろん持ち上がりだからメンバーも全然変わらないし、必然的に街中の子が顔見知りになる。同い年なら尚更だ。私は私立の中学校に通ってるけど、もし持ち上がりで公立の中学校に行っていたら、こんなことにはならなかったかな…。ううん、そんなの考えても仕方ない。今の学校に行くことを決めたのは私なんだから。 軽く頭を振って、すぐに湧き出てくる嫌な感情を払拭する。

「私の地元には、中学校1つだけだから、驚いちゃって。都会はすごいね」

無難に言葉を返せば、心底不思議そうな顔で陽斗は首を傾げた。

「都会?このへんだって田舎だろ。」

「いやいやいや。都会の人のセリフです、それ」

「なんだよー!じゃあユキの住んでるとこってどんな感じなの?」

「うーん…。こ、こんなに人がいない。」

「それで?」

「こんなにたくさんコンビニもない。」

「うんうん」

「ちょっと行けば山もあるし…」

「山!?猿とかいる!?」

「うん。しょっちゅう遭遇するよ」

「すげぇ〜!あとはあとは!?」

もともと輝いている瞳を、さらにキラキラと瞬かせて、陽斗は私にたくさんの質問をした。
私の話のどこがそんなにすごいのかよくわからないけど、とにかく「すげぇ!」を連発する。新鮮なのかな。私だって陽斗の話は新鮮だけど。クルクルと変わる陽斗の表情がやっぱり楽しい。会話が途切れることはなくて、私は声が枯れるまで話した。大声は出し慣れているはずだけど、やっぱりずっと喉を使っていなかったからなぁ。こんなに声を上げて笑ったの、いつぶりだろう…。


あっという間に時間はたって、いつの間にか空の色が変わり始めていた。都会の空の色は薄い。それは物心ついてから、ほとんど家と学校の往復しか記憶にない私にとって初めて見る色だった。お正月でさえ、親戚とはもう何年も顔を合わせていなかったし、前にこの街に来たのは、覚えてない程に小さい頃のことだ。生きがいを、見つける前のこと。

「さすがに寒くなってきたなぁ」

「私、そろそろ帰らなきゃ。」

昼間は暖かくても、日が落ちると一気に気温が下がる。雪国育ちの私にとっては寒さを感じるほどではなかったけれど、陽斗は寒そうだ。そろそろまり子さんがパートから帰ってくる時間だし、夕飯の手伝いくらいはしたい。陽斗とのことも、まり子さんに話したいな。あ、お弁当結局食べそびれちゃった。

「なぁ。明日もここに来る?」

「うん。ここ気に入っちゃった。地元にはこんなに桜咲いてるところないし、毎日通っちゃいそう」

「桜ないの!?」

まだまだ話が続きそうな陽斗の様子に、思わず苦笑する。もちろんいい意味で。するとそれに気付いた陽斗が、「ごめん。早く帰らなきゃだよな」と慌てて靴を履きはじめた。

「ううん。もう少しなら大丈夫だよ」

「でももう暗くなるし。昼間は平気だけど、夕方になるとこの土手痴漢出るんだよ。気をつけろよ」

「そうなんだ。気をつけるね」

「うん。地元にはいつ帰るの?」

「日曜日には帰る予定だよ」

「それまで毎日ここに来る?」

「土曜日は叔父さん達がお休みだからわからないけど、平日は多分来ると思う」

「じゃあ、じゃあさ!俺も毎日来てもいい!?」

「えっ!?」

ウエスタンブーツに突っ込みかけた足が、思わず止まってしまった。ついでに無意識に陽斗の方を向く。靴をすでに履き終わって、立ち上がってこちらを見る陽斗の髪が夕焼けに照らされて、今度は真っ赤に燃えていた。心なしか顔も同じ色に染まっている気がする。夕焼けのせいかな…。

「せっかく友達になれたんだし、地元に帰るまで一緒に遊ぼうぜ!」

「とも、だち?」

「うん!あ、嫌なら無理にとは言わないけど!」

「でも、陽斗だって地元の友達がいるでしょう?友達多そうだし…」

込み上げてくる思いに必死にブレーキをかける。
毎日なんて言ってるけど、田舎っ子の物珍しさに飽きたら来なくなるかもしれないじゃない。また傷つくんだよ?いいの?
そう、もう1人の私がそっと囁くから素直に嬉しいとは言えなかった。本当は嬉しい。すごく、すごく嬉しい。
「友達」。男の子と話すのは苦手というか楽しいと感じないので、学校の用事以外で話すことはない。正直話しかけられても鬱陶しいと思ってしまうことが多かった。陽斗が初めてだった。男の子でこんなにたくさん話したのも、一緒にいて楽しいと思ったのも、また明日も会えたらいいな、と感じたのも。
だからこそ、明日もしも陽斗が来なかったら、きっと私はショックを受けるであろうという変な自信があった。それなら最初から約束なんかしない方がマシだ。

「遊ぶ約束とか、予定は全然ないけど?まぁ奴らが勝手にうちに来る可能性はあるけど、ここなら誰にも邪魔されないしさ!」

いや、そういう問題じゃ…。
なんかちょっと論点がズれてるよね。それすらおもしろいんだけど。

「でも、私みたいのと一緒にいると、陽斗に迷惑かかると思うし…」

止まっていた足をなんとか動かして、ブーツを履いた。
私が「友達」だと思っていた子達は、私が髪を染めた瞬間みんな離れていった。先生や先輩達に私といると目をつけられるということが理由らしい。唯一「友達」とは違う、いつも一緒に頑張ってきた優しい「仲間」達は最後まで励まし続けてくれたけど、たまたま教室で立ち聞いてしまったその理由を知ってからは、「仲間」にも迷惑が及ぶことが怖くなって自分から距離をとった。陽斗も、そうなったらと思うと怖い。今日会ったばかりだけど、もう自分のせいで誰かが乏されるのは嫌だ。

レジャーシートを畳んで、バックにしまう。まり子さんに借りたエコバックは、持ち手がかわいいレース模様で一目で気に入った。そうだ。まり子さんや勇くんにだって、私みたいのが出入りしていたら迷惑がかかるかもしれないんだ。うちの両親のように、近所の人に何て言われるか…。
どんどん下降していく気持ちは、滑り台を滑り降りるようにさらに先へと下がっていく。底なしの暗い感情。滑り出すと止まれない。元々の、明るい楽天的な思考の私なんて、一瞬にして消されてしまう。負の感情が、怖い。

「は?なんで?」

立ち上がった私に、陽斗は声をかけた。土手は足場が悪い。フラフラしている私を見てから、クスリと笑った陽斗は先に遊歩道まで登って行く。

「ユキ、なんか気にしてんの?」

「………。」
なんとか足を踏ん張って、よろめくのを堪えれば、右足に鈍い痛みが走る。リハビリを怠った後遺症だ。ずばりな質問にも答えられなくて俯いていると、土手を登りきった陽斗が私を見て笑った。

「今時髪の毛染めてる奴なんかたくさんいるだろ。俺の友達なんてほとんど茶髪か金髪だけど?春休みだから尚更多いよ」

「え…?」

「ユキの地元じゃ珍しいの?」

「私の学校には、いないけど…」

「ユキが心配そうだから言っとくけど、このへんじゃ普通だよ。女子だって染めてる奴たくさんいる」

「そうなの…?」

「うん。まぁ悪く言う人もいるけどさ。関係ねぇじゃん、そんなの。自分がどうしたいかどうかだろ。俺はユキと明日も会いたい。今日、すげぇ楽しかった!」

「…………!」

ダメだ。また泣く。
俯いて涙を必死に耐えて、痛む足で一気に土手を登る。体ふたつ分ほど離れて陽斗の前に立つと、陽斗の綺麗な顔がちょうど目線の先にあった。
信じてみよう。もう一度だけ。もう、もう1人の私の囁きは聞こえない。もしかしたら、また立ち上がる力だってもらえるかもしれない。
陽斗なら。

「私も、今日すごく楽しかった。明日も遊びたい!」

喜びに顔を綻ばせて、素直にそう伝えれば陽斗の顔は夕焼けのそれよりも赤く染まっていく。

「お、おう!明日から毎日、ここで花見だ!もし雨が降ったら街中案内してやるよ!」

そう叫ぶと、くるりと背中を向けて遊歩道を歩き出したので、私もそれについて行く。
照らす光の色が変わっても、桜の花は美しかった。お花見をする人の年齢層も昼間とは変わっている。私たちと同じくらいの年齢の子たちは、みんな帰り支度をして土手を下っていく。これからは大人の時間だ。

川沿いには小学生の男の子と女の子が何人かいて、代わる代わる川に石を投げていた。水面を何回石が跳ねるかを競っているんだろう。あれ、実は私すごい得意なんだよね。負けたことないもん。久々にやってみたいななんて思いながら眺めていると、その中のひとりが、突然振り向いて、こちらを指差してから大きく手を振った。

「兄ちゃーん!!!!」
「おー!」

はしゃぎながら叫ばれた声に応えたのは陽斗。あれ、もしかして。手を振り返す陽斗に小走りで近づいてから、声をかける。

「あの子、弟さん?」

「そう、弟。ったくこんな時間まで川沿いにいたら危ねぇのに…。あいつの隣にいるのが、未来の妹」

「未来の?」

「うん。家が隣で、宥斗の幼なじみなんだけど、いっつも2人で一緒にいてさ。あいつらは絶対にくっつくと思うんだよなー!まぁ今だって妹みたいなもんだけど」

「ふふっ。楽しみだね。」

「あっ!また水切り始めやがった。宥斗ー!!紗衣ー!!早く家帰れよ!夕飯全部食っちゃうぞー!!!」

後半は、川の方に向かって叫ぶ。心配そうに声をかけるその顔はお兄ちゃんそのもので。一人っ子の私は、少しだけ兄弟がいることを羨ましく思った。それ以上に、仲の良さそうな光景が微笑ましい。陽斗、きっと優しいお兄ちゃんなんだろうな。

「兄ちゃーん!!デート〜!!??」

「ばっ…!うるせぇ!!早く帰れ!!!!!」

「わかった〜!!!!先に帰って母ちゃんに報告しとく〜!!!!!」

「宥斗っ!!!!!」

もう一度陽斗が叫ぶと、小学生集団はきゃはははと笑い声を上げながらものすごい速さで川沿いを駆け抜けていく。大きな石だらけのそこをどうしたらあんなスピードで走れるんだろう。みるみるうちに笑い声までもが遠ざかっていく。

「マセガキめ!帰ったらシメてやるっ!」

…耳まで真っ赤だよ、陽斗。夕焼けのせいじゃないよね。

叔父と叔母の家に来て1日目。
私に、生まれて初めての「男友達」ができた。
+注意+
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