挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
君の還る場所(RIKU・4) 作者:北川ライム
5/16

第5話 動き出した暗雲

急に降り出した雨に鬱陶しそうに顔を歪めながら、男は古びた木製枠の小窓を閉めた。
今は使われていない昭和の忘れ物のようなその狭いバーは、壁の木材の至る所がはげ落ちている。
日の光を浴びるのを躊躇うやから達には格好の溜まり場となっていた。

はだか電球の薄暗い光の中に浮かび上がった3人の男女は、いずれも朦朧とした目で、
中綿のはみ出したソファやスツールに身を沈めている。
灰皿にまだくすぶる非合法なタバコは、甘酸っぱい匂いを漂わせながら彼らの脳を痺れさせていた。

3人のうちの一人は髪を金色に染めた肌のくすんだ不健康そうな20代半ばの女だった。
名をアサミ。
手に持ったブルーの携帯を、閉じたり開いたりしながら弄んでいる。

二人の男のうち、ブリーチをかけた短髪の背の低い方が、女の手からその携帯をもぎ取った。
「なにすんのよ、孝也たかや
「なあ、これって本当に、あの男のか?」
孝也は携帯を眺めながら、アサミにじろりと視線を投げた。
「ああ、きっとね。今朝念のためにあそこに行って見たら、それが転がってたから。石段の角に」
「どうする?」
「どうするって? 何が」
「ぜってー、見られたよな。あの男に」
「まあ、見られたかもね。目え開けてたし」
「どうすんだよ。やばいって」
「仕方ないじゃん。殺る時間無かったんだからさ。・・・ねえ、アキラ」
アサミは、スツールに座る背の高いもう一人の男を見上げた。

「死んだんじゃね? あの男」
口の端で笑いながらその男は言った。3人の中で一番主導権を持っているらしいアキラ。
左の首筋に、紫の蝶のタトゥーが毒々しく貼り付いている。
「あの急な石段から落ちたんだろ。運ばれてったけど、ダメだったんじゃねえ?」
更に笑う。

「死んでくれてたらいいのになあ」
アサミが面倒くさそうにつぶやいて、孝也の手の中のブルーの携帯に、濁った目を向けた。
部屋に充満する乾燥大麻の煙が、その空間も、3人の精神も体も、濁らせて歪めて行くようだった。

時折メールを受信するその青い携帯だけが、捕らわれた小動物のように健全な世界へ返して欲しいと無言で抗議し、彼らの手の中で震えた。


        ◇

「まったく、人使いが荒いんだからー、長谷川さんは」
多恵はブツブツ文句を言いながら、分厚い洋書や写真集の束をドサリと長谷川のデスクの上に乱暴に置いた。
入社して以来コピー取りや雑用ばかりさせられて多恵はうんざりしていた。
一度ちゃんとほかの先輩について仕事がしたいとぼやいた事があるが、そう言う雑用も大事なんだと軽くあしらわれた。
一度先輩社員の松川に「菊池さん、あんた長谷川さんに意見するなんて度胸あるねえ」と感心するように言われたが、逆に多恵は、長谷川の何が怖いのか良く分からなかった。

山積みに置いた書籍や雑誌の山が崩れ落ちそうになったのを、慌てて多恵は押さえた。
それを見計らったようにデスクに置いたままになっていた長谷川の携帯がブルブルと震えて着信を知らせて来た。
液晶の小窓をチラリと覗くと、そこには『玉城』と表示されている。
「あ、玉城先輩だ」
多恵は雑誌を押さえていた左手を放し、躊躇することもなく携帯を取って通話ボタンを押した。
この現状を玉城にボヤキたかったのだ。

「は~い。長谷川で~す。なんちゃって」
相手が玉城なら気遣うこともない。多恵はワザとふざけてみた。
けれど一瞬の沈黙のあと、玉城とは全く別の声が聞こえてきた。

「あ、すみません。長谷川さんですか?」
聞き覚えのない男の声に、多恵は首をかしげる。
「あれ? 玉城先輩じゃないの? どうして・・・・あ! そう言えば昨日先輩、携帯無くしたって言ってたわ」
「ああ、やはり。これは玉城さんの携帯なんですね。実はつい先程、神社の階段の下でこれを見つけまして。本人に親しい方に繋がればと思い、着信履歴を辿って掛けさせて貰ったんです。携帯無くすとお困りでしょうからね」
「あらー。そうなんですか? それはご親切に」
「ご本人にお渡ししたいんですが、玉城さんは・・・・」
「ああ、そうか、本人には連絡取れないですもんねえ。えーーと、今朝はリクの所なんじゃないかしら。昨日ちらっと言ってたから。アドレスに『リク』って名前ないかしら。そこに掛けたらきっと玉城先輩もいるはずですよ」
「そうですか。どうもありがとうございます。では、失礼します」
「いえいえ。お世話様ーー」
そこで電話は切れた。

世の中には馬鹿みたいに親切な人もいるもんなのねえと、半ば呆れ気味に多恵は携帯をパタンと閉じる。
その拍子に手がはずれ、辛うじて押さえていた雑誌の山が雪崩のようにどさどさと足元に崩れ落ちてきた。
「もう! まったく、やんなっちゃう」
他の社員が出払った編集室で、多恵はひとり発憤した。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ