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3. 新しいスタイル
井沢はこの前会った時とは違う髪形をしていた。スタイリストなだけあって、ちょっと崩れた髪型なのに様になっていた。
「……こんちは」
あたしが小さくつぶやくと、それを引き継ぐように井沢優香が口を開いた。
「真紀だよ、兄貴。ほら、兄貴がカットした……」
「もちろん覚えているよ。そっか、いらっしゃい」
井沢はフワリとつかみどころのない微笑を浮かべると、手にした鞄を無造作に床に置いた。
「今日は真紀ちゃんもお夕飯に誘ったのよ。今夜はエビフライと中華風スープだから」
おばさんは鼻歌交じりに台所にひっこんだ。残されたあたしと井沢兄妹の三人は、お互いの顔を見合ってなんとなく一瞬会話が途切れてしまった。
すると井沢優香が「あ、そうだ」と、なにか思い出したような声を上げた。
「スマホの充電切れそうだったんだ。すぐ戻るから真紀、ちょっとごめんね」
「……いいけど」
「兄貴、あとはよろしくね」
そう言い残すと、井沢優香は意味深な笑顔を浮かべてリビングを出て行ってしまった。その後姿をながめながら、あたしはやれやれとため息をついた。
「気を利かせたつもりだぜ、あれ」
「なんのこと?」
一瞬、井沢兄の表情に動揺の色が走ったようにみえた。
「さあね。なんか誤解されてるみたい」
「誤解じゃないかもよ?」
頬杖ついて身を乗り出してくる男の顔をにらみつける。
「ナンパな野郎だな、お前」
「せっかくカワイクしてあげたのに。相変わらず乱暴な言葉づかいだね」
「悪いかよ」
そっぽむくと、隣からクスクス笑う声が聞こえた。
「野良猫みたいに気が強くて、ちっとも懐きもなびきそうにもない感じだなあ」
勝手な意見を聞くともなしに聞いていたが、なんだか背中がこそばゆい。なにか一言言ってやろうと振り返ると、思いがけずに真剣なまなざしにぶつかった。
「そういうところが気になるんだ」
「……」
なにも言い返せなかった。
夕食をごちそうになり、そろそろ家へ帰る頃になると、
「じゃあ送っていくよ」
と当然のように井沢に言われて面食らった。
「いいよ」
「いいはずないでしょ。外はもう真っ暗だから女の子をひとりで歩かせるわけにはいかないって」
強引に押し切られ、駅まで送ってもらうことになった。すっかり葉桜になってしまった街路樹の横を通りすぎていく。
「桜の季節も終わりか……なんか残念だね」
「あっそ」
そっけない返事をすると、
「真紀ちゃんは春が嫌い?」
「……だって春は風が強いし雨も降るし、天候だってちっとも良くねーし」
「確かにせっかく髪をセットしても、強風と湿気で台無しになっちゃうな。ほら、風が出てきた……」
井沢の手がのびて、自然と髪に触れられた。でもそれは一瞬で、離された指先には薄紅色の小さな切れ端があった。
「ね? 桜の花びらが髪に引っかかっていた」
掠れた声が甘く響いて、胸の奥がザワリと波立った。井沢の背にも桜の花びらが舞っていて、ちょっとわざとらしいくらいロマンティックな場面に映った。
「さ、行こうか」
背中を向ける井沢に、数歩遅れてソロソロと歩き出す。息をつめるような、妙な緊張感が生まれていた。井沢は色んな事を好き勝手に喋っていて、それを後ろで黙って聞いているあたし。
翌日、学校で井沢優香にお礼を言われた。
「昨日は家に来てくれてありがとね。ママも兄貴もすっごく喜んでいたよ」
お礼を言うのはあたしのほうなのに、変なヤツ。それとも、普通はみんなこうなのかな?
「優香のお母さんって、料理美味いな」
「ありがとう、ママに伝えておくね。きっと喜んで『毎週連れてらっしゃい』って言うわよ」
「そっか」
うれしくて、なんだか自然に笑っていた。優香とおしゃべりしていると、ふとしたことからよく笑うようになった。以前のあたしからは考えられなかった。
だからだろうか、近ごろは優香以外にも友達が増えた気がする。『前は怖そうで話しかけられなかった』っていうヤツラが、普通に話しかけてくるようになった。
本当はずっと不安だった……新しい学校で上手くやっていけるかって。
あたしが唯一弱音を吐いたのは、実は髪を切りに行ったあの日。髪を切っていたあの井沢に、つい口をすべらした。
あの日、あたしは美容院の鏡の前で、さいごの見納めとばかり自分のボロボロになった金髪をながめて押し黙っていた。
「すいぶんブリーチかけたね。相当髪が痛んでいるな。カラーならともかく、ブリーチは当分やらないほうが髪のためにはいいね」
「……当分じゃなくって、もうやらねーよ」
「どうして?」
あたしは自嘲気味な笑いを浮かべた。
「あたしのこの髪、皆怖いって。クラスの連中が寄ってこないからさ」
「んー……」
困ったようななんとも言えない顔の井沢に、あたしはあわてて、
「でもこの髪にしたことは後悔してねーよ。このスタイルにはそれなりの世界があってさ、あたしはそこで好き勝手気ままにやれたし。でも、今日で止める事にも後悔してないんだ」
「じゃあ今日から新しいスタイルで、新しい生活が始まるんだね」
井沢はちゃかす風でもなく、至極真面目な顔であたしの髪をひょいっとつまんだ。
「じゃあ、これでお別れ。いいかな?」
「……ああ」
とうとう切り落とされた。長い金色の房が床へと散らばっていった。まるで秋に葉を散らす木の葉のようで、どこかうら寂しい気持ちに駆られてしまう。
「それで、新しい生活でどんなことを始めたいの?」
切り続けながら井沢が問うので、
「そうだな……今まで会ったこともないタイプの連中と、うまくやっていきたい。アンタみたいなのが、いっぱいいそうな場所で……」
でも、不安で。
「大丈夫、きっとうまくやれるよ」
単純な励ましに、胸が熱くなった。
思い出すと、どうしようもなく顔が熱くなってしまう。どうしてあんなこと、コイツに言っちゃったんだろう……。
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