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その1
あらすじにも記載しておりますように、このお話は設定だけの名探偵であり、ミステリもなく推理も行いません。
イメージとして、ミステリ系の日常パートです。
以上を踏まえた上でご覧頂けますと幸いです。
シュウちゃんは名探偵だ。
わずかな情報で謎を解き明かし、どんな難事件だって話を聞くだけで解決してしまう。シュウちゃんに根性論や現場論は通用しない。いつだってシュウちゃんは、一歩も動かず、事件の話を聞くだけでその真相に辿りつく。
けれど、シュウちゃんの推理が真実であると証明する為には、時には現場に赴いて証拠を収集しなければならないときがある。そんなとき、シュウちゃんの代わりに聞き込みや張り込み、証拠収集をするのが、私の役目だ。
私はいつも通り、大学病院の一際上等な個室の扉を無遠慮に開け放つ。
「シュウちゃん、シュウちゃんの言った通り、現場周辺に通う猫がいたよ」
私には、猫がどう事件に関わるのか、さっぱり見当もつかない。しかし、シュウちゃんがそれを探して欲しいと言ったのならば、それは必ず事件の鍵を握っている。
シュウちゃんは微笑む。いつものような、繊細で男性には似つかわしくない儚い微笑みを湛える。
「そう………これで、全てが繋がったね」
シュウちゃんはいつも、正しい。だからきっと、こうして今日もまた、日本の未解決事件の増加を食い止める事ができたのだろう。
シュウちゃんの部屋は、いつだって味気ない。そこは大学病院の病室の内の一つだが、シュウちゃんがこの部屋の住人になって十年以上が経つ。この個室は、最早シュウちゃんの私室と呼んで差し支えないだろう。
簡易な小さなクローゼットに、テレビの乗せられたキャスター付きの戸棚。来客用の椅子二脚と机が設けられている。窓には、いつも明るい色の花が飾られていて、今日の花は可愛らしいピンクだが、生憎と私はその花が何であるか知らない。他の病室に比べると少しばかり上等な調度に、大きくて寝心地の良いベッド。シュウちゃんに奥に詰めてもらって、ベッドマットの白いシーツの上に掛けたスカイブルーのタオルの隅っこで、寝転んでまどろむのが私の日課だった。
今日は文庫本を読んでいたシュウちゃんの細くて長い指が、私の髪の間に差し込まれる。シミ一つ無ければ、男性らしい骨っぽさもなく、ただし病的な細さの指には儚さがある。ひんやりとした指は、私が少し力を込めただけで簡単に折れてしまいそうだと思った。
「なあに?」
くすぐったくなって問いかければ、文庫本に目を向けたまま、シュウちゃんが返事をする。私と会話をしながらも本を読み続けられるシュウちゃんの脳みそはどうなっているのだろう、と時々開いて中を見てみたくなる。
「傷んでるなあ、と思って」
「勝手に人の髪に触れて、口に出すのがそれ?」
失礼極まりない。どちらかと言うと気遣い屋さんのシュウちゃんにしては、まったくもってデリカシーがなかった。
「どうして染めちゃったの?綺麗な黒髪だったのに」
「本当はシュウちゃんみたいな明るい色にしたかったの」
私の今の髪は、まだらで黄色と金色の間のような色をしている。初めはもっと自然な色に染めるつもりが、全然色が入らなかった。思い切ってブリーチをしてみれば、効果的過ぎて今のようになってしまったという訳だ。ブリーチをした髪はキシキシに痛んでおり、シュウちゃんの感想はもっともだった。
「お金が貯まったら今度こそ染め直すもん」
シュウちゃんの髪は、色素の薄い不思議な髪をしている。直毛で柔らかくて、まるで小さな子どもみたいに細い栗毛だ。ほとんど陽に焼けた事が無いからだろうか。シュウちゃんは肌の色も、不安になるくらい白い。
「シュウちゃんこそ、ちょっと髪が伸び過ぎてるんじゃない?」
私の髪は肩までだが、シュウちゃんの髪もそれより少し短いくらいになってしまっている。本を読むとき、邪魔そうにしているのを何度か見かけた。今度、私のヘアゴムをあげようと決める。
「そうだね、そろそろ切りたいな」
そう言って、シュウちゃんは文庫本から顔を上げ、私へ向けて微笑みかける。シュウちゃんは何でもないときにすぐ笑う。大人びた顔で、静かに。その顔はいつだって繊細で綺麗で、だからこそ今すぐにでも消えてしまいそうだと思う。
そうして、いつものようにまどろんでいれば、部屋にノックの音が響いた。シュウちゃんを訪ねて来る人は限られている。シュウちゃんの両親は滅多にここを訪れない。来るとすれば、お医者さんか看護師さんか、シュウちゃんのお兄ちゃん。
「こんにちは、周君」
もしくは、刑事であるこの二人組。四十半ば過ぎ、貫録を滲ませながらも柔和な印象の松沢さんに、三十前後で血の気の多い原田。私は寝転んだまま二人を無視する。
「こんにちは、松沢さん、原田さん。いつも父がお世話になっております。ほら、芽依子。ちゃんとご挨拶して」
シュウちゃんのお父さんは警察のお偉いさんらしい。詳しい役職は興味が無いので知らない。シュウちゃんに促されて渋々起き上がろうとしたが、それを松沢さんに制された。
「ああ、構いませんよ。我々の事はお気になさらず」
「すみません」
松沢さんの言葉に甘えて起き上がるのを止めれば、シュウちゃんが彼らに謝罪を口にする。
そのまま、松沢さんは来客用の椅子に腰かける事無く本題に入った。まずは先日シュウちゃんが解決した事件が無事に片付いた報告とそのお礼。その後いくつか確認の為に松沢さんからシュウちゃんへ質問が向けられ、シュウちゃんはそれに淀みなく答える。私はそのやり取りに早々に飽きて寝返りを打った。すると、相変わらず険しい顔でシュウちゃんを睨む原田の顔を見付ける。
原田は、シュウちゃんが嫌いだ。警察官でも無いのに、警察官よりも先に事件を解決へ導いてしまう所が嫌いらしい。なんて勝手な話だろうか。それならばシュウちゃんより早く事件を解決してくれれば良いのに。あ、でもそうなると、入院生活を続けるシュウちゃんが暇を持て余してしまう。
松沢さんは早々にシュウちゃんとの会話を終わらせると、視線で原田にも退室を促す。シュウちゃんを睨みつけていた原田は、一度その眼光を鋭くさせると、吐き捨てるように口にした。
「安楽椅子が」
その言葉に、私の頭の神経が焼き切れる。ちかちかと目の前が白く光る感覚。頭の奥が妙に冷静で、その割に身体は感覚と本能だけで動く。
シュウちゃんごと、ベッドを飛び越える。着地。そのままリノリウムの地面を蹴る。一歩。二歩。追い付く。見上げるような男のネクタイを掴み、拳を振り上げる。相手は短気なものの良識ある警察官。女であり子どもである私に対し、対応が遅れる。やれる。
「芽依子!ダメだよ」
ぴたり。シュウちゃんの言葉に従い、原田の横っ面を振り抜くつもりだった拳を止める。ぎょろりと見開いた目でそれを見やる原田は、次いで興奮気味に私を見た。
「芽依子、人に手を上げてはいけない。分かるね?」
私は躊躇って躊躇って、ようやく拳を下ろす。ネクタイを掴んでいたものの、それも解放した。
「だって、シュウちゃん、酷い。安楽椅子って、処刑の椅子でしょう」
「芽依子、それは電気椅子だろう。大方『安楽死』と混ざっているんだろうけど、安楽椅子は肘掛付きの椅子だよ」
「あれっ?そうだっけ?」
すっかり処刑道具の椅子と思い込んでいた。首を傾げる私に、松沢さんが注釈をつける。
「芽依子ちゃん、原田は安楽椅子探偵の事を言いたかったんだ」
「安楽椅子探偵?」
「大雑把に言えば、一歩も動かずに話を聞いただけで事件を解決してしまう探偵だよ」
それは言い得て妙だ。むしろ、シュウちゃんそのものだ。もっとも、シュウちゃんの場合は動かないのではなくて、動けないのだが。
「だから芽依子、ちゃんと原田さんに謝って」
「………ごめん、原田」
「芽依子、目上の人を呼び捨てには…」
「ごめんなさい、原田さん!」
シュウちゃんに咎められ、私はやけっぱちになって叫ぶ。確かに今、勘違いで殴りかかろうとしたのは私が悪い。だけど、そもそも私は原田の事が嫌いなのだ。だって原田は、シュウちゃんの事が嫌いだから。
「気にしなくて良いよ、芽依子ちゃん。原田も今のは言い方が悪かった」
原田は未だに表に出す感情に悩んでいるようで、目を白黒させたままだったが、松沢さんに促され足早に退室していく。勘違いで殴り掛かろうとした私に何も言う資格はないかもしれないが、そうやって動揺をすぐに押し込められないから、原田はいつも誰かに先手を打たれるのだ。
「芽依子、パソコンなんて開いてどうしたの?」
珍しく、シュウちゃんのベッドで昼寝をせずに腰掛け、以前シュウちゃんにもらったパソコンを膝の上に乗せて操作していれば、シュウちゃんに問い掛けられた。シュウちゃんは先日病院内で髪を切ってもらって、幾分すっきりしている。髪が長いと儚げな印象が強まるので短い方が良いとは思うが、せっかく持参したヘアゴムが無用の長物となってしまったので、少しだけタイミングが悪いと思う。
「シュウちゃんがこの間解決した事件のあらましと、シュウちゃんがそれを解決する様子を書いてるの」
「え?どうしてそんなものを?」
「だってシュウちゃん、まだ十八歳で安楽椅子探偵なんて、フィクション内にしか存在しないようなレアさじゃない?せっかくだし記録を取ってみようと思って。暇だし」
そう言いながらもキーボードを叩く。ええと、あのとき何を聞かれたっけ?………そうそう、妹さんの利き手を確認されたんだ。
「うーん、時間さえあれば、僕が解決しなくても誰か警察の人がすぐに真相に辿り着いたと思うよ。僕はしがらみが無い分、早くそれを見付けるだけで」
「あのね、シュウちゃん。普通の人は、話を聞いただけで事件解決なんてできないの」
シュウちゃんの悪い所は、自分以外の人間も自分と同じような思考能力を持っていると思い込んでいる所だ。
そこでこの話題を切ったが、安楽椅子探偵だから、なんて建前だ。ただ、長すぎる入院生活で暇を持て余しているシュウちゃんが唯一、好奇心を向けるのは事件の話を聞くときだけ。推理をしているときだけは、シュウちゃんはどこか遠くではなくて、このどうしようもない世界を見てくれる。そんなシュウちゃんの数少ない生き生きとした姿を、こういう形でも残しておきたいのだ。
「ねえ、シュウちゃん。最近、体調はどう?」
「どうだろう?悪くはないけど、残念ながら良いとき、というのを知らないからね」
そう言って笑うときの、シュウちゃんの何もかも受け入れたような顔が、すごく嫌いだ。
二十歳まで生きられない、と幼い頃に告げられたシュウちゃんは、長い入院生活と共に十八まで生きて来た。あと半年で十九だから、タイムリミットまで一年半。いつかは元気になって、穏便に二十歳を迎えられるなんて楽観的には思えない。シュウちゃんが十三歳、私が十歳のときに出逢って以来、毎日この病室に通っているけれど、シュウちゃんは少しずつ、けれど確実にやせ細っている。むしろ、よくこの年まで生き長らえているものだと思う。
「………シュウちゃん、シュウちゃんはいつまで生きてるの?」
「さあ?せめて芽依子が大人になっていく様子とかは、いつまでもこうして眺めていたいと思うけど」
そうシュウちゃんは穏やかに語るけれど、その言葉の裏には諦観が隠れている。頭の良いシュウちゃんは自身の病状に気付いているし、駄々をこねた所でどうしようもない事まで理解している。だからシュウちゃんはただ、笑うだけ。何もかも受け入れて微笑むくらいしかする事がないのだ。
私は、シュウちゃんが難事件の真相を暴く度、いつも同じ思いを抱く。事件の犯人は大抵、追い詰められ、どうしようもなくなって犯行に及ぶ。もちろん中には利己的な理由で動く犯人もいるが、誰かを守る為に、あるいは自身の身を守る為に事故のように人を殺してしまう人がいる。私はその話を聞きながら、羨ましいなあ、といつも思う。
彼ら、彼女らは、大切な人を守る為に殺せる対象がいるのだ。それを殺せば、大切な人を守れるのだ。
私だって、殺すのに。それでシュウちゃんを守れるなら、それでシュウちゃんを生かせるなら、それでシュウちゃんが自由になるなら。私は喜んで殺す。けれど、シュウちゃんを脅かす病魔という敵は、私よりも余程切れるメスを持つ、高名なお医者さんでも殺せない。
だから私は、人殺しなどという安易な方法で解決出来る犯人達が羨ましい。
「芽依子が大人か。何だか想像つかないけど、芽依子だって大人になって社会に出て、いずれは結婚して子どもを産んで、母親になっておばあちゃんになったりするのかな」
「当たり前でしょ、シュウちゃん。私だって日々成長しているんだから」
だからきちんとそれを見届けてね、とは口に出さなかった。だって、私も成長し、いつかは大人になる。けれど、
きっとその隣にシュウちゃんはいない。
読んで頂きありがとうございます。
以前活動報告にて上げていた小話をそのまま一話とし、短い連載を行う事にしました。
絶対ストーリーなんて考えられない、だって私にミステリ出来るだけの脳がない………と思っていたのですが、思い切ってミステリを切り捨てればストーリーを思いついたので、連載にしてみました。
芽依子さんは謎解きに一切興味がないので、そもそもシュウちゃんの口にする言葉を理解していない可能性もあります。なので、そこは書かなくてもいいかな、と……
大体、十話前後の予定です。
よろしくお願い致します。
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