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GOING UNDER 作者:古蔦瑠璃
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 旧校舎は3階建てのクリーム色の建物で、グラウンドに面したその西側の側面に紙パックの飲み物の自動販売機が置いてあり、その横に木のベンチが並べてあった。旧校舎の1階の西の端がちょうど音楽室で、ブラスバンド部が練習をする音が大きく響いてくる。西日にオレンジ色に染まったグラウンドを野球部の少年たちがジョギングする姿を眺めながら、美奈子はそこで琴子を待った。

 2人が同じ中学に進学してから、早くも2年半の月日が流れた。小学生から中学2年生のときまでずっとクラスが別だった美奈子と琴子は、3年生になってからはじめて同じクラスになった。もっとも、教室は違っていても、放課後は必ずこうして待ち合わせて一緒に行動してきたのだけれど。

 半年後の高校受験のための進路指導が、放課後、生徒指導室で出席番号順に行われていた。あいうえお順で、菊本美奈子は出席番号が8番、桜井琴子は11番だから、しばらく待っていれば琴子の番も終わるはずだった。
 美奈子の面接はごく簡単に終わった。このまま頑張れば充分安全圏のまま逃げきれるだろうと、担任は太鼓判を押してくれた。
「中3の後半はな、男子が追い上げをかけてくる。夏前まで部活に集中していてやめたやつなどが、勉強に集中するからな。男子の方が体力があるから、がむしゃらに勉強してかなりのランクアップを果たすんだ。菊本はそれでも、まあ、大丈夫だろう」
 ああそれから、と担任は言い加えた。
「もしも菊本にその気があるのなら、都内の私立高校の入学金免除枠に推薦してやることもできるぞ」
 例えば。担任は、美奈子の自宅の最寄りの駅から1時間以内で通学できると思われる高校の名前を2、3挙げた。

 琴子が小児科医になるんだと言って微笑んだあの日以来、2人は一緒に勉強を続けてきた。放課後の図書館でノートを広げ、駅のホームで英単語を確かめ合い、琴子の部屋で、美奈子の家の居間で、数学の公式に取り組んだ。
 負けず嫌いの美奈子はともかく、万事につけておっとりのんびりだった琴子がここまでひたむきに受験に打ちこむことになろうとは、正直美奈子は予想もしていなかった。
 大好きだったピアノをやめ、土日は進学塾に通い、琴子はじわじわと成績を上げた。

 それでも琴子のママは、琴子はR医大付属高校に進むべきだと考えていたみたいだったが、今回の進路指導を控えての担任との個人面談で気が変わったらしかった。
「あと半年この成績が維持できれば、お兄ちゃんの通っていたS高に琴子も進学できるって言われたわ」
 2日前、2者面談を終えて学校から帰ってきたママは、琴子が何も言わないうちにそう切り出した。
「R医大のほかにも大学はたくさんあるでしょ。S高なら県内でもトップレベルだし、頑張れば東京の大学に進むことだってできるもの」

 その話を聞いた美奈子は、ホッと胸をなでおろした。進路を県立の高校に変更することについての最大のハードルは母親だと、内心密かに考えていたのだ。ママが反対すると、琴子が不安定になる。パパは琴子の受験の問題にはまるで関心がない。どうでもいいと考えている様子だったから、琴子に味方してくれる可能性は少なかった。

「ミーナ」
 傾きかけた陽光に金色に染まるグラウンドを見るともなく眺めていたら、不意に真横で声がした。びっくりして振り向く美奈子のすぐ横から、柔らかそうな髪をおさげにした少女が首を傾げて覗きこんできていた。
「待った?」
 驚いた様子の美奈子が可笑しかったのか、少女はうふふと笑った。
「美奈ったら、ぼんやりしてあたしが近づくのに気づかないんだもの」
 2年半前、美奈子のようになるんだといって伸ばし始めた琴子の髪は、ふわふわのくせっ毛だったから、ポニーテールだと広がり過ぎる。だから学校に通うときは大抵大人しめのおさげ髪に結わえている。茶色がかったその髪を肩のあたりで揺らせながら笑う少女の表情は、中学入学当時のあの日々と比べてずいぶん明るい。
 斜めから差す光に琥珀色に染まった琴子の目の明るい虹彩を見返しながら、美奈子はいつものように静かに願う。このまま、何事もなく日々が過ぎていくようにと。

「面接、どうだった?」
「うん。この調子で頑張れって」
 美奈子の質問に、琴子は屈託のない調子でそう答えた。
「大学進学についての話もしたの?」
「した」
 琴子は担任から言われた言葉をそのまま美奈子の前で繰り返した。
 確かに、女子は高校生になってから成績が伸び悩むケースがある。けれども、県内あるいは都の国立大学の医学部を目指すのならば、S高の方が受験体制はずっと整っていること。R医大だけを目標にするのであれば、付属高校からは別枠で進学できて有利だが、他の大学の医学部に行こうと考えたときにはかえって不利になること。
 それよりもS高に進んで、第一志望を国立、すべり止めをR医大という形で進めていけば、無駄も回り道もしないで済む。 2者面談でも同じ話をしたから、もうお母さんから聞いているかもしれないが。担任はそう前置きしたあと、説明してくれたのだった。


「美奈は?」
「わたし? わたしは万事オッケーよ」
 琴子の質問に、美奈子はさらりとそう答える。
 担任に入学金免除の話を持ちかけられたことは言わない。もとより美奈子の選択肢にはないからだ。

 一度外履きになって校舎を出てしまうと、図書館に引き返すのも億劫なので、きょうはこのまま下校することにした。真面目に教科書を詰め込んだ重い学生鞄を手に、2人は中庭を横切って正門へ向かう。
 門の外に見知らぬ少年が立っていた。どうやら高校生のようだ。ネイビーブルーのブレザーに深紅のネクタイ。S高校の制服だ。写真のようなものを片手に、下校して行く生徒を1人1人チェックしている。
 他の生徒と同じように、美奈子と琴子もその高校生の脇をすり抜けようとした。が、琴子を見た高校生は、突然2人の進路をふさぐように前に飛び出してきて言った。
「琴子ちゃんだよね。ちょっといいかな。話があるんだけど」

 内気な少女はとっさに美奈子の陰に隠れた。
 美奈子は琴子を庇うようにして、少年に聞き返した。
「あなた誰? 何の用?」
 彼はけげんそうな顔で、美奈子を見た。
「用があるのは琴子ちゃんにで、君には関係ない」
 美奈子は振り向いて、琴子に聞いた。
「知り合い?」
 琴子は目を見開いて大きくかぶりを振った。
「行きましょ」
 美奈子は琴子の手をつかんで引っ張りながら、歩き出した。知り合いでなければ話を聞く義理はない。まして、校門で待ち伏せしているような相手だ。悪くすればナンパの一種だ。

 中学に進学してから気づいたことだが、琴子は意外なぐらい男の子にもてる。きついところのないやさしい面差しとおっとりとしたものやわらかな仕草が男子に受けるらしかった。
 美奈子は女の子たちからは美人だと言われる。けれどもサバサバしていて男子ともぽんぽん軽口をたたく美奈子は琴子とは反対に、あまり異性として意識されたことはない。
 琴子自身は男の子と口をきくのが苦手だ。男の兄弟がいるにもかかわらず。だから、こういうシーンに出くわすと、知らず美奈子は琴子をかばって間に割って入る。
 正門をくぐって外に出た時点で、体育館に阻まれて職員室からは死角だ。すぐに先生が気づいて掛けつけてくることは期待できない。さっさと逃げ出してしまうに限る。

「待てよ」
 高校生は追いかけてきて言った。
「おれは梅宮紀行。聞いたことあるだろ、名前ぐらい」
 琴子の足がぴたりと止まる。ゆっくりと振り返る琴子の様子を見て取って、梅宮と名乗った少年はしてやったりという笑みを浮かべた。
 美奈子は改めて、目の前の高校生をまじまじと見返した。背はあまり高くない。中背中肉ぐらいだったが、しっかりとした骨格をしていて、それが中学生とは一線を画している。大人びた表情をしていたが、やや大きめの制服はもっと身体が大きくなることを見越してあつらえたものだろうことからして、恐らくまだ1年生。
 特徴のあるのは茶色っぽい明るい髪の色。ブリーチしたわけでもない天然のままのその色は、なぜか琴子の髪に似ている。そしてその目許にも、なんとなく見覚えがあるような気がする。

「聞いたことあるよね、琴子ちゃん」
 そう繰り返した少年に、琴子はおずおずと聞き返した。
「S高へ行ってるんですか」
「そう。1年生。親父に期待されてるから、おれ」
 少年の唇が笑いの形につりあがる。けれども目は笑っていない。
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