信頼の不在は、私たちの日常でも同様だ。うそをついて相手をだます詐欺や偽証などの発生率は、日本に比べ数十倍から数千倍も高い。他人や公的制度に対する信頼のない場所では、「皆が皆に対してオオカミ」になりやすい。不公正かつ不透明な社会の規則に対する疑心は、社会構成員たちの怒りと恨みを増幅させる。
不信と不公正は共和社会にとっての最大の敵だ。自由な人々が一緒に暮らす共和社会は、決してむなしいユートピアではない。公正な社会の規則である法秩序と市民精神が広く成熟した現実社会こそ、共和社会に近いためだ。人々が自ら同意した法治主義で自由と正義を実践していく共同体が、すなわち共和社会なのだ。こうした意味の共和社会は、韓国の憲法第1条が規定する民主共和政を実現するためのベースでもある。そのため、重大な罪を犯した財閥オーナーに対する特恵同然の赦免は、民主共和国における法の信頼性を損なうだけでなく、社会の統合までも阻害する。
共和社会に向かう道は遠く、険しい。だが、成熟した人々が自由で豊かな人生を送る光復100年の未来を目指すなら、一緒にその道を歩まねばならない。大法院(日本の最高裁判所に相当)が先ごろ、刑事事件において依頼人と弁護人が締結する成功報酬約定について「司法制度への信頼を損なう恐れがある」として無効だと判断したことは、共和社会に向かう大きな一歩だ。大きな権力や財力を持つ人ほど公正であろうとし、義務を果たそうとする風土でのみ、信頼は芽生える。信頼と公正性という社会的資本に比例して統合と寛容の指数が上昇し、経済成長が速まるというのは、揺るぎない経験則だ。信頼こそが人々の暮らしを豊かにし、国の格を引き上げる決定的なパワーなのだ。信頼が根付いていなければ先進国にもなれない。
輝かしい光復100年という夢は、共和社会でのみ実現できる。共和社会こそ、私たちを未来に導く韓国の本当の夢なのだ。