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スピーカーから響く祭囃子と人の喧騒。立ち並ぶ屋台から聞こえるのは客を呼び込む威勢の良い声。
まだ明かりの灯らぬ提灯が飾る参道は、祭りを楽しむ人たちで賑わいを見せる。
「沙耶……口、開いてる」
ポカンと口を開けて周囲を見上げる沙耶の手を握り直し、美鈴は言った。
圭司の娘の美鈴は七つ年上、中学三年生の美しい少女だ。
「なにこれ、びっくり。すごい……派手」
ぱしぱしと瞬きを繰り返し、色とりどりの垂れ幕看板に飾られた屋台や華やかな紅白提灯に飾られる参道と自分を交互に見る沙耶に向け、彼女の従姉の美鈴は微かに唇を曲げるように笑う。
淡い消炭色の波打つ髪を持つ沙耶とは違い、美鈴の髪は射干玉の黒。それを青いバラの髪飾りでサイドに流すスッキリとした浴衣の立ち姿。
黒地に青い蝶が幻想的に飛ぶゴシック柄の浴衣に暗紫色の帯、白黒市松模様の帯紐。帯の前脇上には藍色硝子の根付けが揺れる。
この年齢の少女が着るには全体にいささか地味な色調の一式だが、美鈴と言うある種雰囲気のある少女には、とてもよく似合っていた。
「お祭りくらい、向うでもあったでしょ?」
きょろきょろと落ち着きなく周囲を見回す従妹に向け、美鈴は首を傾げた。
「うん……けど、こんなキラキラじゃないよ? 比べるとすっごい地味なんだよ」
沙耶が生まれ育ったのはフランスの片田舎だ。日本の夏祭りと同じような時期、夏の祭り……聖母昇天祭は確かに各地で開催される。しかし、沙耶のいた田舎町では出店など外部業者の介在がある日本の祭りと違い、宗教行事を始め、出店や飲食にかかわる物殆ど全てが住民たちの手作りで行われる。
人口のそう多くない町……いや、村に育った沙耶にとっての祭りとは、僅か数十メートルと言う村のメインストリートに並ぶ店舗のショーウインドーがいつもより気合いを入れて装飾されたり、広場に幾つか並ぶタープテントと商品台だけの屋台に村の特産品や農産物が並べられ、ガレージセールの集合体と呼ぶべき小さな蚤の市が開かれるささやかな物の事。
「はぁあ……パチコン屋さんのピカピカかんばん見た時もびっくりしたけど、日本はお祭りもピッカピカキラキラだったんだ……」
流水柄に花と金魚をあしらった女の子らしい浴衣の上の沙耶の顔は、興奮のために微かに上気した。
「沙耶。パチコンじゃなく、パチンコ」
「そっか! チコンじゃなくて、チン」
「っ訂正は声に出さない」
「───コ……ん? うん、分かった?」
コテンと勢いよく小首を傾げた沙耶の頭頂部、ハーフアップでクルクルとお団子に結ばれた髪の上のアクリルの金魚の形簪がチリリと揺れた。美鈴の白くて細い指が、わずかに乱れた沙耶の髪を整える。
「……行こ。はぐれたら、入り口の鳥居」
「うん」
年上の従姉の優しくもくすぐったい指に嬉しげな顔で沙耶は首を竦めた。
普段は生来の性格と思春期と言う己の感情を取り繕いたがる時期もありあまり表情を動かさない美鈴も、人の熱気やスピーカーから流れる陽気な祭囃子に影響されてか常より深い角度に唇を笑みの形にしている。従姉妹同士二人は、カランコロンと塗りの下駄の音も軽やかに賑わいのさなかへと足を踏み入れていった。
夏の日の午後の空は、いまだ暮れる気配も薄く明るい。
祭りの本番は空が暮色を濃くした頃合いからだが、土曜日の午後の事。日暮れを待たずに祭りの気分を味わおうと繰り出した沙耶と美鈴のように近場に住む人々や、登校日だったらしい近隣の学校の中高生らしき制服姿、小さな子供を連れた親子や孫を抱っこした祖父母などの姿が目立つ。
「リンゴ飴もベッコウ飴もきれー。でもベッコウはワシントンじょうやくで取引キンシだよね」
微妙に間違った日本語で若干残念な頭に見える従妹から唐突に思いもよらない知識が飛び出し、美鈴は内心驚いたが、実のところ沙耶の語彙の残念さは彼女の知能のせいと言うより、間違いを直さず面白がってそれを助長して来た両親、愛花・ケネス夫妻が原因である。
沙耶の脳みそ自体は同世代の子供らに比べてむしろ良い方だが、生来のものか、聞き違いや勘違い、覚え間違いは少なくない。
「ワシントン条約って……原料、鼈甲は使ってないわよ。ん……カキ氷美味しそ。夜は外、食べに行くからなるべく食べないように言ってたけど、これくらいならいいか」
「ブルーハワイ! お口の中真っ青になるから私、これ好き。美鈴お姉ちゃんメロン味? 緑色? あとで口の中見せてね」
子供らしい正直な着色料の楽しみ方の表明をする少女に、美鈴は
「嫌」
と、微かに眉間に皴を寄せ、カキ氷をメロン味から練乳味へと変更した。
軽いゴシック系の装いを好む従姉が、黒い浴衣姿で口内を緑色に染める光景に胸を躍らせた沙耶には、これは少し残念な流れだった。
「ね、お姉ちゃん、今日は夜、お出かけなの?」
「父さん、なんか沙耶にどうしても蟹、食べさせるって」
「カニカマ!」
「……ううん。カニカマじゃなくて、蟹」
「え!? カニカマじゃないの? カニカマじゃない蟹は、大人の食べ物だってママン言ってたのに……」
「……いいのよ、ここは日本だし、お祭りだから。結構おいしいよ。この季節なら、きっと毛蟹」
沙耶の言動に父親の真意を悟り、美鈴は微かに唇を歪めて笑う。
「譲の塾が終わる時間、迎えに行ってそのまま店に行くって」
美鈴の弟、譲を迎えに行くまでには、戻って着替える時間を考えてもまだ二時間近く祭りを満喫できる時間がある。二人は出がけに圭司に渡された軍資金を使い切る勢いで、人込みを縫いあちらこちらの出店を楽しんだ。
「───ちょっと疲れた」
日の長い夏空にはほんのりと暮色。
迷子の呼び出しに混ざり、これから行われるらしい今日の宵宮のイベントや明日の本祭でのイベントなどがアナウンスされ始め、人の出足も随分と増えて来たようだ。
ケータイ画面で美鈴が時刻を見たところ、帰宅予定の時刻が近づいていた。
「そろそろ時間か」
気持ちの上ではもっと祭りを楽しみたいと思いつつ、履き馴れない塗り下駄でじんわりと痛み出した足の裏も気になり出した頃合い。
「沙耶、最後、向うで遊んで来るといいよ。さっきからチラ見してたでしょ? 私、お父さんのお土産買うのに並ぶから、終わったら鳥居で待ち合わせね」
今日の遊行のスポンサーが出資の口実として要求したベビーカステラの屋台には、焼き上がりを待つ人々の列が出来ていた。焼き型のサイズと焼き上がり速度、並んだ人の数から考えて、さほど待たされる事は無いだろうが、折角のお祭りだ。その時間を二人で無駄に使う事もない。
掌の上に銀色の硬貨を乗せられ、美鈴の繊手が優しく沙耶の肩を押す。圭司伯父から出たお祭り予算で楽しませてもらった身として、自分もお土産を買う列に並ぶべきなのではないかと躊躇する沙耶に、美鈴が柳眉の端を下げ小さく首を振った。
「───ね、沙耶。お母さんさ……ちょっと無神経だけど、たぶん、悪気はないの。ごめんね」
彼女が唐突に口にした謝罪は、沙耶と圭司とが円山家の依頼を終えて帰宅した時の一幕の事だろう。
沙耶にとって、今日が宇良部の巫女としての初仕事。
巫女としての覚悟と自覚は、宇良部本家の人々や聖地におわす石長姫巫女から叩き込まれてはいる。けれど、人一人の命を贖う代価はまだ十歳にも満たない沙耶にとって目にするだけでも心に重い物となるだろうとは、宇良部の家に生まれ育った圭司にとっても美鈴にとっても想像に易いものだった。
下手な慰めを口にする心積りはなかったが、せめてもの労いの気持ちでだから美鈴は母と並んで沙耶と圭司の帰宅を玄関先で出迎えたのだ。
美鈴の言わんとするところは沙耶にもすぐに分かった。
帰宅した二人を圭司の妻と娘が
「お疲れ様」
との言葉とともに迎え入れたまでは良かったのだが、圭司の妻、美鈴の母の遼子がそこに更に
「圭司さん、せっかく久しぶりのお休みだったのに、遠くまでお出かけでお疲れでしょう」
と、圭司だけに向ける労いの言葉を沙耶のいる前で重ねたのは、夫の目から見ても娘の目からみてもいただけない無神経さだったのだと思う。
「……遼子」
夫からは窘めを込めて名を呼ばれ、娘からは非難を込めた視線を受け、遼子伯母は口許に手を当て首を竦めた。
巫女として初仕事となる沙耶の世話役を引き受けたのは、妹夫婦の忘れ形見を心配した圭司本人が宇良部本家に強く希望しての事だ。
「……遼子伯母さん、いい人だよ。沙耶の学校に、毎日美味しいおベント作ってくれるよ? この浴衣だって切っつけてくれたし」
「切っつけって……お寿司じゃないんだから。『着付け』ね。お弁当は私の分も作ってるついでだし、あの人、見栄っ張りだもの。お母さん、宇良部とは関係ない家から嫁いできた人だから、全然分かってないのよ……」
二人で祭りを楽しんでいる間にも、恐らく美鈴はこれを口にするかしまいか心を悩ませていたに違いない。
自分の両親が社内恋愛の末、美鈴を身ごもり本家の反対を押し切る形で結婚した事は、本家との付き合いの中、母に対して発せられるちょっとした嫌味を通して彼女も知った。
なにしろ宇良部は特殊な家柄。縁組に関して慎重にならざるを得ないだろうと、過去には本家に反発した美鈴も、今となっては理解している。それに、実際に自分の母親が宇良部の家の者達が持つ自覚と覚悟を持ちきれていないように見えるのだから、母が本家に多少冷たく遇されても、それは仕方のない事とも思っていた。
だが、遼子は美鈴の母親である。
如何に美鈴がいま思春期の反抗期にあっても、苛立ちながらも娘として庇いたいと言う気持ちは湧くのだ。
「圭司伯父さんも、遼子伯母さんもいい人だよ。私のことおうちに引き取ってくれたもん。美鈴お姉ちゃんも、譲くんも、沙耶、大好き」
従姉妹の優しい気遣いに、沙耶の口許には笑みが浮かんだ。
「……ありがと」
対する美鈴の唇にも『歪み』ではなく、年頃の少女らしい微笑みがのぼる。
微かな笑みを口許に宿したまま、沙耶は美鈴にくるりと背を向け、手渡されて硬貨を握り人込みを縫う。
美鈴の母、遼子伯母には彼女の言うよう、たぶん悪意はない筈だ。
占者の巫女の巫女装束で、和装に馴れた美鈴と違い、自分で着付けの出来ない沙耶の浴衣を着付けてくれたのは遼子だった。
圭司は居間で仕事の電話。美鈴は自室で浴衣に着替え中。客用の和室で沙耶は遼子と二人、着付ける側と着付けられる側として向き合っていた。
「沙耶ちゃん、伯母さんのお願い聞いてくれてありがとう」
美鈴と同じ、指先が細い綺麗な手でしゅるしゅるとつけ紐を締めて浴衣着せ付けながら、遼子がおっとりと言うのは礼の言葉。
「前にも言ったとおりにね、円山さんの家の会社、伯父さんの勤め先の昔からの取引先なの。……宇良部の巫女のお仕事と外の事とは別だって圭司さんも本家の人たちも言うけど、やっぱりねぇ……伯父さんの会社での立場もあるから。……まあ、沙耶ちゃんのパパ、ただのパン屋さんだし、そういうお勤めの事は分からないかもしれないけど、本当に助かったわ、沙耶ちゃん」
伯父にも他の家族にも秘密で、一時でも早く円山家の依頼を引き受けてもらいたいのだと沙耶が遼子に頼まれたのは、夏休みに入る直前の事。
もとは圭司と同じ会社に勤めていたと言う遼子が夫の職場の取引先について知っているのに不思議は無く、円山家から本家を通じ『異能の巫女』沙耶へ幾度にも渡り打診がある事も、家の電話やケータイで本家と圭司と本家とのやり取りを耳にしていた彼女の知るところである。
圭司の所属部署的に、直接やり取りがある円山の会社に対し、夫が少しでも覚え目出度くなれば良い。……そう思ってしまうのは、人間ならば仕方のない事なのかもしれない。
また、宇良部の巫女……特に『異能の巫女』の能力への理解が浅い人間であれば、沙耶がどれほど恐ろしい『代価』の支払いを目にしたか、それを心底慮るのこともまた、難しい事なのかもしれない。
……遼子伯母ちゃんのおベント、いつも皆もすごいって褒めてくれるもの……。
唇の笑みが消えるのを自覚しながら、沙耶は後ろを振り向いた。
青い蝶が舞う黒い浴衣が目当ての屋台に向かって移動してゆくのが人ゴミの中チラリと見える。
それに……伯母ちゃん、沙耶を伯父さんの家の子にしてくれた。
持たされる弁当の中の八割が通いの家政婦によって用意されたものだとしても、毎朝体裁よく綺麗に詰め込むのは当然のようにそれ相当に手間がかかる。
だから、例え遼子が子供らの分の他、沙耶の分が一つ増え、忙しい朝には大変なんだと家政婦に愚痴をこぼすのも、仕方のない事なのだと沙耶は思う。
実際に一つ増えればその分の手間が増えるのだから、彼女の不満は当たり前の事。そんな愚痴をうっかり聞いてしまった沙耶が不運なだけだ。
沙耶を圭司の家で引き取るにあたり、本家が『異能の巫女』を手元に置いて育てたいと言うのだから本家に渡すのが筋だろうと、家に引き取りたいと希望する圭司と遼子が揉めたとしても、それは当たり前の事なのだとも沙耶は思った。
血の繋がった妹の忘れ形見を引き取りたがる圭司とは違い、遼子にとって沙耶は血の繋がりのない子供なのだ。寧ろ、こうして家に置く事を同意する気持ちになったのはどうしてなのかと不思議なくらいの気持ちがある。
だけど……。
伯母が着付け中に言った言葉を思い出し、沙耶はきゅっと唇を結んだ。
「それにしても、すごいのねぇ……異能の巫女って。今日は円山会長のお孫さんの病気の子を元気にしてあげたんでしょう? 沙耶ちゃん、亡くなった人でもやろうと思えば生き返らせられるんだって伯父さんから聞いたけど、お父さんとお母さんは出来ないの?」
兵児帯を綺麗な文庫結びに固定して、細部の形を整えながらのこの言葉には、確かに悪気はなかったのだろう。遼子の言葉は誰もが抱く疑問な筈だ。
ただ……如何に能力ある異能の巫女でも、出来る事と出来ないことがある。支払われるべき代価を持たない沙耶には力の行使のしようが無い。
今日の円山家の少年とは違い、沙耶の両親はこの先生きて行けないほどの病を抱えていたわけでは無く、事故でこの世を去っている。
やろうと思えば事象の巻き戻し……彼らの時を巻き戻すことにより命の復元は成され、円山家の少年よりも支払われる代償は少なく済む。
もしも今、沙耶が自分の異能の巫女の力を行使するなら、対価に当てられるものはただ一つ───沙耶の命。
───だが、それをもってしても生き返らせることが出来るのは、恐らく一人。
父か、母。
誰よりも大切な、誰よりも愛している両親の命を天秤にかけて選ぶ事など沙耶にはできない。
そして自分の命と引き換えにこの世に戻って来たとして、あの両親が喜ぶ事などないだろう。
「…………ふぅー」
美鈴から見えないように後を向いて、沙耶は大きく息をついた。
両親が無くなり今日までの間、ずっと考えて考えて、考え抜いて、沙耶は自分で伯父の家に身を寄せて生きて行こうと覚悟したのだ。
「沙耶は、伯父さんも、伯母さんも、美鈴お姉ちゃんも、譲も、大好き」
だから、大丈夫。
……そう沙耶は祭りの喧騒の中に呟いた。
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