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シノンの鎖
七夜半 シノンの鎖 ~状況を何も選べないのだとして、では、私たちが自由意志と呼ぶものは一体?
「でもねカリノくん。何を考えるかは選べるよ。あたしたちは、少なくとも、あたしたちの頭の中はジユウだよ」
「そう思っていればいい」
「牢獄の壁を掘って逃げ出すのにも想像力は必要だよ。まず、牢獄の外にセカイがあることを知らないといけない」
「議論する気はない」
雁野は立ち去る素振りを見せた。
「--ひとつ訊いていいか」
「なに?」
シオリは謎の黄金色の液体を曲がらない細いストローで音を立てずにすする。コップが茶色カラーなので、なんとも奇妙な色の液体が、コップの中でその水位を減じていくのが、雁野の目には見える。
「意思を決める。そして行動を起こす、そして、--何が変わるんだ?」
「・・・カリノくんって案外バカ?」
呆れたように言い、シオリはストローを、指揮者の指揮棒よろしく振る。
「それはーーあれだよ。・・・なんだろうね」
吹き出した雁野を、シオリがにらむ。
「だーって。すごくお馬鹿なこと訊いてるって思ったんだよー。でも・・・」
シオリが泣きそうな顔をする。体験、そのものの絶対量が少ない故に、失敗、というものに過剰反応を見せる。
「ああ、否。疑問っていうのは、問題点を明確にするためにするものであって、回答を得るためにしているものではないからだ」
きょとん、とした顔のシオリを背後に残し、さっさと雁野は押入れの敷居をくぐった。ひゅう、と生臭い、冷たい風がシオリの頬をなでていった。
その顔のまま、三分も固まっていただろうか。シオリはようやく、手に持ったままだったコップを床に置いた。
***
「ねえ、ヒビキちゃんは、ひとをころしたことってある?」
「なにそれ。新手のクイズ?」
ぽりぽりーー、いや、がりがりと、つまり十数本もまとめたポッキーを噛み砕いているヴァンパイアは、最新のテレビガイドを見ながらーー、シオリの部屋にテレビがないことに苛立ちを見せつつ、--意固地になってテレビガイドを読み続けている。
ちなみに、いつもシオリが腰掛けている黄緑色のソファを彼女が占領しているため、シオリは床の上で、『アカンベー顔』のフェルトが縫いつけられたクッションを膝の上に抱えて、所在なげに座っている。ラグも黄緑なのは、シオリの好みなのだろうか。
「じゃあ言い換える。ひとをころしてみたこと、ある?」
「それって、みるとかみないとかで試してみることなの?」
さあ、とシオリは首をかしげた。
「チョコパフェ食べてみたことある? とか、北極でペンギンみたことある? とか、アフリカの喜望峰にどんなホープがイグジーストしてるか実地検分してきてみて、とか、そういうのと同じレベルで話してるよ」
「・・・最後のは何」
「うん。最近、英会話に凝ってる」
ひきこもりがどこの誰と英会話するつもりなのか、とその悲しい事実には、ヒビキは触れないでおいた。分からないじゃないか。ていうか、シオリが月のきれいな真夜中には元気に出かけているのをヒビキは知っている。単に人に会いたくないのだろう、とは思うが。実は狼女、というわけでもなさそうだし。
「金髪って萌えるよねー」(*1)
ヒビキが菓子を噛み砕く音が混じっている。
「うん。でも、日本人顔の上に脱色金髪が載っててもそう思わないのは何でだろうね」
「たぶん遺伝子の配合がどうとか。そういうカミサマの陰謀よ」
「カミもやるねぇ」
意味不明だ。というか、魑魅魍魎の口から神とは、これいかに。
「ヒビキちゃんのご先祖も金髪じゃないの?」
「えー。どうだろう」
かなりどうでもいい方角に話が転がっている。
* * *
「ともかくね」
しばらくのち。カップ麺の器に、やかんからお湯を注ぎつつ、ヴァンパイアはーー口に割り箸を横向きにくわえている。
「ホルスタイン牛から牛乳を搾ってヨーグルトとかチーズに加工するのはいいとして、牛肉にして食べてしまったら意味がないのよ」
「なるほど」
言いつつ、シオリはカップうどんを割り箸で、静かに口へと運んでいる。
「ヒビキちゃんは立派なヴァンパイアなんだねぇ」
どこかの祖母がどこかの孫を褒める口調を連想させる言い方だ。
「いや、それ・・・・、ホメてるの?」
微妙な顔で、最後の辺りで、褒め要素に思い当たったというふうに、ちょっとばかり顔を輝かせつつ。続けてヒビキは言った。
「アリを踏んだことってない?」
「あるよ」
シオリは頷く。
かわいそうな存在である。アリ。
ヒビキは言う。
「それと少しも変わらない。違うのはね、シオリ」
人差し指で遠慮もなく、まっすぐにヴァンパイアは、指し示す。
「あんたが人間のかたちをしてるってことよ」
「ほう」
麺の切れ端が口から垂れたままなのはどうか、シオリ。
「にんげんのかたちをしている生き物を虐めたらさ、自分が虐め殺されても文句は言えないんだよ」
「そういうものかな」
「キョーアク事件の犯人を、何かのドサクサに紛れて死刑宣告しといて、あとでこっそり処刑したりするでしょ」
「・・・はあ」
「人間社会の秩序を保つためよ。それ以上の意味なんかない」
「・・・・」
「ルールを守れないならね、そのシャカイから出ていきなって、そういうことよ」
「・・・・」
「・・・・”EGO”って、分かる? ヒビキちゃん」
唐突にシオリは言った。少し、何かを思いつめたような顔で。
一方、ヒビキはテレビガイドの番組表を、執拗なまでに隅々まで、重箱の隅を突付くがごとくに、凝視し始める。元来、マジメな話が苦手なのだ。
シオリの言葉が続いている。
「らてん語でね、”私は”っていう主格の意味だよ」
いくらヴァンパイアは視力において通常人に勝るとはいえ、そんなんで近視になったりしないのだろうか。ーーあとでシオリはそう考えた。ーーヒビキの目は整然と並んだマス目の中の、折り返しの多い文字を追っている。
そのときのシオリは言う。
「”私は” ”私は” ”私は” 」
シオリの言葉が続いている。
「たくさんの『私』たちが、それぞれ存在をしゅちょーするのさ」
ヒビキは、それを聞きながら、番組表ページの上隅を折って片端から”ドッグ・イヤー”にしてみる。図書館の本にこれをすると、図書館員さんがあとで泣くに違いないので、やってはいけない。怒ったとしても、同じことだ。人間が強烈な状況にさらされたとき、することはふたつにひとつ。泣くか、怒るかだ。--笑う、だったかも。
ヒビキの耳の脇を、シオリの言葉が通りすぎていく。
「そういうのがね、ときどきーーううん、あのね、『自分の心』とね、そういう『たくさんの”私”』がね、頭の中でぐちゃぐちゃになるのさ」
こんなに”耳”が並んじゃって。どれが重要だったのか分かりゃしない。大満足でヒビキは、番組表をぱたりと閉じた。
シオリが言う。
「あたしはどこかに逃げたくなる。『私』がいない場所に行きたくなるんだよ、ヒビキちゃん」
シオリの話も終わったらしい。ヒビキは思い切り伸びをしてから、言った。
「じゅーぶん休んだし、あたしもう行くね」
「うん。お話聴いてくれてありがとう」
「”聴いてない”よ。分かってるー?」
くすくすと笑い、ヴァンパイアは、シオリの鼻先に、人差し指を突きつける。ふわりと、重力を無視したみたいに飛び上がると、窓枠の上に着地した。--シオリのほうを向いたまま。
「でもね、シオリの話しているのを聞いているのはキライじゃないし、ここでだらだらしてんのも好き。そいじゃね」
「うん。ばいばーい」
シオリは小さく手を揺らした。シオリの部屋のまどから、黒いマントがひらり、跳び下りていった。
* * *
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