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仮面
演劇部の部室は、グラウンドに面した1階の小部屋だった。入部説明会に集まった1年生は葉月を含めて6人。意外なことにクラスで目立つタイプの生徒の姿はなく、どこか似かよった生真面目さを感じさせる生徒ばかりだった。顧問を務めるのは2年生を教える国語科の教師で、名前を松田といった。
『皆さんが入部して下さることになって、演劇部は存続の危機を免れました』
部活動発表会で主役を演じていた先輩が、部員代表として挨拶をする。驚いたことに演劇部には2年生の部員がなく、部活動発表会の日には急遽、文化祭を最後に引退した3年生がステージに立ったのだという。
『少人数の部活ですけれど、皆で協力してよい作品を残していって下さい』
引退までの間、部長を務めていたという彼女は、葉月たちひとりひとりに語りかけるようにゆっくりと等分に笑顔を向けた。
『漆原は、卒業したら劇団員としてプロの道に進むことになっているんだ』
この中からも漆原に続くものが出るかもしれないなと、松田先生は集まった1年生をぐるりと見回した。
『お芝居は、空っぽにした自分の中にほかの人物を棲まわせる作業です』
舞台の上でひときわ存在感を放っていた漆原先輩は、間近で見ると思いの外小柄で、ずっと幼く見える。3年生ともなるとスカート丈をギリギリまで詰めたり、お化粧をしたりする生徒が多い中で、漆原先輩はずっとずっと地味な出で立ちだった。でもその方が良いのかもしれない、と葉月はぼんやりと感じた。
……だって、わたしを消してほかの誰かになるのだもの。
憧れとも尊敬ともつかぬ思いで、葉月は漆原先輩を見つめた。きっといつか、わたしも。目の前に広がる高校生活という道のりを包むオレンジ色の暖かい光が見えたような気がして、葉月のこころは大きく膨らむ。膨らんだこころが逃げ出さないように、葉月はまた、両手でしっかりと口を覆い隠した。
自分を空っぽにして、ほかの人物を生きる。無意識のうちに、葉月はそれを高校生活全般に取り入れていた。
葉月と同じ中学校から産経高校へ進学した生徒は、ふたりいた。スポーツ特待生が1人と、普通受験の生徒が1人。そのどちらとも、中学生時代に関わりを持ったことはなかった。いじめの噂をふたりがどの程度耳にしているかは気にかかるけれど、葉月にとってはまさに、新しい自分をやり直す絶好の機会だった。
『はづ~、ごはん食べよ』
英語の教科担任が出ていったドアから顔を覗かせ、明美が手招きをする。
『行く行く~』
声をあげた葉月は、明美が待つドアへとゆったり歩く。途中、七奈美を誘い、麻季を誘い、恭子を誘い、明美と連れ立って中庭へと続く階段を下りてゆく。5人分の上履きがぺたぺたと音をたて、コンクリートの壁に反響した。
高校に入学した葉月が真っ先に取り組んだことは、教科の予習でも、新学期の目標を立てることでもなく、『明るくて活発なはづ』を皆に印象付けることだった。薬局で買ったブリーチ剤で髪色を明るくし、プリーツスカートはウエスト部分を巻き上げて下着が見えそうな丈に調節した。休み時間には七奈美や恭子たちと集まって、わざとらしいくらいの嬌声を教室いっぱいに響かせた。恭子や麻季の友達、そしてそのクラスメイトと、友が友を呼び、葉月たちのグループは学年でいちばん目立つ存在となっていた。
『あ、来た来た。おっそいよぉ~』
中庭のベンチで、栞奈が手を振る。
『ごっめ~ん。カヨコの英語、全然終わんねんだもん』
『もお、先に食べ始めちゃってたかんねっ』
栞奈の隣に座った紀子が箸を持つ右手を高く上げた。指先がじゃんけんのグーに揃ったその握り箸からそれとなく目を逸らして、葉月は笑い声を上げる。
『ちょっとお。冷たくね?』
『だあって、待ちきれなかったもん』
箸の先に突き刺したミートボールを前歯で小さく噛りとりながら紀子が反論する。葉月は笑い声をとぎらせないように注意しながら、紀子とは対角線になるベンチに腰を下ろした。多くの生徒たちが教室で昼食をとるなかで、葉月たちのグループは中庭に集まるのが暗黙のルールのようになっているのだった。
『ねね、恭子は部活どうすんの?』
購買で売っている焼きそばパンを頬張りながら、栞奈が切り出す。
『ん~、結局ね。男バレのマネージャーやろうかなって思って』
『そうなんだあ』
『栞奈は?』
『あたしぃ?まだ決まんなくてさぁ』
本当は栞奈も、男子バレーボール部のマネージャーをやりたがっているのを、葉月はなんとなく感じ取っていた。その栞奈の目の前で、恭子が2年生の生徒からマネージャーにスカウトされたのは、 放課後に入り浸っていた駅前のファーストフードでのことだった。色白で瞳の大きな恭子は、入学してすぐに上級生たちの注目を集め、バレーボールの他にサッカー部やラグビー部からも、マネージャーにならないかとの誘いを受けていた。
『でも、なんで男バレにしたの?』
プチトマトのへたを弄びながら、七奈美が聞く。七奈美は誰よりも先に、陸上部への入部を決めていた。中学の頃から短距離の選手をしていた彼女は、インターハイを目指すとはっきり公言している。
『そりゃあ、中身でしょ』
パーマのかかった毛先を指に巻き付けながら、恭子は当然とばかりに言い切る。男子バレーボール部はそれほど強くはないけれど、各学年で目立つタイプの生徒たちが集まっていて、女子の間では花形の部活だった。
『ラグビーとか、試合多いから大変そうだし』
あんまり汗くさいのとか、やだしね。最後は鼻で笑うようにして呟く。栞奈の表情が次第に固くなるのを、恭子は気付かないのだろうか。居たたまれないような思いでいる葉月を、明美が指先で突ついた。
『はづは?』
『う~ん。演劇にしようと思って』
『演劇?』
麻季と栞奈が同時に声をあげ、顔を見合わせる。
『なんで演劇?』
『いや、やってみたくて』
へえぇ~、とわざとらしく目を見開いた麻季は、演劇ねぇ~、と呟きながら観察するような素振りで葉月を見る。
『なんで?なんかおかしい?』
『おかしくないけどさぁ。地味じゃね?』
もっと、ダンスとか軽音とか、楽しそうなやつ選ぶかと思ってた。そう言う麻季に同調するように、紀子と恭子の頭が縦に揺れる。
『そっかな』
『わたしは、良いと思うけど』
葉月が口を開くのと同時に、七奈美が声をあげた。
『すごく、はづらしいと思うけどな』
七奈美の言葉に明美が頷く。
『うん、わたしもそう思うよ』
そっかな、と照れ笑いをしてみせる葉月の頭上で昼休み終了の予鈴が響いた。あ~、もう終わりかよぉっ。大声で嘆くのとは裏腹に、葉月の背中からはどっと緊張が解けて落ちるのだった。
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