日本中がこの光景に
くぎづけになった
ジャンボ機
離陸から
(衝撃音とアラーム音)
(濱)ヤベッ
爆発音の直後
機体はバランスを崩し
コントロールを失う
激しいダッチロールの中で
機長達は懸命に機体を立て直そうとした
だが
32分に及ぶ闘いの末
群馬県…
深い山岳地帯だった
情報は錯綜し
機体の残骸がカメラでとらえられたのは翌朝のことだ
この事故で
30年前
悲しみの夏
(号泣する女性)
惨事だった
誰もが衝撃を受けた
そのさなか
(キャスター)川上慶子さん12歳
発見される
中学生だった
兵庫の自宅に向かっていた
娘
勤務明けだった客室乗務員
奇跡の生還に
人は皆息をのんだ
この夏私達が訪ねた
川上慶子さんの実家
そこには
暮らしている
両親と
下の妹・咲子さんが
事故の犠牲になっていた
これまで多くを語らなかった千春さんが
カメラの前で初めて
妹そして事故の30年を
話し始めた
番組が独自に入手した
事故調査委員会の内部資料
そこには生存者4人の
生々しい証言があった
「…音とともに」バタバタするぐらいですから生きてるぞ生存者発見!川上慶子…お父さんは墜落直後生きていた?はい
当事者達の
私達は事故の全貌を
見つめ直した
コックピットの壮絶な闘いが
…から浮かび上がる
そして初めて明らかになった
撮影されていた唯一の機影
機長達の苦渋の選択が見えてくる
30年を経ても
癒えない
夫婦がいる
夫を失った身重の妻には
小さな命が支えだった
遺族達が30年間抱えてきた
やり場のない怒り
事故の原因は
機体後方にあって
客室の気圧を一定に保つ壁は
ずさんな修理が引き金となって破損
招いてしまった
けれど誰が
いまだやぶの中だ
番組は
ボーイング社の作業員
日米の壁に阻まれ
30年の間闇に包まれてきた謎に
新たな光が当たる
生存者の一人
両親と下の妹を失った
遺族でもある
父親のカメラは
墜落現場から見つかった
衝撃で形はゆがんでいるものの
中のフィルムは無事だった
北海道旅行を楽しむ
家族のスナップ
この旅から帰る途中の
事故だった
(千春)北海道旅行?北海道北海道ねえお馬さんにも乗れる?うん乗れるわよやった〜そんなの急に言われたって困るよ部活もあるし嫌だ千春急にじゃないでしょずっと話してたじゃない僕聞いてないよ行かないから行こうよお兄ちゃんも北海道行こうよお父さんもお母さんも何とか休み取ったのに
お父さんは工場勤務
お母さんは保健師として
地域の人々の健康相談に乗っていました
いつからいつまで?7〜12日全然ダメそこ毎日練習千春そんなに野球熱心だったっけ?ねえいいじゃない何言ってんの?まあまあ千春には千春の予定があるんだろ私がいるんだし千春が残りたかったら残ればいいよねッじゃあ残る
川上さん一家は千春さんを島根に残し
北海道へ旅立った
いっちば〜ん!咲子キレイだねうん気持ちいいわねうんホントに千春も来ればよかったのにまだ何度も機会があるだろう旅行する慶子撮ってみるか?いいの?もちろんはいチーズ
事故現場から発見されたカメラには
この記念写真も収められていた
一家が参加した北海道ツアーは5泊6日
札幌小樽摩周湖や襟裳岬を巡った
北海道の雄大な景色にとても癒やされました次はぜひ雪の季節に来たいと思いますありがとうございます川上さんご一家はもうそろそろ飛行機のお時間ですよねはい残念ですが一足先にお帰りになるようなので川上さん一言お願いします
川上英治さんが求められた旅の印象
その肉声が残っていた
テープには咲子さんの声も録音されている
(女性の声)おめでとうまたなじゃあな
咲子が帰ってきたら
僕も「お誕生日おめでとう」と言うつもりでした
大阪の親戚を訪ねる予定だった
川上さん一家は
千歳からの直行便が取れず
羽田で大阪行きに乗り継いだ
おい1つ前の便にキャンセルが4つ出たちょうど4つだなんてついてたわね1つ前の便って?123便はいはいなくすなよ
僕が素直に北海道旅行に行っていれば
家族は123便に乗れず
無事に帰ってきたかもしれない
そう考えずにはいられません
いつもなら仕事で利用するビジネスマンが多い大阪行き
だがお盆間近とあって
乗客には帰省客や旅行の家族連れも目立った
彼は出張を終え
妻の紀美さんが待つ大阪へ
帰ってくる夫のために紀美さんは
ポトフや天ぷらを用意していた
妊娠3ヵ月
おなかには2人とって
初めての赤ちゃんがいた
パパそろそろ飛行機乗ったかな電話は向こうに着いてからだな
乗客乗員524人
123便はほぼ満席だった
お父さん先入ろうかうん
川上慶子さん最後尾
そのわずか
3メートル後ろで異変が起こる
お父さん先入ろうかうん
川上さん一家の座席は
最後尾だった
日本航空の客室乗務員
勤務明けで大阪へ帰るため
123便に乗り合わせた
後方左の通路側だった
パパ何番?54のD〜Hだねじゃあここねはい早く入ってお父さん富士山が見えるのはどっち側?う〜ん右側かなじゃあ僕ここ2人ともシートベルトできる?うん大丈夫
さん一家5人は
東京の博子さんの実家から
兵庫県の自宅に帰るところだった
子供達を飛行機に乗せてやりたくて
123便のチケットを取った
一家が座ったのはこの席だ
4人の生存者の座席は
そして
偶然にも日航123便は
撮影されている
宝塚歌劇団出身の
彼女も乗り合わせていた
秋には初めての
主演ドラマが決まっていた
上を向いて歩こう…
国民的歌手だった
大阪の知人が選挙に出るため
応援に向かおうとしていた
高校野球を観戦しようと
親戚が待つ大阪へ
初めてのひとり旅だった
コックピットには
昇格間近だった
佐々木副操縦士が
左の機長席に座っていた
この映像も偶然
撮影されていた
123便に一体
何が起きたのか
事態を知る大きな手がかりがある
ジャンボジェットと呼ばれたボーイング747型機
機体後部に飛行状況を記録する機械を搭載していた
開けます天井開けます
管制とや…
コックピットの緊迫した様子が
録音されている
(濱)バンクとんなそんなにバンクそんなにとんなって!
一方の
墜落に至るまでの
様々なデータを蓄積していた
機体の向き
高度変化を見ると離陸から順調に上昇した機体は
ある時点から突然激しく乱高下していた
これらのデータに基づいて
123便のフライトを
正確に映像化してみた
協力してくれたのは
当時事故調査委員会で
フライトレコーダーの解析にあたった
これは高度か何かでしょ
当時に比べコンピューター・グラフィックスの技術は飛躍的に進化している
細部までの再現が可能になった
黄色い線は…
やがて123便が体験した
想像を絶するフライトが
明らかになってきた
乗客を守るため
コックピットはどう闘ったのか
日本航空123便は
定刻をやや遅れて羽田空港を離陸
機内には普段と
何一つ変わらない光景があった
客席最後尾には
川上慶子さん一家
はいどうぞありがとうどういたしましてはいどうぞありがとうどういたしましてありがとうございますもう一つのほうがよかった慶子言えばよかったのに自分できちんと言えるようにならなきゃねうんお母さん富士山キレイだよああ〜ホントね
午後6時24分
123便は機首を西に向け
相模湾上空にさしかかる
乗客の一人が撮影した
機体右側の夕焼けに染まる富士山
だが異変は目前に迫っていた
ボイスレコーダーに残されていた音声
コックピットと客室乗務員が
やりとりした直後
突然の衝撃音が響く
(衝撃音とアラーム音)ヤベッ
何らかの爆発と判断した機長は
発信した
一体何が起こったのか
事故調査報告書は
この衝撃音を圧力隔壁が
壊れた音だと推定している
圧力隔壁とは
気圧を地上と同じにするため
加圧された客室と
気圧の低い外を隔てる壁だ
隔壁が圧力の差に耐え切れず破損すると
客室から一気に空気が噴出
その力で機体最後尾が吹き飛ばされた
噴き出した空気は垂直尾翼の内部にも流れ込み
尾翼を破壊した
全てはほんの1秒あまりの出来事だった
(衝撃音とアラーム音)ヤベッ
そして異変後の123便の動きは
機体は左右に大きく傾きながら蛇行し始める
いわゆる…
データではこのときの傾きは
およそ30度に達していた
致命的なダメージとなる圧力隔壁の破損は
川上慶子さんのわずか3メートル後方の出来事だ
生存者達はその異変を記憶している
わあ〜ッ!何だよこれ!?何何!?
混乱の中乗客へのアナウンスに走ったのは…
ボイスレコーダーにその声が残っている
わあ〜ッ!充芳大丈夫だ充芳マスクを口にあててお母さんこれ訓練?マスク…酸素が出ない苦しい美紀大丈夫!?ううッうッ美紀美紀!大丈夫?
実は圧力隔壁が破れ
噴出した空気で垂直尾翼が破壊されたとき
もう一つ
飛行機は油圧で舵を動かして
方向転換や上昇下降を行っている
垂直尾翼にはその油圧の配管が集中していた
しかし垂直尾翼の破壊でその配管が全て破断
次第に油が抜け123便は
操縦が極めて困難な状況に陥っていった
世界に4機しかない
特殊な飛行機で
こちらをシミュレートする実験が行われた
飛行中
…で実験を開始
たちまち水平飛行が保てなくなる
左右の傾きが激しくなり
こちらが始まった
実験では最大15度だった
それでも同乗した取材スタッフは恐怖を感じた
(スタッフ)窓の外の景色も
(スタッフ)今ダッチロール状態になってます
15度の傾きでさえ体は左右に振られる
また123便と同じように
舵がきかないためダッチロール状態から
安定を取り戻せない
123便はさらに過酷な状況で
30分以上も飛行を続けたことになる
落ち着いてマスクを鼻と口にあてバンドを頭にかけてくださいシートベルトはしっかりと締めてくださいシートベルトはしっかりと締めてください
異変から6分後の午後6時30分
家族へのメッセージを残した乗客達がいた
後方のシートに座っていた…
出張を終え家族の待つ大阪へ向かっていた
エチケット袋に記された遺書は
血に染まって発見された
「まち子子供よろしく」「大阪みのお」
その袋には免許証が包まれていた
家族の元に確実に届くようにと祈ったのだろうか
記された時刻は…
通路を隔て谷口さんの隣に座っていた…
お盆休みを返上しての
大阪出張だった
会社の封筒に
痛切な言葉が記されている
「18:30急に降下中」「死ぬかもしれない」「みんな元気でくらして下さい」「さようなら」
仕事で大阪に向かっていた
座席は…
血痕のついたノートに走り書きで残されていたのは
切迫した機内の様子だ
「突然ドカンといって」「マスクがおりた」
2歳の息子に向けた最後の言葉
「哲也立派になれ」
その2列後ろ
彼のメッセージは
刻みつけるような強い筆圧だった
「パパは本当に残念だ」「きっと助かるまい」「もう飛行機には乗りたくない」「今6時半だ」「本当に今迄は」「幸せな人生だったと」「感謝している」
4人の遺書に共通する
午後6時30分
上下にも揺さぶられていた
午後6時30分過ぎ
123便はダッチロールに加えて
上下にも大きく揺さぶられていた
機体の
乗客には相当な負担がかかっていたと考えられる
濱機長は管制に呼びかけた
だが制御不能に近い機体を
どのようにコントロールしたのか
フライトレコーダーには
4つあるエンジンの出力変化が
それぞれ記録されている
データを比べると
内側2つのエンジンは
ほぼ同じ出力だが
外側のエンジンは左側がやや高い
左の出力が高くなれば
機体は右に曲がっていく
尾翼を失い舵がきかなくなった123便は
エンジン出力の差を利用して
方向転換を試みたのだろうか
静岡県上空で機首を
羽田方向に向ける様子を見た人がいる
ちょっとこう斜めにねこういうふうに揺れてずーっと行ったもんですからね皆さん大丈夫ですよ大丈夫ですよ!酸素が出ません!酸素はマスクを強く引っ張ってください落ち着いてください大丈夫ですゆかり!?ゆかり大丈夫?落ち着いてください大丈夫です!ああ〜おいッ本当に大丈夫なのか!?大丈夫です座席の下にある救命胴衣をつけてください下だ下!救命胴衣ってどこにあるの?これどうやってつけるんだ?座席のポケットの中にある安全のしおりを見て救命胴衣をつけてください!
乗客として乗り合わせた
日本航空客室乗務員・落合由美さん
ないよないよ!
周囲の乗客に声をかけた
キャーッ助けて!うろたえるな
異変から14分
その空気抵抗で機体の安定を試みたのか
油圧システムがダウンしていたため
緊急手段として電動で車輪がおろされた
その空気抵抗などで機体は
午後6時39分からの8分間で
山梨県大月市上空で機体は大きく右旋回
落合さんが左手に
富士山を見たのは
この頃だと思われるだが…
行く手には
車輪を出して空気抵抗を増した123便は
大月市上空を
大きく右旋回しているその中で
機体の動きが安定したことは
フライトレコーダーのデータが示していた
だがその安定は3分間だけだった
その6時45分の様子を
書き残している
「機体は水平で安定している」「酸素が少ない気分が悪い」「機内よりがんばろうの声がする」
この頃米軍横田基地からの呼びかけに
機長はこう応えていた
操縦不能…
その直後の機長の言葉
操縦不能の123便は左に旋回し
多摩西部上空から山岳地帯へ向かっていった
地上から機影が撮影されたのはまさにこの頃だった
ただならぬ様子の飛行機にカメラを向けた
あそこにあります
2回のシャッターのうち1回が機影をとらえた
異変が起きてから123便の
この写真は事故調査の貴重な手がかりとなった
私達はこのネガをこちらに持ち込んだ
最新の技術でスキャンし
こちらでデジタルリマスターすると
鮮明な123便の姿が現れた
プリントと比べると
右の8K化した画像は
輪郭がはっきりしている
本来の形と重ね合わせると
尾翼のおよそ6割が欠落しているのが見える
事故調査に関わった藤原洋さんには
改めて確認できたことがあるという
胴体から出た車輪ボディ・ギアと
主翼から出た車輪ウィング・ギア
この辺がボディ・ギアのような感じですねでこちらがウィング・ギアのように見えるんですけど
鮮明な写真は
車輪を出して機体の安定を図った
こちらを伝えている
123便が奥多摩上空を通過した頃
緊迫は一段と高まっていた
濱機長はクルーを励まし続けた
123便は再び高度を3000メートルまで引き上げた
3県にまたがる山岳地帯
123便のコックピットからは
この光景が見えていたと思われる
右奥に見えるのが…
稜線が連なる複雑な地形の中にある
午後6時55分さらに高度を上げようと
フラップを出した
フラップは油圧システムが機能しなくても
電動で操作できる
その代わり
わずかの時間差でもバランスが崩れる
しかも電動は反応が遅い
機体は再び急角度で降下し始めた
メガネ外せ!危ないからあッはい
かつて経験したことのない非常事態
客室乗務員は乗客を守るためのアナウンスを続けた
頭を下げて頭を下げて!安全姿勢をとってください!慶子頭を下にしろ!
フライトレコーダーに刻まれた123便の最後…
私達は
詳細なデータだ
最後の20秒間
機体の角度は信じられないほど急激に傾いていた
(濱)あたま上げろパワー
(地上接近警報が鳴り続ける)
初めて明らかになった20秒間の動きを
もう一度検証してみよう
機体は稜線ギリギリで
わずかに機首を上げる
だが
衝撃でエンジンが1つ脱落した
主翼の一部は吹き飛び
残る…
機体はほとんど裏返しの状態だった
後に撮影された現場の映像
なぎ払われた…
そして主翼の激突でえぐられた稜線が
はっきりと見て取れる
フライトレコーダーとボイスレコーダーの記録は
…で途絶えていた
激突の衝撃で電源が落ちたのだ
しかし墜落の瞬間を
あるものがとらえていた
墜落現場からおよそ9キロ離れた
長野県川上村
そこには
設置されている
観測された波形は2つの小さな振動と
1つの大きな振動を伝えていた
最初の振動は
2つ目が稜線と
そして3つ目の大きな波形が
墜落の瞬間と考えられる
はじき出された墜落時刻は
つまり123便は
電源を失った2秒後に墜落した
御巣鷹の尾根に墜落して大破した胴体のうち
後部は尾根を越え
急な斜面を滑り落ちたと思われる
4人の生存者達はその後部座席に座っていた
墜落の瞬間を生存者達はこう語る
ああ…
奇跡的に助かった人達がいた
(呼吸が荒い)うッ…うッ…うッ…
墜落直後もっとも早く現場上空に到達したのは
飛行中だった米軍の輸送機だった
横田基地に向かう途中
確認に向かっていた
彼らが目にしたのは闇の中に燃え上がる炎だった
だが日没はとうに過ぎ
それが山腹なのか頂なのかは定かではない
炎は周囲に点々とくすぶっていた
GPSなどない時代
夜の山岳地帯で空から正確に位置を把握することは
不可能だった
救助までには長い時間を要することになる
その後
何機ものヘリコプターが上空を行き来した
日航の客室乗務員だった落合由美さんの記憶
あッ…
家族5人で乗っていた博子さん
充…芳…
博子さんの長女
そして家族4人で最後尾に乗っていた
その頃慶子さんの実家では
ごちそうさまでしたあッメロン食べるか?うん?お母さんが北海道から送ってくれてるよみんな帰ってきてからでいいかな
家族みんなで食べよう
しかし千春さんの思いはかなわなかった
みんな何時頃帰ってくるの?千春は何を言ってるの今日はお父さん達は大阪のおばさんのうちに泊まるのふ〜んよっこいしょっとここで緊急ニュースです今日午後7時前羽田発大阪行きの日本航空123便がレーダーから消えました
(キミエ)何が消えたって?羽田発大阪行きの日本航空123便が…飛行機何か事故みたい危ないねえ
(電話のベル)はい川上ですああ大阪のおばさん?・千春?どうしよう・お父さん達を待ってるんだけど来ないのよ・そしたらテレビで飛行機が消えたってえッ?
大阪のおばさんから連絡がありました
でもこのときはまさか
その飛行機に乗っているとは思いませんでした
その頃東京から帰るはずの
小澤孝之さんを待っていた妻・紀美さんは
妊娠中の私は少し疲れてしまい
ソファーで横になって夫の帰りを待っていました
(電話のベル)はいもしもし小澤です・
(男)すみません小澤さん帰ってらっしゃいますか?
勤務先からの電話でした
その声の調子から何となく嫌な予感がしました
いえまだですがあの…何か?・テレビをつけてらっしゃいますか?テレビですか?羽田発大阪行きの日本航空123便がレーダーから消えました繰り返します今日午後7時前羽田発大阪行きの日本航空123便が…何があったんですか?・どうも小澤さんの乗っていた飛行機が・事故に遭ったみたいなんです消息を絶ったのは乗客・乗員524人を乗せた羽田発大阪行き123便のボーイング747型機で羽田の北西およそ100キロの上空で機影がレーダーから消えたということです
現実が紀美さんにはなかなかのみ込めなかったという
9時か10時には親戚や知人が集まってきました
千春座布団出してすいませんねホントにこんなときにいいよ母さん入ってまだ事故に遭ったとは限んないよ何かの間違いかもしれん
僕も何かの間違いだと思っていました
それでは123便の乗客名簿にお名前がある方をお伝えいたします性別は分かりませんがお名前だけ読み上げます川上英治さん
(知人)英治さんの名前だよ!ちょっと聞こえないよ川上フサエさん川上エイイチさん川上テツジさん名前が違う和子慶子咲子なのにフサエとかエイイチって言ってたなでも英治さんの名前は合ってたどういうことだ?川上英治なんて珍しい名前じゃねえ人違いだ英治さん達は乗ってねえんだよ
僕達はみんなこんなニュースを信じられないし
信じたくなかったのです
(男)川上さんすみませんは〜い川上さん夜分すみません123便の事故の件でお話よろしいですか?日本航空から連絡ありましたか?川上英治さんのお写真をお借りできませんか?
あとで分かったことですが
お父さんはフライトのキャンセル待ちを
「川上英治ほか3名」で旅行会社に頼みました
そのためお父さんの名前以外は
担当者が適当に書き込んだようです
この夜の様子はニュース映像にも残されている
駆けつけた親戚や知り合い達は
テレビに映し出される混乱を食い入るように見つめていた
父親・英治さんの似顔絵は
末っ子の咲子さんが描いたものだ
カメラは千春さんにも向けられた
14歳の千春さんの胸に
不安が広がっていた
乗客名簿にお名前がある方をお伝えしております少し休まないとおなかの子に障るからうん少し眠ったらどうだ
妊娠中の私は医師から現地に向かうことを
止められてしまいました
代わりに兄達がすぐに出発してくれましたが
墜落現場すらはっきりしていませんでした
小澤孝之さん29歳小澤孝之さん29歳
事故機に夫が乗っていたことはもう間違いありません
紀美?
それでも私はなぜか
夫が無事に帰ってこられると信じていました
その夜は一睡もできませんでした
123便はどこに落ちたのか
当初情報は長野県側に集中する
だが上空からの情報だけでは
長野県警にも現場の特定ができない
何よりも地上からの捜索が急がれていた
当時の映像で壁に掲げられている位置は
その場所が御座山北斜面だと記されていた
しかし実際のその位置は
墜落地点から4キロも北に行った群馬県内
長野県の御座山とは
まったく別の場所だった
長野県警に墜落地点は
三国山と御巣鷹山の中間付近とする
ほぼ正確な情報がようやく届いたのは
身動きひとつできぬまま生存者達は
いつ明けるとも知れない長く暗い夜を耐え抜いた
ああ…
絶望と希望が交錯する中で
次第に空が白み始める
8月13日午前4時39分
主翼が横たわっていたのは
群馬と長野の県境から700メートルほど群馬県側だった
長野県警のヘリ・やまびこ
そのヘリで現場に向かい
4人の生存者を見つけることになるのが
ヘリからの降下訓練を積んでいた
2人は
だが問題はそこからだった
道らしい道もない
目星をつけた2人は現場へと急いだ
上空から頭にたたき込んだ地形だけが
頼りだった
深澤大丈夫か?はい
休むことなど許されない
生存者がいるとすれば事態は一刻を争うはずだ
(美紀子)お母さん…お母さん…美紀…お母さん…
(美紀子)お母さん寝ちゃダメ寝ちゃダメだよ美紀大丈夫?
(美紀子)大丈夫お母さんゆかちゃん冷たいよ
そこに駆けつけたのは
現場にもっとも近い群馬県
ジャンボはどこだ?こんなに粉々じゃ…生存者は…残骸が集中してるな何か動いてるぞ何か動いてるぞ人じゃないか?長野県警深澤ですどこだ!どこだ!どこだどこだ
(柳沢)今から行きます手を挙げてください手を挙げてください手を挙げてください手を挙げてください!あそこだ生きてるぞ生存者発見生存者を1名発見しましたもう大丈夫だ今すぐ助けるぞ
最初に発見されたのは落合由美さんだった
そのすぐそばに博子さんがいた
(博子)すいません美紀声を出してすみませんすみませんすみませんその中で大丈夫ですか?大丈夫ケガは?痛い…すぐに助けますから生きてますもう一人ここにいます!生存者発見!ほかに誰かいますか?子供が…子供です子供がいます!大丈夫?痛い…今助けるからね頑張るんだ重いぞせ〜のこのときに…ということなんでしょうかねホントに
深澤隊員はがれきの下からさんを助け出し
その体を背負って安全な場所まで運んだ
…と自分を奮い立たせた
川上慶子さんもすぐ近くにいた
今回救出の詳細が明らかに
声が聞こえたら手足を動かしてください声が聞こえたら手足を動かしてください声が聞こえたら手足を動かしてください生存者がいたぞ!しっかりしろ今助けるぞケガはないか?
最後に発見された生存者川上慶子さん
名前は?言える?川上慶子
4人の生存者は
機体後部は御巣鷹の尾根を
スゲノ沢まで滑り落ちていた
現場をとらえた1枚の写真には
救出の全てが収められている
深澤隊員によれば4人の位置関係はこうだ
最初に発見された落合由美さんは
残骸に体を挟まれていた
自衛隊員が必死に残骸を取り除いている
深澤隊員はこのとき
自分が見つけた
…に取りかかっていた
そこからほんの数メートル
柳沢隊員はまさに
川上慶子さんを助け出そうとしている
この写真は4人の
…を切り取っていた
機体の後部で離れて座っていた4人
見つかったときには
4メートル四方の範囲に集中していたという
同じ頃羽田空港には
不安を抱えた乗客の家族達が続々と集まっていた
その頃僕は羽田のホテルにいました
乗客の家族はそこからバスで群馬県藤岡市に向かうのです
昨晩消息を絶った日本航空123便ですが本日早朝…
不安でたまりませんでした
現在自衛隊が事故現場を捜索しております今生存者が4人いたという情報が入ってきました生存者のお名前は川上慶子さん慶子…生存者のお名前は川上慶子さん慶子…千春今川上慶子って…うんうん
お父さんお母さん咲子も生きているかもしれないと
希望を持ちました
(キャスター)昨晩消息を絶った…
生存者がいると知り
私は「ああもう大丈夫」と
本気で思いました
生存者のお名前は川上慶子さん落合由美さん博子さん美紀子さん生存者は全員女性です繰り返します…
しかし夫の名前は呼ばれませんでした
紀美大丈夫
墜落から18時間あまりがすぎた
8月13日午後1時すぎ
自衛隊のヘリによる生存者4人の搬送が始まった
最初にヘリに収容されたのは…
乗客乗員の全員が絶望と思われていた中で
奇跡ともいえる救出劇だった
慶子さんの祖母は
その光景をテレビで見守っていた
家族5人で123便に搭乗した
さん一家
8歳の美紀子さんと
母親・博子さんの親子2人だけが助かった
そして勤務明けだった日航の客室乗務員
日本中が驚がくし胸を震わせた
全身打撲に加え右腕がまひする重傷を負っていた慶子さん
両親と下の妹を亡くした兄の千春さんにとって
慶子さんの生存はせめてもの救いだった
…というようなやっぱり
僕達は慶子が搬送された病院へ急ぎました
大阪のおばさんも駆けつけてくれました
(ノック)
(ドアを開ける)
(看護師)どうぞこちらです慶子大丈夫か?お父ちゃんとお母ちゃんは?咲子は?
8月14日おばさん達がお父さんお母さん
咲子の遺体を確認しました
お父さんと咲子はとてもキレイだったそうです
こんなにたくさんのお見舞いありがたいねみんな慶子のこと心配してくれてるんだようんそれから警察の人が慶子から話を聞きたいっていいよね?嫌だどうして?事故のこと話せるの慶子だけなのよほかの3人はケガがひどくてまだ話ができないらしいから慶子だって痛いだろうけど話はできるでしょ警察の人に協力しなきゃ何で話したくないの?思い出したくないだって…すごく怖かったんだよ事故のことなんて忘れたいのに…何で思い出させるようなことするの?そうだよね怖かったよねでも慶子亡くなった人のことを考えてみてこんなこと二度と起こしちゃいけないそのためには何で123便が墜落したのか原因を突き止めておかなきゃなんない生き残った人の証言が必要なのお母さんだって何があったのか慶子に話してほしいと思うよお母さんこんな事故で亡くなるのすごく残念だったと思うから分かった話す失礼します
群馬県警の事情聴取が始まりました
お父さんは墜落直後生きていた?はい
生存者は123便に何が起きたかを知る
貴重な証言者だった
事故から3日後
群馬県警は川上慶子さんに事情聴取した
最初に飛行機がおかしいなと思ったのはいつ?どんなときかな?スチュワーデスの人におもちゃをもらって少したった頃です突然左後ろの壁の上の天井のほうがバリッていいましたそれと同時に白い煙のようなものが見えましたそのあと酸素マスクが落ちてきてみんなマスクをつけ始めました
(刑事)そのあとどうしたの?
同席していたおばさんによると普段口数の少ない慶子が
せきを切ったように話しだしたそうです
墜落したあとのことを聞かせて一番最初に気づいたとき周りは真っ暗?それとも明るかったのかな?暗くて何も見えませんでした明るくなってきてからは何か見えた?太陽と木と大きいネジみたいなものが見えましたお父さんお母さん咲子ちゃんのことを聞いても大丈夫かなお母さんは最初から声が聞こえなかったお母さんは?でもお父さんが動こうとするとすごく痛くって慶子ちゃんちょっと待って「お父さんが動こうとすると」ってお父さんは墜落直後生きていた?はい私が「お父さんが動くと痛い」って言ったら…ないから切れない明るくなってきてから隣にタオルみたいなものが見えて触ってみたら…左手が届いたので触ってみたらお父さんが冷たくなってました咲子は…咲子頑張って家に帰ろうねッ「おばあちゃんとお兄ちゃんが待ってるから」って言ったけどそのうち吐くような声を出してそのあと何も言わなくなりましたちょっと何であなたが泣いてるのよちゃんと全部メモとって自分にも同じくらいの娘がいるので…すいませんほかにも人の声がしましたほかにも?夜ヘリの音がしたとき「分からないのかな助けにこないのかな」ってガヤガヤしてました
墜落後はまだ息のある乗客がいた
ほかの生存者も慶子さんと同じ証言をしている
博子さんは墜落後救出を待つ間
…という
TBSの取材に対し博子さんは…
番組が入手した事故調査委員会の
こうした証言に川上慶子さんの兄千春さんは
今も悔しさをにじませる
なぜもっと早く救出活動を行えなかったのか
官邸で事故対策本部の会議が開かれたのは
墜落から4時間を経た
午後11時だった
当時官房長官の秘書官として出席していた
平沢勝栄氏は言う
対策会議の議事録を見ると
警察消防自衛隊ともに
ヘリでの捜索は明朝からと判断していたことが分かる
夜間の捜索を避けた理由はこうだ
米軍機はもっとも早く事故現場を確認している
墜落の1時間後に発進した
自衛隊のヘリ
現場上空から炎を確認していた
彼は暗闇に目を凝らしながら
近づける場所を探した
だが…
いち早く伝えられていた的確な位置
後の検討会議によると
自衛隊はこのとき
無数の情報に惑わされていたという
…が官邸に届いたとき
…が経過していた
救出に向けた動きは
十分だったのだろうか
墜落現場から見つかった遺体は
群馬県藤岡市の体育館に収容された
遺族達はつらい確認作業に臨まなければならなかった
ひつぎで埋め尽くされた遺体安置所
身元の確認は難航した
墜落の衝撃などで損傷の激しい遺体が多かったからだ
初めてのひとり旅だった…
母親の邦子さんは
現場で見つかった我が子の小さな運動靴を
大切にしている
最後まで持ち主が分からなかった遺品は
日本航空に保管されている
その腕時計は墜落時刻をさして止まっていた
事故の衝撃の激しさを物語る遺品
当時仕事場で欠かせなかった電卓
30年を経てもなお
一つ一つから
声にならない慟哭がわき上がってくるようだ
事故から5日
群馬県の病院に慶子さんを残して
兄の千春さんは
地元・島根に戻った
両親と咲子さんの3人は
無言の帰宅となった
(号泣している)
詰めかけた報道陣に千春さんは
…を口にしている
千春さんには残された者としての重圧が
のしかかっていた
マスコミは慶子さんの入院先にも押し寄せていた
慶子さんは奇跡の生還を果たした
時の人だった
地元の病院に移ってからも
その過熱ぶりは収まらない
(キャスター)あッ今姿が見えましたかなりうつむき加減です非常に緊張しています
しかしこうした世間の目は
日に日に慶子さんの負担になっていった
四十九日の法要のため
入院中の慶子が一時帰宅しました
まだっすかね遅いですね・慶子
(カメラのシャッターを切る音)
(インタビュアー)慶子ちゃん久しぶりに家に戻って今どんな気持ちですか?懐かしかったって言ってました
(インタビュアー)慶子ちゃんが一番したいことは学校に行くことかな?慶子ちゃんと話して早く学校に行きたい友達とも遊びたい
(インタビュアー)千春君はどうかな?慶子ちゃんと自分の家で久しぶりに会って早く…普通の生活に…戻したい
(インタビュアー)慶子ちゃん疲れてるところごめんね今例えばお友達とかにね言いたいことある?もう…学校に行くときもカメラマンの人達には追いかけてこないでほしいですこの子には報道関係がすごく負担なんです
(インタビュアー)今日はおばあちゃんとどんな話したのかな?ケガの具合はどう?一言でいいんだ
このあとも
慶子はマスコミの注目を浴び続けました
520人の命を奪った墜落事故
初証言
…に迫る
123便の墜落からおよそ2年
事故調査報告書がまとめられた
報告書は事故の原因を
圧力隔壁の破損だと指摘している
123便の圧力隔壁には
修理ミスがありそれが破損につながったという
そもそも…
こちらを組み合わせてできている
空気が薄く気圧の低い上空では
この薄い壁が
気圧を一定に保った
客室を守っている
123便の機体は
墜落の7年前尻もち事故を起こし
機体後部を破損していた
別の飛行機が起こした尻もち事故の映像がある
機体後部と滑走路の接触だった
こうした事故で…
修理は機体を製造した
こちらが担当
事故の原因とされる圧力隔壁の修理は
この手書きの指示書に従って行われた
修理では
尻もち事故で破損した
下半分が交換された
ミスはこのつぎ目で起きている
指示書には
上下の隔壁を接合するのに
1枚のつぎ板を使い
それぞれの隔壁を
2列のリベットで固定するように書かれていた
だがつぎ板は
なぜか2枚にわかれていたのだ
これではリベットが
1列分しかきかず
明らかな修理ミスだった
運航を重ねるたびに
接合部に強い負荷がかかる
修理から7年で
隔壁は壊れた
123便の圧力隔壁は
修理ミスがあった部分から一気に破れ
ふき出した客室の空気が
機体後部や垂直尾翼などを
吹き飛ばしたのだ
2枚にわかれた問題のつぎ板は
現場から回収されている
今回初めて
乗客乗員520人の命を奪うことになった
つぎ板の写真を入手した
確かに2枚にわかれている
誰がなぜこのようなあり得ないミスをおかしたのか
しかし誰がなぜミスをしたのかは
明らかにしなかった
事故の刑事責任を追及するべく…
圧力隔壁周辺の捜査を担当した…
安易な修理の実態に
あきれたそうだ
誰の修理ミスかを突き止めようとした
事故から2年7ヵ月
捜査員達4人が…
けれど彼らは
日米の考え方の違いに阻まれた
こうした事故の場合
日本の事情聴取について
アメリカ側の協力は得られず
ほとんど門前払いだった
結局
捜査は終わった
だがこのとき残された極秘資料を
私達は手に入れることに成功した
機体の修理に携わったボーイング社のチーム
…が記されたリスト
そこには
生年月日や日本に入国した日付なども書かれている
当時
この中に
つぎ板が2枚にわかれた
修理ミスの真相を知る人物がいるに違いない
私達はリストを手にアメリカへ飛んだ
目指したのはボーイング社の本拠地
シアトル周辺
事故から30年
修理からは37年の歳月が過ぎている
名前だけを手がかりに家を捜し歩いた
そのときだった
Hello.・Hello.Hi.・Howareyou?Good,Howareyou?
ついに一人と連絡がついた
前もって取材依頼の手紙を送ってあったのだ
男性はそう口にした
会って話をしてもいいという
これまで修理チームのメンバーが
カメラ取材を受けたことは一度もない
彼の自宅を訪ねた
Nicetomeetyou.Hello.
1966年から30年近く
ボーイング社で働いていたという
まさに現場で修理に携わった…
その名は
間違いなくリストに載っている
群馬県警が事情聴取を望んでいたことなど
彼は何も知らなかった
あの修理がどのように行われたか
私達は単刀直入に尋ねた
記憶を呼び戻すため
123便の機体の隔壁修理に関する指示書を見てもらった
ハウザーさんは
上下の隔壁を接合するときに使うつぎ板に
切れ目などあってはならない
だが123便のつぎ板は
なぜか2枚にわかれていた
誰かがどこかで
1枚のつぎ板を2枚に切ったのだろうか
ハウザーさんは板を2つに切ったのではなく
こう言う
しかしつぎ板には
2つに切られたことを示す証拠が残っていた
表面についたキズだ
2枚の板の…
当時の事故調査官によると
キズはこのつぎ板を作る際についたという
誰かが板を切ったあとで
ハウザーさんは
1枚をつぎ板
もう一枚を別の板だと思って
作業をしたのではないか
ハウザーさんはこう主張する
つぎ板の幅が足りなければ
接合したとき隙間が生まれる
ハウザーさんは
その隙間を埋めるために
もう一枚の板を足したのだと説明した
しかしこれでは
上下の隔壁をつなぎ合わせるリベットは
1列だけになってしまう
別の板を足しても
強度は弱いままなのだ
指示書には…
にもかかわらず
修理に使われたのは2枚
今回の取材で初めて
その事実が当事者の口から語られた
ハウザーさんは今も
こう主張した
もし一人でも修理ミスに気づいていれば
墜落事故は防げたはずだ
あの惨事から30年
お父ちゃんとお母ちゃんは…
事故で家族を失った川上慶子さんと…
分かってるよ!何があったんですか?
身重の体で夫を失った妻
絶望の中で彼女は…
事故が変えてしまった家族の形
小澤紀美さんは妊娠3ヵ月で夫を失った
遺体の損傷は激しく
事故から11日後
アゴの一部から
孝之さんであることが確認された
事故のあと
私は夫のもとへ行ってしまいたいと
ずっと考えていました
だけど…
赤ちゃんが私に話しかけてくれました
ごめんね大丈夫大丈夫ようんそうだね帰ろうね
夫が楽しみにしていた赤ちゃんの命を奪ったら
向こうで叱られてしまうそう思いました
事故翌年の1月
紀美さんは無事出産した
妊娠中の心労が
悪い影響を与えなかったか
そんな不安を忘れさせてくれるような
元気な男の子
父親・孝之さんの戒名から
「秀」の一文字をもらい
明るく育ってほしいという願いを込めて
…と名づけた
秀明が生まれた喜びに包まれながらも
すぐにこの子には父親がいないという現実が
私を襲ったのです
今日はいいお天気だねお散歩日和だよ・
(男)よーしお出かけだぞ!どこ行こっか?どこ行きたい?
(子供)公園よしいいねえパパの肩車高いでしょ〜いいねパパの肩車眠れ眠れ母の胸で秀明いい子でしょすっごくかわいいのいつも見守ってくれてるから知ってるよね?私頑張る頑張って育てるからでも…でも秀明があなたと同じ年になったら私もそっち行っていいでしょう?ダメって言っても私行くよ
事故翌年の8月12日
父親が亡くなった場所に
7ヵ月の秀明君を連れていくことはできなかった
その次の年の5月
紀美さんは1歳4ヵ月の秀明君を背負って
初めて御巣鷹の尾根に登った
いつか必ず夫が眠る場所に立とう
行くときは秀明と一緒に…
紀美さんはそう決めていた
遺族達はこちらを立ち上げる
会の目的は遺族同士が支え合うこと
事故原因を究明し空の安全に力を尽くすこと
夫の死を無駄にはさせない
紀美さんも連絡会に参加した
雨やんでよかったねうん今日はお夕飯何食べたい?カレーライスカレーライス?
秀明はすくすく成長し4歳になりました
お父さんただいま今日ね幼稚園で折り紙折ったよ
私は秀明が生まれたときから
父親の死をこの子にいつどう伝えたらいいだろうと
ずっと考えていました
秀明まずは手洗わなくちゃ
そのときは突然やってきました
事故で夫を亡くした小澤紀美さん
父親はもう戻らないことをいつ我が子に伝えようか…
そのときは突然やってきました
ねえお母さんどうして僕のお父さんは帰ってこないの?カズ君のお父さんもマリちゃんのお父さんもユウキ君のお父さんもみんな夕方になったら帰ってくるんだってお父さんはね飛行機に乗ってお山にぶつかってお空にいったのよふ〜ん
幼子に伝えた現実
紀美さんは父親のいない息子が
ふびんでならなかった
けれどつい沈み込む自分の傍らで
ほかならぬ秀明君の笑顔は
輝いている
大切なのは未来だと教えられた
日々成長していく秀明君に
紀美さんは励まされた
いつの間にか背丈も追い越された
高校に進んだ頃には
事故について2人で話すこともできるようになった
大学を卒業した秀明さんは
今タイヤメーカーで働いている
お帰り寒い
秀明さんは29歳の誕生日を迎えた
写真でしか知らない父親の顔
これからは父親の孝之さんよりも
年を重ねていくことになる
誕生日にはいつも3人分のケーキを用意してきた
夫のあとを追いたいとさえ考えた
その影は
もう紀美さんから消えている
そして
事故から3年がたち慶子は高校1年生
僕は2年生になりました
慶子が墜落事故で受けた精神的ショックは
大きかったと思います
事故後しばらくは体も痛かったり
動かしづらかったりしたようです
それでもあまりメソメソせずに
学校に通っていました
今思い返すと
慶子がこらえているものは
たくさんあったのではないかと思います
ねえねえお馬さんにも乗れる?乗れるわよやったー!
大切な家族を失い僕は孤独感を強めていました
・千春千春どうしたの?
おばさん達はみんなで僕達の面倒をみてくれました
感謝しています
でもその頃の僕は…
おばあちゃんは?病院行った調子悪いんだ心配だね千春学校は?しっかりしなきゃダメじゃないお父さんお母さん咲子の分まで…分かってるよ!やっぱりこう
高校2年生のとき
千春さんは不登校になった
つらい体験をした
いたわる余裕をなくしていたという
自分は何のために生きているのか…
答えを探す日々を過ごしていた
慶子は学校を卒業したあと
看護師になりました
保健師だった母の影響があるのかなと思います
何買ってきてくれるんですか?
僕は通信制の高校から大学へ進学し…
卒業後は福祉関係の仕事に就きました
不登校になった経験から
人の痛みに寄り添っていきたいと考えたのです
一時は残された者としての重圧に
押しつぶされそうになった千春さん
徐々にあるがままの自分を受け入れて
今44歳
父親・英治さんの年を超えた
保健師として地域に尽くした母の影響で
介護の仕事に就いている
妹が助け出された場所は
家族3人が亡くなった場所
去年千春さんは御巣鷹に慶子さんを誘ったが
首を横に振ったという
…を聞いてみた
3人の子を持つ…
こっちが色んな話をしても
千春さんもまた家族ができたことで
生きる意味を見いだしている
事故からちょうど30年にあたる今日
多くの遺族達が御巣鷹の尾根を目指した
(鐘が鳴る)
その中に3人の娘を一度に亡くした夫婦がいた
86歳になる田淵親吾さんと
81歳の妻・輝子さん
これは事故の3日前に撮影された
3人一緒の最後の写真
事故現場から見つかったフィルムに記録されていた
3人は父親のすすめで
茨城県で開かれていたつくば科学万博に行き
その帰りに事故にあった
父は30年間自分を責め続けた
墜落事故で
一度に3人の娘を失った
田淵さん夫婦
兵庫県の自宅から御巣鷹の尾根まで
往復およそ1000キロの道のりを走る
8月12日だけでなく
春と秋の年に3回
事故現場の尾根に登り続けている
ともに高齢になり山道は年々つらくなってきた
途中でペットボトルに水を満たし
何本も担いで娘達に会いに行く
来たぞ来たぞ
(田淵)来たぞ
3人は変わり果てた姿で発見されたという
渇いた渇いたねえ
どれほど熱かったことだろう
水は娘達を冷やすためだった
30年の歳月がいたずらに過ぎていったわけではない
失われた命を生かすこと
8.12連絡会は
ほかの事故の遺族とも連携して国を動かした
公共交通機関の事故被害者を
支援する組織が設けられた
遺族の願いは企業にも1つの形を残した
日本航空は2006年から
123便の教訓を忘れまいと
機体の残骸などを展示している
航空会社が事故の悲惨さを公開するのは
異例のことだ
最後まで123便の機体を
立て直そうと力を尽くした…
彼女は父親の遺志を受け継ぎ
日本航空の客室乗務員となった
胸にはいつも
父親の遺影と機長のしるし
川上慶子さんの兄千春さん
よみがえる悲しみをおして
番組の取材に協力してくれた理由を
こう語った
悲劇の記憶を風化させるな
声なき声が
今日も御巣鷹の空にこだましている
2015/08/12(水) 19:00〜21:54
MBS毎日放送
8.12日航ジャンボ機墜落事故 30年の真相[字]
犠牲者520人生存者4人 世界最悪の単独航空機事故を未公開証言記録でドキュメンタリードラマ化/墜落直前“20秒”独占入手データ/生存者・川上慶子さんの兄が語る…
詳細情報
ドラマ出演
美山加恋 大内田悠平 国分佐智子 安達祐実
番組内容
1985年8月12日羽田から大阪へ向かった日航123便に異変が…後部の圧力隔壁が壊れ、機体の最後部と垂直尾翼のほとんどを失う。隔壁破壊のキッカケとされたのは事故7年前の隔壁修理ミス。なぜミスは起きたのか?独自入手した資料をもとに関係者宅をまわる記者。その時ある人物から“連絡”が・・・30年間未解明のナゾ事故原因の核心に迫る。
番組内容2
日航123便が墜落したのは群馬県上野村・御巣鷹の尾根。暗闇の山岳地帯…複数の炎があがるのを自衛隊機が目撃、そのとき救出活動は?当時の政府関係者が真相を告白/唯一の機影写真フィルムをデジタルリマスター超高画質8K映像で見えた123便の姿/家族の形を一瞬にして変えた事故「ここに来たら、娘に会えるような気がして」愛する家族を失った遺族それぞれの30年を追った。
公式ページ
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◇未公開証言で綴るドキュメンタリードラマhttps://youtu.be/W2zEId9GGE0
◇最新技術で浮かび上がった“123便の姿”
動画公開中!2
◇事故原因の謎…機体を修理したメンバーが初証言
おことわり
番組の内容と放送時間は変更になる場合があります。
ジャンル :
ニュース/報道 – 報道特番
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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