よみがえりマイスター 2015.08.12


(2人)その思いをタカアンドトシがかなえます。
その技術で壊れたり傷んだりした依頼人の思いがこもった物の復活に挑むドキュメントバラエティー。
今回の依頼人はあの壇蜜さんとイケメンシェフの川越達也さん。
壇蜜さんの依頼品は…更に……の復元依頼が。
何が書いてあったか全く分かりません。
この難題に挑むのは…さあ始まりました「よみがえりマイスター」。
壊れてしまったけどどうしても諦めきれないという依頼人の強い思いを僕がしっかりと受け止めます。
そしてどんな難しい依頼が来ても私が責任を持ってその道のすご腕マイスターをご用意いたします。
梅沢さんはね前回この番組で昔お母様が作って頂いたというあのね…。
(梅沢)よみがえりましたね。
びっくりした本当に。
この着物が当時の着物と変わらないぐらい変わってきたっていうのは本当に驚きましたね。
本当によみがえったね。
これ無理かと思いましたけど。
その後どうされたんですか?兄貴と2人で踊らせて頂きましたよ。
これがそうです。
これが。
あ〜これはねぇいいですねやっぱり。
(首藤)舞台にも映える色で。
(梅沢)すばらしいですね。
YOUさんはね大切なものが壊れてしまった時とか何かあります?意外と物が壊れないんですけど。
結構物持ちがいいというか。
丁寧に物を扱うんですか?でも時計とか確かに止まったまま置いてあるのはいっぱいあるので。
じゃあ持って来ればいいのに。
いいんですかね?それはちょっと。
思い出ないのは駄目です。
思い出も一緒によみがえらせたいみたいなところがありますんで。
今は大丈夫です。
あそうですか。
それではタカさん今回はどんな依頼が来ているんでしょうか?まず最初はある有名人からの依頼です。
ご覧下さいどうぞ!大人の女性の魅力と特徴的な語り口で大ブレーク。
タレントの壇蜜さんが最初の依頼人です。
壇蜜さんが…こちらです。
昔のカメラです。
祖父のものでした。
こちらが今回の依頼品。
壇蜜さんのおじいさんが使っていたもので45年前に亡くなるまで愛用していたというクラシックカメラです。
一見壊れているようには見えませんがカメラ専門店に持ち込んだらシャッターを切る事ができず修理不能と言われたそうです。
壇蜜さんがカメラをよみがえらせたいのにはある理由がありました。
それは秋田に住む壇蜜さんのおばあちゃん隆子さんを喜ばせたいというもの。
おばあちゃんと壇蜜さんは今も2か月に1度は会うというほどの仲良し。
壇蜜さんはこのカメラがよみがえったら大好きなおばあちゃんとやりたい事があるといいます。
祖母のためにも祖父が残したカメラで記念写真を撮る事ができたら祖母もきっと喜ぶんじゃないかなと思って依頼しました。
祖母の楽しみが少しでも増えたら私は本当にうれしいなと思います。
おじいさんの形見のカメラ。
一体どんな家族の物語が詰まっているのでしょうか。
秋田に住む壇蜜さんのおばあちゃんをこの人が訪ねました。
俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ〜!おいトシ!ええ?お前スタジオで頭を丸めてVTRボーと見てんじゃねえぞ!ええ?今回壇蜜さんのおばあちゃんだからって…気合いの入り過ぎたタカさんが向かった先は…自然豊かな里山に壇蜜さんのおばあちゃんの家がありました。
人がいますね。
人がいます人が。
すみませんあの…壇蜜さんのおばあちゃんでいらっしゃいますか?こんにちは。
あどうも。
すごい!お上品なねおきれいな。
さすが壇蜜さんのおばあちゃんといった感じで。
似てらっしゃいますねやっぱり目鼻立ちがはっきりした感じが。
そうですか。
はい。
壇蜜さんのおばあちゃん隆子さんはここで独り暮らし。
庭仕事から家事まで何でもこなします。
そして亡き夫正悟さんの仏壇に向かうのが日課です。
正悟さんは当時農林省に勤める公務員。
カメラの購入は子供が産まれた事がきっかけでした。
隠してたんですか!正悟さん。
こっそり買ったんですねじゃあ。
カメラの値段は…公務員の月給とほぼ等しい高価な買い物でした。
これは長男の…。
正悟さんはカメラを手に入れてからというものことあるごとに家族写真を撮りました。
最も多く撮ったのが3人の子供たち。
それぞれの個性が分かるほほ笑ましい写真。
一番左が壇蜜さんのお母様です。
そして妻隆子さんのこぼれるような笑顔が印象的な写真。
正悟さんは家族の瞬間瞬間のいい表情を撮るのが得意でした。
例えば…なかったですか。
正悟さんはカメラを通して何気ない日常にこそ幸せがあると感じていたのかもしれません。
そんな幸せもつかの間家族の生活は一変します。
正悟さんは40歳の時持病が悪化し突然亡くなったのです。
その後隆子さんは大変な苦労をしながら女手一つで3人の子供を養いました。
そして正悟さんのカメラは誰にも使われないまましまわれ45年の月日が流れました。
(YOU)形見みたいなもんだね。
今回壇蜜さんがこのカメラを修復したいと思ったのには実は深い理由がありました。
それは現在84歳になる隆子さんの健康状態。
5年前にがんが見つかり手術を受けました。
今は症状は安定していますが検査のための通院を続けています。
おじいさんのカメラがよみがえればおばあちゃんを元気づける事ができるのではないか…。
おばあちゃんはかつて壇蜜さんが苦しんでいた時に最も支えてくれた人でした。
壇蜜さんは大学を卒業したあと就職活動に失敗。
和菓子工場や大学病院清掃会社など次々と職を変える中自分を見失っていったといいます。
そんな時転機となったのがおばあちゃんからかけられたある言葉でした。
(壇蜜)もやもやしている私に対して…もう少し待ったらいいんじゃないっていうような少し力の抜けた言葉を投げかけてくれたのでその言葉に救われて前を向く気になった気がします。
これを機に祖母が喜ぶような事を84歳の祖母にもっとたくさんしてあげたいなって思って親孝行ならぬ…孫壇蜜さんから依頼されたクラシックカメラの修復。
おばあちゃんの思いを聞いてみました。
これで。
写してもらいたい。
冥土のお写真に。
いやいやいや。
逝く前に。
え?逝く前にって…。
壇蜜さんとしてはよみがえったらおばあちゃんも元気になるんじゃないかという思いがあると思いますよ。
それが冥土の土産になっちゃうという。
真逆の思いになってしまいますから。
お預かりさせて頂きます!
(2人)よろしくお願いします。
(拍手)ああいう感じのカメラを持ってましたか。
おやじが持ってて写真何枚か撮ってもらった経験もありますよ。
絶対よみがえらさせないと駄目よ。
おばあちゃんのためにも。
そうですね。
そうですよ。
あの二眼レフカメラは1950年代に流行したカメラで大衆機として…今回のですね依頼の品二眼レフカメラなんですが一体どういう仕組みなのか簡単にご説明いたします。
違いますよ模型ですよ。
分かりやすく大きめに作りましたよ。
こんなでかいのガッシャンガッシャンできないですよ。
Vの時あんなちっちゃかったのに…。
おばあちゃんすげえでけえ事になっちゃいますからそれだと。
どうでもいいんだよお前は。
(笑い)上からのぞいて撮るんですね。
レンズが2つありまして中がどうなっているかといいますと…ここに鏡が付いているのでこう反射して撮る人が見えるようになっている。
下のレンズは撮るものがこう入ってきましてここにフィルムがあるのでここに写るようになる。
上から両目でのぞけるので全体を見る事ができますし…。
片目じゃないから。
ピントも合わせやすいので当時一眼レフより随分人気があったという。
依頼品のあの二眼レフカメラで撮った写真というの非常になんかね味わい深いいい写真でしたよね。
いい写真これ。
おばあちゃまの笑顔がいいですよね。
(首藤)お子さんたちが自然な表情で。
(YOU)楽しそう。
どうでしょうかこの二眼レフよみがえると思いますか?よみがえらないわけがないと思ってますよね。
あそうですか。
だってよみがえらなかったらあのおばあちゃんに何て報告するんですか?まあでもこれはやっぱりちゃんと事実を伝えるしかないですよね。
俺はもう本当どんなマイスターがやっても直らないとなるならば…いや駄目ですよ。
家族の思い出を刻んできた…その願いに応えてくれるマイスターは東京・浅草にいました。
これまで1万台以上ものカメラを修理してきたこの道の第一人者。
過去にはアメリカの駐日大使の依頼で修理困難とされたカメラをあっという間に修復して絶賛された事も。
世界的に信用があるんだ。
そんなマイスターの目に依頼品はどう映るのか。
(YOU)難しいんだろうね。
う〜ん…。
意外な事に動かないと言われていたシャッターは反応速度が遅いながらも何とか動きました。
しかし…。
全部のレンズ全てにカビが生えてるもんね。
レンズの表面に広がる白いカビ。
カメラ本体の内部はどんな状態なのか。
細かく点検していく事に。
細かい部品がさびついていて分解するのも容易ではありません。
マイスターは本体の内側にも付いている小さなレンズを慎重に取り外します。
二眼レフカメラには内側真ん中外側上下合わせて6枚レンズがあります。
カビが特にひどかったのが内側のレンズ。
長年使われていなかったため空気の出入りがなくカビが広がったようです。
全てのレンズを取り外したマイスター。
気合いを入れ直して…。
水道水を勢いよく出してレンズを洗い始めました。
これがレンズを傷つけないマイスター流の洗浄法。
カメラの命とも言われるレンズ。
傷がつかないように慎重に磨き上げます。
金属のついたレンズは洗浄剤を含ませた細い工具で細かい所まで念入りに。
このクリーニング作業だけで1時間近く。
その時マイスターが何かを発見!かつてレンズを拭いたあとのかすかな傷。
おじいさんが入念に手入れをしていた証しです。
その温かい思いをくみ取ったマイスター。
いっそう修復に力が入ります。
そしてこの日最大の難関が…。
取り出したのは反射ミラー。
カビだらけ。
ハッハハハ…すごい。
反射ミラーはカメラの中央部にある鏡。
ところが交換すべき部品はもはや手に入りません。
どうするマイスター。
ここで1枚の鏡を用意。
普通のカメラ修理店にはない工具を取り出しました。
自ら部品を作る事に。
力加減や切る方向を間違えると鏡はすぐ割れます。
指先に神経を集中させ元のサイズとぴったり合うよう近づけていきます。
(早田)これが名人芸なんだよな実は。
反応の鈍かったシャッターもバネの強度を上げて対応。
よみがえったあとも長く快適に使えるようにしたいというのがマイスターの心遣い。
クラシックカメラは…カメラを預けて3日。
壇蜜さんはマイスターの店へと向かいました。
おじいさんのカメラがどうなったのかまだ知らされていません。
ごめん下さい。
(早田)そうですか。
ありがとうございます。
さびも全部きれいに落として塗り直しましたので多分これで問題なく使えると思います。
ありがとうございます。
これは多分おじいさんがですね大変上手にお持ちになって使ってたと思うんですね。
とても気にしててきれいに使っていると思います。
そしてマイスターカメラの使い方も教えてくれました。
上のレンズは見るためのものですね。
あっ開いた!開きます。
こちらでこうのぞくと見えるわけですね。
失礼します。
ん?写す時はこれを上に上げてこれを下げるだけなんです。
上に上げて…。
上にギュッと上げて下さい。
それで下げるだけ。
これで写ります。
よく残っててよかったですね。
本当にありがとうございました。
こちらこそ。
よかった。
マイスターのレッスンも終わり楽しみにしていた記念撮影。
この日のためにおばあちゃんを秋田から呼んでいました。
カメラが直ってうれしそう…。
だから私がおばあちゃんぐらいになるまでは使えるね。
早速取って置きの写真を撮りに。
着いたよ〜。
着きましたね。
すっかりスカイツリーがメインに…。
浅草吾妻橋。
おじいさんとおばあさんがよく来た思い出の場所。
まだコツをつかめていない壇蜜さん。
撮れた?これ難しいぞ。
いきま〜す。
おじいさんのカメラに向かってポーズをとるおばあちゃん。
あいいね。
いい?さてどんな写真に仕上がったのでしょうか。
よかったね。
おばあちゃんあんなに喜んで。
やっぱり自分の大好きな人が持ってたカメラだからさ。
思い出が深いから。
あれはよかったですよ。
今回の依頼人壇蜜さんにお越し頂いています。
登場して頂きましょう。
どうぞ!
(拍手)お願いします。
ようこそいらっしゃいました。
さあという事で今お持ちなのがあの二眼レフ。
おかげさまでありがとうございました。
いやいやいやよかったですね。
どうでした?これ直ったって言われた時は。
びっくりしたのとあとはまたこれで祖母が喜ぶなと思ったのとうれしいのでなんか本当にカメラの前なのに思わずウルッときてしまって。
何でお前が祖母って言うんだよ。
お前は祖母って言わねんだよ。
おばあちゃまでいいんだよ。
でも俺もVTR見てて祖母が元気そうで…。
祖母って言わないんですよだから。
壇蜜さんだけが言うんです祖母は。
人んちは「おばあちゃま」。
もういいです。
「みんなの祖母」じゃないです。
壇蜜さんの祖母ですから。
面倒くさくならないで下さいよ。
じゃあ祖母で。
早速よみがえった二眼レフカメラで撮った写真ご覧頂きましょう。
壇蜜さんもご覧になってないんですよね?拝見してないんです。
撮る時自信なくって。
ちょっとねまだ慣れてないからおぼつかない感じですけど。
まずは壇蜜さんが撮ったおばあさまお一人の写真をご覧頂きましょう。
お願いします。
(一同)おっ!いいですね。
(土田)味のあるいい写真。
あ〜よかった。
すごい昔みたい。
そういうカメラですから。
ピントがちゃんとおばあちゃんに合ってて後ろの建物がぼやけてるのがいいですよね。
それがちょっとねいい感じになってますよ。
(首藤)さあもう1枚あります。
ご覧頂きましょう。
いい!味がある!これはいいわ。
ほんとに!そんな感じで言われても…。
更にお二人のツーショット写真も撮影しましたよね。
そちらご覧頂きましょう。
あっいい!スカイツリーが。
やっと2015らしさが。
スカイツリーと壇蜜さん。
すてきなおばあちゃまと。
いい笑顔ですね。
お孫さんと一緒にいるという笑顔ですよこれはね。
盛り上がってる場合じゃございませんよ。
ちょっとお呼びしてみましょう。
おばあちゃん!・は〜い。
(YOU)やった〜。
おばあちゃま〜。
・は〜い。
これ知らなかったでしょ。
電話するっていうのはね。
今ちょっとかけて…。
しかもおばあちゃんのもとに写真今あるんですよね?あそうなんだ。
・はい。
全部あるの?おじいちゃんに見せてるんですね。
仏壇の前に持ってってるって事でしょ。
すいません。
おじいちゃんとの思い出の浅草で撮影したご気分は?・何とも言えない…おばあちゃんあの〜この間ロケで行かせて頂いて…・そうですかよかったですね。
ありがとうございます。
・またいらして下さいね。
はい。
是非行かせて頂きます。
そのさくらんぼ…ありがとうございます。
僕もいただきましてすいません。
・うれしいです。
壇蜜さんいかがですか?やっぱり頑張れているのも祖母がこれからも長生きしてほしいなおばあちゃん孝行したいなという気持ちがすごい強いのでこれからも祖母の元気のために何かできる事おばあちゃん孝行しっかりやっていきたいなと思います。
これからもね元気でいて下さいよおばあちゃん。
・そうですね。
いいですね!オリンピックでスポーツ東京来てこのカメラで写真撮りましょうよ。
・はいそうですね。
名残惜しいですが隆子さんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
お元気で。
失礼します。
いや祖母って言わないんですよだから。
壇蜜さんだけが…。
もう我々の祖母です。
「我々の祖母」って何ですか!
(笑い声)続いての依頼人は料理の世界でおなじみのこの方。
イケメンシェフとしてテレビや雑誌で活躍する…イタリアンをベースにフレンチや和食などのエッセンスを取り入れた創作料理で人気の料理人です。
早速依頼品を見せてもらいました。
これね実はですね…グローブなんです。
多分想像つかないと思いますけど小・中・高と野球やってたんです。
依頼品は高校時代使っていたグローブ。
至る所が破れています。
更に内側は…このとおり。
かなり傷んでいます。
これでは使い物になりませんね。
今こういう料理人というかシェフの仕事さしてもらってますけど高校の時の野球の練習よりしんどいつらい厳しいものはないです。
川越さんが「原点」だと言う高校野球。
当時のお宝映像が残っていました。
自転車で走っている部員たちの中に…あっ川越さん!坊主頭がキュート!一緒に写っているのが依頼品のグローブのようです。
「グローブをよみがえらせたい」そこにはある理由がありました。
宮崎で育った川越さん高校時代このグラウンドで練習に明け暮れました。
ポジションは内野の守備の要ショートでした。
そうだそうだ。
こう来てもらって蹴ってのこうだ。
でば〜っと行って…。
でも入学当初は自分のグローブはなく先輩のお下がりを使っていたといいます。
うわ〜広っ!小柄で華奢だった川越さん。
でも人一倍負けず嫌い。
やがて自分のグローブを手に入れたいと思うようになります。
親に買ってもらうつもりはありませんでした。
毎朝5時に起きて朝練の前に新聞配達のアルバイトを続けました。
そうしてためたお金でスポーツ店へ。
自分の手の形にぴったり合うグローブ。
値段は2万8,000円でした。
やっぱりうれしくて。
自分で初めて買ったグローブだし。
オイル塗って手入れしてちょっとオイルの匂いのする新品というかならしているグローブをやっぱ枕元に置いてその香りを嗅ぎながら寝てた記憶はありますよね。
グローブは自分の頼もしい相棒。
どんなつらい練習でも耐えられる気がしました。
川越さんが在学中母校の本庄高校は甲子園出場を目指して一日5時間の猛練習。
グローブと共に白球を追い続けた3年間でした。
その体験が川越さんを支える事になります。
高校卒業後大阪の料理専門学校で学んだあとフランス料理店で修業の道へ。
始発から終電まで立ち仕事の連続。
スープ作りでは大量のタマネギを3時間以上重いヘラで焦げないようにかき混ぜ続けます。
そんな修業が3年間。
乗り越えられたのは相棒のグローブと一緒に厳しい野球の練習を耐えてきたそんな思いがあるからです。
今42歳となった川越さん。
人生の勝負どきを迎えるにあたりその原点に立ち返りたいと思っています。
将来どうなっちゃうのかなどんな大人になんのかなってやっぱ学生の頃はね思ってましたからその時のようなワクワク感というか躍動感というかそういう雰囲気がこれに戻ってくれたらなと思いますね。
「もう一度相棒のグローブと一体感を味わいたい」そんな川越さんの願い引き受けマイスター!
(拍手)さあそれでは依頼人に登場して頂きましょう。
どうぞ。
(拍手)
(首藤)改めてご紹介させて頂きます。
依頼人の川越達也シェフです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ今VTRもね見たんですけれども相当本気で野球に取り組んでらっしゃったんですね。
本気でした。
なるほど。
プロを目指すぐらい!どうですかYOUさん。
まずシェフが野球をやってらっしゃったというのが…。
確かに意外ですよね。
すごい意外でした。
(笑い声)イメージ?あそうですよね。
大変ですよ料理の修業も。
私も野球やってましたから。
私もショートなんですよ。
僕なんかもっと悪いグローブでしたから。
ですからボールを入れて縛って枕の下に入れて。
常にこういう袋っていうんですよね。
ここに袋が出来るぐらい上手に作っていく。
野球の練習なんて半端じゃないからね。
今のやつとは本当に違うと思うんだよ。
相当練習がきつそうでしたけども何が一番きつかったですか?あの当時。
(川越)ただのノックじゃないんです。
大体ちょっとノックって後半になるんですけども暗がりの中で監督が平気で100本200本ノックするわけですよ。
ナイターがなかった時代ですから。
ボール見えないですよね?もうほとんど見えなくなるまで。
もう凶器が飛んでくるわけですよ丸い。
それを見極めながらノック受けてましたね。
すげえなそれは。
すごいな。
これは高校を卒業して25年間このグローブはどうされてたんですか?宮崎の実家にあったはずなんですが多分…お父様が使ってたんですか大事な宝物を勝手に。
そしたら自分で父親が名前書いて。
名前まで書いちゃったんですか?ろくでもないおやじですね。
ろくでもないって言うんじゃねえよ。
(土田)ださいな。
(壇蜜)何て書いてあるんですか?「文」ですね。
フミオっていいます。
フミオさんの「文」を。
40代になった今が勝負どきというのは具体的にはどういう…?18歳で料理業界に入ってありがたい事に僕自分のお店を28歳でちっちゃいお店ですけど出したんですね。
15年何とかやらせて頂いてましてでもやっぱり40代となりますと体力だったりとか味覚のキャッチ力っていうのもいわゆる節目だと思うんですね。
あそうなんですか?料理人も40代ぐらいから味の感じとか変わってきたりするんですか?体力が徐々に落ちてきますからそうすると味覚の収納といいますかキャッチ力というのも変わってきますしその節目をこのグローブで思い出してもう一回りちょっとステージアップしてシェフを目指したいなと思ってます。
「青春時代の相棒をよみがえらせたい!」。
そんな川越さんの思いに応えてくれたのがこちらのマイスター。
グローブの製造と修理に携わって50年の大ベテラン…大村さんはかつて大手運動具メーカーの社員としてジャイアンツの王貞治守備の名手高田繁からオールスター出場8回のメジャーリーガーまで名選手たちの要望に応えてグローブの開発や修理を行ってきました。
マイスターまずはグローブの内側の傷み具合を調べます。
一般にグローブは二重構造になっていて内側に手を入れるための袋が入っています。
(大村)さあこの裏がねぇ…。
(川越)こんななってたんだ。
猛練習でボールを受け続けたために大きな穴が…。
このまま使うのは難しい状態です。
マイスターはグローブを20以上のパーツに分解しました。
その中でポイントとなるのはやはり損傷の激しい指の部分でした。
内側がこれほどボロボロのグローブは経験豊かなマイスターですらほとんど修理した事がありません。
もういっぺん…そもそもグローブはそれぞれのパーツごとの型紙を作りそれをもとに皮を裁断。
立体的に組み合わせて丈夫な形に作り上げます。
マイスターはまず損傷の少ない親指から作業を始めました。
分解したパーツをもとにその輪郭を紙に写していきます。
そして出来た型紙をもとに皮を裁断。
次は損傷の激しい中指です。
マイスターが悩み始めました。
中指の付け根の部分がボロボロで型紙を取りたくても元の形が分かりません。
そこで目をつけたのは意外なところ。
それは川越さんのグローブをはめる時の癖。
分かりますか?人さし指をグローブの外に出しています。
そのため分解した指のパーツを見ると人さし指だけ無傷でした。
マイスターはここから中指の付け根の形をイメージ。
中指の輪郭を何度も描き型紙を作ってみては試行錯誤を重ねます。
ボールをきっちり捕らえられる使い心地のよいグローブにできるのか…。
どうにか5本の指の型紙がそろいました。
そしてマイスターは最も神経を使う作業に入りました。
指のパーツを立体的な手の形に縫い合わせます。
長年使い込んだミシンで慎重に2〜3針ごとに手を止めながら縫っていきます。
皮の端から3ミリほどの縫い代を保つのは熟練した職人ならではの技。
欠かせないのはピンセット。
しっかりボールを包み込むようカーブ状に丁寧に仕上げていきます。
集中力を途切らせずに1時間。
ようやく完成が近づいてきました。
失われたパーツの形をマイスターの想像力と経験で復元させたグローブ。
その善しあしは使う人自身が手を入れてみるまで分からないとマイスターは言います。
果たして川越さんが求めているグローブとの一体感はよみがえったのでしょうか?さあグローブがねかなり分解されてましたけれどもねいかがでしたか川越さん。
僕がシェフだからかもしれませんけど大きな魚をおろしたあとみたいないろんな分解されててあんな構造になってたんだって初めて知りました。
それではマイスターに登場して頂きましょう。
どうぞ!
(拍手)マイスターの大村昇さんです。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
(首藤)川越さんどうぞ。
川越さんの思い出が詰まったグローブどこまでよみがえったんでしょうか?青春時代のグローブがボロボロに。
あの時の…よみがえりマイスターよみがえりましたか〜!?お〜!うわ〜。
どうですか?まず色が…艶というか。
そうですね。
新しくなってる部分の色が。
(川越)何かこう生気が戻ってるというか。
(土田)白くてカサカサだったのが。
今回のよみがえりでは…
(首藤)でできるかぎり川越さんが使っていた当時の状態を再現して下さいました。
使える部分はそのまま残して頂いたと。
さあそれでは一番のよみがえりのポイントでございますボールをキャッチした時の一体感これがよみがえってるのかどうかと。
あ〜緊張…。
うわ〜もう何か…。
生きてる。
もう触っただけで。
(大村)ありがとうございます。
皮ですからね生きてるんですよね。
うわ〜これ!うわ〜!
(首藤)ボールもありますので。
うわ〜!こんななるんだ。
(首藤)どうでしょう川越さんよみがえってますか?よみがえってます。
はい!よみがえってます。
ここまでよみがえりマイスター!
(拍手)よかったですね。
実はこのグローブはマイスターが何度も皮をたたく事でなじませて軟らかくする工夫を施して下さったんですね。
だからですか。
うわ〜もう…。
(梅沢)でなきゃその形になりませんよ。
ちなみにマイスターこのグローブを見た時にすごいこれ使い込んでちゃんと練習してる人のグローブだみたいの分かるんですか大体。
見た時にですねこの方は…お〜!えっ!?取るポケットがね決まっとるわけですね。
ちゃんとできてましたですね。
それでそのように思いましたね。
まあ一生懸命にやらして頂きました。
ありがとうございます。
もうすごい!すばらしい出来でございましたよね。
壇蜜さんどうですか?シェフがよみがえったグローブはめられた時に「わっ」て当時の少年の時のようなお顔になられた瞬間もマイスターがフッと笑われて本当に朗らかなお顔になられたのがほんと印象的で。
さあそれでは最後にですね川越さんからマイスターにひと言よろしくお願いします。
なんかこれを頂いて喝をいれられたような気がします。
高校時代の厳しかった練習を思い出して強い40代を戦っていきたいと思います。
頑張ります。
ありがとうございました。
頑張って下さい。
(拍手)これちょっとせっかくですからボールもありますしキャッチボールしますか?いいですか?やりましょうよ。
タカさんお相手してあげて。
梅沢さんやられた方がいいんじゃないですか?野球部同士で。
梅沢さんでもいいですか?私だって何だっていいですよ。
じゃあ梅沢さんにね。
すいませんこれで…。
こうなってるもんなんですよグローブって。
普通はねペタンとなりますもん。
はいじゃあお願いいたします。
(川越梅沢)お願いします!同じ野球経験者。
(首藤)ショートの。
このグローブでのキャッチボールは何年ぶりなんですか?卒業して全然使ってないんですか?使ってません使ってません。
お父さんの方が長かった。
続いての依頼は港町神戸から。
いらっしゃいませ。
こちらが今回の…見せてくれたのは小さな木箱にしまってあった品々。
(花井)これは…今回よみがえらせて頂きたいのは実はこれなんです。
これ戦地から父が送ってきたハガキなんですけども…。
依頼品は「軍事郵便」と書かれた2通のハガキ。
父が戦地から家族に宛てて出したものだそうです。
ハガキの裏側は文字が消えてしまい何を書いてあったか読めません。
その文字を復元してほしいというのが今回の依頼。
これは禮子さんの手元に残るたった一枚の家族写真。
中央に写っているのが父仁郎さん。
その前にいる女の子が禮子さん。
写真は太平洋戦争の末期旧満州で撮影されたものでした。
昭和15年仁郎さんは運輸会社で働くため家族を連れて満州へ。
そしてその翌年禮子さんが生まれました。
仁郎さんがどんな父親だったかほとんど記憶にありません。
ただ母からこんな話を聞かされた事があります。
お父さんが大切に育て花を咲かせた鉢植え。
それをある日禮子さんがおままごと遊びをしていて摘んでしまったのです。
しかし帰宅後それを知った父は一切怒りませんでした。
そんな家族の暮らしがにわかに一変します。
終戦直前の昭和20年5月半ば。
仁郎さんに召集令状が来たのです。
たった一枚の家族写真。
実は出征の前日近所の写真館で撮影したものでした。
不安げな兄や姉に比べまだ4歳の禮子さんは無邪気な表情。
翌日父は戦地へと旅立ちました。
仁郎さんが配属されたのはソ連との国境付近。
戦闘の最前線となった場所でした。
(玉音放送)父が戦地に赴いて3か月後8月15日戦争は終わりました。
その直後満州で暮らす家族のもとに父から一通のハガキが届きました。
更に…当時母と兄が禮子さんに文面を読んで聞かせてくれたそうですがその内容は全く覚えていません。
ハガキが届いたという事は「父が無事に生きている」という証し。
家族はそう思い胸をなで下ろしました。
しかしそれから7年後禮子さんたちは衝撃の事実を知ります。
高校生になった長男が役所を訪ね一向に帰ってこない父の消息を調べてみると…。
仁郎さんは昭和20年の7月中旬に腸チフスを発病。
それが原因で死亡していた事が分かったのです。
無念の…無念の限りだったと思いますね。
思いも寄らなかった父の死。
ハガキの事は次第に忘れ去られてゆきました。
去年9月女手一つで子供たちを育て上げた母は98歳で亡くなりました。
禮子さんが母の遺品整理をしていて見つけたのが木箱に入っていた2通のハガキ。
子ぼんのうだった父は最期にどんな言葉を家族に残して逝ったのか。
消えてしまった文字を復元する事で父の思いを知りたい。
それが禮子さんの願いです。
それでは依頼人に登場して頂きましょう。
どうぞ。
(拍手)
(首藤)ご紹介いたします。
依頼人の花井禮子さん。
そして兄の等さん弟の正男さんです。
(一同)よろしくお願いします。
(首藤)まずはですねご家族の関係整理いたします。
今回お越し頂いた等さんがご長男。
上に写っていらっしゃいますね。
依頼人の禮子さんが次女。
正男さんが末っ子の三男でいらっしゃいます。
当時等さんが9歳。
禮子さんが4歳でした。
あれ?正男さんは写ってらっしゃいませんよね。
実はこの時はお母様のおなかの中に。
そうなんですか。
お母様のおなかの中にいらっしゃったんですね。
お父様どのような方だったのか。
等さん。
優しいお父様ですか。
もうほんとに子供に目がないそういう父親でしたね。
お父様から送られてきた2通のハガキがこちらです。
どうでしょうか?うっすらはね字が書いてあったなというのは分かるんですけどもこれが読めるところまでいくかと。
これが2枚目ですか?これ鉛筆か何かですかね。
(等)鉛筆ですね。
だから消えていくわけですよね。
実はですねこちらのハガキなんですが三男の正男さんが内容を知るためになんとですね警察の捜査機関科捜研に問い合わせたと。
兵庫県の科捜研にあたるところに電話をしてですね問い合わせたんですけれど…そう言われたんで私はそこで諦めたんです。
いや実際にいねえよ!ドラマの世界だよ。
何で沢口さんが出て「無理です」って言ってんだよ。
いいですいいですいいです。
ドラマ好きが集まったんじゃないんですから今日。
違いますから。
今回のよみがえりはですねハガキそのものをよみがえらせるのではなくてその書かれた文面をよみがえらせる挑戦となります。
取って置きのマイスターが京都にいました。
最新の撮影機材とデジタル技術を駆使して一度は消えた文字や絵を復活させてきた…これまで貴重な文化財などを100件以上よみがえらせてきた復元の達人です。
例えば中身の文字が消えてしまった江戸時代の奉納額。
マイスターの手にかかればご覧のとおり!
(土田)いけるよ江戸時代のやつがいけてるんだもん。
そんなすご腕マイスターに今回の依頼品を見てもらうと…。
(大隈)うわ〜これは…。
かつて経験した事のないほど困難な作業になりそうだと言うマイスター。
最初に…まずはLEDを使って赤外線を投射する照明をセット。
ハガキに赤外線を投射してそれを高性能デジタルカメラで撮影します。
どんなメカニズムなのか?カギとなるのは鉛筆の芯に使われている黒鉛。
その成分である「炭素」にあります。
赤外線撮影では一見見えない文字でも紙に炭素さえ残っていればその部分だけに赤外線が反応してカメラで撮る事ができるのです。
撮影が始まりました。
果たして炭素の痕跡はあるのでしょうか?
(シャッター音)こちらが撮影した画像。
文字らしき形が浮き出ています。
しかしこのままでは文字は読み取れません。
作業は次の段階へ。
撮影した画像をパソコンに取り込み文字の消えたハガキの画像と重ね合わせます。
そして文字の黒の部分を濃くしてゆきます。
すると…。
消えてしまっていた文字がハガキの上にくっきり見えてきました。
ほうだいぶ出てきた。
しかし紙についた汚れやシミでまだまだ判読できない文字もあります。
でもすごい見えてきたね。
ここからがマイスターの腕の見せどころ。
取り出したのはペンの形をしたペンツール。
ペン先で画像にタッチするとその部分の汚れが消えます。
マイスターはぺン先に神経を集中させて少しずつ少しずつ汚れを落としていきます。
(YOU)すご〜い。
なんとこの作業だけで5時間もかかりました。
どれほど文字は見えるようになったのか?結果は後ほどスタジオで…。
続いてより困難が予想される2枚目のハガキの復元作業へ。
こちらは上半分はうっすら文字らしきものが見えますが…マイスター1枚目のハガキと同様赤外線撮影から始めます。
赤外線撮影の結果下半分に文字らしきものはほとんど写っていませんでした。
ここでマイスター1枚目の時は使わなかった新たな手法を試してみる事にしました。
それは強い光を斜めから投射して撮影する「斜光撮影」という手法。
文字を書くと筆圧で紙の表面に僅かなくぼみが出来ます。
そこに斜めから光を当てるとくぼんだ部分だけが浮かび上がって見えるという仕組みです。
(シャッター音)さて結果は?光を斜めから投射しても文字は写っていませんでした。
紙の繊維の毛羽立ちが目立って筆圧のくぼみが見えないとマイスターは言います。
なぜハガキの下半分に紙の毛羽立ちが多いのか。
その謎を解くカギとしてマイスターが注目したのがハガキの「折りジワ」でした。
(大隈)ハガキありますよね。
これをまずこういうふうに畳んであります。
こっち側が上ねこれが下です。
次にこう折ってあったわけです。
マイスターの推測はこうです。
四つ折りにした時ハガキの下半分が外側に。
そのため何かに強くこすれて毛羽立ちが大きくなり文字が消えたというのです。
なぜ父の大切なハガキが折り曲げられていたのか。
謎は深まるばかり。
70年前に戦地から届いた父の思いはよみがえるのでしょうか。
それではマイスターに登場して頂きましょう。
どうぞ!
(拍手)
(首藤)改めてご紹介いたします。
マイスターの大隈剛由さんです。
(一同)よろしくお願いします。
さあそしてこちらが今回依頼のハガキ2通ですね。
実物という事でございます。
今回はハガキを解析して筆跡と内容をよみがえらせました。
そしてよみがえった状態のハガキを拡大してボードにしております。
家族へ贈った…よみがえりマイスターよみがえりましたか〜!?おおおお!これは結構でも文字が読める字もありますし。
大部分が再現できてますし。
(首藤)さあ1枚目のハガキ見事よみがえりましたけれどもう一枚のハガキどこまでよみがえったんでしょうか?
(梅沢)すっごい。
おっこちらも。
(YOU)紙が擦れてますねぇ。
ここですね下の。
下の部分が全く見えなかった。
若干ちょっと出てきてますけども。
これどこまで読めるかという。
(首藤)上と比べるとね。
まずは1枚目。
このハガキに書かれていた内容はこちらです。
(首藤)どうやらこのハガキにはですねご家族が思い思いのものを入れて戦地のお父様へ送った慰問袋というものに対するお礼が書かれていたようなんですね。
では読み取れる部分をちょっと私から読み上げさせて頂きます。
ほうなるほど。
さあまあまあ分からない部分もちょっとありますけれども大部分は文面が出ましたけれども。
(首藤)禮子さんのお名前が出てきて。
そうですね私は記憶してないけど兜作ったんですね。
それを慰問袋に入れたんですね。
(首藤)折り紙ですかね。
(禮子)そうですね。
(首藤)もしかしたらこの「○○」が折り紙かもしれないかなとちょっと推測したんですが。
なるほど。
「兜と鬼の折り紙」。
さあ等さんいかがですか?どういう気持ちでこれを書いたんでしょうかね。
「御馳走をちゃんと作ってもらいましたか。
うんとうまいものを作ってもらって」。
お母さんはお料理上手だったんですか?
(笑い)そんな事はないと思いますよ。
やっぱ気になるのはあれですね。
依頼人のお姉様にあたるんですかね。
「何も送らなかったね」って。
「どうしたのですか」っていう。
お父さんもやっぱ戦地で何で送ってこなかったんだと思ったんでしょうね。
もう一枚のハガキに書かれていた内容はこちらです。
お願いします。
やはりですね下半分はなかなか読み取る事ができなかったんですね。
でも上半分にはいろいろな単語読み取る事ができます。
(首藤)こういう文字が読み取れました。
なるほど。
下がやはりあれですんで文章がちょっと途切れ途切れになりますけれども。
こう大人同士の会話というかそういう感じですよね。
生活の事でちょっとこう。
「貴女も留守中は気を付けて」って多分事だと思います。
(YOU)冒頭のところでご自分も「なんとか暮らしだから心配…安心してね」から始まって「奥様も気を付けてね」って。
(首藤)ただ後に分かる事ですけれど8月にはもう既に亡くなられてたという事でどのタイミングで書いたのかっていう。
7月にはもう体調を崩されてたという。
腸チフスという事でしたから。
心配になったから書いたのか。
やはりこの下半分がマイスターこの復元できなかった要因は何ですかね?折り畳んであるわけですよ。
折り畳んで一番外側にこの2つがあったと。
そうするとどうしても擦れてしまいますよね。
それで実際には復元できなかったんですけども。
なるほど今後ね。
これまた大事に持って頂いて10年後また技術が進化してるという可能性がありますから。
どう思いますか?満州から持って帰る時に多分ポケットか襟の中に折り込んで持って帰って。
そういうふうにしたのは母だと思います。
肌身離さずという事だったんでしょうかね。
さあ禮子さん改めてこの2枚のハガキ見てどう思われますか?この時は多分もう帰れないかなと思ってたかと思うんですけどまあそういうのは文面には出せませんけども。
これから産まれてくる子供と合わせて5人がどうなっていくかっていうのが非常に心配だったと思います。
それで多分帰れないと思ってたとしたら…まあ無念だったでしょうね。
正男さんいかがですか?かなりの部分ですね読めたと。
読めるようにですねして頂いたという事でほんとにもうこの胸のつかえが下りたようなそういう気持ちでいっぱいです。
等さんいかがですか?70年たってね父親の気持ちが全部とは言わんけれども確実に我々の心によみがえったという事はねやっぱりマイスターのおかげですね。
ありがとうございました。
さあという事で見事ここまでよみがえったという事で現物と一緒にできるかぎり復元したハガキこちらね。
マイスターから禮子さんに。
(拍手)
(首藤)よみがえってますか?3日後東京・荒川沿いのグラウンドに川越達也さんの姿がありました。
この日は久々の練習。
高校時代苦しい時を共にした相棒とノックに臨みます。
思い出す。
25年ぶり。
・ゆっくりいきましょう1本ずつ。
(川越)よし来い!自分に喝をいれるためのノック。
よし来い!昔のような体のキレはありません。
でもこれからが勝負。
40代新たな挑戦が始まります。
ハァハァ…。
ハガキの文字がよみがえり長い時を超えて父の思いを知る事ができた花井さん一家。
その喜びを母の墓前に報告した禮子さん。
戦後70年の夏は特別な夏になりました。
壇蜜さんはよみがえった祖父のカメラで猫のクインシーちゃんをモデルに撮影の練習。
祖母隆子さんは孫とすてきな写真が撮れて一層生活に張り合いが出てきたといいます。
2015/08/12(水) 19:30〜20:43
NHK総合1・神戸
よみがえりマイスター[字]

タカアンドトシ司会の壊れた大切なものをマイスターの達人技でよみがえらせようとするバラエティー。依頼は壇蜜の亡き祖父のクラシックカメラや川越シェフの青春のグローブ

詳細情報
番組内容
タカアンドトシ司会の壊れた大切なものをマイスターの達人技でよみがえらせようとするバラエティー。今回の依頼は、まず壇蜜さんの亡き祖父が愛用したクラシックカメラ。祖母を喜ばせたいという願いはかなうか?川越シェフは、高校時代のグローブのよみがえりを依頼。あの王貞治の要望もかなえたすご腕マイスターが修復に挑む。そして、70年前戦地の父から届いた2通の葉書。今では文字が消え、読むことができない。果たして?
出演者
【司会】タカアンドトシ,【ゲスト】壇蜜,川越達也,梅沢富美男,土田晃之,YOU

ジャンル :
バラエティ – その他
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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