花音ちゃんだいぶ雰囲気が変わりましたね。
初めてでも簡単にできるスキバサミカット是非親子で試して下さいね。
皆さ〜ん今日はちょっと不思議な場所をご案内するわよ。
ここはハンセン病の元患者さんたちが暮らす療養所多磨全生園よ。
東京ドーム7つ分もの広さがあるの。
ハンセン病ってご存じかしら?らい菌っていう菌に感染して起こる病気よ。
療養所の中には教会やお寺もあるし売店や郵便局。
かつては映画館まであったのよ。
どうしてこんなに何でもそろってるのかって?実はこれがハンセン病の長い歴史を物語っているの。
過去の歴史をひもとき未来へのヒントを探る「シリーズ戦後70年」。
第5回は「ハンセン病の戦後」です。
治る病となったあとも戦後50年にわたり続いた隔離政策。
患者たちは療養所で一生を終える事を余儀なくされました。
激しい差別や偏見にもさらされます。
抑圧的な隔離政策の廃止を求めて立ち上がった患者たち。
強い思いがありました。
差別や偏見の中自由をどう勝ち取っていったのか。
人間回復への道のりをたどります。
ハンセン病で勝訴判決です!こんばんは「ハートネットTV」です。
今年は戦後70年。
一年を通して福祉の戦後を振り返るシリーズをお伝えしています。
今日はハンセン病の戦後を振り返ります。
スタジオにはハンセン病元患者で人権回復運動に携わってこられた森元美代治さんにお越し頂きました。
どうぞよろしくお願いします。
(サヘル)よろしくお願い致します。
そして今回もですね福祉の戦後70年に詳しいふくにゃんにも来てもらいましたよ。
ふくにゃ〜ん!ハ〜イ!よろしくお願いします。
今日もよろしくね。
ニャア!ハンセン病という病気なんですがサヘルさんご存じでした?はい。
正直な事を言うとハンセン病っていうのは聞いた事はあったんですけども一体どういう病気なのか一体どういうものなのかというのはついこの間まで私知らなかったんですよ。
とある番組でちょっと実際に勉強させてもらったんですが知る事ができてよかったなとまず今思っております。
サヘルちゃん。
はい。
本当にハンセン病の事分かってる?はい分かってますよ。
ニャア!じゃあクイズ出しちゃうわよ。
(サヘル)はい。
当然知ってるわよね?さあどうぞ。
言っていいですか?正解は全部です。
さすがね〜サヘルちゃん。
そう全部。
そうなんです。
日本で普通に暮らしていて発症する事はないの。
しかも特効薬もあるのよ。
家から病院に通って治せる病気なんですよね森元さん。
そうなんですよね。
そうですね本当に。
顔だとかあるいは手足だとか人の目につく所にいろんな後遺症出来るんでこれが誤解の大きなもとなんですよね。
ハンセン病の歴史を振り返っていきたいと思います。
こちらご覧下さい。
森元さんがそれぞれの時代に経験した事を3つのキーワードにまとめました。
まずは最初のキーワード「自由を奪われて」。
森元さんが経験した隔離の歴史です。
およそ200人の元患者が暮らす多磨全生園。
森元さんは妻の美恵子さんと共にここで長年暮らしてきました。
(取材者)失礼します。
朝早くからすいません。
ハンセン病は神経に作用する病気で体の一部に後遺症が残ります。
森元さんは右目を失明し左目も僅かな視力しか残っていません。
更に手足にも障害があります。
妻の美恵子さんも元患者ですが早期に治療できたためほとんど後遺症はありません。
鹿児島県の喜界島に生まれた森元さん。
14歳の時ハンセン病を発症します。
ごく軽い症状でしたがすぐに親元から引き離され療養所に収容されました。
ハンセン病患者は1931年に出来た癩予防法によって全員が強制的に隔離されてきました。
1940年代アメリカで特効薬プロミンが開発。
日本にも上陸しハンセン病は治るようになりましたが国は隔離政策を変えませんでした。
森元さんが発症したのも治療が可能になったあとの事。
しかし療養所に入らざるをえなかったのです。
ちょうど真ん中にいるのが私ですねこれね。
森元さんは岡山の療養所の中にある患者専用の高校に通いました。
そこでは教師全員に白衣の着用が義務づけられていたといいます。
修学旅行では観光地を船の上から眺めるだけ。
感染の危険があるからと上陸はできない決まりになっていました。
治る薬があった訳ですよね。
治る病気だったにもかかわらずあのように隔離されなければいけない。
でもなぜ隔離されなければいけなかったのかっていう本当に単純にその疑問しか出てこないんですけれども。
それってどう思われました?もう何もかもねだめというような法律でしたね。
治ってもね退所するっていうね基準がないんですよ。
要するに治ったら普通の病気なら退院させますよね。
そういうおおむねないの。
隔離されたらもうそれっきり。
一生いなきゃならんというふうな法律になっていたんでね。
サヘルさんがおっしゃるとおりね本当に我々は悔しいだけですよ。
全く間違った事を長くやられたんでね。
何か想像できないです。
いつも食卓で家族と囲んでいる普通のおうちからじゃあ隔離だって言われて離れなきゃいけなくなった時のその隔離になって下さいって言われた時のあの時の気持ち心境ってどんな感じだったんですか?それはねサヘルさんね入園した頃はね10日間ほどはもう喉ごはん通らないんですよ。
本当正直言ってこんなハンセン病だったら死んだ方がいいんじゃないかと何度思った事分かりませんよ。
こうした厳しい隔離政策は社会の偏見をあおる事につながりました。
戦前国はハンセン病は国力を弱めるとしその撲滅を掲げて患者を見つけ次第通報させました。
運動は戦後も残り感染力が強い不治の病というイメージが定着。
患者の子どもが小学校に通おうとして反対運動が起きた所もありました。
発病したら二度と社会へ戻れない。
恐怖感が差別を助長させていったのです。
罪を犯したような…。
そうですよ信じられない。
もう本当めちゃくちゃですよねこの無癩県運動っていうのはね。
正しい知識がないがゆえに起きてる出来事ですよね全部。
この離婚騒ぎはねもう日常茶飯事でね。
なぜ離婚するんですか?怖い病気遺伝病みたいな誤解もありましたから「森元家はらいの血統だ」とかそういう言い方するんですよね。
それは大きな間違いでしたからね。
だから家族も本当苦労したんでしょうね。
私のためにはね。
高校卒業後森元さんは岡山の療養所から東京の多磨全生園に移りました。
東京の予備校に通い大学に入りたいという夢があったからです。
しかし外出は許されませんでした。
患者の逃走を防ぐために作られた堀。
当時は深さ2メートルもあったといいます。
周りには鉄条網。
更に柊の垣根が張り巡らされていました。
森元さんは堀を越え垣根の隙間を見つけて脱出しては予備校に通いました。
2年後大学に合格。
ところが療養所の医師の言葉は…。
退所は許可されませんでした。
ついには療養所を脱走。
病を隠し下宿しながら大学に通ったのです。
こうした隔離政策はなぜ続いたのか。
当時の療養所の園長が証言しています。
療養所で一生を終える事が患者や家族にとって最善だという考えが根底にあったのです。
国は患者の求めに応じて療養所の娯楽や医療を充実させていきます。
暮らしが日増しによくなる中隔離政策への疑問を抱く人は少なくなっていきました。
1970年。
森元さんは病気が悪化し再び療養所に入所します。
その後園内で出会った美恵子さんと結婚。
2人にはある夢がありました。
しかしハンセン病療養所では優生保護法を根拠に患者が子どもをもうけるべきではないとされていました。
強制的に断種手術を受けさせられる事もあったといいます。
療養所の生活が改善される中多くの人はこうした権利の制限を受け入れるようになっていました。
子どもが欲しいという森元さんたちを周りの仲間は激しく非難したといいます。
う〜ん。
今奥様の言葉を聞いていてただハンセン病にかかったってだけでこのように子どもを産んではいけないというのは心苦しいです。
もうめちゃくちゃですわね本当ね。
犬や猫と一緒ですよ。
結婚する条件がね断種なんですよね。
男手術するという事が条件で結婚を認めたと。
これも非人間的なやり方ですよね。
許されない行為ですよこんなのね。
子どもが欲しいという思いはね同じ仲間だったら同じ思いのはずだって思ってるのにその皆さんから反対された訳ではないですか。
そうなんですよね。
本当は子ども欲しいはず結婚する以上はね。
子ども欲しいと思うのが人間だと思うんですがね。
それがね…療養所の中ではね。
国の政策によってそれで動かされちゃうんですよね。
皆さんね隔離される中でその生活に何て言いますか…慣れてしまうというかそういうものなんだって思ってしまう方もいると思うんですよね。
それはねむしろほとんどそういう気持ちじゃないでしょうかね。
つまり我々ハンセン病に対しては…正直な気持ちだと思いますよ。
そういう人をね批判する事は私できないと思います。
なぜなら国からそういうふうに仕込まれたっていうかそういうふうに教育されたんですよね。
森元さん自身は…?う〜ん。
だから一時ね病気を悪くしたりしてね社会復帰は無理かなと思った時はね静かに家族にも迷惑かけないしそっとしてそのまま静かに全生園で死んで誰にも知られずに…。
全生園にお墓があるんですよ。
そのお墓に静かに入った方が自分のためにも家族のためにもいいかなと思う時期もありましたよ確かに。
ちょっといい?ふくにゃん。
森元さんみたいにハンセン病で療養所に隔離されて今もそこで暮らしている人がたくさんいるって知ってる?
(サヘル)ええ。
こちらちょっと見て。
全国の国立療養所を示した地図よ。
全部で13か所あるの。
で今ここに暮らしている人たち1,718人。
平均年齢は84歳。
随分ご高齢なのよね〜。
そうですよね森元さんっていう事はこれだけの方々がまだ療養所で生活をしてるって事なんですか?そうなんです。
この方々もやっぱり家族の事をいとおしいのでねみんなね。
もう今更ね家族も忘れたような存在になってるから今更ただいまってふるさとに帰るっていう事はねとてもできない。
さあいよいよ最後のキーワードにまいります。
「人間回復を目指して」。
隔離された生活に半ば諦めの気持ちでいた森元さんに大きな変化が訪れます。
1993年森元さんは仲間に推され療養所自治会の会長に就任します。
療養所の更なる環境改善に取り組もうとしていたやさき衝撃的な出来事がありました。
全国の自治会長が集まる会議での事。
国のハンセン病政策の方針に大きな影響力を持っていた元厚生官僚が「隔離は人権上問題だ。
らい予防法を廃止すべきだ」と発言したのです。
これをきっかけに半世紀以上続いた政策が大転換していく事になっていきました。
大谷藤郎先生いきなりね廃止しましょうと言った時には何かびっくりしましたよねあまりに突然でしたから。
だけどもこの予防法によって我々人生が奪われたし家族もみんな苦しんできた訳だからこの予防法が無くなるっていう事はね我々当事者も家族もきっと喜ぶに違いないという思いから私は真っ先に是非やろうと思いながら頑張りましたね。
ところが多くの入所者は予防法廃止に反対しました。
療養所が無くなり行き場を失う事を恐れたためです。
森元さんは全国の仲間たちの説得に当たりました。
半年後ついに皆の意見を統一。
政府に隔離政策の過ちを認めるよう要求しました。
そして1996年。
賛成の諸君の起立を求めます。
全会一致をもって可決されました。
戦後50年にわたった隔離政策が終わりました。
私は「やった〜!」と思ってねそれで一件落着と思いましたよ。
本当に法廃止された事をね肩の荷下りたなと思ってね。
反対する人が結構いたんですよ。
そこでね私はね何回もその方々と反対する人たちとレクチャー持ちました。
「療養所が無くなるとか追い出されるとかそんな心配してるようだけどもそんな事絶対ありえない。
予防法廃止の中にちゃんと盛り込みましょう」と。
問題は何もないです。
皆だったら賛成しようという事で賛成して96年やっと。
予防法廃止を勝ち取った森元さん。
ある時一通の手紙を受け取りました。
「私を兄弟と思わないで下さい。
一切お断りします」。
ハンセン病の家族がいる事を周囲に知られたくないとつづった姉からの手紙です。
「これが最後の手紙だと思って下さい」。
法律が廃止されても根強い偏見は変わっていない。
森元さんはそのころ始まっていた国に謝罪を求める裁判に原告として参加する事を決めました。
人間回復を目指したのです。
原告は次第に増え全国で700人を超えました。
勝訴です!
(拍手と歓声)熊本地裁では国の責任を認める判決が出ます。
国が控訴するかどうかが注目されました。
原告たちは責任を認め控訴しないよう首相に訴えます。
原告の人の声をよく聞いて下さ〜い!小泉首相は控訴しないで下さ〜い!そしてついに…。
(拍手と歓声)ありがとう!いや〜もう胸がいっぱいです。
頑張りましょう。
ありがとうございました。
(拍手)そうですねお話を聞いていてのこの経過を見るとすごい闘いがあって本当はきっと多くの…。
この状況を法律が無くなったっていうのを見届ける事ができなかった患者さんもたくさんいた訳じゃないですか。
そう思うと本当いろんな思いで闘われて…。
その裁判についても最初はみんな負けるんじゃないかと心配してね。
私も正直言って心配は心配でしたよ。
やっぱ勝つ保証は何もない訳だから。
その裁判が2年半で結論出てね。
あれは本当に人間回復ですよまさに。
やっとあれで我々は人間になれたって言う人いましたよね。
私もそういう気分でしたよ本当に。
まさしく映像では今やっとスタートに立ったっていう事。
そうなんです本当の闘いはこれからだという思いがあってあんな発言したと思うんですがね今でもそれは間違ったと思ってませんね私はね。
なぜなら今でもですね…そういう意味ではねまだまだ私は頑張らなきゃいけないなと思っています。
いろんなお話伺ってきましたけどもこの3日間を通してサヘルさんどんな事を感じましたか?いろんな事が交差してしまうんですけど知ろうとしなかった事がいけない事なんだなと私はすごく勉強になったんですけども。
人権を奪ってしまう権利って誰にもない訳ですよね。
70年の間で学んできた事を次の世代にちゃんと渡していく。
ここで終わらしちゃいけないんだなっていうのはすごく痛感しました。
それが今生きている私たちの本当に大きな責務ではないかなというふうに思います。
2015/08/12(水) 20:00〜20:30
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV シリーズ戦後70年(5)ハンセン病の戦後〜人間回復への道[解][字]
戦前・戦後を通し、全国の療養所に収容され様々な人権侵害にさらされたハンセン病元患者たち。「隔離収容」の歴史とその背景、そのことがもたらした課題を見つめる。
詳細情報
番組内容
戦後70年の日本の福祉を振り返り、未来への提言につなげる年間シリーズ。第5回はハンセン病。患者は戦前から全国の療養所に収容され、断種手術を強制されるなどの人権侵害にさらされてきた。特効薬が開発され治るようになっていた戦後も隔離政策は続行。福祉の“善意”や「(自分たちと違う人は)隔離・収容する」という発想が政策を後押ししたと元患者は語る。彼らが自由を勝ち取るまでの闘いを見つめ日本の福祉の課題を考える
出演者
【出演】森元美代治,サヘル・ローズ,【解説】佐田明,【司会】山田賢治
ジャンル :
福祉 – 社会福祉
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
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