問い続けた30年 日航機墜落事故の遺児たち 2015.08.12


30年前の今日偶然撮影された離陸直後のジャンボ機日本航空123便です。
異変が起きたのはこの12分後の事でした。
機体の一部が損傷し123便は操縦不能になったのです。
(警報音)翌日123便は群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落している事が分かりました。
520人が死亡。
単独の航空機事故としては史上最悪の惨事となったのです。
123便には家族を持つビジネスマンが数多く乗り合わせていました。
(泣き叫ぶ声)親を失った世帯はおよそ200。
多くの子どもが遺児となりました。
おやじの無念な気持ちを…僕が精いっぱい生きる事によって晴らしたいと思います。
事故から30年。
親と同じ年代にさしかかった遺児たちは親の死の意味と自らの生き方を問い続けてきました。
その姿を見つめました。
墜落から2週間後報道陣の前に姿を現した亡くなった機長の妻と長女です。
(リポーター)ひと言だけお願い致します。
乗客の命を救えなかった機長の家族として厳しい視線にさらされました。
あれから30年。
長女の洋子さんは日本航空の客室乗務員として働いています。
事故が起きた時高校生だった洋子さん。
選んだのは父と同じ空の仕事でした。
洋子さんは父の写真を初フライトからずっとお守りとして身につけています。
123便の機長だった父雅己さん。
飛行経験が豊富でパイロットを育成する教官も務めていました。
事故直後から機長に対して厳しい声が上がりました。
洋子さんは父の遺体を深夜の安置所で人目を忍ぶように捜さなければなりませんでした。
客室乗務員として働き始めたものの事故機の機長の娘という立場に負い目を感じ続けていました。
行ってまいります。
行ってまいります。
事故から15年後それが変わる出来事がありました。
ボイスレコーダーの音声が公になったのです。
コントロールが利かなくなった機体と格闘し最期まで乗客の命を守ろうとした父の姿がそこにありました。
(警報音)洋子さんは今事故を知らない後輩たちに安全を守る責任の重さを伝えようとしています。
遺児の多くは一家の大黒柱だった父親を事故で突然亡くしました。
海運会社の支店長だった…神奈川の自宅から単身赴任先の神戸に戻る途中事故に遭いました。
妻と3人の子どもが残されました。
当時大学院生だった長女の真理子さんです。
真理子さんは父との思い出を今も大切にしています。
何事にも手を抜かず気配りを欠かさなかった父。
事故前日にも子どもたちと食事を共にしていました。
真理子さんが特に大切にしているものがあります。
遺体とともに見つかった手帳です。
激しく揺れる機内で3人の子どもと妻に宛てて書いた最期のメッセージが残されていました。
シンクタンクの研究員となった真理子さん。
最愛の父を奪った悲惨な事故が二度と繰り返されないよう活動しています。
安全性を重視する事が企業の価値を高めると経営者たちに訴えています。
遺族の会の一員としても国に対し説明責任を果たすよう求めてきました。
事故から26年後国はようやく事故調査の解説書を公表します。
専門家だけでなく一般の人にも分かりやすい画期的な内容でした。
真理子さんの弟津慶さんです。
事故から30年たった今父のメッセージに背中を押され新たな人生を歩み始めています。
おととし20年以上勤めた大手ガラスメーカーを辞めたった一人で会社を立ち上げました。
独立の決断を支えたのが父が残した最期の言葉です。
「幸せな人生だったと感謝している」。
長年ものづくりに携わってきた津慶さん。
管理職となって現場から遠ざかり仕事にやりがいを見いだせない日々が続いていました。
父の年齢に近づき自らの生き方を振り返った時父と同じような人生の総括ができるかと自問したといいます。
そして自分の好きな日本の工芸品を海外に紹介する事業を立ち上げる事にしたのです。
520人の犠牲者を出した墜落事故で4人の生存者がいました。
その一人当時中学1年生だった…慶子さんを迎えたのが中学2年生の兄千春さん。
部活動のため自宅に残っていました。
千春さんは事故で両親と末の妹を失った上に慶子さんを支える立場に立たされました。
町議会議員を務めた父と保健師の母の間に生まれた千春さん。
弱い立場の人のために働く両親の姿を見て育ちました。
事故のあと千春さんは「父は根性。
母はやさしさ」という言葉を書き留めました。
「悲しみとともに人間の命のすばらしさを身をもって教えてくれた」。
「もうぼくは泣かない」。
千春さんは現在44歳。
介護の仕事をしながら両親と過ごした町で暮らしています。
事故のあと支えてきた妹慶子さんは生活に落ち着きを取り戻しその後看護師の道を進んでいきました。
しかし千春さんは高校に入学した頃から勉強が手につかなくなり一時学校にも通えなくなりました。
社会に出てからも職を転々とする生活が続きました。
千春さんが自分の生き方を受け入れられるようになったのは亡くなった親と同じ年代に達し子どもを持つようになってからです。
(子ども)お父さん昔はここハウスだった?うんそうだね。
そうだね。
今回私たちの取材に応じてくれた千春さん。
自分のように事故や災害で親を失った人たちに伝えたい事があると語りました。
520人の掛けがえのない命が奪われたあの日から今日で30年。
残された自分はどう生きるべきなのか。
遺児たちはその答えを探し続けてきました。
彼らの言葉は生きる事の意味を私たちに静かに問いかけています。

(徹)今日から僕を女将さんだと思ってね。
(希)お父さん!?
(一徹)お父さんは2回も2015/08/12(水) 12:20〜12:45
NHK総合1・神戸
問い続けた30年 日航機墜落事故の遺児たち[字]

日航ジャンボ機墜落事故から30年。事故はたくさんの「一家の大黒柱」を奪い、多くの遺児が生まれた。親を失った遺児たちの苦難の30年を貴重な証言によって伝える。

詳細情報
番組内容
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から30年。事故はたくさんの「一家の大黒柱」を奪い、多くの遺児が生まれた。生還者の一人・川上慶子さんの兄は、亡くなった親に代わって妹を支えてきたが、その重荷から心身のバランスを崩してしまった。機長の娘は、加害者側として生きることを強いられたが、最後まで力を尽くした機長の父親に誇りをもって生きてきた。番組では、遺児たちの貴重な証言で苦難の30年を伝える。
出演者
【語り】弘中くみ子

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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