(3人)こんばんは。
さぁ「鑑定団」始まりました。
今日もよろしくお願いします。
暑い。
暑い。
マネージャーさんとか一緒やとタクシー先に車確保して…乗るんですけど気ぃきかしてドアは開いてるんですよね。
はよ乗らな冷気が逃げると思ってちょっと急いで乗ったときには今度こっちが汗出てくる…。
昭和のムード歌謡を代表する男性コーラスグループ…
幼い頃から父のレコードで耳にした
歌の世界で生きることを決意
すると24歳のとき作曲家鶴岡雅義さんにその美しい歌声を認められ
デビューシングル『小樽のひとよ』を発表したところ
更にその続編『旅路のひとよ』はファンのみならず専門家からも高い評価を受け
その後も『君は心の妻だから』『北国の町』と立て続けにヒットを重ね紅白歌合戦…
72歳になった現在もその歌声は円熟味を増すばかり。
ファンの耳を楽しませてくれています
依頼人の登場です。
東京都からお越しのどうぞこちらのほうへ。
いやもう何年ですか?プロになって52年。
52年。
なんとかしつこく歌ってますけどね。
しつこく…。
今日ちょっとファンの方も来られてるということで。
ありがとうねどうもありがとう。
あら長年応援されてる…。
じゃあ見てみましょう。
あっこれか茶碗茶碗。
これか…いやご本人のですよね?いやわけわからないんです…。
大丈夫ですか?なんやしらんけど。
どうやって手に入れられたんですか?昔からのファンの方がプレゼントで持ってきてくれて。
何年くらい前にもらわれたんですか?45〜46年前です…全盛の頃。
いろんなプレゼントいただいたりね。
たくさんいただいたんですか?当時は。
はいもう車までもらいましたよ。
え?洋服なんて…これもいただいたやつですけどね。
もうこれは40何年前…。
え?これもね。
きれいに使われてますね。
やっぱ時代ですね俺らのないですもんそんな。
じゃあ今日高額な感じやったらどうします?それはもう先祖の方にありがとう…。
先祖の方?いや先祖からいただいたんじゃないですよね?ご本人の評価額ですがおいくらくらいでしょう?三條ですからサンジョウ万で。
(笑い声)笑てんのファンだけですよ。
それでは30万でいきましょうオープンザプライス!えっ100万円!
(拍手)すごい!え〜!?いや品のいいお茶碗ですね。
この箱は今から200年くらい前の杉箱で時代を物語っていますね。
蓋の裏には裏千家十代目宗匠認得斎宗室の筆で「六閑手造赤茶碗」と書いてあるんですね。
六閑斎という人は元禄時代から享保時代にかけて活躍した宗匠ですけどね大変にお茶碗を作るのが上手だった。
これを見ますとおおらかさがあるんですよ。
口作りが緩やかにできててストンと下に落ちてく。
でこの茶碗重いですね。
持ったときにお茶のぬくもりがすっと心に入るようになってる。
この釉薬っていうのが窯変になっておりますね。
口のところから卯の斑の白濁釉の薬が幕引で下りてるこれがいい景色ですね。
裏を返すと高台がへらで鋭くぐるぐる…って渦になってる。
この土がいいんですよ。
ねっとりとした赤黒い土ですね。
これは聚楽土っていいまして豊臣秀吉が洛中に造営した聚楽第の壁土なんです。
その残りを千家十職の茶碗師楽家が拝領して大事に使ったわけです。
名品です。
大切になさってください。
ずっしりと重いこれがいいみたいですね。
いやいや…今全部言いましたこっちで。
何も知らなかったじゃないですか。
適当な人ですね。
大事になさってくださいね。
ありがとうございます貴重なものを。
はいどうも…。
次なる依頼人は熱心にパソコンの画面を見ているこの方
なんとそれはネットオークションのサイトでした。
3年前定年退職したのを機にすっかり夢中になってしまい気にいった絵があるとつい買ってしまうそうです。
しかしネットオークションというと偽物も出品されていることが多いと思いますが…
でもインターネットオークションは
自分が本物と確信した絵を落札し家中に飾って楽しんでいます。
当初は妻の裕子さんも…
しかし次々と絵が家に届くと態度が変わり
厳しく言われてます。
その裕子さんは現在病気で入院中だそうです。
それをいいことに…
鬼の居ぬ間といいますかそろそろ退院してきますので
それも同じくネットオークションで発見したもの。
長年その画家の絵を手に入れたいと思い続けていたため入札に参加した際は
心臓がバクバクしました。
しかし他に競争相手があまりいなかったため思いのほか安い価格で落札できたそうです
自分は確信しました。
鑑定お願いします。
スタジオで拝見しましょう
依頼人の登場です。
熊本県からお越しのどうぞ。
どうぞお願いします。
いや今奥さん入院中に?そうなんですよ。
あらでもバレますよ退院して帰ってきたら。
もうバレました。
もうバレました?やっぱり。
怒られました。
怒られますね。
今日のも本物の自信は?あります。
ありますか拝見しましょう。
あらっ。
井手宣通の作品です。
井手宣通?祭りの絵を多く描いてるんですけどもこれは福島県の相馬の馬追いの作品です。
昨年の4月にインターネットでたまたまこの絵がヒットして。
いくらで?26万1,000円です。
この頃はまだ妻と友好関係にありましたので。
友好関係じゃないんですね今。
補助金として6万円いただきました。
妻から。
妻から。
妻から補助金なんてシステムあるんですか。
特にここが気に入ってるっていうのありますか?馬が今にも動きだしそうな感じで躍動感があって井手宣通さんのタッチが出てると思います。
三條さんいかがですか?いやぁやっぱり感動しますよ。
ありがとうございます。
適当ですやん。
いやいややっぱりね感じる…。
嘘ばっかりや。
感じる感じる。
僕はねだいたい美大へ行ってねデザイナーになりたかった。
美大行ってたんですか?美大へ行きたかったの。
ただ一つ心配があるんですよね。
熊本市の現代美術館にこれと同じモチーフの作品があるんですが馬の向きがですねあっちは左向きなんです。
これ右向きなんですね。
残念でしたね。
いえいえ…。
京都夏の風物詩祇園祭。
鮮やかな色彩が乱舞するその絵をじっと見つめると今にも囃子の音色が聴こえてくるかのようだ。
画家の名は井手宣通。
祭りをこよなく愛し常々こう語っていた
中学生のとき美術教師の影響を受け画家を志すようになった。
この頃描いた自画像を見るとすでに卓越した画力を備えていたことがうかがえる
2年後本科に進むと藤島武二の教室に入りまた偶然知遇を得た藤島の直弟子…
在学中に発表した『漁夫と子供』は強い日差しの中に座す漁師を生き生きとした筆致で描いたもので存在感に溢れ帝展に出品すると見事初入選。
しかしそれでも慢心せずその後彫刻科に再入学し朝倉文夫北村西望に立体表現を学んだ。
卒業後程なくして太平洋戦争が勃発したため
その際海まで続くみかん畑を目にしたことにより風景における水を意識的に描くようになった。
しかしまだこの頃その色彩はどんよりと暗く沈んでいた。
その色彩に変化が訪れるのは1955年のヨーロッパ遊学がきっかけであった。
おそらく井手はヨーロッパ独特のまばゆい太陽乾燥した空気そして文化の違いにおおいに触発されたのであろう。
この年を境に井手の絵は薄皮を一枚ずつはぐがごとく明るくなっていった。
そして1962年50歳のとき親友に誘われ福島県相馬市の相馬野馬追を取材。
この祭りはかの平将門が野馬をとらえ奉納した故事に基づき500あまりの騎馬が疾走するというもので千年あまりの歴史を誇る。
井手はこれを目にした瞬間馬の躍動感人馬の一体感におおいに魅了され一気呵成に描きあげるとその後は祭りを生涯のテーマと決め日本各地を旅して歩いたのであった。
例えば京都の葵祭。
春日のおん祭。
そしてときには沖縄のじゅり馬祭までも。
いずれも刻々と変化する祭りの一瞬をとらえそのエネルギーをそのままキャンバスに解き放っている。
そのひとつ『千人行列』は日光東照宮の春の例祭を描いたものだが色数を抑え人物も大胆に省略することによりかえってその迫力がじかに伝わってくると絶賛され…
1979年胃潰瘍を患い療養のため熱海にアトリエを構えたが老いてなおその色彩は鮮やかになるばかりであった。
燃えるような朝日。
水面に映る月明かり。
そして花火の一瞬のきらめき。
井手はこう語っている
改めて依頼品を見てみよう。
25号の油絵で相馬野馬追が躍動感溢れる筆致で描かれている。
しかし祭りを描いた井手の作は極めて人気が高く偽物も数多いが…
ご本人の評価額ですけども…。
はい。
26万で購入されたということでおいくらでしょう?私が今年63妻が還暦で60ですから123万でお願いします。
足して?はい。
自信ありますか?あります。
いきましょう…。
少し。
え?
(笑い声)それでは123万でオープンザプライス!すごい!え〜まさか!井手宣通さんの代表作ですね。
『相馬野馬追』は日展にも出品されてますけれどもシリーズとして何点も描いてますし非常にすばらしいものだと思います。
太い筆による線なんですね。
一見ラフに見えますけど非常にそれがリズミカルな勢いのある伸びやかな線で臨場感を描き出している。
それからこの配色なんですね。
緑の色とか馬のこげ茶色とかこの黄色とか赤白い衣装。
いわゆる大和の色といいますか自然を描くときにはこういった配色は使いません。
そこに井手さん自身の思いというか油絵によっていかに日本の伝統を描くか。
ですから一瞬の場面ですけれども何か絵巻物を見るような感動を与える絵になっているんじゃないかなと思いますね。
まさに熊本のお宝ですし大事にぜひお持ちいただきたいと思います。
いや〜すごいまさか…。
とにかく申し訳ございませんでした。
いえいえ…これから堂々とまた収集が…。
続きますね。
やりました。
とりあえず奥様にはね。
いい報告ができます。
いい報告できましたね。
ありがとうございました。
お宝列島日本縦断
江戸時代は薩摩街道の要衝であった。
佐敷城は16世紀後半肥後国を治めていた加藤清正が薩摩との国境を守るために築城。
三の丸二の丸本丸ともに総石垣造りで比類なき堅牢さを誇った。
江戸時代一国一城令により取り壊されたが近年石垣の一部が復元されかつての面影を今に伝えている
不知火海では白い帆をいっぱいに膨らませたうたせ船による底引き網漁が行われている。
この漁法は明治時代のはじめ瀬戸内海から伝わったもので帆に受けた風の力だけで巧みに船を操り車えびシャコなどを引き揚げる。
その姿は実に美しく白いドレスの貴婦人と呼ばれている。
一方こちらはこの地で代々庄屋を務めた藤崎家が明治26年に建てた数寄屋造りの邸宅で…
芦北の迎賓館を目指しただけあって銘木が随所に用いられており現在国の登録有形文化財に指定されている
本日の鑑定士は…
早速いってみよう!
(2人)出張!なんでも鑑定団IN芦北!
まずは高校の教え子と結婚したじっくり聞かせてもらいますよ。
そもそもどうして生徒さんとっていう…。
それで機械課の物作りの勉強をしたいっていって入学してきた物好きの人がいたんですよね。
それが倫史さんで互いに30歳を過ぎていたため話が合いどちらからともなくごくしぜんにつきあうようになった
え〜っ!!っていうことは
人目についてはまずいので夜海や川でデートし…
真っ暗い海のところで2人でずっと釣りしてあなたのこと好きですよなんて言いながら…。
お宝は
半年前義父の家で夕食をごちそうになっていた際…
私が小さいころからソフトクリームが大好きで…。
夕食の席でですね…一緒に食事しているときにお話ししてたところ…。
ほろ酔いになった義父がいかにも自信ありそうに…
見せてくれたのがこの矢立であった。
大の骨董好きらしくとうとうと説明してくれ…
とっても珍しいもので…。
ほぅ〜!
そのためもし高ければ売り払い開店資金の一部にあてたい。
本人評価額はソフトクリーム製造機の値段と同じく120万円。
実は今日も会場で見守る義父から「心配無用大船に乗ったつもりでいなさい」と言われたが…。
果たして結果は?
どうぞ!ジャカジャン!
う〜ん残念!
近代になって作られた焼物なんですよ。
湖東というのは滋賀県の名陶なんですけども黄金時代を迎えたのは今から150年くらい前井伊直弼が彦根藩主だったころなんですね。
桜田門外の変でもって暗殺をされると急速に衰えてしまって明治28年に窯が閉じてしまうんです。
矢立というものは旅人とか文人とか商人が帯に挟んで遠くまで行く…そして何かを書く筆記用具なんですよ。
だから焼物では壊れてしまいますのでこれは新しく飾り物として作られた…。
ただねたいへんかわいらしいものです。
大切になさってください。
続いては旅行会社で添乗員をしている私の父は自負するわけじゃないんですけれども…。
明治17年に田舎で生まれて…。
ちょっとよろしいですか?
78歳の添乗員は珍しいと思うが生涯現役を続けたいので最近ダイエットし体重を15キロも落とした。
そのため…
え〜っ!十分ウエスト…。
全然入って…ゆるいですね。
もうどっちかといったら修学旅行の高校生より私のほうが歩き方速いんです。
すばらしいですね。
生徒にもうちょっと急ぎなさいと…急いで歩いてって言うくらい…。
お宝はこちら
亡き父が遺したもの
退官後は…
当時は現在と違い宅配便などがなかったため…
おふくろが言ってました!儲けた!?儲かって儲かってしようがなかったと。
そのころ大枚をはたいて買ったと聞いている。
おそらくこれは美人画だろうが自分が思うにとても珍しく…
そうですね美人の肩に猿がのってるって…。
初めてかな僕も見るのは。
本人評価額は期待を込めて100万円。
父亡きあと生活は一気に苦しくなったがこれだけは絶対手放さず形見として大事にしてきた。
果たして結果は?
ジャカジャン!
う〜ん残念!
まぁこんなもんですかね…。
雪舟の弟子は山口雪渓という人なんですがまったく画風が違いましてこれは月岡雪渓。
天保ごろに活躍した風俗人物が得意な絵師だったと。
たいへんおもしろい図柄で猿回し…。
猿というのは馬の守護神ということでよく描かれもしたという…状態がちょっと悪いのでこのくらいのお値段なんですけど表具裂がいいですね笹の地模様になっておりまして…この絵ととってもよく合っていると思います大切になさってください。
続いては86歳にして編み物を始めたこういう高いとこにのぼったことないものですから。
高いとこにのぼったことがない。
緊張なされますかねちょっとね。
お元気でらっしゃいますねでもね。
娘たちに編み物したらって言われて…。
曾孫さんのチョッキ?はいはいはい。
今日は曾孫さん来てるの?あっ!あの…チョッキ!?そうですそうです。
あっかわいいじゃないですか!すごいすごいかわいい。
結構大きいですね。
お宝は古い壺である
昔から伝わってるもので家に。
そのころ拝領したものだがそれほど大事にはされていなかった。
しかし三十数年前父がNHKの大河ドラマ『黄金の日日』を見ているとこれとそっくりの壺が出てきたため…
玄関のとこに置いたりしてましたけどね。
しかし到底名品とは思えない。
なぜなら…
ひもをかけるとこが雑ですよね。
雑!?どうかなぁって私は思うんですよ。
先生おっしゃるでしょ?言いますねはいはいはい。
本人評価額は亡き父の顔を立てて50万円。
実は壺の底には花押らしきものが書かれている。
しかしそれもわざとらしくて怪しいとにらんでいるが…。
果たして結果は?
ジャカジャン!
よかった!
たいへんに筋のいいルソンの壺ですね。
世が世ならば一国一城にかえられるくらいの値打ちのあったものです。
16世紀中国南部の沿岸地方で作られた交易用の壺なんです。
多くの壺が現在のフィリピンのルソン島に送られたんです。
そして堺の貿易商人たちが持って帰ってきて茶人や戦国大名たちにすこぶる高い値段で売りさばいたんですよ。
この裏に書いてある花押はねおそらく戦国大名か江戸初期の大名茶人のものですね。
全体が飴釉がかかっててちょっと窯変になって飴がとろっと流れていい景色ですよね。
そしてこの4つの耳がしっかりしてて風格がある。
実に端正ないい壺です。
ぜひとも大切に後世に伝えていただきたいと思います。
続いては女子プロゴルフの観戦が趣味のどういう感じが楽しいんですか?ボール飛んでるときシューって飛んでいくんですよ。
近くで見るっていうのはすごくおもしろいですね。
お宝はこちら
おっ!
もともとは九州の炭鉱王と呼ばれた方の家にあったもの。
大正時代に…
九州に芥川が旅をしたときによう来たなしばらく泊まっていかんかいみたいなおそらくそういうノリで数日間芥川龍之介がその炭鉱師の家にお世話になった。
そのお礼に書き残したと聞いている。
その後炭鉱王のもとで働いていたおじが譲り受けたが長年物置にほったらかしにしていたため…
その雨滴がこの中に染み込んだんだろうと。
しかし偶然にもその染みに風情があり…
山の感じに見えません?このへん。
山の感じにね!煙がたなびいてとても趣のある景色を醸し出してる。
正直に打ち明けなければ鑑定士の方も気がつかなかったかもしれない。
本人評価額は堂々の100万円。
芥川は若くして亡くなったのでもし本物ならたとえ染みだらけでもこのくらいはするはず
大正時代芥川が九州を旅し炭鉱王の家に泊まった際そのお礼として書き残したと聞いている。
その後おじが譲り受けたが物置にほったらかしにしていたため雨漏りで染みだらけになってしまった。
果たして結果は!?
ジャカジャン!はい!
これはすごい!
すごい!もし染みがなければ200万円。
やっぱり。
でも作品としてもたいへん味わい深いものだと思います。
大地のように麗しい妻を恋しく思うあまりに頭の皿の水がかわいてしまうのだろうかと。
で我鬼山人というのが俳号ですね。
印の代わりに龍という字がさっと書いてある。
これもすごく勢いがあって芥川独特の鋭さが感じられて河童の絵はずいぶん描いておりますけれどもやはり色気のあるというか雰囲気のあるたいへんすばらしい作品だと思います。
続いては釣りが趣味の気をしずめるというか。
竿10本出して2時間待って全然ピクっともせずに帰っていくときもあったし。
お宝は
20年ほど前自宅を解体することになった知人に欲しいものがあればどうぞと言われ行ってみると3つの箱があり…
ひょっとしたらこういうやつにお宝が入ってるのかなっていう気持は持ったもので。
はいはいいいじゃないですか!
そこでまず1つ目の箱を開けると…
昔の亡霊のような感じのその中を…。
カツラが?その中に入ってたんですよ。
2つ目もこれまたカツラで…
なんで同じやつが出てきたろうかと思ったんです。
しかし3つ目の箱にこの皿が入っており…
ひょっとすると貴重なものかもしれないと思いいただいて帰った。
以来ずっと大事にしてきたが今朝そのうちの1枚に今までなかったはずのヒビが入っていたためびっくり!さてはと思い妻を問いただしたところ…
私が夜釣りにウナギ釣りに行っとる間にえ!?落としちゃいました?いや箱の上にのせといたらひっくり返ったんですよ。
ひっくり返っちゃった?うんだから私のせいじゃない?勝手にひっくり返ったんだもんね?バレなかったら言わないでおこうかなっていう?
本人評価額は割れてしまったので控えめの30万円。
高田焼は400年近い歴史があると聞いている。
とはいえ妻をせめる気はまったくないが果たして結果は!?
どうぞ!ジャカジャン!
う〜ん残念!
割れてなくてもまぁ1万円ですからね。
昭和になってから焼かれた高田焼ですね。
別称を八代焼といって肥後熊本藩細川家の御用窯なんです。
そしてそれの流れが現代に伝わってるわけなんです。
鉄分の多い土でそこに白い土を象嵌したというのが特徴があるんです。
寿という寿という金体文字ですね。
そして福ねこれが割れちゃったのは惜しかった。
それから宝珠ですねたいへんなおめでたいものです。
お使いになったらどうでしょうね。
最後は生まれも育ちも熊本のそういうことがありましてまず…。
それから加藤清正が築きました。
私もだいたい飲むほうは好きなもんですから。
お宝は…
40年ほど前なじみの骨董商が持ってきたもの。
大名品だと太鼓判をおすのでそのわけを聞くと…
そう言われ迷わず30万円で購入。
以来ずっと大事にしてきた。
本人評価額は今ならこのくらいはするはずと100万円。
猩々は大酒のみのこともさすと聞いたのでたびたびこれを眺めつつ一杯やっているが果たして結果は!?
どうぞジャカジャン!
う〜ん残念!
本物であれば400万円はかたいところかなと。
昨今は奇想の画家というふうな言い方をしますけれどもたいへん人気でございます。
ちょっと見には芦雪風だなというふうな感じはいたしますけれども力の弱さというんでしょうか手の描き方なんかはやはり稚拙というかただ猩々図というのはたいへんおめでたい図柄でございまして青竹で頭を叩くと頭がよくなるとか厄除けの意味もあってお正月なんかにも掛けてよろしいと思います。
出張鑑定IN芦北はこれにて無事閉幕
早速ご自宅にお伺いしました。
次なる依頼人は木枠に張った布に向かい一心不乱に針を動かしているこの方
これは日本刺繍で絹糸を用い絵柄に合わせて糸の本数やよりの強弱を変え刺していきます。
趣味で始めて15年。
現在作っているのは着物の半襟だそうです
できあがるとえ〜これって私自分でやったのかなと思うくらいきれいでもう1個やろうもう1個やろうと思っていろいろ作っちゃったもん。
確かにとっても楽しそう
ところで…
夫弘さんは寿司職人で22歳のときに結婚。
その4年後自分たちの店を持ち30年以上二人三脚で切り盛りしてきました
半身不随になってしまったためやむなく寿司屋は閉店
そこで何を持っているのかタンスの引き出しを調べたところとても変わったものを発見
何だろうと思い弘さんに尋ねると…
このままわからないままでは困るのでどういうものかとても知りたいです。
依頼人の登場です。
東京都からお越しのよろしくお願いします。
どうぞ。
お寿司屋さんで花嫁姿かわいらしい。
アイドルみたいでしたよ。
ありがとうございます。
嬉しいです。
すっごい嬉しそうですね。
こちらです。
何これ?でしょ?引き出しに入ってたんですか?引き出しにカフスボタンとかネクタイピンとか無造作に置いてあってだからこれ私金ボタンがあれがグシュッてなってるのかなと思って。
捨てるとこですよね。
そう。
甲州金らしいんですよ。
甲州金?甲州だか山梨の金貨なんですかね。
それで今田さんちょっと持ってみてくれます?いいんですか?いいですよ。
重いでしょ?ボタンの重さじゃないわ。
重たいでしょ。
めっちゃ重いっすね。
これがすごく気になって。
ご主人に聞いてみたら誰かからもらったとか。
そういうこといっさい言わない。
どうやって手に入れたかも…。
わからない。
山梨が自分のふるさとだから同級会は必ず行くんですよ。
よく友達なんかと会うとこんなような話をしているようなことを聞いたことがあったような気がするんですよね。
だいぶ薄まりましたね最後。
今回これ高かったらどうしますか?しょっちゅう同級会があるたびに店が予約でいっぱいにもかかわらず1泊2日で行くんですよ山梨に。
お店の予約入ってるのに?そう。
私は店をやってるときは休んだこと一度もないのね。
だからもしあれだったらそれで海外旅行行っちゃおうかな。
すぐ売り飛ばして?行きましょう海外旅行。
16世紀甲斐国すなわち甲州で作られた我が国初の流通金貨である。
戦国時代日本各地の大名は戦に勝つには最先端の武器鉄砲を所有するのが最も重要と考えその費用を捻出するためこぞって鉱山を採掘。
さまざまな金銀貨を発行した。
これを領国貨幣という。
甲州金もその一つだが他の領国貨幣とまったく異なるのは…
武田信玄の父信虎の時代に金山を開発し当初は何の刻印もない碁石金や延金などが作られていたがその後信玄が信濃駿河に領土を拡大。
その結果28もの金山を手に入れたため信玄は松木野中志村山下の4家を金座役人に指名しまったく新たな金貨を鋳造させたのであった
その際重量をもとにその価値を表面に打刻
四進法を導入し貨幣の単位を7段階に体系化した
この甲州金は地方通貨にもかかわらず
信用度が高く領内で広く流通した
「太鼓判」は太鼓の皮留めに似ていた壱分金のことでいずれも甲州金に由来する。
その後
家康は貨幣制度の統一を目指し全国に通用する金貨を発行したが甲州金で用いられていた通貨単位両分朱や四進法はそのまま受け継がれ明治維新後新制度が導入されるまで用いられた。
またこの全国通用貨幣の発行に伴い…
長きにわたりその利便性に慣れ親しんできた甲斐国の領民から存続願いが出されたため唯一甲州金だけは
金貨改鋳に伴い甲州金も金位を合わせるためふきかえられることになった。
そのためこれ以後のものを新甲金。
以前のものを古甲金という。
更にその後
また全国通用貨幣が広く行き渡ったことにより
改めて依頼品を見てみよう。
元禄時代以前に作られた古甲金の一種
その大きさはおよそ1.5センチ
表には「壱両」と「松木」の文字。
桐の紋が刻まれている。
しかしこの甲州金は珍品のため偽物もきわめて多いが…
ご本人の評価額ですけどもおいくらくらいでしょうか?うちの主人の顔を立てて100万円。
100万まいりましょうオープンザプライス!300万!うわ〜!甲斐国の英雄ですね。
武田信玄のゆかりの貨幣。
本物の壱両金に間違いございません。
(拍手)日本の全国通用の貨幣システムは家康が作ったわけですけども家康がいちばん尊敬しててお手本としたのが信玄だったんですね。
蓮の葉に朝露が落ちるがごとく。
そういった姿を連想してこの壱両金のことを信玄はこの貨幣を領国内で流通させようとしましたけど一方お手柄のあった家臣に恩賞金として与えたわけなんです。
文献によりますと3すくい与えたという記録が残っております。
3すくい。
ご主人のご先祖が何かお手柄を立ててご褒美にいただいたのかもわかりませんけど額面が高いということもあって他の壱分金とか壱朱金と比べて非常に現存数が少ないですから300万円という評価をさせていただきました。
ただしとても金質がいいですから落っことしてぶつけてへこんだりさせないようにぜひとも気をつけていただきたいですね。
へこむと半分以下の値段になってしまいます。
いかがですか?今日ほんと来てよかったです。
もう今どこの国行こうか迷ってらっしゃるんじゃないですか?カナダです。
カナダ!?もう決まってるんですね。
行ってらっしゃいカナダへ。
ほんとおめでとうございました。
ありがとうございます。
ご主人に報告してください。
はいわかりました。
「鑑定団」また来週ですさようなら。
2015/08/11(火) 20:54〜21:54
テレビ大阪1
開運!なんでも鑑定団【謎の小物体…実は戦国武将にまつわる珍品!?】[字]
夫の持ち物の中から見つけた謎のお宝。潰れた金ボタンにしか見えないが…なんとあの戦国時代の名将にまつわる大珍品!?▽ネットで手に入れた有名画家の絵に絶対の自信あり!
詳細情報
番組内容1
<潰れた金ボタンにしか見えない!?謎のお宝>
寿司職人の夫と30年以上、二人三脚で店を切り盛りしてきた依頼人。しかし6年前に夫が脳出血で倒れてしまった。もしこの先また倒れたりしたら、夫の持っている物が分からないままになってしまう、リハビリ中の今の内に聞いておかなきゃと思うようになり、家の中を片付けたところ、今回のお宝を見つけた。
番組内容2
それは、円くて小さな金色の物体。一見、潰れた金ボタンにしか見えないが…。夫に尋ねても「大事な物だから」としか言わない。一体どういう物なのか?鑑定の結果、意外な正体が明らかに!それは誰もが知る有名戦国武将にまつわる貴重品だった!?
出演者
【司会者】
石坂浩二、今田耕司
【アシスタント】
吉田真由子
【ゲスト】
三條正人
【出張リポーター】
松尾伴内
【ナレーター】
銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
阿藤芳樹(「阿藤ギャラリー」代表取締役)
永井龍之介(「永井画廊」代表取締役)
竹内俊夫(「銀座コイン」会長)
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