ザ・スクープスペシャル「終戦70年特別企画 原爆 70年目の“真実”」 2015.08.10


(鳥越)今から60年前1人の少女がその短い生涯を閉じました。
死の間際まで生きたいという願いを込めて懸命に折り鶴を折り続けたといいます。
白血病だった
あの日…
8月6日午前8時15分禎子ちゃんは爆心からおよそ1.6キロの自宅で家族とともに朝食をとっている時に被爆しました。
外に飛ばされて?2階にあった…。
幸運にも傷一つ負わなかったが放射能を帯びた黒い雨に打たれてしまう
禎子ちゃんが突然その宣告を受けたのはそれから9年後小学6年生の時だった
3カ月…。
余命宣告を受けた禎子ちゃんの生きる支えが折り鶴だった
小さいわ本当に。
この頃はですね手も足も動かなかったんですね。
それもあって針を使ったっていう事もありますけど…。
ですよね。
はい。
禎子ちゃんの命の結晶みたいなものですよねこれはね。
(雅弘さん)そうなんです。
最後まで生きる事を諦めなかった禎子ちゃんはここ広島日赤病院である歌を何度も口ずさんでいたといいます。
「ああ許すまじ原爆を」「三度許すまじ原爆を」「我らの町に」
禎子ちゃんの話をして核兵器廃絶を訴えるアメリカ人男性
彼の祖父とは…
原爆投下命令を下したトルーマン大統領の孫ダニエルさん
運命を変えたのは一冊の本との出会いだった
(ダニエルさん)息子が学校からこの本を借りてきたのです。
英語で書かれた禎子ちゃんの物語
2012年広島と長崎を訪問したダニエルさんは被爆者の思いを世界に伝える事を決意する
これまでおよそ20人の被爆者と会いともに平和を訴えてきた
こんにちは。
こんにちは。
『ザ・スクープスペシャル』です。
人類史上唯一原爆という大量破壊兵器を実戦で使用したアメリカ。
2度の原爆投下は数十万人の一般市民を狙った大量殺戮に他なりません。
しかし戦後大量破壊兵器の生物兵器や化学兵器は禁止されましたが核兵器だけは今でも国際法で違法とされておらず戦争の手段として合法的に使用可能です。
戦後70年改めて原爆投下がいかに非人道的な戦争犯罪であったか総力検証致します。
禎子ちゃんはなぜ殺されなければならなかったのでしょうか?こちらワシントンのアメリカン大学では被爆70年の今年核兵器の非人道性を訴えるヒロシマ・ナガサキ原爆展が開催されています。
館内には7メートルもある巨大な連作や原爆で溶けたビンなど多くの被爆資料が並んでいる
しかしワシントンでこうした被爆展示が行われたのは20年ぶりだという
と考えています。
かつてスミソニアン博物館が原爆を投下したエノラゲイ号と一緒に被爆資料を展示しようとした時も退役軍人団体などの反対で中止となった
原爆は戦争を早期に終結させ日米双方で多くの命が救われた。
だから原爆投下は必要かつ正当な行為だった。
こうした原爆神話は今日に至るまでのアメリカ政府の公式見解であり多くのアメリカ人がそれを信じています。
しかしそれは一般市民の大量虐殺という戦争犯罪を覆い隠すため。
トルーマン大統領とアメリカ政府によって作られた虚構なのではないでしょうか?原爆投下70年目の真相に迫ります。
原爆投下直後あくまでターゲットは軍事施設だったと強調したトルーマン
しかし太平洋戦争を研究する近代史の第一人者は…
さらに核兵器や原子力問題の専門家はその隠された目的を指摘する
1945年4月
12年にわたって大統領を務めたルーズベルトが急死
副大統領だったトルーマンが急遽大統領に就任する事になった
その重責から記者たちに漏らした弱音
就任直後トルーマンはある極秘プロジェクトに関する報告を受けた
原爆開発計画通称マンハッタン計画
主導したのは
前任者のルーズベルトは生前チャーチルとある密約を交わしていた
トルーマンが大統領に就任した直後の1945年5月。
ペンタゴンに軍幹部や科学者らが集まり原爆投下の条件が決められました。
こちらがその議事録です。
そして…
投下目標を選定する委員の1人は…
不幸な事に
破壊力を計測するため多くの民家も必要だったという
しかし東京はその条件に見合わなかった
東京は最初の会議以降投下目標からはずされました。
なぜなら…。
この年3月に行われた東京大空襲
焼け野原となった東京では原爆の威力を正しく測れない
広島に原爆を落とした原爆投下部隊のバンカークはこう語る
隊長だったティベッツによれば東京が目標からはずれた理由はもう一つあった
そして東京に代わる原爆投下のターゲットとして爆撃を受けていない無傷の地方都市が浮上したのです。
主要な
目標選定会議の報告書で広島の評価は最高のAA
実際に広島に原爆を投下したティベッツもこう証言する
もう一つのAAランクの投下目標は意外にも京都
人口100万人の大都市である事に加え…
京都は日本の知的中心地であり住民の教養レベルが高く原爆の意義を正しく認識出来る
そして投下候補となった都市にはこのような命令が出されました。
しかし…
かつて前任者のルーズベルトは原爆投下の条件についてこう約束していた
しかしトルーマン就任後の会議では…
事前通告というルーズベルトの方針を大きく転換したトルーマン
これには軍内部からも疑問の声が上がる
7月16日ついにアメリカは世界初の原爆実験に成功
しかし翌日原爆を開発した科学者67人も投下反対の署名を提出する
原爆開発計画に参加したイザベラ・カール
夫と共にプルトニウムの研究を行っていた
科学者たちはどういう思いでこの反対署名をしたと思われますか?
後にノーベル化学賞をする夫ジェロームも原爆開発には反対だったという
1972年には夫婦で広島を訪れたが…
正直言ってあまりに心が乱れます。
しかし「まず原爆の威力のデモンストレーションを行って降伏を迫るべきだ」という反対派の声は黙殺される
原爆開発計画の責任者グローブスも実験だけでは満足出来なかった
ついにトルーマンは事前通告なしの実戦使用を決定する
それは民間人の大量殺戮を意味するものだった
そして日本の運命を決定づける命令が下される
8月3日頃以降広島小倉新潟長崎のいずれかを目標として最初の特殊爆弾を投下せよ
こちらは最初の原爆投下に使われたB29エノラゲイです。
投下命令はすぐにエノラゲイのクルーにも伝えられました。
最初の原爆投下作戦実行の日B29エノラゲイにウラニウム型原爆が搭載された
投下部隊の隊長でもあるティベッツは自らエノラゲイを操縦してテニアンを離陸
そしてクルーを集めてこう語った
原爆を積んで日本に向かったエノラゲイに最終的な攻撃目標が届いたのは投下の2時間前だったといいます。
そして運命の8時15分15秒
それは原爆という新兵器の実験だったのでしょうか?エノラゲイの爆撃手ファービーはその意義についてこう語っています。
最大の関心事は原爆投下前後の詳細なデータの収集だった
同行したのは原爆開発に参加した物理学者アグニュー
原爆を落とした時我々の
実はこの映像を撮影したのもアグニューだった
ただそれだけです。
アメリカの威信をかけた原爆という新兵器の実験は大成功でした。
トルーマン大統領は狂喜乱舞したといいます。
投下直後のトルーマン
テニアン島に凱旋帰還したティベッツにはその栄誉をたたえる勲章が贈られた
眠れなくなった事もありません。
の事をしました。
当時アメリカが開発していた原爆はウラニウム型とプルトニウム型の2種類あった
広島に投下したウラニウム型に続きプルトニウム型を試す必要があった
今度はプルトニウム型原爆の投下命令が出された
こちらは日本に向けて出発する直前プルトニウム型原爆に寄せ書きするクルーの様子
ToHirohito
WithLOVE&KISSES
AsecondkissforHirohito
2つ目の原爆の投下命令書によれば第1目標は小倉。
第2目標は長崎。
新潟は遠すぎるとしてターゲットからはずされました。
当初原爆を積み込んだボックスカーは小倉を狙ったが援護の飛行機が待ち合わせに遅れ屋久島上空で1時間待機した事が運命を分けた
という連絡が入っていました。
長崎ではなく結果としてスイーニー機長が「次の目標長崎に行こう」と言ったんです。
長崎上空も雲に覆われていて目視は利かなかった
しかしボックスカーのクルーはレーダーだけを頼りに原爆投下を決意する
45秒前にビーハンが「見えた目視でいけるぞ」って。
慌てて長崎市街に照準器をセットしたビーハンは8月9日午前11時2分目視で原爆を投下した
(ゴドフレー)私のカメラでね。
すごかったよ。
こちらは米軍機が撮影した爆心地付近
破壊し尽くされているように見えるが…
広島原爆のクルーたちは長崎原爆は失敗だったと口を揃える
こちらはワシントンで20年ぶりに開催されている原爆展の会場です。
プルトニウム型原爆の威力は広島のウラニウム型の倍でしたが目標地点を山側に3キロほどはずしてしまったため死者は広島の半分のおよそ7万人。
破壊力や殺傷能力の実験としては失敗に終わったというのです。
原爆という大量破壊兵器を2回も使用したトルーマンはその正当性をこう主張する
「世界の人々は
しかしその2日後の手紙にはこんな本音がつづられている
「それは誠に悲しむべき事だが真実なのだ」トルーマン大統領は回顧録の中で原爆は非戦闘員の婦人子供を避けて軍事施設だけに限定して使ったというふうに書いておりますけれども紛れもなく民間人を含む無差別の大虐殺でした。
その陰には手紙にありましたように日本人をビーストと呼ぶ。
つまり人間として扱っていない畜生ケダモノだとそういう偏見が一つはあったんだと思います。
しかしこれは非人道的な戦争犯罪ではなかったでしょうか。
そしてこちらご覧ください。
1992年にエネルギー省が発行した「公表されたアメリカの核実験」という公刊物になります。
アメリカが行った核実験が時系列でまとめられているんですけれども最初の原爆実験トリニティに続いて広島長崎これらが核実験場として分類されています。
このように原爆の投下は新兵器の破壊力の実験という要素が強いんですがマキジャーニ博士によるともう一つ20億ドルの巨額の税金が原爆開発計画に使われたという事情もありました。
実際に使用してアメリカの国益のために原爆が役立った事を実証しないと査問されるのではないかという懸念がありました。
原爆投下の目的はもう一つあります。
それはソ連の影響力を弱めて戦後の占領政策を有利に進めるという事でした。
ソ連参戦か原爆投下か米ソの凄まじい駆け引きの中でトルーマン大統領があえて日本に降伏をさせなかったんではないかそういう可能性疑惑が浮上しました。
(英語のニュース音声)
(英語のニュース音声)
1945年2月米英とソ連のトップが集まったヤルタ会談
日本を降伏させるためルーズベルトとスターリンの間である密約が交わされた
対日参戦の見返りとしてスターリンは千島列島の領有や中国での権益を約束された
しかし表向き日本に対しては…
当時敗色濃厚だった日本にとって中立条約を結んでいたソ連は和平の鍵を握る重要な存在だったが…
中立条約は条約がその…満期になる1946年の4月までは有効であると。
安心させておいて我々はその…。
日本に対して戦争を仕掛けると。
(英語のニュース音声)
(爆発音)
4月に入ると米軍が沖縄本島に上陸開始
本土への侵攻も現実味を帯び始めた
絶望的な戦況の中和平による終戦を模索し始めた鈴木内閣
その動向は東京にいるスパイからスターリンにも伝えられた
これなんですけれども…。
ソ連がヤルタの密約の権益を得るためには終戦の前に対日参戦する必要があった
同じ頃トルーマンが新しい大統領となったアメリカ
マンハッタン計画の幹部たちが原爆開発について就任直後のトルーマンに報告している
4カ月以内に我々は…。
続いてグローブス将軍からトルーマンにある情報が伝えられた
「最初の原爆は1945年8月1日までに完成する」
この7月前半8月1日という日付が後に大きな意味を持つ事になる
それ以前に日本が降伏する事は巨額を投入した国家プロジェクトの成果を世界に見せつけるチャンスを失う事になるのです。
5月同盟関係にあったドイツが無条件降伏
これで日本は連合国軍と戦う唯一の国となった
くしくもドイツ降伏の日61歳の誕生日を迎えたトルーマンはこう宣言した
その一方でトルーマンはスターリンに使者を送り情勢を探らせた
その報告書を読むトルーマン
ソ連参戦が8月8日であればその前の8月1日に原爆を投下出来る
ソ連の参戦前に原爆を使用して戦後の占領戦略におけるソ連の影響力を封じ込める事。
これが原爆投下のもう一つの狙いでした。
アメリカ自身が原爆によって終戦に導く
トルーマンはその準備が出来るまで日本の降伏を先送りしたかったのだという
スターリンやチャーチルは6月にも終戦の条件を話し合うポツダム会談を開催するように求めたが…
「ポツダム会談は…」
再度早期開催を求めるチャーチル
「もう一度言う」
しかしトルーマンは譲らなかった
トルーマンもそうでしたが…。
と進言したのです。
7月スティムソン陸軍長官が日本への最後通告となるポツダム宣言の草案をトルーマンへ提出した
その第12条
さらにこんな手書きのメモも添えられていた
しかし原爆投下前の終戦を望まないトルーマンは天皇制存続に断固反対
無条件降伏を譲らないままポツダム会談が開かれるドイツに降り立った
アメリカが世界初の原爆実験に成功したのはその直後の事だった
結果は暗号電文ですぐにトルーマンにも届けられた
(英語のニュース音声)
思惑どおり原爆開発成功の翌日ポツダム会談に臨む事となったトルーマン
つまりトルーマンにとっては…。
もはやソ連の対日参戦が邪魔ものとなったトルーマン
一方スターリンは…
ついに運命の会議が始まった
ソ連の参戦表明を聞いたトルーマンはその時の心境をこうつづっている
「そうなったら
ソ連の参戦をダイナマイトと表現しそのXデーを8月15日と考えていたトルーマンだったが…
「しかし私の方もダイナマイトを持っている」
形勢を逆転するもう一つのダイナマイト
それが原爆
投下のタイミングは8月15日以前でなければならなかった
同行したスティムソン陸軍長官はポツダム会談でのトルーマンの自信に満ち溢れた様子を日記につづっています。
「原爆実験成功を知ったトルーマンは全く別人だった」「ロシア人に指図して終始会議を仕切っていた」
その後スティムソンはトルーマンを訪ね終戦の条件について最後の説得を試みます
「私は皇室の継続を保障するのが重要だと言った」「日本が終戦を受諾するか否かの分かれ目になるからである」
しかし実はこの時すでに天皇制の存続はポツダム宣言の草案から削除されていた
あくまで無条件降伏にこだわった「和平のチャンスを与えた事になる」
しかしそれは表向きの口実でした
実は同じ日に日本への原爆投下命令が出されていたのです
ポツダム宣言発表の前日に原爆投下は事実上決定していたのだ
(長谷川教授)むしろ
翌26日トルーマンら連合国側は日本に降伏を求めるポツダム宣言を発表した
「それ以外に残された道は完全なる壊滅あるのみ」
そこには日本側が求めた天皇制存続の文字はなかった
さらに本来ならスターリンの名前があるはずの署名欄はソ連に知らせる事なく中華民国総統に
トルーマンの思惑どおりソ連に最後の望みを託した日本はポツダム宣言をすぐには受諾せずノーコメントを貫いた
「政府は黙殺」
しかし…
もはや原爆投下になんのハードルもなかった
あとはシナリオどおりソ連参戦前に原爆を投下して日本を降伏させる事
原爆投下成功のメモが届いたのはトルーマンがポツダム会談から帰国途中の船旅で昼食を取っていた時
飛び上がって大喜びしたという
一方トルーマンの陰謀にようやく気づいたスターリンは…
非常に意気消沈してですね
しかし最初の原爆が投下されても軍部の反対で日本は降伏しなかった
スターリンは気がつくわけです。
そこで今までに決まっていた決定されていた戦争開始の時期を48時間2日間早めて…。
ヤルタ会談で約束された対日参戦の見返りを求めて9日午前0時満州に侵攻したソ連軍
それは日本にとってあり得ない事態
最後の希望がついえた瞬間だった
ところが皇居でポツダム宣言受諾を話し合う最高戦争指導会議が開かれていたまさにその時…
7月16日の原爆成功…実験成功から8月6日広島への原爆投下までわずか22日です。
アメリカが性急に事を運んだ背景にはですねソ連が参戦する前に原爆投下をして日本を降伏させそして戦後の占領政策を有利に進める事だったと思われます。
長崎に2つ目の原爆を投下した理由もですねソ連参戦の影響を最小限にするためだったという可能性もありますね。
さて原爆投下でトルーマン大統領が切り捨てたものがもう1つあります。
それは自国兵士の命でした。
なぜ広島が原爆投下の最優先目標に選ばれたのかそこにはもう1つの理由がありました。
「広島は原爆作戦の4つの目標都市の中で…」
実際はどうだったのか?
終戦直前B24が広島県呉市を空襲
この最後の日米海戦で戦艦榛名などが撃沈され日本軍は大きな被害を被った
一方米軍もB24爆撃機ロンサムレディ号などが撃墜され搭乗員はパラシュートで脱出した
今回元機長のカートライトと取材の約束をしていたが面会の直前90歳で亡くなった
こちらは生前の貴重なインタビュー映像だ
ロンサムレディ号の搭乗員8人はここ山口県柳井市の山間部に命からがらパラシュートで降り立ちました。
一方対空砲火を受けた機体は墜落して大破したといいます。
どの辺ですか?ああこの辺だと思うね。
この辺だと思うんですよね。
この谷と谷の間にまたがって落ちたと思うんですよ。
みたいな状態ですからね。
こちらはその時飛び散った破片だという
他にもいっぱいあったでしょ?こういうものもあるしね弾もあるしお菓子がいっぱいあった。
お菓子が。
一方脱出した乗組員たちは警官に取り押さえられ村中大騒ぎになったという
駐在所の前におるの。
駐在所の前…。
外人を初めて見たんじゃけえねえ。
ロンサムレディ号の搭乗員など13人が日本側の捕虜となり広島市に連行されました。
そして爆心地から500メートルにありましたこちら中国憲兵隊司令部に拘留されたのです。
原爆投下前日拘留されたアメリカ人捕虜を目撃した人物がいる
ここに監視兵がいて見せてくれたんですね。
(スタッフ)それぞれ一人ひとり?独房ですから1人ずつ入れられてますね。
私の見た5人のうちの4人はこのロンサムレディ号の乗組員であって…。
憲兵隊司令部が原爆によって焼け落ちたのは翌朝の事だった
米軍捕虜で原爆の犠牲となったのは9人とみられます。
しかし原爆投下後生き残った捕虜たちをこちら相生橋でさらなる悲劇が襲います。
原爆投下に腹を立てた憲兵は生き残った捕虜を連行し見世物にしたという
アメリカの兵が落下傘で降りてきたのを相生橋につるして恨みを晴らしていた
当時多くの人が見せしめにされた米兵を目撃している
人だかりがしてるの何があったのかなと思ってこうやってのぞいたらねここで括られてたわけですよ。
「ひどいことをしやがってなどと棒切れでたたいていた」「外人は無言で伏せていた」これで投げたのか殴ったのか…血がついてね…乾いてね。
広島の町の中にはこういうたくさん死んだ…川へ…あんなん見たらさそいつだって憎たらしくもあるんで…。
遺体は埋葬され粗末な木の十字架が立てられた
アメリカは捕虜が被爆した事実を知っていたのだろうか?
国会図書館にGHQの報告書が保管されていた
「ロンサムレディ号の乗組員は拘留中…」
しかし…
もう一つ疑問がある
アメリカは捕虜の存在を知りながら黙殺したのだろうか?
広島に原爆を投下したティベッツは…
8歳の時に被爆した森重昭さん
機長のカートライトさんは?
(森さん)こちらの方です。
この方ですか。
お若いですね。
(森さん)はい。
原爆の犠牲となった米兵捕虜を独自に調査し9名の遺族を捜し出した
どういう思いでこれを調査されてきたんでしょう?日本人とかアメリカ人とかいうそういう区別ではなくて同じ人間として…。
そうです。
被爆した米兵たちは広島市が作成した原爆死没者名簿にも登録される事になりました。
(鐘の音)
今年原爆慰霊碑に納められた死没者名簿に記された犠牲者はおよそ30万人
そこにはアメリカ人捕虜12人の名前も記されている
広島にいた捕虜についてはアメリカは事前に知らなかったという説もありますけども実は長崎市には最大級の捕虜収容所がありました。
こちらは戦後解放された連合軍捕虜の写真です。
そしてこちらは原爆投下直前にアメリカの戦略空軍司令部が送った極秘電文になります。
中身を見ますと…。
…とワシントンに打診をしています。
それに対する回答がこちらです。
つまり捕虜の存在を知りながら原爆投下が強行された事がわかります。
こちらはですね爆心地に最も近い捕虜収容所があった場所ですけれども原爆投下で全壊し連合軍兵士捕虜8人が死亡。
そして200人が被爆してます。
そうした捕虜の犠牲もいとわず原爆投下を命令したトルーマン大統領ですがその孫が被爆者たちと交流し核兵器廃絶を訴えています。
第2部ではその複雑な思いに迫ります。
今年5月ニューヨークの高校にその人物はいた
70年前ダニエルさんの祖父が下した決断
祖父トルーマンは15歳の時に亡くなったが幼い頃からよく「祖父は偉大だった」と聞かされたという
言っていました。
思っていました。
きっかけは1冊の本だった
(ダニエルさん)息子が学校からこの本を借りてきたのです。
英語で書かれた禎子ちゃんの物語
そしてある人物との出会いが運命を変える
(ダニエルさん)禎子のお兄さん雅弘と会った時この折り鶴をくれたんです。
同時多発テロの犠牲者たちのため禎子ちゃんの折り鶴を寄贈した兄雅弘さん
ニューヨークのグラウンドゼロで運命的な出会いが実現した
ハーイ!アイムグラッドトゥシーユー!アイムグラッドトゥシーユー!ディスイズマイサン。
ナイストゥミートユー。
ユウジササキ。
過去の憎しみを越え未来の平和のために共に活動する事を誓い合った
とその時…
(ダニエルさんの声)私は「はい」と言いました。
僕は今までトルーマンの孫だという事が例えば広島に行ってわかったら叩き殺されるか罵声を浴びせられるとそれは覚悟してたと言うんですよ。
だから…でも雅弘のその…いわゆる考え方を聞いて僕は
真っ先に駆けつけたのは平和記念公園にある禎子ちゃんの像
(雅弘さん)ダニエルさん。
マサヒロ。
ハウドゥユードゥ?アイムファイン。
サンキュー。
よくお出でになりました本当に。
2年ぶりの再会だった
8月6日ダニエルさんは雅弘さんと肩を組んで平和記念式典に駆けつけた
(司会者)黙祷!
(鐘の音)
広島ではメディアから何度も謝罪しないのかと質問されたという
しかし面会した被爆者たちがとった態度は違っていた
(ダニエルさん)最初はとにかく驚きました。
この時ダニエルさんは被爆者の思いを世界に伝える事を決意したという
(雅弘さん)日本人憎しというところですから。
原爆の受けた少女の遺品がそこに置かれて一つ心の終戦の第一歩が開けないかなと。
一昨年ダニエルさんの仲介で真珠湾で撃沈した戦艦アリゾナの記念館に禎子ちゃんの折り鶴が寄贈された
真珠湾で折り鶴を折る
雅弘さんはそれこそが心の終戦の第一歩だと考えている
(英語)
一方ダニエルさんはこれまで多くの被爆者と会い共に反核と平和を訴えてきた
13歳で被爆した笹森さんは戦後いわゆる原爆乙女としてケロイドの治療のため渡米
その後アメリカで看護師として働いた
原爆を落とした人の孫と被爆者が仲良くしていて驚いた。
(笹森さんの声)あの人自身…。
そんなダニエルさんが知られざる祖父の本音を語った
トルーマン大統領の孫ダニエルさんは被爆者の証言集を出版しドキュメンタリー映画を制作する予定だ
自らインタビューして20人以上の被爆者の証言を記録してきた
同じ名字がたくさんあるのは全員亡くなってる。
長崎の方角でピカッと光るものを見たんです。
もう町が真っ赤に燃えてるんですね。
とにかく今私たちが日常生活を送っている事が最高の平和なんだっていう事を伝えて…。
(号令)
最後に我々は生涯原爆投下の正当性を主張し続けた祖父トルーマンの本当の思いを聞いてみた
もう二度と原爆は落とさない。
これ以上女性や子供を殺したくないと。
佐々木雅弘さんは今年11月禎子ちゃんの折り鶴をトルーマン大統領図書館に寄贈し展示する事になりました。
この時ダニエルさんと一緒に5000人のアメリカの社会科の先生の前で原爆の残酷さと核兵器の廃絶を訴えるという事なんですよね。
思いが届くといいですよね。
二度にわたる原爆投下で市民を大虐殺したアメリカが戦争犯罪に問われる事はありませんでした。
実は1948年戦後3年後に国連の第3回総会でジェノサイド条約というのが締結されてます。
それは集団殺害の防止及び処罰に関する条約というものですね。
しかしこれは時代をさかのぼって適用するという事は出来ませんのでアメリカの戦争犯罪は不問に付されました。
その結果ですね地球上には核兵器が拡散し今では少なくとも8つの国が核兵器を保有しています。
核戦争の危険は去っていないという事ですね。
2009年にアメリカのオバマ大統領がプラハで核廃絶宣言というのを行いました。
しかし実は日本の総理大臣こそ国連総会で核廃絶の演説をして世界の人々に核兵器はもうこの地球上からなくそうという事を訴えかける必要があるのではないでしょうか。
ではまた次回です。
2015/08/10(月) 02:20〜03:45
ABCテレビ1
ザ・スクープスペシャル「終戦70年特別企画 原爆 70年目の“真実”」[字]

原爆投下から70年、“知られざる真実”を徹底検証。それは民間人をターゲットとした破壊力実験だったのか?トルーマンは原爆投下のため、あえて終戦を遅らせたのか?

詳細情報
◇番組内容
原爆放射能の「黒い雨」を浴びて白血病で亡くなった禎子ちゃん。原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫の運命を変えたのは、禎子ちゃんが折った折り鶴だった。
「祖父の決断がもたらした悲劇と向き合い、被爆者の声を伝えることは、トルーマンの孫としての使命なのです」
被爆者とともに核兵器廃絶を訴える彼の活動に独占密着しました。
◇キャスター
鳥越俊太郎
村上祐子(テレビ朝日アナウンサー)
◇おしらせ
☆番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/

※この番組は放送時間が変更になる場合があります

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz

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