日曜美術館「あやし おどろし 妖怪絵巻」 2015.08.09


夜のとばりが下りるとともに闇の中から不気味なざわめきが…。
目を凝らすと妖怪たちの姿が浮かんできませんか?妖怪たちのパレード「百鬼夜行」を描いた絵巻。
鬼や動物の妖怪に交じって台所道具や楽器の妖怪もいますよ。
妖怪たちにはやがて図鑑のように一つ一つに名前が付いていきます。
怖いはずの妖怪がどこかユーモラスに見えませんか?「実録」と称する絵巻も現れます。
恐ろしい妖怪と闘う少年の物語です。
日本人は昔から妖怪が大好きでした。
さあ今日はあやしおどろし妖怪たちの世界を訪ねます。
人間は一切登場せず出てくるのは妖怪ばかり。
まさに妖怪絵巻を代表するのが「百鬼夜行絵巻」です。
夜妖怪たちが列を成して練り歩くこの絵巻。
主に江戸時代に描かれ全国で数十種類以上あるといいます。
その中で「百鬼夜行絵巻」の白眉と言われる絵巻が京都・大徳寺の塔頭真珠庵に伝わっています。
室町時代土佐光信が描いたとされ現存する「百鬼夜行絵巻」の中で最古のものです。
7メートルを超える絵巻に登場する妖怪は合わせて60以上。
さてさてどんな妖怪たちが現れるのか冒頭からじっくり見ていきましょう。
白い刃の矛を担ぎ赤い小旗をなびかせながら大急ぎで走っているのは青鬼。
お公家さんを護衛する人がかぶるおかしな冠をつけて赤い口を開け鼻毛を出しながら前をにらんでいるよ。
前方に何か怪しいものでもいるのかと思ったら赤鬼が前につんのめっている。
お払いに使う白い大幣を振り下ろしたけど空振りだね。
ほら白い布の妖怪がすらりと身をかわして「鬼さんこちら」とこばかにしているよ。
さあこれからぞろぞろ見た事もない妖怪がいっぱい出てくるよ。
鰐のような体に変な頭がくっついてる。
これお寺にお参りする時に鳴らす鰐口というもの。
こういうのを器物の妖怪「付喪神」って言うんだけどほらこれも変な頭。
お坊さんが煩悩を振り払うしるしとして使う払子。
こちらはお公家さんの履く浅沓を頭に載せたヤマアラシ。
怖そうな目でにらんでいるのは琴の妖怪。
前へ行くのを嫌がっているんでしょうかね。
琵琶の妖怪が赤いひもでエイヤコラサと引っ張っているよ。
さてさて先を行くのは破れ傘の妖怪と草履の妖怪。
乗っている変な馬が驚いているのはこの丸い真っ赤な妖怪のせいなんだね。
大きな目をして前足だけで歩きおなかから尻尾が出てる。
黒い蟻の妖怪が木づちを振りかざしその下の麒麟の妖怪が熊手を持ってこの不気味な赤い妖怪を退治しようとしている。
一触即発。
さてどうなるのやら…。
そんな騒動を尻目にこちら宮中に仕える女官とおぼしき姿で歩いていますがいくら着物で隠しても手や足が獣ですね。
行き先は宮中ならぬ女妖怪の屋敷でした。
ほら真ん中で身分の高そうなお方がお歯黒の化粧のさなかですよ。
「どう?こうしてみるとまんざらでもないでしょ」。
鏡を持っているお付きの者。
「お歯黒がとってもよくお似合いですわ」なんて言いながら見ていられないと顔をそむけているのかそれともこれは鏡の妖怪なのか。
とばりの隙間から興味津々この様子をのぞいていますね。
「かわいい」「キモい」「キモカワイイ」…なんてね。
女の園から一転して今度は見るからに恐ろしげな大きな赤鬼。
筋骨隆々毛を逆立ててメリメリッとばかりに唐櫃を壊しているよ。
中に隠れていた妖怪たち驚いたのなんのって。
すたこらさっさといちもくさんに逃げ出した。
よく見てまた器物の妖怪がいるよ。
三つ目の妖怪がかぶっているのは五徳。
分かるかな炭火の上なんかに置いて鉄瓶などを載せるもの。
こちらは炎を出している熱々の鍋妖怪。
てんびん棒にすりこ木や五徳ひしゃくなど台所の道具をいっぱいぶら下げているよ。
それにしてもお釜や赤鬼もみんな浮かれて練り歩いているね。
こちらは仏様にまつわる道具がそろっているよ。
お経の巻物。
そして先頭は銅拍子。
シンバルのように鳴らす楽器をかぶってなんと妖怪がお経を広げている。
そんな行列の先頭では赤い旗が翻り何やら不穏な空気。
目玉が飛び出そうな大きな目で前方を見て「たた大変だ!」と大声上げて叫んでいる。
その下では体を真っ赤にした妖怪が「そ〜ら逃げろ」とばかりに慌てふためいている。
ほら見て。
みんな我先に逃げ帰ってくるでしょ。
顔も恐怖におののいている。
一体先には何が現れたのでしょうか?黒い闇夜の中に出現したのは灼熱の太陽なのかそれとも真っ赤に燃える大きな火の玉なのか。
いずれにしても妖怪たちが蹴散らされたところでおしまいとあいなりました。
「百鬼夜行絵巻」を20本以上所蔵している人がいます。
妖怪博物館をつくろうと考えている湯本豪一さんです。
湯本さんが持っている「百鬼夜行絵巻」には先の真珠庵とは異なる様相のものもあります。
いろりから手がぬっと出てふすまから巨大な女の顔がのぞくユニークな絵巻。
ただ器物の妖怪付喪神が数多く出てくるところは真珠庵のものと共通しています。
そうですねあの真珠庵と同じように琴の妖怪という事なんですけれども女性の着物をまとっているというような事だと思うんですけれども真珠庵とはちょっと描かれ方とか違っています。
銅拍子というものなんですけれども真珠庵の絵巻なんかでも出てきてここでは全く違うイメージとしてこんなような場面を構成していてこの銅拍子によって朽ち果てた屏風の中から南蛮人の行列が出てきて踊り狂っている。
作者自身のオリジナリティーのきいた場面を構成しているそういう事じゃないかと思いますね。
後ろの壁に立てかけてあるその琵琶ですね。
恐らく袋に入ってちょっとその袋が破れたところに顔らしきものが見えて手がひょこっと出ている。
そういうようなところから付喪神になりかけているような琵琶なのかなというふうに思いますね。
いずれこれが真珠庵の琵琶のように出てくるんじゃないかと思うんですけれども。
そんなような事をちょっと想像させるような琵琶の描き方という事かなというふうに思いますね。
そもそも単なる器物にすぎなかったものがどのようにして妖怪になったのでしょうか。
湯本さんがそれを明かす絵巻を見せてくれました。
冒頭大きな邸宅のすす払いでいろいろな古い道具類が屋敷の外に打ち捨てられます。
道具たちは寄り集まって相談します。
長年にわたって奉公してきたのに褒美ももらえずに捨てられるとは何ともうらめしい。
そこで化け物になって人間たちにあだ討ちできないかと指南役の古文先生に相談。
すると先生は「ただの物から魂のある存在になれるのは節分の日。
陰と陽が反転するこの日には化け物になれるだろう」と言います。
そして実際にご覧のように化けてしまうのです。
器物やなんかにも古くなると何か魂が宿るという。
そういうようなところから器物の妖怪というかそういうものがですね出てきて。
江戸時代の錦絵だとかあるいは明治時代に入ってからもさまざまな器物の妖怪というのが描かれてるんですね。
例えば明治時代になりますとランプの妖怪だとかそれから人力車の妖怪だとか洋傘の妖怪というようにまさしくその新しく文明開化の中で生まれてきたそういうものも妖怪として描かれるんですね。
このように何でも器物を妖怪にしてしまうというような感覚。
これはまさしくずっと連綿と続いてる我々の祖先のそして我々にまで通じている感覚ではないかなというふうに思いますね。
さあ今日の「日曜美術館」はなんと妖怪絵巻です。
よかったら夏休み中の子供たちも一緒にね妖怪の世界をのぞいてみてはいかがでしょうか。
ほんと妖怪は日本人にとって想像力の結晶のようなものですから僕ほんとに妖怪はとても大事な分野だなって思います。
今日楽しみですね。
楽しみですね。
早速ゲストをご紹介しましょう。
長年美術史家として絵画としての妖怪を調査・研究されてる安村敏信さんです。
どうぞ今日はよろしくお願いいたします。
安村さんにとって妖怪というものはどんな存在…?まあ私の目を楽しませてくれる最大の分野ですね。
とにかく思わぬ形を見せてくれるわけですね妖怪たちが。
妖怪ほど意表をつくもの表現があるというのは少ないと思うんですね。
化粧してる女性の場面がありますよね。
ここでもお歯黒をしてる妖怪も面白いんですけどそれをのぞいてる妖怪たちのものすごく多様な目ですね。
ちょっと左右どこかいっちゃってるような妖怪とかほんとに興味深そうに下からのぞいてる妖怪。
その女性たちの表情の豊かさですね。
ほんとそうですよね。
今だからこそ「キモカワイイ」とかいう言葉があったりしますけど当時からそれをちゃんと表してるというのも面白いなとも思いますし。
一体どんな思いでその形を描いたのかなとかも思いますよね。
特にこの付喪神などは。
物が魂を持った時にどんな姿になるかを一生懸命観想したんでしょうね。
琵琶がくっついてるんじゃなくて琵琶の中に目がある。
そして琵琶が変じた姿になってる。
器物とその怪物の姿というものが一体感を持って描かれてると。
付喪神っていえば伊藤若冲も付喪神の図…。
こちらですよね。
この漆黒の闇夜に。
よくよく見ますと大体お茶の道具なんですよね。
茶せんがあったり茶びしゃくがあったり。
上の方でろうそくがついてますのでまさに付喪神たちによる深夜の茶会じゃないかと。
とても表情がいいですよねすっとぼけて。
確かに。
それでいて結構陰影をつけてるんですよね。
立体感を結構出してるのでなかなかの面白い珍品だと思いますね。
若冲までもやはり付喪神を描きたいと思わせる力が付喪神たちにはあるという事ですか。
若冲は石で五百羅漢も作ってますからとにかくやっぱり物に魂が宿ってると思ってるんですよね。
そういった事からこういった茶道具を使った付喪神を描いたんじゃないかと思うんですけどね。
今子供たちに大人気の妖怪。
皆名前を持ち独特のキャラクターを持った妖怪たちが登場します。
そもそも一体いつの時代から妖怪は名前が付き親しまれるようになったのでしょうか。
実は既に江戸時代から妖怪には名前が付けられていました。
その事を物語る絵巻が福岡市博物館にあります。
全長19メートルに及ぶこの「百怪図巻」には30種類の妖怪がちょうど図鑑のように名前付きで登場します。
まずは丸坊主の大入道。
絵じゃ大きさが分からないけどなんでも人の背丈の数倍にもなるんだって。
それで背後から覆いかぶさるようにしてのぞき込む。
だから見越入道なんだ。
出会ってしまったら「見越した見越した」と呪文を唱えると消え去るとも言われているよ。
今度はくねくねと体をくねらせた蛇女。
まさに蛇のように長い舌を出しているね。
髪の毛が長いでしょ。
胴体の方までず〜っと伸びている。
この髪をいつもびっしょりぬらしているから「ぬれ女」。
そしてこの尻尾がどこまでも伸びるのでいくら逃げても巻き戻されちゃうんだって。
鬼がぼうぼうと燃える炎を引っ張って走っている。
これはかしゃ。
地獄で罪人や亡者を責めさいなむ車だよ。
ほら家計が苦しいと「火の車」って言うでしょ。
あれこのかしゃから来てるんだよ。
これは何でしょう。
手足があるようだけど白くて卵のように丸いのは顔なのかそれとも胴体なのか。
しまりがなくてだからぬっぺりしてのっぺらぼうだね。
そう「ぬっぺっぽう」とはその事なんだね。
獅子舞の獅子頭にちょっと似てない?爪の生えた短い手があるけどほとんど頭ばっかり。
結構な長髪でしょ。
ぼさぼさの髪をおどろ髪と言うんだそうでおどろおどろしいので「おとろし」となったようだよ。
全身が真っ黒に塗られているね。
赤い目からは目の玉がだらりと垂れている。
目を落とすというのは死んだり倒れたりするという意味だそう。
だから「ぬりぼとけ」とは死人の妖怪かも。
そういえば仏さんって死んだ人という意味もあるなあ。
ああきれいだな〜なんて鼻の下を伸ばしているとあれあれ首が伸びてまるでひものように丸まってる…。
ご存じろくろ首。
首が抜けるので「ぬけくび」とも言うね。
見せ物小屋でも怪談話でも人気があるのはやっぱり若い女だからかなあ。
まるで炎の風車だね。
真ん中にいるのは鳥のように羽を持ち犬のような頭をして口から火を噴いているように見えるね。
羽があるからかな。
ふらりふらふらあてどもなく空中をさまよう火の玉のようなものらしいよ。
さあ最後。
変わった妖怪だよ。
何しろはさみのような指で髪の毛を切り落とすんだって。
いつもばっさり切ってしまって切られた本人は全く気付かない。
人に言われて初めて「あれまあ無くなっている」って知るんだそうだ。
名前が付いた妖怪たちを人気者に押し上げたのが大衆向けの「草双紙」という絵入りの読み物です。
一点物の高価な絵巻とは違い安く大量に読まれる草双紙などを通して江戸に妖怪ブームが巻き起こります。
これは「百怪図巻」に載っていた見越入道。
草双紙では妖怪の親分という重要なキャラクター。
この首がどこまでも伸びるろくろ首になるのが売りです。
長い首が橋になっています。
その上を子分たちが悠々と渡っていますが見越入道ちょっと不満そうな顔をしてますね。
こちらでは首がどこかへ伸びて消えてしまっています。
体は部屋にいるものの何しろ目がないのでぬすっとたちに好き放題物を盗まれています。
次のページをめくると見越入道がいました。
家財を盗まれているのも知らず付喪神たちと浮かれています。
更にページをめくると家に戻って盗まれたのに気付いた見越入道。
「近年はめったに首も伸ばされぬ」と泣いています。
もともと見越入道はちゃんと民間信仰の中にそういう伝承があってあれ背が高くなるという事でこうやって見上げると見上げれば見上げるほどどんどんどんどん背が高くなっていってうわ〜っと見上げてるうちに後ろにひっくり返っちゃうというようなそんな話があるんですけどもそれが見越入道なんですよね。
徐々に背が高くなるというのはなかなか絵にしづらいんです。
という事でどうしたかというと要するに首が長い妖怪に変えちゃったんですね。
もともとそんな伝承はないんですけども首が長い要するに首が伸びる妖怪なんだよというような形で描いたんですよね。
分かりやすいキャラクターに変換したわけですよね。
この分かりやすい変換のおかげで見越入道は人気の妖怪になっていくわけですね。
草双紙は民間伝承にはない独自の人気キャラクターを生み出します。
それが豆腐小僧。
見越入道の孫とされ笠をかぶって紅葉マークの入った豆腐を持っています。
それだけでほとんど悪さをしないキャラクターです。
豆腐小僧はいろいろな場面で登場します。
妖怪も就職する事になった時豆腐小僧が就いた仕事はもちろん豆腐屋でした。
これは人間を怖がって雪女やうわばみと一緒に逃げようとする豆腐小僧。
あれあれ肝心の豆腐を落としちゃってますよ。
これが例えば包丁を持って出てきたりとかだと怖いじゃないですかリアルに。
でもそうじゃないんです。
豆腐なんですよね。
何にも怖くないんです。
そこが逆に面白いといいますかね。
しかも子供ですから泣いちゃうんですよね失敗して。
その失敗をする化け物の典型例という事で使いやすかったんじゃないかと考えられるわけですよね。
キャラクター性の強いものが化け物なんです。
だから人間の中でも非常に典型的なキャラクター性を持った人何か特徴的な人というのは簡単に化け物になっちゃうんですよね。
例えばこの野良息子という妖怪です。
実際にこういう人がいるというのを妖怪として描いたらこうなりますよという事なんですけれどもこれ何してるかというとおやじのすねをかじってるんですね。
おやじのすねをかじってる。
要するに親のすねをかじる妖怪それが野良息子。
例えばこれしわん坊という妖怪ですけれども要するにけちんぼうという事ですよね。
一見するとこれも妖怪のように見えるわけですね。
でもこれは爪の先から火が出てるわけですよね。
爪の先に火をともすというのは非常にけちな事の例えなんですよね。
けちだという人の性質を妖怪のように描くとこうなりますよっていうそういったものなんですよね。
こういうのが例えば現代の「妖怪ウォッチ」にはいっぱい出てくるわけですよ。
人の性質をそのまま妖怪にしたようなもの。
ヒキコウモリとかバクロ婆。
人の秘密をばらしちゃうバクロ婆とかネタバレリーナとか何かそういう身の回りにいるちょっと変わった特徴を持った人そういうものを妖怪にするというのが実はもう江戸時代から行われてるんですよね。
だから言ってみればこれ江戸の「妖怪ウォッチ」みたいなそういうものなんですよね。
すごいですね。
当時からもうあんなブームがあっただなんて。
ほんとそうですよね。
こうやって見ると江戸時代にあれだけの妖怪が盛り上がりを見せてるという事もそこも面白いですよね。
妖怪を生活の中でもとても楽しんでたんですね。
それを示す例えば浮世絵が一つありましてこれは四日市の街道沿いで吹き矢をやってるんですね。
的に当てると妖怪人形のどれかがからくりで動きだすんですね。
この絵はまさに見越入道に当たったので見越入道の首が障子を破ってにょっと出てきてる。
それを街道筋のお客さんが見てびっくりするわけですね。
伊勢街道の界わいでお店がいっぱいあって楽しまれたんです。
実際あったんですか。
今のお化け屋敷の原形に近いものがあるかもしれない。
面白いけど怖いけど面白いというね。
他にも双六がありましてここではもういろんな国々の妖怪たちが描かれてるんですね。
皆さんご存じの茂林寺の狸とか。
豆腐小僧がなぜか娘になったり。
いろんな地域が出てきてそういうものを双六にして遊ぶんですね。
江戸時代の人にとっては妖怪というのはいて当然のものなんですね。
本当に見たかどうかは分からないけども見たと言えば面白いと。
妖怪というのはそういう性質がありまして一時期口裂け女というのがはやりましたけどもあれも「見た」とひと言言う事が大事なのでそしたら「私も見た」「私も見た」と言って想像力がどんどん広がっていっていろんな妖怪に変わっていくと。
次々と凝っていくんですね。
例えば一つ目。
ただの一つ目じゃなくて豆腐小僧を合体させて更にそれに女性の着物を着せちゃうとか。
次々と新しい面を想像していくという面白さがありますね。
江戸時代中頃「実録」と称した妖怪物語が現れます。
場所は広島県三次市。
当時の三次藩で起こった出来事だといいます。
その顛末を克明にあらわしたのが全3巻全長およそ22メートルの「稲生物怪録絵巻」です。
主人公は16歳の少年稲生平太郎。
その屋敷に夜な夜な化け物が出没。
30日に及ぶ格闘が繰り広げられます。
7月1日の夜。
平太郎の家では慌てふためいた家来がもんどりうっている。
そう恐ろしき化け物が今現れたところなんだ。
一つ目の巨大な化け物が塀の向こうから毛むくじゃらの腕を伸ばして平太郎をわしづかみした。
これはならじと平太郎離れようともがいているうちに倒れてしまう。
まさに危機一髪!…なのだが平太郎が刀を取ると化け物は意外やおとなしく床下に入ってしまったとか。
3日の夜。
異変に気付いた平太郎。
はっしとにらんでいる方にはなんと女の生首が逆さになって浮かんでいる。
部屋の隅の小さな穴から忍び込んだ生首髪の毛を足のように動かして平太郎に近づいてくる。
何をするかと思いきや膝の上に乗ってきて舌で平太郎をなめ回したんだよ。
5日の宵。
部屋で平太郎が隣の家の権八と話していると大きな石ががさがさと走ってきた。
人の指のような足がついていてカニのように目が飛び出してにらんでいる。
権八はええいとばかりに刀で斬りつけようとしたが平太郎に「まあまあまあまあ」と止められ思いとどまった。
石はしばらくにらんでいたがやがていなくなったとさ。
10日の宵。
平太郎が知り合いのさだ八と世間話をしているとよもやの出来事が起きた。
さだ八の頭に穴があきそこから赤子がはい出してきたんだ。
きっと妖怪がさだ八に化けたんだね。
気持ち悪いというよりかわいらしいじゃない。
平太郎が捕まえようとしたら畳に潜り込んで消えてしまったそうだよ。
14日の夜中。
平太郎がふと目覚めて天上を見るとなんと巨大なおばあさんの顔が…。
赤い舌は蚊帳を貫き平太郎をなめ回すので手で押さえている。
でもそのまま取り合わずにいたら消えちゃったとさ。
16日の夜。
首が13個か14個田楽のように串刺しになって平太郎の枕元でぴょんぴょん跳びはねる。
うるさくてしょうがない平太郎。
でもいつの間にか寝入ってしまったというからう〜んやっぱり度胸があるね。
22日の朝。
えっ?朝にも化け物って出るのかな。
平太郎も何やらけげんそうな顔だね。
それもそのはず納戸からザアザアと音を出してシュロ箒が現れてあろう事か部屋をきれいに掃き清めているんだ。
ちょっとびっくり。
親切な化け物もいるんだね。
25日の夜。
縁側から下りようとした平太郎。
冷たい死人のようなものを踏みつけた。
見ると恐ろしい青入道。
縁側に戻ろうとしても泥の田んぼに踏み込んだように粘りつきやっとこさっとこあがったものの足の裏に肉がくっついてねちゃねちゃしていてそりゃあ気持ち悪かったそうな。
さて最後の30日。
いろりの蓋を開いたかと思うと灰が吹き上がり一塊になって大きな頭になった。
すると額のこぶがブコブコと動き中からミミズがはい出してきた。
平太郎キッとにらんでおりますが実はこのミミズが大嫌い。
払いのけようとするけど鳥もちのように粘るんだ。
そんなさなか壁にもう一つ顔が現れ平太郎が困っているのを見てケラケラ笑ったんだ。
ほんと大きな口を開けて笑っているね。
目もトンボの目のように突き出てるね。
でもこの妖怪もやがて消えたんだって。
そしてこのあと平太郎の元に化け物の頭が来て「そなたほど勇気がある者はめったにいない」と平太郎を褒めたたえ「今宵限り」と言って消えたそうだ。
ほら平太郎の家から化け物たち立ち去ろうとしてるよ。
駕籠に乗って大きな毛むくじゃらの足を出しているのが頭かなあ。
まあこうして30日にわたる平太郎と化け物たちの世にも奇妙な出来事が終わりを告げたのでした。
いや〜…。
平太郎と妖怪の30日の物語。
いいですねえ。
平太郎になってみたい。
何かあの立ち去る瞬間も潔かったりもして妖怪たちの。
何か憎めないなとも思いましたけれども。
そうですね。
例えばあの大首の女が逆さになって髪の毛で歩いてくる。
ただ気持ち悪いだけじゃなくてこの女性がまた当時はやった笹色紅といいまして下唇が笹色になるそういう紅もちゃんとしてる。
まさにこの時代の美人を映してるんですね。
この絵巻のやっぱりユニークさというのはいろんな種類があると同時に妖怪の本質をついてましていわゆる人間に危害を与えにきたんじゃないんですよね。
平太郎を脅かしてやろうと。
驚いたら妖怪の勝ちなんですが驚かないとがっくりして消えていくんですよねいつも。
その辺りが日本人と妖怪とのつきあいといいますかね。
幽霊と違って何かをとり殺すんではなくて生活に変化をつけてくれるそういうものとして妖怪が捉えられてるんですね。
例えば浮世絵なんかにもいろいろな妖怪たちが出てきまして例えば美人画で有名な歌麿ですね。
あの歌麿も妖怪描いてるんですよね。
その中の一つ子供がちょうど怖い夢を見ててお母さんが子供を夢から覚ますわけですね。
そうしたら妖怪たちが原因だったと。
その妖怪たちが途中で起こされて困ったなあと。
今度夕方来た時はこのお母さんも脅かしに怖い夢を見させてやろうなんていう事があそこに書いてあるんですねせりふとして。
こういった生活の何気ない一コマの中に悪夢の原因として妖怪が出てくるんですね。
歌麿までも。
それから幕末の歌川国芳。
これは「相馬の古内裏」というんですけども物語の中では実は小さな骸骨の武者たちがいっぱい出てくるの。
おびただしく出てくると書いてあるんですが国芳はそれを僅か1体のしかも巨大な骸骨に変えてしまったんですね。
これによって逆に怖さを強調したという国芳ならではの工夫が見られるものですね。
当時これを見た人たちは驚きはまたとても大きかったんでしょうね。
もっと驚いたと思う。
というのはこの人物たちは従来の描法で割と平板に描いてあるんですがこの骸骨だけはやけに立体的にまさに見る人の方へ乗り込んでくるようなそれこそ3Dの貞子のように「おお来るぞ」という感じでほんとにびっくりしたと思うんですよ。
今回お話を聞いてますといかにその日本人の昔の暮らしの中に妖怪たちがいたのかというのがとてもよく分かりました。
ほんとに身近な存在だったんですね。
日本人の生活の中に入り込んでるんですねそれだけ。
別の世界の話ではなくてほんとに日常の中に乾いた現実の中に潤いを持たせるような。
潤いですか?想像力の潤いという。
まさにこういう形を見ながら楽しんで現実には悲惨な現実もあるかもしれませんけどこういったものを見て楽しむ。
生活の中でそういった楽しみというのを与えてくれる存在だったんじゃないでしょうかね。
2015/08/09(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「あやし おどろし 妖怪絵巻」[字][再]

今、人気を博している妖怪。背景には、長い歴史の中で育まれてきた豊かな妖怪文化がある。妖怪が主役として登場するのが数々の妖怪絵巻を紹介、絵画としての妖怪を味わう。

詳細情報
番組内容
今、大人気を博している妖怪。その背景には、日本人が長い歴史の中ではぐくんできた豊かな妖怪文化がある。中でも、妖怪が主役として登場するのが数々の妖怪絵巻。室町時代、土佐光信作とされる『百鬼夜行絵巻』や江戸時代、爆発的な妖怪ブームと博物学ブームの中で描かれた『百怪図巻』。そして“実録”をうたう『稲生物怪録絵巻』。番組では、これら3種の妖怪絵巻を紹介、絵画としての妖怪を味わう。
出演者
【出演】美術史家…安村敏信,兵庫県立歴史博物館学芸員…香川雅信,美術史家…湯本豪一,【司会】井浦新,伊東敏恵

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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