「NHK短歌」司会の剣幸です。
今日もご一緒に短歌を楽しんで下さい。
それでは早速ご紹介致します。
第二週目の選者は染野太朗さんです。
よろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
これあのコーヒーのうまさを告げるような誰もいないんだという歌なんですが剣さんこれどんな印象で読んで頂けたでしょうか?夏の爽やかな明るさに対してすごく暗くて寂しい感じがちょっとしました。
そのとおりの意図して詠んだ歌なんですけれども私わりと屈折した歌を詠むってよく言われるんですがこれもその一首かもしれないですね。
ありがとうございます。
さて今日のゲストご紹介致しましょう。
元ラグビー日本代表で現在は神戸親和女子大学講師平尾剛さんです。
ようこそお越し下さいました。
ご専門は「身体知」どんなご研究なんでしょうか?ひと言でいえばコツとか勘。
スポーツ選手ラグビー選手に限らず体を使う人っていうのは独特のコツとか勘を持っていると思うんです。
これってなかなか数値化できないものですしすごく感覚的な部分ではあるんですけどもとても大切やと思ってましてそれを掘り下げたりとか言葉で表現したりとかそういう研究をしております。
現役の頃のお写真がございます。
こちらです。
わっこれ平尾さんですか?そうです。
20代半ばの頃ですね。
筋肉すごい!染野さん平尾さんのご著書お読みになったそうですね。
「近くて遠いこの身体」というのを書かれているんですけれどももちろんラグビーのお話をされてはいるんですがそこから身体に対する普遍的な考察というのが非常にたくさんあふれてまして私ラグビーは全然分からないのに体の事がいろいろ分かって本当に楽しいんですよね。
今日は非常に楽しみにまいりました。
光栄です。
ありがとうございます。
ところで短歌はどうですか?これまで全くご縁がないものでして「百人一首」も恥ずかしながら覚えてないぐらいでですねこれを機会にいろいろと知りたい学びたいと思っております。
いろんな表現なさっているので楽しみですね。
では今週の入選歌ご紹介致します。
一首目です。
どうでしょう?悲しげな歌だなというのが第一印象ですごく「まなざしでつかむ」というところが僕はすごく印象的でですねグラウンドの中でも味方同士言葉を介さずに目でやり取りする事もあります。
その時に恐らく僕たちラグビー選手は目でお互いの事をやり合ったりまなざしでつかんでるんだなという事がパッと思い浮かぶようなそういう印象を受けました。
平尾さんのおっしゃるように視線のやり取りというんですかね目でのやり取りが印象的だと思うんですね。
歌の作りの事を言いますと「つかんでいる」。
ここをじっくりと字余りで表現してると思うんですけれどこれが非常に歌のトーンを落ち着いたものにしていると思いますしすごく歌の重心が少し低くなるというかどっしりとした構えになるんじゃないか。
それからこの平仮名の表現が非常に印象的だなと思いました。
では次です。
ユーモアあふれる歌だと思うんですよ。
初めて赤ん坊の時に掴まり立ちをして今は老いといいますかね老人になったから掴まり立ちをしているんだ。
ところがそれが悲しいとか逆に何くそというのではなく「手摺をみがく」という描写に徹したところ。
それによってむしろ私はプライドを持って背筋を伸ばして立っているような感じも出てきているというふうに思いました。
「手摺をみがく」という表現が非常に印象的でした。
では次です。
「あなたのことを追い続けてる」というのが吐き出した煙をつかんでいく比喩になっているわけですけど自分で吐いた煙を自分でつかもうとするというのがちょっと自作自演の感じがあってそれってまさに恋の歌ですけど恋そのものだと思うんですよね。
その辺が表現として面白いなと思いまして採らせて頂きました。
では次です。
僕は緊張感というかですねそれが感じられる歌だなと思いました。
右に夕焼けを感じているという事は帰り道なのかなと。
「信号が近づく」という事は車通りもありますからシルバーカーをつかんでる手が徐々に力が入ってくるというような何かそういう情景を思い浮かべました。
私のテーマで体を使って読むというのをまさにして下さったなと今思ったんですが面白いなと思ったのが「つかむ」という言葉を聞いて作った歌のような感じがするんですよね。
「つかむ」私は今何をつかんでいるんだろう?あっシルバーカーだ。
それを押しているなぁ。
あれ?右に夕焼けがあるぞ。
ふと視線を戻すと信号が近づいてくる。
そこから何かやっぱり平尾さんがおっしゃったように緊張感が出てきたりとかまるで心情を表してない不思議な味わいのあるすごく即物的なんですけれど味わいのある歌だなと思いました。
私何となく体感としてだんだん握力もなくなってくるじゃないですか。
それをシルバーカーをつかんでいる手の緊張感みたいなものもちょっと伝わってくるなというふうに思いました。
では次です。
「ついに」が印象的でしたね。
実は番組の始まる前に平尾さんに「つかむ」という語の印象を伺ったんですけれども意思とかそういったものを言って下さったんですがまさにつかむというのは何か執着というような事もおっしゃってたと思うんですがそういう語だと思うんですよね。
語だけの印象は。
ところがこれつかんできてつかんできて最後につかむものがなくなった。
これ私ある解放感みたいなものを感じて「つかむ」という語のある別の面を見せてもらったようなそういう歌だなというふうに思いました。
では次です。
電灯の普通あれはひもと言うんですけれども恐らく「蜘蛛の糸」を受けて「糸」というふうにあえて表現していらっしゃるんだと思うんですが「蜘蛛の糸」というと芥川龍之介のあの話を思い浮かべるんですがそこから考えると何か救いを求めるようなイメージがあったんじゃないかと思うんですよね。
ところがそれが電灯の糸であった。
蜘蛛の糸と間違えるわけだから夜から明かりをつける場面だと思うんですが明かりをつけちゃったらやっぱり救いでなく現実が待ってるんですよね。
その辺の歌の構造の面白さそれから「取り敢えず」というのが少し飄々とした感じというかそういうのがありまして非常に面白いなと思いました。
どうでしょう?夢を見たあとなのかなと思ったりもしまして…。
それももちろんあると思いますね。
ありがとうございます。
では次です。
この「ひんやり」というところがほんとにひしひしと伝わってくるというかですね父親の老いを感じたりとかして単に腕が冷たいという事ももちろんあったんでしょうけど心の部分の寂しさそういうひんやりした感じが心に去来している感じがすごく伝わってきた歌でした。
おっしゃって下さったとおりだと思いまして「ひんやり」というのは腕の事であり心の事だと思うんですよね。
最初つまづいた父を助けるためにつかんだはずなんだけれども思いがけず老いとか弱さに気付いてしまっていると。
最初は別に助けるためなので腕に意識はないんですよね。
ところがひんやり細いというのを体感してしまったからこそ腕が立ち現れてくるというか歌の構造前から読んでいった時に最後に「腕」が出てくるのも面白い作りの歌だなというふうに拝見しました。
では次です。
これはほんとに漠然とした不安というか寂しさというかそれが感じられる歌だなというふうに思いまして信を置いたつかんだはずの人が別人だってちょっとうろたえてる感じも伝わってきてですね何か切ない感じが伝わってくるような歌だなと思いました。
まさにそのとおりかというふうに思うんですね。
あとは間違ってちっちゃい子ってよく間違って別の人をお母さんだと思って服の裾とかつかんでしまうと思うんですがその時のびっくりした感じ急に別の場に放り出されちゃったような所在ない感じ「…のやうなこのごろ」なんですよね。
一首全体がほぼ比喩で終わってるんですが「このごろ」って来た時に我々自分に引き寄せていろいろ考えると思うんですよね。
そういう力のあるお歌かなというふうに私思いましたね。
では最後です。
多分これ学校なんですよね場面が。
それで何か事件が起きて先生に正直に手を挙げろとみんなに分からないように顔を伏せていていいからというふうに言われた場面だと思うんですけどその時に手を挙げた時に自分が正直に言うんだけど自分が当事者だって事で不安になってる気持ちが表れてると思うんですが私も教員ですので何かちょっとこういう事をさせてしまう先生に思いをはせてですね自分にもこういうところあるかな?なんて非常に反省を促される一首ではありました。
以上入選九首でした。
では染野さんの特選お願いします。
まず三席お願いします。
塩沢ヨシ子さんのお歌です。
では二席お願いします。
今野浮儚さんのお歌です。
一席をお願いします。
鈴木昌宏さんのお歌です。
先ほども申し上げたんですけれども「つかむ」という言葉の別の面ですね。
何か解放感につながるようなそういう歌の作りを見せて頂けたというのが私には非常に印象的で先ほど九首目で「挙げた手のさき掴むものなし」というのあったと思うんですが同じ掴むものなしなんですけど全然違いますよね。
短歌の中の言葉位置によってあるいはその文脈によっていろんな面を表すんだなというそういう事も今回は選をしていて感じましたね。
以上入選作品のご紹介でした。
続いて「入選への道」。
投稿作品から惜しかった一首を添削します。
作品はこちらです。
お姑さんに手を掴まれた時に冷たいと言われた。
そうすると当然手には温かさが伝わってくると思うんですけどそうすると自分にはお母さんがいらっしゃらない。
お母さんの温かさってこういうものなのかなってじ〜んときているというお歌だと思うんですね。
非常に印象深いんですが「冷たい手!」というふうに具体的な手を出したあとに「身」「胸」これは比喩的な表現ですよね。
感動するとかそういったものの比喩になってると思うんです。
そうすると非常にここだけ説明的になるのと最初にせっかく「手」が出ているのにここで「胸に沁みる」って言われてしまうと具体的なこの胸なのかそれとも慣用表現としての胸なのか分かりづらくなってしまう事があると思いますのでこんなふうにしてみました。
「手」だけに焦点を当てるという事。
それから「手は」といって少し客観的な印象を残す。
それによってあまり感情的にベタベタしすぎずしかもぬくもりだけは我々読者にも伝わっていくというかそういった形になったのではないかなと思うんですがいかがでしょうか?ありがとうございました。
作品作りの参考になさって下さい。
では投稿のご案内です。
続いて選者染野太朗さんのお話です。
まずはちょっと難しめの歌かとは思うんですがどんな事でもかまいませんのでお二人からコメントを頂きたいんですがいかがでしょうか?ほんとに難しいなというのが第一印象です。
まず目に入ったのがふたつのライターの炎が重なっている。
暗闇の中で目の前だけがボワ〜ッと明るくなっている。
そういう視覚的な映像がまず浮かんだのと後半の「人と別れて」の「人」ですね。
あなたとか誰かとかそういう固有名ではなくて漠然とした人と別れるというところがすごく寂しげだなというふうに感じました。
あなた君ではなく「人」というところに注目して頂いたというのはプロの読み方だというふうに私は感じます。
私はものすごく個人的に考えてしまいました。
恋人か誰かちょっとそれは分かりませんけれども何らかの理由で別れなきゃいけない。
しかも抱かぬままに。
ものすごく胸が痛い感覚というか冷たい感覚それをライターの炎で「マッチ売りの少女」的な感覚ですかね何か違うものを見たい温かいものを見たいっていう感覚をちょっと受けました。
お二人のおっしゃって下さった事そのままでも十分だと思うんですね。
私身体を能動的に使う読みというのをテーマにしていますのでちょっとその観点でお話申し上げようと思うんです。
恋人か片思いの相手か分からないですけれども何か理由があって抱き合う事ができなかった。
恐らく代償行為のようにしてライターの炎ふたつを自分で重ねているという場面じゃないかというふうに私読んだんですよね。
内省して沈んでいく。
それからあの時を振り返って抱き合っていればよかったのにみたいな事を思ってると思うんですがライターを2つ近づけて炎を重ねた時に熱いと思うんですよ。
よっぽど近づけなければ重ならないと思うんですよね。
非常に細かい読み方なんですがそうすると炎の熱指に感じますよね。
非常に熱いというかチリチリ焼けるようなそれを私は自分を責めているような気持ちというかそういうのを受け取ったんですよね。
もしかしたら私の個人的な読みなのかもわからないんですが体を通して読むとそれも別にありだと思うんですよね。
ちょっとそういうような読み方ご紹介するつもりで今回内山さんの歌持ってまいりました。
ありがとうございました。
今日はゲストに元ラグビー日本代表の平尾剛さんお迎えしております。
平尾さんはどんな事でもラグビーに例える事ができるという。
なんてすごい事をむちゃぶりしちゃいましたけど今日の短歌をご覧になって例えるとしたらどういう事でしょうか?頂いたむちゃぶりに何とか考えてみましてこちらに書いてみます。
これはどういう?ステップというのは相手を右に左に交わしていく技術なんですけれども短歌っていうのは情景を切り取ってそれを言葉で表現するっていうふうに思うんですね。
ラグビーというのは目くるめくディフェンスがたくさん何人かいる例えば密集しているそういう状況をしっかり判断している。
いわゆる切り取ってそれを体で表現する。
その時に僕は得意なプレーステップなんですよ。
だからステップに特定したんですけど「など…」としたのは例えばキックが得意なプレーだったらその時に表現するのはキックになるだろうしあるいはパスになるだろうし個人スキルという事なんですけどそう書いちゃうとちょっと味気ないなと思ったので僕はこのプレーが得意でしたので僕にとって短歌はステップです。
非常に今面白く伺いました。
切り取り方の一つなわけですよね。
これは。
ちょっと例をお見せできませんけれども現代短歌ほんとにいろんなほんとにさまざまな種類の短歌が今いろいろあるわけですね。
それこそ文語を使って古風な詠み方もありますし口語のみを使うとそれぞれ得意なやり方があるんですよね。
平尾さんの場合その切り取り方がステップ。
歌人によってはあるいは投稿して下さる皆さんによっては文語だったり口語だったり比喩が得意だったり心情を直接述べるのが得意。
あるいは状況のみを淡々と述べるのが得意。
そういったところともしかしたら重なる部分をこのように表現して下さったのかもわからない。
そんなふうに理解して頂いてひねり出したかいがありました。
むちゃぶり申し訳ありませんでした。
では平尾さんはラグビーでの経験をどのように表現されているか。
その強豪チームウェールズの波状攻撃を受けた時の印象をご著書からご紹介致します。
ラグビーを知らないっていう事もありますけれども私の感覚は私たちも群舞でみんなと一緒に何かをやる時に息をそろえて一糸乱れぬ踊りをする。
その時に波のようにお客さんにその迫力が伝わればいいなっていう感覚でしかないんですけどそれとは全く違いますね。
そうですね。
敵対し合ってますからラグビーっていうのは敵がいて相手がいると。
これはウェールズの攻撃を受けた時の僕の感覚を言葉にしたものなんですけれども要は一人のすごい選手がいたとしてもそれを止めてしまえば何とか止めれるんですね。
でもウェールズの攻撃はそうじゃなかったんです。
たくさんの人が一気に全体がバッと動いてきて的が全く絞れないと。
どうしてええか分からない。
よく波状攻撃という表現が集団スポーツでは使われたりするんですけどもまさしくこれがそうじゃないかというように思いまして液体のように波のようにザバ〜ッと来るような感覚をこんなふうに表現したんですけど。
これだったわけです。
私が感動したというのは。
つまり私全然ラグビーが分からないのにあれ?ラグビーってこんなに面白いのかなと思ったのがこの文章だったんですけれども非常に比喩を駆使されていると思うんですがやはりそこは意識されたんですか?感じた感覚を伝えるためにはどうしても比喩が多くなってしまうというかですね結構推敲もしまして苦労はしました。
比喩であるからこそ私もその言葉を介してラグビーだけじゃない身体というんですかね全体のものを全体を理解するのに非常に面白く拝見した文章だったんですが私が思っているのはですねラグビーを平尾さんが言語化して下さってるわけです本で。
私年間テーマで身体を通して歌を読む。
平尾さんはラグビーを言語化して下さってるんですが私は投稿して下さる歌も全てなのですがそれをいかに自分に再現するかなんですね今度。
その時に身体という補助線を使って再現するわけですけれど今回平尾さんの文章をまさにそのようにして読んだところラグビーについて非常に細かく立ち上がってくるものがあって非常に今私ラグビーに興味を持っているんですが…。
それはとてもうれしくてですねラグビー界の中とかスポーツ界の中に届くこれもちろん大事なんですがそうではなくて外側にラグビーの面白さであるとか選手が感じている感覚であるとかそういったものを実は発信していきたいと。
それがあの本なんですけれどもまさしくあっちこっちにパスを出しててですねほんとに染野さんがキチッと僕の出してるパスを受け取ってくれたというような今のコメント聞いてほんとにうれしいです。
プロの方にそんなお言葉を頂いて一生の記念というか非常にうれしく思います。
ありがとうございます。
そろそろお時間になってしまいました。
今日はゲストに元ラグビー日本代表の平尾剛さんお迎え致しました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
染野さんまた次回もよろしくお願い致します。
2015/08/09(日) 06:00〜06:25
NHKEテレ1大阪
NHK短歌 題「つかむ」[字]
選者は染野太朗さん。ゲストは元ラグビー日本代表の平尾剛さん。ラグビーでは、全員の意思が統一されていることが大切。肉体的な感覚を言葉にして伝える方法について伺う。
詳細情報
番組内容
選者は染野太朗さん。ゲストは元ラグビー日本代表の平尾剛さん。ラグビーでは、全員の意思が統一されていることが大切。肉体的な感覚をいかにして言葉で伝えるか。強いチームはその方法にたけているという。
出演者
【ゲスト】平尾剛,【出演】染野太朗,【司会】剣幸
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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