(cache) 真島こころさんの盗作問題の記録。



真島こころさんの盗作問題の記録。(2014/5〜2015/6/7)



悲劇のヒロインなんてまっぴら御免です。
記録として、昨年からの5月からの出来事を纏めます。
彼女の自分勝手な行動や杜撰な対応。
嫌悪感を抱かせるような文体が出てきます。

実名を出しています。

今日、また同じような表現がその人間から発表されました。
もう自分もずっとこの1年。絶望に突き落とされたり、絶え間なく我慢して来ましたが、
もう限界を超えました。これが彼女に取って、どうなろうと自分はあったことをそのまま記載しています。


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昨年の5月に、死線を見ました。
5日間、眠れなくて、吐き続け、食べれなくて、泣き続け。
病院で脳の検査までしました。
それは、フリーランスの音楽をやっている真島こころさんが、自分の文章を転送し、
真島さん表記で、有料で取り引きされていたのが、きっかけです。


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一部紹介させていただきます。

「風待ち」 咲(2010/9/13)

風が教えてくれる。

風が吹くのはいつだって、今日だ。
誰かが死ぬのはいつだって、今日だ。
誰かが生きるのはいつだって、今日だ。
花が舞うのはいつだって、今日だ。
樹木がざわめくのは、いつだって、今日だ。
人々が立ち上がるのは、いつだって、今日だ。
風が吹くのは、いつだって、今日だ。

風が教えてくれる。

そんな風が吹くのを、ただただ、この場所で待つ。

風待ち。

己の風を起こしたい。
今日も、風待ち。

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「風が教えてくれる」 真島こころ

それは、広がる風のように。
心の中をすうっと充満しては、少しずつ通り抜けて。
傷口も癒えるような心地で、その風が吹くのを
ただただ、この場所で待っていたんだ。

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他にも、酷似した文章が多数、存在しています。
自分は、5年間ほど、文章を綴っていました。写真と共に。綴るまで2年半かけた言葉もありました。
それが、あっさりとコピー&ペーストで真島さんのものになり、
酷いもので、言葉を少し変えたり、一部分、抜き出したり。酷いものは全部。
問いました。真島さんへ。返ってきた言葉は、オリジナルで自分が文章を綴っていることは、知らない。との一点張り。
しかし、真島さんのパソコンの履歴もある。日記を閲覧した記録もきちんと残っています。
それを話すと、真島さんは、いきなり「消えたいです。消えればいいんでしょ」と言って来ました。
自分が家で暴れていることや自殺未遂をしたことなど、関係ないことまで持ち出して来ました。

を抱えましたが、命ひとつ守れるならと、自分が引きます。
やりきれなかったけど、でも消えないでくれという想いの方が勝り
「生きてください」と言葉を残して、自分が身を引きました。

でもその後、真島さんは、自分の知らないところで、休止宣言をしました。
その覚悟は当時は大きかったようで、

「この想いは頑固たりとも変えません。わたしはわたしがいることで苦しむ方がいるのなら、何も言わずに消えます」

と。自分は、自分の想いが届かず、途方に暮れました。
でも次の日。真島さんは、「他の仕事は辛いから、音楽は続けます」と一転しました。

ふざけるな。
バカにされてる。ここで久しぶりに覚えた怒り。どこまで自分勝手なんだ。
悔しさを通り越して、怒りと恨みで心が破壊されそうでした。
人をバカにするのもいい加減にしろ。
許せなかった。その人間が自分を律することをしないどころか、
音楽を続けて毎日、生きてると思うと。やりきれない。
頭が痛くて、吐き続ける日々。睡眠なんてまともに取れない。
前からの通院は月1回から2回に増えて、薬で手が震えて、絵も描くどころか
普通の生活さえ、まともに出来ない。自分の情けなさに独りで泣く日々。

書き続けた5年間。

父さんの想い。友への想い。先祖への感謝。
死へ直面する自分を止めた自分。生を望む姿。ひたむきに歩いた日々。
自然がなびく呼吸。空が広く青い理由。花が吹く風の音。
全て、奪い、?ぎ取られた取られた感触でした。

問い続けるのは、何か。自分でも解らない。極限に広がる「無」に、絶望さえする。
頭が。脳が死んでいく感覚。この苦しみは何なんだ。誰が解ろうか。
言葉も全て、届かない。なんて惨めな時代なんだろう。

真島さんへ、幾度も連絡しても無視されるばかりでした。




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救ってくれたのは、夏。
暑い日々。白昼夢のような感覚で、69年目を紡ぎ終えると、水を一滴、零したように、辺りが見えてきました。
友から手紙が届き、また友へ。平和式典を見ながら、ゆっくり、また歩いて行こうと。

自分はまだ、通院もしています。
たまに手が震えることもありながらも、他の仕事をしながら、自分の道を少しずつですが、歩んでいます。

今から見れば、くだらない話です。器が小さいもの同士の小競り合い。
元々、覚悟の問題で、それが自分には足りないということだけでした。
物を作ることにあたり、先代からの恩恵があるわけで、
わたしたちは、それを吸収して、自我にする。
誰かしら影響されたものや事柄があり、それが、自分や他者を成り立たせているということ。
人には原点があり、また自分にも原点があるということ。

原点。「生きる」

改めて、生きることは何なのか。と問うと、直ぐに見えてきました。
向き合う上で表現の幅を考えられずには、なる一方で、国の方針や社会の成り行きなど色んな速度で時代が変化する中で、
ただ変わらないものは、そこで、人が生きたか。死んだか。でした。
そして、何を想い、何に哀しみ、何に苦しみ、何に悦んだのか。
路上の声を思い出したとき、確かに其処にあったのは、「命」だと。

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(2014/10/9)


またこの修羅場があったにも関わらず、真島さんはまた同じことを繰り返しました。
自分の表現と同じような表現が続き、途方に暮れました。
法的な手続きを取ることも考えました。
でも真島さんにもう一度、最後の頼みで連絡をしてみました。

「自分は真島さまが、どう云う経緯でこのような表現にしたのかを考えたことがありませんでした。
真島さまの明日に向かい未来を見ている姿を拝見すると、
わたくし自身、真島さまを悪い人間には出来ないことに気が付きました。
真島さまが、どういう想いで、また何の為にピアノを弾いているか、聴かせて頂けないでしょうか。
また、詩についても、例えば、自分の文章に影響を受けたなど。
Mさま自身が感じた言葉が真島さまの作品に繋がっていると云う具体的なことを聴かせて頂けないでしょうか。
恨みや憎しみはもう持ちたくありません。
友の言葉で、その人間を知りたければ、言葉は道具。
その人間の生き方、想いを辿ればいい。と身に染みるばかりです。
勝手なお願いを申し訳ございません。よろしくお願いし致します。」

結果は、返信はなく、無視されました。
ここで、自分は、もうこの真島さんには何を言っても通用しないんだと強く感じました。
人の作ったものを盗ることによって、自分が作ったと思い込み、自尊心が満たされ、それで満足してしまう。
そして、それを繰り返す。なんて、可哀想な人間なんだろうと思いました。
自分は、悲劇のヒロインになるのなんてまっぴら御免です。
その人間に要する時間が無駄に思えて仕方がないとさえ、感じるようになりました。
機会を見て、まだ続くようなら法的処置をとりますが、
今は、もうその人間で自分の生活が害されることがもう嫌で嫌で仕方がありません。絵を観てくださる場所も一旦、離れようとしましたが、
自分は絵をやはり描いていくことにしました。
ここ数週間、仕事も勉強もガタガタの状態でなんとかこなして来ましたが、その影響が出たのか、この数日は寝たきりでした。
嫌悪感を抱く文章だと重々承知です。ただ、文章にしなければ、自分の身が持たない状態にまで来ていました。
悲劇のヒロインなんてまっぴら御免です!
自分は自分の語り継ぐものの為に前を見て、歩んで行きたいと思います。

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2014/12/27。


2014/12/25日にもう全部捨てる覚悟で真島さんの元に怒鳴り込んで行きました。
話し合いに応じて欲しいと。翌日、真島さんからようやく連絡が来ました。

「2012年から、2014年にかけて綴ってきた言葉の数々、説明致します。
私も言葉じゃ薄っぺらいですが、精一杯活動してきました。私にも守るものがあります。
少し長くなりますので、お待ちくださると幸いです。」

「こうして、楽曲の説明をしていると、自分はあまりにも弱い存在なのだなとひしひしと感じます。
メールのご返信も出来なかったのも、自分が弱いからだったと思います。身に覚えはないとはいえ、
人として返信すべきでした。申し訳ありませんでした。(プロとして失格ですね…)
潔白を晴らすべく、今日はひとしきりメールを送ってまいります。私にも守るべきものがあります。
どうしても、譲れないです。楽曲のご説明を、次メールに続きます。よろしくお願いいたします。 」

彼女は、取りあえず、11曲分の楽曲の説明を送ってくださいました。その真摯な姿勢に、
自分は、それを読んだ瞬間、救われた気持ちになりました。
彼女自身にも譲れないものが在り、また守りたいものが在り。生きてきた証を証明する為に闘う覚悟だ。
と仰いました。自分も相当の覚悟で臨んだので、その彼女の覚悟に敬意さえ表れた瞬間でした。


でも2日後。



「先日、一個一個説明します、と申し上げましたがやめる事にいたしました。
2012年から2014年までの楽曲に添えられた言葉の説明をしなければならない具体的な説明もありません。
また、わたしの文章と咲さんの文章が酷似していると仰いましたがどこがどう似ているのか
具体的な説明もありません。私は最初から申し上げております通り、
咲さんの作品を盗作するという事を一切しておりません。
よって無意味な説明はやめる事に致しました。以上となります。よろしくお願いいたします。」


と連絡が来ました。
彼女の精一杯活動してきた。と言って、綴られた文章に置かれた、
自分と全く酷似している文章を観ては、ああ。そうか。と感じました。
2日間で変わるその程度の覚悟。敬意を表れた心も彼女の真摯だった一度目のメールを見ては、
心にぽっかり穴が開いたようでした。本当に、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのかな。
それと同時に、芽生えた諦め。
真島さの存在の価値が自分の中で無くなりました。人間、雑に扱われれば、雑になる。
丁寧に扱われれば、丁寧になる。少し泣きながら苦笑いをしました。
闘う意欲が全く無くなった瞬間でもありました。
何を言っても通じない。何を話しても自分の感情で数日、程度で変わる覚悟。
そんな人間もいるんだな。と知りました。
今は、時間が掛かりそうですが、少し自分の生活に戻りたいと思います。振り回された日々。
本当に、今年は酷な年でした。

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2015年1/3。


もうこの問題に関しては、正直、追記したくありませんが、この記録も証拠になるので、記録します。
昨年の12月28日に、真島さんに、自分の方から、酷似している文章を照らし合わせたものと、
その具体的な理由を送ってあります。
それから、彼女はSNSを非公開にし、連絡手段を次々と絶ちました。

でも今年に入り、またネット上でプロとして活動を始めたそうです。
非公開にしていたSNSなどをまた再開して、仕事を呼びかけています。

ここから、自分の仮説。推測になります。
彼女との今までのやり取りと現在の情報を照らし合わせた推測です。

今までの彼女とのやり取りから、彼女は自己中心的な感情ひとつで動くタイプの人間です。
その場、その場、しのぎで行動していることが
今までのやり取りから明らかです。また2日間や数日程度でコロッと変える態度から見て
、彼女に助言を与える、彼女の家族以外の第三者がいることは、お話させて頂いて、情報を得ています。
おそらく、この活動再開の裏にもその第三者の助言があったと感じます。
彼女の言動から、彼女の環境背景と気持ちを推測することが出来ます。
まず「今年は挑戦の年でした」という文章に過去形を交えていることは、
この件が彼女に取って終了したことと思われます。
おそらくですが、自分のこの「記録」の記事を見たと思います。
去年の27日に自分はこの記事でもう彼女に対する諦めと闘う意欲を無くした。と記録しました。
それが、彼女にとっては、「終了」という意味に捕われたと思います。
また「今年も頑張ってまいります」という現在進行形の前向きな言葉からは、同時に「安堵」という意味も示されます。
一段落ついて、ひとつ物事が終わる意味を持つときにこういう表現が用いられます。
纏めますと

「この問題はもう終了しました。わたしは、安堵しています。これからまた新たに頑張っていきたいと思います」

ということが読み取れます。
数少ない文字の中でも裏を返せば、情報とその個人のパターンを認識していれば、その個人の気持ちさえ推測できてしまします。
ネットの世界で活動するには、本当に自分を守る防御壁というのが大事だと痛感します。もう彼女の言葉や言動は一切信じないし、
正直、感情がコロコロ変わる人間を相手にするのは、キツイです。身が持ちません。
彼女は、サシで話をするのを嫌うタイプで、直接的ではなく、間接的なのが疲れます。
去年、法的な処置で弁護士さんと相談させて頂いて用意した閲覧記録の画像や文章の酷似している、
照らし合わせた資料がこちらには、あるので、
彼女が第三者を交えて攻撃してきた場合や直接的に連絡があった場合などの対策や手段は取ってあります。
(今までのやり取りから、強迫概念を持ち合わせていそうなので、それはあるか解りませんが)

はっきり言って、今年は、もう関わりたくありません。
でもこういうのって、理屈じゃないんですよね。はぁ。とため息が出ます。



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2015/6/6

今日、真島さんのツイッターから「誰もいない夕暮れの図書室」という新曲が公開されました。
自分の絵で「誰もいない桜の記憶」という絵があります。
それは、教室を舞台に大事な思い出や煌めきを表現した絵です。
それと同時に2010/11/3に綴っていた日記で「夕暮れの図書室で」という日記が自分の手元にあります。

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「夕暮れの図書室で」(2010/11/3 咲)

小学3年の夕暮れが差し込む図書室で、広島の原爆の写真を見た。
哀しく、黒く、倒れている。
小学生のわたしには、残酷過ぎて、途中でページを閉じてしまった。
読み終わるまでに、2週間かかった。
読み終わったのは、夕暮れが差し込む陽射しの中で、
茜色の図書室が煌めいた。小学生のわたしは、自分の手をみつめた。

今は、何も出来ないけれど、きっと自分が後世へ残してやる。
夕陽の差し込む図書室。自分の原点。
掴んだ大事なかけがえのないものを今もこの手に持っている。

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「誰もいない夕暮れの図書室」(2015/6/7 真島こころ)

窓から、茜色の夕焼けがぼうっと霞むように照りつけた。
本棚にも茜色の光が射して、図書室は茜色に染まるのだった。
向こう側から電車が走る音が遠く聞こえた。
静かな図書室だから、色んな音や光が
よく聞こえたり、見えたりしたのだった。
そっと瞼を閉じて、かけがえのないものに全てを研ぎ澄ませて馳せた。

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文章自体は違いはありますが、構成や思想があまりにも似ている為、何度も自分の文章と照らし合わせました。
また今回、問題なのが、タイトルです。
「誰もいない夕暮れの図書室」というタイトルですが、
自分が今まで出逢った絵や文章で文字の始めに「誰もいない」というタイトルが見たことがありません。

また「夕暮れの図書室」というタイトルも全く同じの為、
あくまで仮説ですが「誰もいない夕暮れの図書室」というのは、
自分の「誰もいない桜の記憶」という絵のタイトルと「夕暮れの図書室で」というものが混合したものになります。


本当に彼女が自分の文章を盗ったのか、彼女しか解らないことです。
今まで、幾度も連絡を送りましたが、一度も返信はなく、無視続けられました。
真島さんが盗ってないことを証明できる機会は何度もあった筈ですが、
真島さん自身がその行動を取らず、自分のことしか考えていなかった為、
自分もこういう形を取らせて頂きました。
ここまで書いても彼女は恐らく、知らないの一点張りだと思います。
今までそうでしたから。それが自分に取り、どんな状態にまでなったか。

真島さん、考えたことはありますか?

あなたに振り回され、そして今まで我慢して来て、幾度も絶望のない途方に暮れた日々を。
あなたは、何の連絡もよこさず、絵を描いて、ピアノを弾き、ご飯を作って、散歩に行き、
それが、どんなに悔しかったか、理解されたことは、ありますか?

もう我慢の限界は超えました。
彼女からも返信がない為、自分の方も実名の方、出させて頂きました。

1度、今年の10月に真島さんと自分の酷似している文章と閲覧記録。
アクセス解析の画像など、昨年、弁護士の方に相談した際に民事の裁判を起こす予定でしたが、
路上の活動を始めてから、自分にも心の変化があり、それを破り白紙に戻しました、
彼女にも謝りのメールを送ったことがありましたが、
今回の件で、もうそれも破ります。
他にも多数、文字や文章が酷似し、言葉を入れ替えたものが多数、存在します。



以上が、真島こころさんと自分との昨年の5月からの記録になります。



(2015/6/7 咲)