ETV特集 アンコール▽立花隆 次世代へのメッセージ〜わが原点の広島・長崎から 2015.08.08


(吹奏楽)去年の8月6日原爆の日。
(アナウンス)黙とう。
(鐘の音)被爆から69年目を迎えたこの夏改めて自分の過去を振り返り原爆の問題を考え始めた人がいます。
「知の巨人」と呼ばれるジャーナリストの立花隆さんです。
(鐘の音)臨死体験や宇宙そして田中角榮やサル学に至るまで人間の本質を深く掘り下げる100冊以上の著作を世に問うてきた立花さん。
しかしプロの書き手として核兵器の問題と向き合った事はありませんでした。
立花さんは現在74歳。
7年前に膀胱がんを患いその後も糖尿病や心臓病になるなど病気を抱えています。
残りの人生を考えた時気にかかるのは原爆の問題でした。
45678…。
実は二十歳の時立花さんは被爆者の写真や映画を持ってヨーロッパへ。
被爆者の体験を世界に伝え核兵器の廃絶を訴える活動に取り組んでいました。
あれから半世紀核兵器の廃絶は実現していません。
しかも被爆者が次々と亡くなり記憶の継承すら難しい状況になっています。
今の自分に何ができるのか。
立花さんは次世代の人々にメッセージを残そうと改めて取り組みを始めました。
「人類にとって大切な被爆の記憶を未来に向けて更に生かしていってほしい」。
それはどういう事かというと…立花隆74歳。
被爆の記憶を若者へつなごうと活動した半年間の記録です。
去年8月9日の長崎。
立花さんは爆心地から500mの場所にある浦上天主堂に向かいました。
午前11時2分。
長崎に原爆が投下された時間です。
立花さんは1940年長崎市の生まれ。
原爆投下の5年前でした。
2歳の時父親の仕事の都合で引っ越したため被爆は免れました。
しかし長崎で生まれた事がその後の人生に大きな影響を与えていきます。
爆心地から600mにある旧長崎医科大学の正門跡です。
立花さんはこの長崎医科大学の附属病院で生まれました。
被爆直後っていうか米軍が進駐してからですからでもわりと直後に近い…。
立花さんが生まれた産婦人科病棟も被爆。
ここで500人を超える人が亡くなりました。
被爆の生々しさを肌で感じてきた立花さん。
子供の頃から核兵器のない世界を思い描いてきました。
ところが戦後米ソの冷戦が激化。
世界の国々が核兵器開発にしのぎを削る時代がやって来ます。
1959年東京大学に入学した立花さんは核兵器の廃絶に向けて行動を開始。
しかしここで大きな挫折を味わう事になります。
大学1年生の夏立花さんは友人と2人で広島の原水爆禁止世界大会に乗り込みました。
そして集まった外国人に片っ端から名刺を配ります。
その目的は外国に招いてもらい映画や写真で被爆の実態を伝えるというものでした。
それは要するに…広島での粘り強い活動が実り1960年4月立花さんはロンドンに渡ります。
世界23か国から学生が集まる国際青年核軍縮会議に招かれたのです。
立花さんは日本から持ってきた被爆者の写真や映画を海外の人々に見せていきました。
熱線によるヤケドでケロイドとなった皮膚。
そして被爆者には強い放射線を浴びた影響で健康への不安が一生付いて回るという事実を訴えます。
ところがこのころイギリスやフランスが次々と新たな核保有国となり「ソ連に対抗するためには核兵器が必要だ」という認識が広がっていました。
国際会議のあとヨーロッパ5か国で一般市民に被爆者の映画や写真を見せて回った立花さん。
その深刻さが伝わらないという現実に直面しました。
そういう感じがものすごくありますよね。
意気消沈して帰国する事になった立花さん。
更に直面したのは党派の争いに終始し現実を動かす力を失った日本の原水禁運動でした。
立花さんは一切の運動から距離を置くようになります。
その後ジャーナリストとなり次々と著作を世に送り出してきましたが原爆をテーマにした本を書く事はありませんでした。
学生時代の苦い経験があったからです。
しかし74歳となった今被爆者も高齢となり次々と亡くなる中で立花さんはもう一度原点に立ち返り原爆について考えたいと思うようになりました。
そのために是非会っておかねばならない人物がいました。
核廃絶の運動でヨーロッパに渡った学生時代原爆について語り合った親友です。
ハッハッハッ。
カナダ人の…
(ディミトリ)Manyyears.Manyyears.
(笑い声)挫折の体験をしたヨーロッパへの旅。
その時立花さんが持っていった被爆者の写真に強い興味を示してくれたのがディミトリさんでした。
4つ年上のディミトリさんは立花さんをロンドンの本屋やカフェ教会などに連れていき最先端の思想や文化に触れさせます。
ディミトリさんの博識ぶりに立花さんは圧倒されました。
あの何て言うんだろうな…。
あの…う〜ん…。
帰国して4か月後の事。
ディミトリさんから手紙が届きました。
「世界平和を実現しよう」と書かれていたディミトリさんの手紙。
しかしこの時核廃絶の運動から離れつつあった立花さんは素直に共感できなくなっていました。
ディミトリさんが最終的に目指していたのは国家がない世界でした。
戦後ヨーロッパでベストセラーとなった…世界の平和が脅かされるのは「国家が戦争する権利を持っているからだ」と指摘しています。
今ある国家を解体し世界共通の政府を樹立すべきだというのがディミトリさんの考えでした。
こうしたディミトリさんに対し立花さんは皮肉に満ちた手紙を返してしまいます。
このあとディミトリさんから返事が届く事はありませんでした。
こちらとしては…彼がなんかすごくそのあとつまり…そういう思いがずっとあったわけですね。
半世紀ぶりに連絡を取りディミトリさんを8月の広島に招待した立花さん。
気になっていたあの手紙の事を切り出しました。
立花さんはディミトリさんが核廃絶の運動を続けていた事を知りませんでした。
ディミトリさんは22の大学を束ねる組織のリーダーになりカナダ全土を駆け巡って核廃絶を訴える活動を展開していたのです。
世界各地に配備されている核兵器を示した地球儀の前でディミトリさんがカナダに関する意外な話を切り出しました。
1963年アメリカはカナダ全土に核ミサイルを配備しました。
核兵器を積んだソ連の爆撃機をカナダ上空で撃ち落とすためです。
核ミサイルが爆発すれば強烈な爆風や衝撃波で確実に撃ち落とせると考えたのです。
ディミトリさんたちはカナダ政府に対する反対運動を展開。
スローガンは…ミサイルが上空で爆発したら残骸が落ちて被害に遭うのはカナダの住民だ。
ディミトリさんたちの訴えはカナダの世論を動かしていきます。
核配備に反対する国民は当初19%でしたが1966年には44%と倍以上に増えました。
そして1969年カナダのトルドー首相は核兵器撤去を決断します。
6年の歳月を費やして核を撤去させたディミトリさん。
カナダの非核化は掛けがえのない成功体験です。
カナダの反核運動がアメリカの核兵器撤去を実現させていた事を立花さんは知りませんでした。
衝撃を受けた立花さんは改めて核兵器の廃絶についてディミトリさんと話し合う事にしました。
今振り返ってみるとずっとメンターと思ってる人にですね今改めてほんとに半世紀ぶりにお会いしてほんとにうれしかったという事をまず申し上げたいと思います。
(ディミトリ)僕からも言わせてほしい。
君がそんなふうに言ってくれるなんて本当にうれしいよ。
僕が君の人生や人格形成にまで大きな影響を与えていたなんて全く知らなかった。
いやぁ心から感動したよ。
僕は実はカナダがそういう国になった経緯とかそういう事を全く知らなかったんですがそれはほんとにその時代の国民の意思ひとつで国策の方向をこちらからこちらへ変えるという事が実はやろうと思えば簡単にできるという事を知って実に驚いたわけです。
という事でほんとに何でも…カナダがそうなったのは若者や学生が非常に積極的に闘った結果なんだ。
もちろん僕らの活動は大きな運動の一部ではあったんだけどね。
でも君が言ったとおりこれはとても重要な事なんだ。
若者はまず大学という非常に小さな保守的な世界で運動を始めるものなんだけれども始めてみると突然世界が大きく変わり次々と目の前で展開するようになる。
そしてより深い関心を持つようになりより勉強し互いに刺激し合うようになるんだ。
それにしても核の抑止力について声高に語る人たちがいる。
「核の抑止力のおかげでこれまで核戦争は起きなかった」と。
愚かな事だよ。
みんな分かってると思うけどね。
要するに核の力の現実の力というのはよく中国語で他の国の力を批評して「あれは張り子の虎だ」みたいな言い方をしますけれども。
ベトナム戦争や朝鮮戦争で核兵器を使おうとした軍人たちがいる。
でも結局は使えなかった。
なぜだか分かるかい?もちろん世界中の人々が今日僕たちが原爆資料館で見た被爆の現実について詳しく知っているわけではないけどね。
でも広島や長崎で起きた事が恐ろしいものだという事は知っている。
更に核兵器は二度と使ってはいけないという事もよく知っているはずだ。
一番大きな事はその要するにピースの実現を一番妨げているものは何かというと国家のみがソブリンティそういうそういう権威を持っていて要するに…今長崎と広島で起きてる事がつまり日本の社会において中央の国家がソブリンティの権力を独占してる中でこの2つのシティのガバメントだけは一貫して一貫して場合によっては中央権力に対して異議を唱えるという事を何度もやってきたわけで。
君は今実に重要な指摘をした。
広島や長崎などの都市が政府に対して大きな役割を担うだろうという視点はすばらしい。
僕たちは全く同じ事を考えているんだと気付かされたよ。
君に命令だ。
もっともっと長生きして価値のある記事や本をたくさん書いてほしい。
ベストを尽くすと約束してくれ。
サンキュー。
サンキューベリーマッチ。
サンキュー。
翌日。
立花さんは帰国するディミトリさんを空港まで見送りに行きました。
(2人)グッドバイ。

(デモ隊)戦争反対!「広島長崎で起きた事その体験こそ核廃絶や平和への原動力になる」。
立花さんは改めて確信しました。
立花さんはこの日広島の大学生が企画した「はちろくトーク」というイベントに参加しました。
被爆体験のない世代がどう記憶を継承していったらいいか考える集会です。
えっと私はこの「はちろくトーク」の代表を…。
こうした集会で被爆体験を語れる人は少なくなっています。
この日若い世代に語ったのは坂下紀子さん。
当時2歳だったため被爆の生々しい記憶はありません。
おっしゃってたように…しばらく前までもうこの国ほんとに駄目じゃないかと思ってましたけどでも最近は…。
今の若者たちに希望を見いだした立花さん。
自分が次の世代に伝えるべき言葉を考え始めていました。
今年1月。
東京・文京区にある立花さんの事務所です。
立花さんはふるさとの長崎大学の学生に向け特別講義をする準備を進めていました。
これまで結ばれた核軍縮の条約や国際法の資料を集めてリサーチを行います。
(中村)失礼します。
この日授業を依頼した長崎大学核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授が訪ねてきました。
(中村)中村でございます。
よろしくお願いいたします。
長崎でも被爆体験をいかに若者たちに引き継いでいくか大きな問題になっているといいます。
…のは紛れもない事実だと。
何を問題にするのかの枠組みを少し大きくとって。
そこなんじゃないんですか。
あのだからねこの問題はものすごく難しいんですよ。
長崎での授業の前に立花さんには訪ねておきたい場所がありました。
立花さんの原点とも言える画家の絵がここにあります。
これを全然覚えてなかったの。
ここに「ナホトカ」って書いてあるんですよ。
シベリア抑留の体験をもとに数多くの作品を残した香月泰男の絵画です。
これは日本に帰る船が出る港ナホトカを題材にした作品です。
帰国できずに死んだ無数の抑留者たちの顔が描かれています。
香月泰男は31歳で出征し旧満州で終戦。
1年7か月にわたりシベリアに抑留されました。
帰国後シベリアを描いた作品57点を残します。
(砲撃音)シベリア抑留は1945年8月ソ連軍が旧満州に侵攻した事に端を発します。
捕虜となった60万の日本人は敗戦後シベリアに送られ強制労働に従事させられました。
若き日の立花さんは香月から10日間かけて聞き取りを行いその体験を本にしました。
「有刺鉄線を目にするたびにシベリヤがよみがえる。
もっとシベリヤを描きつづけなければならないと思う」。
当時立花さんは29歳。
まだ定職はなくフリーのルポライターでした。
だからそういう意味でね…香月を通じて戦争とは何かを深く考えた立花さん。
長崎の学生に伝えるメッセージを考える上でこの作品に着目しました。
描かれているのは中国からシベリアへ向かう鉄道の線路脇に打ち捨てられていた日本人の死体です。
生皮を剥がれ筋肉を示す赤い筋が全身に走った赤い屍体。
「教科書の解剖図の人体そのままの姿だった。
憎悪に駆られた中国人に殺されたに違いない」と香月は述べています。
日本人がすごく悪い加害者的な行為を中国人に対してしてきたから戦争が終わった途端に手近な日本人を捕まえて生皮剥いだりしたというね。
そういう事がつまり歴史的事実としてあってそれで香月さんはその車窓から見たその遺体を「赤い屍体」と名付けて。
1月17日。
長崎大学の学生にメッセージを伝える日の朝。
立花さんはギリギリまで授業の準備を続けていました。
被爆体験を次の世代がどう継承し核兵器廃絶へとつないでいくのか。
若者たちの前でこの問題を語るのは初めての事です。
ある意味で…核兵器の廃絶を夢みてロンドンに渡ってから半世紀。
時代が大きく変わった今若者たちは立花さんの言葉をどう受け止めるのか。
それはどういう事かというと…その事を僕すごく強く実感したのはですね今から大体10年ぐらい前なんですがたまたま取材でロンドンにいた時にですねその日の朝刊にですね「本日第1次世界大戦の最後のソルジャーが亡くなった」という記事が出たんです。
それは西洋世界では大ニュースです。
あの第1次世界大戦の最後の従軍した人が死んだと。
それでみんな第1次大戦と第2次大戦どれぐらい時間差があるか知ってる?これは20年なんです。
つまり第1次大戦の最後の死者が死んだ日から恐らく約20年後にあの第2次大戦の最後の人が死ぬんです。
それでその事が何を同時に意味するかといえばあの広島長崎の最後の被爆者が死ぬ日でも恐らくあるんです。
多少の時間差はあってもほぼ同じようにしてあの一連の事は次々起こります。
つまり被爆者なき世界というのはこれ事実問題として起きちゃうというか目の前に来るという。
人類史の中で起きた非常に特異な出来事が20世紀中葉にああいう形で起きた。
それであの…その体験の中でつくられた日本人の記憶が戦後の日本をいろんな意味で突き動かしてきた。
それでそれは今でも我々の社会の中に連綿として伝わってるわけですね。
だけれども…世界の本当の共通体験にならせるために本当は広島のミュージアムないし長崎のミュージアムを持ってく必要があるんです。
そのコンテンツを持ってく。
それを読む聞く見る。
そういう体験をした時に初めて原爆とは何だったのかというそういう事が分かるわけですね。
だから核兵器の問題を論じる時には実際にそれ的な核廃絶みたいなそういうのは理想論でそんなの無理だよみたいなね。
日本でもあるでしょう。
だけれどもほんとにちゃんとやって…だからアメリカは要するにソ連からアメリカにICBMをぶち込まれるそれを途中でカナダ上空で撃ち落とすために撃ち落とす軍事基地をカナダ中に置くんです。
そうしたらカナダが核戦争の被害を被るとそういう事になるぞという事で実際いろんな意味で無力は無力なんですが本当に実現しちゃった国もあるって事なんです。
それがそれほど難しい事じゃなくてあのほんとに…26番を下さい。
この時立花さんが示したのはあの香月泰男の指摘でした。
旧満州で見た「赤い屍体」と原爆で焼け焦げた「黒い屍体」。
この問題提起というのはどうも日本人というのはあの戦争が終わったあと戦争の話というと日本中に黒い屍体が転がってる話ばかりして。
そういう感じでいるけれども…これものすごく大きい難しい問題です。
ここから立花さんは学生たちに考えさせる時間を与えました。
将来確実に訪れる被爆者のいない世界。
被爆体験のない世代にできる事は何か。
意見を自由に出し合いぶつけながら議論をします。
自分たちは被爆はしてないし…何だろう。
実際にアメリカ人を責めたりする権利も別にないしでもだからって…だからっていうかアメリカ人の今生きてる若い人たちが自分たちが加害者という意識があるかも分からないしアメリカの小学生に対して自分の被爆体験を話した時にこの子供たちが「アイムソーリーアイムソーリーって言った」と言っててそれってなんか何だろう。
その子たちの責任の問題にも関わってくるけどその子たちはただアメリカに生まれただけでなのになんか生まれたらもう加害者側というかなんかそういうのってどうなんだろうって思ったし。
今までは長崎だったから被爆を受けてきた被害の事を中心に聞いてきたけどじゃ逆に日本がやった満州事変だとかパール・ハーバーとかそういう事知らないから多分逆にそういう事を知らないから…それで余計に伝わらなくなったんだろうなって思って。
だから私としては加害の面を見るっていう事は多分絶対必要だなって思って。
なんでこういう戦争に至ったとか原爆を落とされる事に至ったのかっていう経緯その前を知らないとその断片的に原爆だけ取り上げても駄目なんだなっていうのをすごい今日感じました。
どっちの存在も後ろに…後ろにっていうかあって思うのはやっぱり…大事だと思いました。
カナダで起こった例国民が意識を統一して動く事で何かを変える事ができるっていう事を知ったのでやっぱり一人一人が事実を知ってその事実を伝えていくそして考え方を統一させていくというか。
原爆の問題を自分の事として考え議論する若者たち。
立花さんは手応えを感じていました。
いや僕はこれまでほんとに日本の若い世代に相当ネガティブな印象を持ってたもんでこの国はもうすぐもう一回滅びるんじゃないかとかつては思ってたんです。
でも今日は全然そうじゃなくてこの国は特に若い世代はすごいという感じを持ったんですね。
この日本を変えつつあるような気がします。
歴史っていうのは全部その時代の人々の意見の集合として決まってくるわけですから常に歴史は動いてその方向はまだ分かりません。
そういう事があるという事を今日はすごい感じて日本のみんなには今日の皆さんの発表を聞いてるとむしろいい方向にどんどん向かうんじゃないかというそういう気がしました。
実はここにいる学生たちは多分他の大多数の学生から見ると…例えば明日伝えようと思ってもなかなか伝えられなかったりとか…なので立花さんから被爆体験あるいは平和あるいはもうほんと全然関係なく人が何か行動を起こすきっかけになるような要因だったりとかそういった面でアドバイスがあれば…他人を巻き込むという点ですね。
是非教えて下さい。
いろんな意味で…個人的な生活もそうだしこれから会社に就職したりあるいはいろんな組織に就職っていうか活動に参加したりいろんなこれから大人の生活がずっとその先に待ってるわけですがその全てのプロセスにおいて…人をどうやって巻き込むかはですね熱意と…熱意しかないです。
あとは言葉ですね言葉の力。
いろんな試みは皆さん次々いろんな事をやるんだろうけれど大体失敗します。
思ったとおりにはなりません。
それを覚悟してとにかく一生懸命やるという事を続けてもらいたいと思います。
(拍手)若者たちへのメッセージを語り終えた立花さんは自分が生まれた病院の跡を再び訪ねました。
2015/08/08(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 アンコール▽立花隆 次世代へのメッセージ〜わが原点の広島・長崎から[字]

知の巨人・立花隆。実は戦中に長崎で生まれた彼の原点には核兵器廃絶への強い思いがあった。戦後70年のいま自分がなすべきことは何か。立花隆の半年間にわたる活動に密着

詳細情報
番組内容
知の巨人と称されるジャーナリストの立花隆。実は戦中に長崎で生まれた彼の原点には核兵器廃絶への強い思いがある。戦後70年を迎え、まもなく被爆体験者がいなくなろうとするいま、立花は核兵器廃絶の問題をいかに若い世代へ伝えるべきか、思索を始めた。カナダ人の親友との半世紀ぶりの再会。そして広島の学生たちが取り組むイベントへの参加や長崎大学での特別授業。核廃絶に向け動き出した立花の半年間にわたる活動に密着した
出演者
【出演】評論家…立花隆,【語り】森田美由紀

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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