第47回 思い出のメロディー「戦後70年 喜びも悲しみも歌とともに」 2015.08.08


≫この番組を今からご覧になる皆様こんばんは。
北島です。
そして、NHKホールにご来場の皆さん、こんばんは。
この雰囲気なんですな。
今日、頑張ってみたいと思いますけどもご存じのとおり人生は行くしかないんですな。
戻ることのできないのが人生なんです。
でも、そんな人生を振り返ってみることはできますよね。
そうすると、戦後70年一緒にどうです?振り返ってみません?ああ、あのときはつらかった。
あのときは悲しかったな。
あのときは楽しかったなって。
そんなときにふと支えてくれる歌がありあるいは慰めてくれる歌がありあるいは、元気になってくれる歌がありやっぱり、皆さん歌は私たちの宝物ですよね。
宝物。
どうです?一緒に歩いてきた歴史をそして、思い出を振り返りながら歌で皆さんちょっと振り返ってみよう。
よろしく。
それではいきます。
「第47回思い出のメロディー」。
いこう!生字幕放送でお伝えしています≫「東京ブギウギ」で幕を開けました「第47回思い出のメロディー」。
総合司会は北島三郎さんです。
≫よろしくお願いします。
≫そして司会の松坂慶子さんです。
≫こんばんは。
よろしくお願いいたします。
≫同じく司会を務めますNHKアナウンサーの阿部渉です。
よろしくお願いいたします。
そして、名曲の数々を皆さんにお届けする歌手の皆さんです。
≫よろしく頑張ってください。
≫今回は「戦後70年喜びも悲しみも歌とともに」をテーマにお送りしてまいります。
皆様からたくさんのリクエストをメールやお便りでちょうだいいたしました。
≫ありがとうございます。
早速そのリクエストをご紹介してまいりましょう。
松坂さん、お願いします。
(お便り)今年で85歳になった祖父はお酒を飲むとよく戦争の話をしてくれます。
あんな戦争は二度とあってはいけないと言います。
祖父が戦後元気をもらったという「リンゴの唄」をお願いいたします。
≫「リンゴの唄」ね、あったね。
戦争に負けて暗いときに「リンゴの唄」あのいい声で、並木路子さん歌った方。
そのVTRがちょっとあるんですよ。
ちょっと見てみません?皆さん。
聴いてみましょう。
≫今度は皆さん一緒に歌ってみましょうか。
よろしくどうぞ。
≫「リンゴの唄」の翌年発表されたのが川田正子さんが歌った「みかんの花咲く丘」でした。
この歌が、NHKのラジオ番組「希望音楽会」で放送されると多くのリクエストが集まりました。
母と子どもで歌える優しい歌詞とメロディーは人々の心を慰めあすへの希望を与えました。
≫戦争で焼け野原になった日本でしたが当時の人はこの歌を聴いて美しいふるさとの情景を思い浮かべていたのかもしれませんね。
まさに、リンゴとみかんは戦後の日本を励ましてくれました。
「みかんの花咲く丘」。
石川さゆりさんに歌っていただきます。
(お便り)私が幼いころ、寝る前に母がこの歌を歌ってくれたことが昨日のことのように思い出されます。
≫石川さゆりさんありがとうございました。
北島三郎さんは終戦を迎えたときは9歳。
≫よく知ってますね。
≫調べさせていただきました。
それから、18歳のときまではふるさとの北海道で暮らしていらっしゃったんですね。
≫当時から音楽がお好きでいらっしゃったんですか?≫しょっちゅうラジオで聴いているから好きで好きでしょうがない。
≫次にお送りするのもラジオから流れてきた名曲の1つ「岸壁の母」です。
≫これは泣けますね。
ちょっとだけ私、個人の話なんですが私は小さな漁師町で生まれています。
私のうちのすぐ近所にお母さんがいらっしゃってお子さんが3人いらっしゃったんです。
もちろん、私も子どもですけどそのお子さんというのは3人とも戦争にいっちゃったんですね。
そして、残念ながら3人とも、とうとう帰らず戦死しちゃったんです。
その知らせを受けたんだけれどもこのお母さんが毎日お線香をあげてずっと海辺へ出て行って立ちながら必ず帰ってくるきっとあの子ら帰ってくるって涙を流しながら海を見ていたあのお母さんが私、この年になっても忘れることができないんですよ。
でね、今回どうしてもお願いして出ていただけますかって言ったら喜んでって出てくれた。
あの「岸壁の母」は二葉百合子さんでございます。
よろしくどうぞお願いいたします。
戦後70年の今年二葉百合子さんの「岸壁の母」に数多くのリクエストをいただきましたその思いにお応えして引退された二葉百合子さんが一夜限りの特別出演です
又引き揚げ船が帰って来たのに今度もあの子は帰らない。
この岸壁で待っているわしの姿が見えぬのか…。
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ…。
帰れないなら大きな声で…あの子は今頃どうしているじゃろう雪と風のシベリアは寒かろう…つらかっただろうと命の限り抱きしめて温めてやりたい…ああ風よ、心あらば伝えてよ愛し子待ちて今日も又怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を…
(お便り)焼け野原の中で食べることもままならなかったあのころこの歌が生きる支えになりました。
(お便り)東京で働いていた私はつらいとき「毬藻
(まりも)の歌」を歌ってふるさと釧路を思い出して頑張っていました。
(お便り)「憧れのハワイ航路」は父が大好きな曲です。
戦後はこの歌に励まされたと93歳になった今でもお風呂に入ると声高らかに歌っています。
≫華やかでした。
さて、北島さんが歌手になろうと上京したのが18歳のときですね。
≫当時流しをされていたそうですね。
≫食べなきゃならないものですから流しを丸6年やったんですが今の歌じゃないけれども春日さんの歌とか三橋さんの歌も歌ったんですが花売り娘もいたんですよ、当時は。
帰りにお花を買ってちょうだいっていうお嬢さんもいた。
かと思うと駅のガードのそばで靴を磨いている坊やもいた。
そんな時代ですもんね。
でも、流しをやっていてどちらかというとリクエストが多かったのは春日さんの歌、三橋さんの歌。
VTRあるかもしれませんので見てみましょうか。
お願いします。
♪〜≫懐かしいな。
夜、ずっとこれを歌ってずっと商売して歩きましたからね。
≫そうだったんですね。
では、北島さんが上京されたころの東京を舞台にした歌を2曲続けてお送りしましょう。
(お便り)去年、亡くなった祖母が大好きな歌でした。
いつも一緒に歌った、この歌を祖母にプレゼントしてあげたいです。
(お便り)関西から上京して数年後「東京だョおっ母さん」の歌詞のように母を東京見物させてあげることができました。
母は今90歳。
一緒に歌いたくてリクエストしました。
≫1960年代所得倍増計画高度経済成長の波に乗り日本は大きく発展。
東京は一千万都市になりました。
このころ庶民の娯楽の王様は映画。
小林旭さんは誰もが憧れる銀幕のトップスターとして大活躍。
≫「遠慮はいらねえよ。
どっからでもかかってきな」。
≫そしてウェスタンカーニバルで人気者になった平尾昌晃さんはシンガーソングライターのさきがけとして才能を発揮しました。
小林旭、平尾昌晃そして北島三郎こよい、お三方そろい踏みです。
≫このお二人に北島三郎さんこんなお三方が勢ぞろいするなんて私、感激です。
≫そう言われるとうれしいな、最高ですよ。
でも、本当になんか後ろの写真を見ていてもなんか、本当にあの当時は…。
≫このころ、本当にまーちゃんが格好よかったんですよ。
我々、日活の中では俺たちは青春スターでまだじゃりんこだ。
そのそばにいる若い女優さんたちが何かあっちゃ平尾さん、平尾さんってやきもちを焼いたね。
腹立ったね。
すてきだった。
格好よかった。
≫ギター弾いてテープは飛んでくる。
あの当時、ちょっと聞かせてよ。
≫ともかく熱狂的なファンがステージに上がってきて抱きついたりステージから引きずりおろしたり大変な騒ぎ。
あのころはロックとポップスが新鮮だったから若者たちが熱狂してね歌ったり、踊ったり大変、いい時代でしたね。
≫私は表をぶらぶらしながら流しやってましたけど。
≫モテて、モテて。
≫あなただってモテたでしょ。
≫いやいや…。
≫今はお仕事の都合上汚れてますけども。
≫汚らしくてごめんなさい。
≫写真を見たってご覧ください。
この二枚目。
≫これは昔の話だよ。
でも、ここにも1人お若くてすばらしい二枚目がいらっしゃるじゃないですか。
≫大体、俳優さんがだんだん歌うようになってきちゃった。
≫30年代の初めごろは歌謡映画というのが当たり前みたいな状態でね若手の俳優とか。
大先輩はいましたよ高田浩吉さんとか鶴田浩二さん大先輩。
そういう方たちがみんなやってる。
あとは春日さんや三橋さんなんかが歌われたヒット曲を俳優が演じるという。
≫馬に乗りながらギター抱えてさ、歌が…。
≫サブちゃんの歌の中でもある「ギター仁義」。
≫平尾さんもそうです。
小林さんもそうですが写真を見ていながら時代の流れを感じますな。
≫大昔の話ですけどね。
≫それじゃあ阿部さんどうですか?≫そろそろ歌のほうよろしいですか。
ビッグなお三方に歌っていただきましょう。
3曲続けて、どうぞ。
(お便り)小林旭さんは私の学生時代のヒーローです。
主演作は映画館ですべて見ました。
見たあとは旭さんになりきって帰りました。
≫皆さん、まあ僕の話を聞いて下さいちょうど僕が高校二年であの娘もミヨちゃんも高校二年の時でしたそんなわけで僕の初恋はみごと失敗に終わりましたこんな僕だから恋人なんていつのことやらでもせめて夢だけはいつまでも持ち続けたいんです≫じゃあ私も最初の「紅白」のときに歌った歌なんですが「ギター仁義」です。
≫小林旭さん、平尾昌晃さん北島三郎さんありがとうございました。
それではここでスペシャルゲストをお招きいたします。
北島さんと同じく戦後の芸能界を第一線で歩んでこられた、この方。
伊東四朗さんです。
≫こんばんは。
ご無沙汰しています。
≫ようこそおいでくださいました。
≫サブちゃんどうぞかけてください。
≫私は迎えているんですからどうぞ、かけてください。
≫よろしく、どうぞ。
≫伊東さんがてんぷくトリオを旗揚げされたときと北島三郎さんがデビューされた年が同じ昭和37年だったんですね。
≫それまで違う名前だったんだけどその年から、てんぷくトリオになったんですよ。
≫私はこの年から北島三郎になったんですよ。
≫節目の年ですね。
高度経済成長真っただ中の時代ですよね。
≫新宿の街で稼いでました。
同じようにやってたんですよね。
≫そのころはお二人はどんな暮らし向きだったんですか?≫私は、アパートで、6畳一間トイレがないやつですね。
お風呂ももちろんないんです。
主食はラーメンライス約70円。
それが高いのか安いのかは分かりませんけどね。
どうですか?同じような生活ですか?≫私は伊東さんよりはちょっと部屋は小さいんです。
3畳間なんです。
≫私より小さいところに住んでたの?やった!≫それで、本当にあのころはちょっと寒かったですな。
そんな思いをしながらいつかいつかと思いながら頑張ってきて、知り合ったのが借りたアパートの大家の娘さんだったんです。
それが、今の嫁さんよ。
≫まさか、3畳一間に夫婦がいたんですか?≫いやいや…。
そうじゃなくて一緒になったのはずっとあとなんですがだからほかのアパートを借りたら会ってないんですよ。
すいません、いつもお世話になっています。
≫お二人がデビューされて頑張っていたころお二人と親交のあったある歌手の歌が海を越えてアメリカで大ヒットするんですね。
坂本九さんの「上を向いて歩こう」。
≫坂本九さんとのおつきあいは?≫あの方の歌はなんだって言われたら、みんないろんな歌を言うかもしれないですけど私はやっぱり「上を向いて歩こう」だと思うんですよね。
聴きたいけど聴けないんですよね。
残念ながら。
≫人間的にも坂本さんはとてもいい人。
気持ちは明るくてそれで爽やかで、いつ会っても変わらなくて。
≫私、一緒に歌わせてもらったことがある。
英語の歌を、それも。
生バンドで「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を歌ったんですけどあんなに緊張してあがったことはない。
まさに「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」ですね。
≫うまい、うまい。
やっぱり私も、一緒に…。
もちろんテレビなんかはありますけど彼はスポーツマンというよりもリズム感がいいし最高でしたな。
まず、好きなのは人間的に大好き、本当に。
≫伊東さんから聴いてみたいというお話もありましたが。
≫聴けます?それでは伊東さんのリクエストにお応えして今夜は氷川きよしさんに歌っていただきます。
≫1961年の「上を向いて歩こう」をお聴きいただきました。
≫その3年後には東京オリンピック。
そして1970年には大阪万博が開催されて日本中が沸きました。
入場者の数も6400万人を超えてまさに経済大国となったことを象徴するイベントでしたよね。
≫日本人の半分ぐらいは見に行ったよね。
≫伊東さんはどんな思い出がおありですか?≫あそこで映画の撮影をしたんですが撮影禁止だったんですよ。
知らないで行っちゃったもんだから隠し撮りにしようというので遠くにカメラを置いてズームレンズで監督が帽子を2つ振ったら本番だからなって言われて。
そのときの私の格好が白の上下のスーツで赤いネクタイで目立つんですよ。
≫伊東さん、いけませんよ。
≫それで歩いている人が何しとん?って。
伊東四朗やろ?ふだんはえらい格好してるんやな。
そんなこといわれて。
撮影だからそっち行っててくださいって言った覚えがあります。
≫北島さんはどうですか?≫私はお仕事で行きました。
そして、太陽の塔も見ました。
行ったのはお仕事ですが見てみたかった。
そこにいっぱい外国から来ます。
そんなときに、ひょんなもんで職業意識といいますかここで日本の歌をしっかり歌って聴かせて日本の歌はこうだっていうのをそういうふうに力が入ったときがありますね。
≫志がずいぶん私と違いますよね。
隠し撮りしているのと。
≫それでは、万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」を細川たかしさんの歌でお届けいたします。
大阪万博の映像とともにお楽しみください。
どうぞ。
「世界の国からこんにちは」細川たかしさんでした。
≫この時代は、華やかさの反面学生運動が激しくなったり3億円事件のような大きな事件も起きたり世の中が混乱していた時代でもありました。
≫お二人は、この当時の世の中をどのように感じていらっしゃいました?≫世の中がにぎやかになってきているんだけどなんか、隣近所との間柄が希薄になりかけてきたかなという感じはしていましたね。
≫伊東さんのおっしゃることもすごくよく分かる気がします。
歌だってね、斜に構えたというかなんとなく、やけっぱちみたいなふて腐った感じのそういう歌詞とかメロディーがはやったような気がするんだよね。
≫そんな時代を象徴する歌手が藤圭子さんですね。
≫今夜は、藤圭子さんの懐かしい映像をご覧いただきます。
藤圭子さんの「圭子の夢は夜ひらく」に続いては梶芽衣子さん「怨
(うら)み節」熊本県の高野良江さんほか多くのリクエストをいただきました
梶芽衣子さん「怨み節」でした。
≫怖そうな歌ですけどあの方と夫婦をやらせていただいたので誤解のないように。
とても優しい、いい人です。
≫大阪万博をはじめとする国際化の波に乗って1970年代といいますと伊東さん、海外旅行に行く日本人が増えたという。
≫だって、昔は憧れのハワイ航路ですからね。
近くなりました。
≫海外なんて夢の夢ですからね。
≫このころ、音楽の世界でも海外の歌手が日本語で歌ってヒットするという現象が起きたんですね。
中でも大ヒットしたのがイスラエルの歌手ヘドバとダビデが歌った「ナオミの夢」でした。
ようこそ。
≫今夜はこの番組のために特別にヘドバさんにお越しいただきました。
よろしくお願いいたします。
≫こちらダビデさんですか?≫今夜は山内惠介さんと一緒に歌っていただきます。
≫よろしくお願いいたします。
≫日本で「ナオミの夢」が大ヒットしたときどんなお気持ちでした?≫ありがとうございます。
≫一番最初のところだけ分かりました。
サプライズって言ったのが。
≫最後もわかりました、僕。
サンキューって。
≫とても驚きました。
それ以来何回も日本に来てたくさんの曲を日本語で録音しました。
日本のファンの皆さん大好きです。
どうもありがとうございました。
≫では、山内さんも頑張ってください。
≫頑張ります。
≫伊東さんは、「ナオミの夢」を初めてお聴きになったときどんな印象でした?≫それはもう、サプライズですよ。
外国の人が日本語で歌うんですから。
≫では、今夜はスペシャルなユニットでお送りします。
ヘドバと惠介、「ナオミの夢」。
ヘドバさん、山内惠介さんありがとうございました。
≫そして、伊東四朗さん今夜は貴重なお話をありがとうございました。
≫とんでもないです。
≫伊東さん、帰りましょうか。
≫いいんですか、帰らせちゃって。
≫私は、戦争が終わったあとに生まれました。
戦争の悲しみから立ち直りこの国を建て直してきた親や先輩たちの姿を見て育ちました。
戦後70年を迎えた今これからの未来を担う若者たちが二度と悲惨な目に遭わないように。
もう一度、戦争についてどういうものか学び伝えていかなければいけないと思います。
私たちの世代はかつて平和を願う思いをこの歌に託して、歌っていました。
≫今から70年前太平洋戦争で住民を巻き込んだ激しい地上戦が行われた沖縄。
およそ20万もの尊い命が失われました。
≫かつて激しい戦場だった糸満市に広がる平和祈念公園。
敷地内に立ち並ぶ平和の礎。
そこには、沖縄戦で亡くなった20万以上の人々の名前が刻まれています。
石原絹子さん、77歳。
当時7歳だった絹子さんは両親、兄、3歳と1歳の妹の家族すべてを戦争で亡くしました。
≫昼夜を問わず落とされる爆弾。
容赦のない攻撃が続く中絹子さん家族は安全な場所を求めて逃げ惑っていました。
3歳の妹の手を引いて無我夢中で走っていた絹子さん。
≫その後、1歳の妹も亡くなりぼう然とする絹子さんにさらに過酷な現実が追い打ちをかけます。
≫絹子さんが妹たちを亡くしたのは摩文仁の丘と呼ばれる場所でした。
現在は、その一帯に平和の礎が並んでいます。
戸籍簿は焼けてしまったため戦後、戸籍が作り直された際そこには、妹2人の名前がありませんでした。
2人が生きていた証しを残したい。
その思いで絹子さんは平和の礎に妹たちの名前を刻みました。
≫石原絹子さんありがとうございました。
二度と悲しい過ちを繰り返さないように。
平和への願いを込めて。
≫申し訳ありません。
沖縄と中継がつながっていますね。
平和祈念公園に石原絹子さんがいらっしゃいます。
≫絹子さん、ごめんなさいね。
≫いえ、大丈夫ですよ。
≫今日は糸満市にある平和祈念公園に石原絹子さんにお越しいただいています。
戦後70年たった今どんな思いでいらっしゃいますか?≫戦争の悲惨さとそして戦争が引き起こした過ちを私は戦争を知らない次の世代の人たちに語り継いでいきたいと思っております。
語り継いだことが広く人々に知られますように。
また、平和を築くために一人一人の心の中に平和の砦を築いていっていただきたいと思っております。
≫ありがとうございました。
夏川りみさん、石原絹子さんありがとうございました。
こんばんは。
それではニュースをお伝えします。
東京板橋区の住宅で、90代から80代の高齢の姉妹3人が死亡しているのが見つかりました。
3人は、亡くなったあと数日が経過していて警視庁によりますといずれも熱中症の疑いがあるということです。
亡くなったのは東京板橋区の住宅に住む藏津直子さんと妹の湯浅登喜さん、同じく妹の坂本登茂さんの姉妹3人です。
きょう午前、死亡しているのが見つかりました。
警視庁によりますと3人は、亡くなったあと3日から4日経過しているということです。
いずれも夫を亡くし10年ほど前から一緒に暮らしていたということです。
警視庁によりますと住宅にクーラーはありましたが当時は使われておらず、警察官が室温を測ったところ30度を超えていたということです。
警視庁はいずれも熱中症の疑いがあるということで詳しい状況を調べています。
西日本を中心に、きょうも猛暑日になりました。
福岡県久留米市では、日中気温が38度5分まで上がりました。
このほか最高気温は大分県日田市で39度、山口市で37度などと各地で猛烈な暑さになりました。
NHKが午後8時現在でまとめたところ、熱中症とみられる症状で全国で少なくとも868人が病院に運ばれ、3人が死亡し、3人が意識不明の重体となっています。
気象庁によりますと、西日本や東日本などでは、あすの明け方にかけて気温が25度を下回らない熱帯夜が予想され、あすの日中も京都市や佐賀市で37度など猛烈な暑さが予想されています。
こまめに水分をとるなど引き続き熱中症に十分な注意が必要です。
東京調布市の住宅街に小型機が墜落した事故から、あすで2週間です。
現場検証が進んだことから、きょう周辺の規制線が取り除かれ、訪れた人が犠牲者に花を手向けていました。
先月26日、東京調布市の住宅街に小型機が墜落し、住宅にいた鈴木希望さんが巻き添えになって死亡しました。
また、小型機に乗っていた2人も死亡しました。
警視庁は事故の翌日から現場検証をしていますが小型機のエンジンを回収するなど一定のめどがついたことからきょう午後、周辺に張られていた規制線が取り除かれました。
事故から、あすで2週間。
現場には犠牲者の知り合いなどが訪れ、鈴木さんの小学校時代の担任だったという女性も花を手向けて祈りをささげていました。
調布市内の寺では、鈴木さんの通夜が営まれました。
警視庁は小型機が機体のトラブルなどで離陸後すぐに失速して墜落した可能性があるとみて専門家とともにエンジンを調べるなど捜査を進めています。
75人が犠牲になった広島市の土砂災害からまもなく1年となるのを前に被災地では犠牲者を追悼するとともに災害の記憶を語り継ごうと慰霊碑が作られ、きょう大勢の遺族が参列して慰霊祭が行われました。
去年8月20日、広島市で大規模な土砂災害が起きてこれまでに75人が死亡しました。
きょうの慰霊祭では、まず慰霊碑を覆った幕が取り除かれ、遺族や被災者など、参列したおよそ280人が1分間黙とうをささげました。
慰霊碑は、地元の自主防災会が当時、避難所となっていた小学校に作ったもので犠牲になった安佐南区八木地区と緑井地区の65人の名前が刻まれています。
参列した人は菊の花をささげ、犠牲者を悼みました。
山谷拉致問題担当大臣は、津市で開かれた北朝鮮による拉致問題を考える集会であいさつし、おとといの日朝外相会談の結果、北朝鮮政府内で新たな動きが生じるか見極めながら拉致問題の早期解決に向けて北朝鮮への働きかけを強めていく考えを示しました。
北朝鮮による拉致問題を巡っては、おととい、岸田外務大臣が訪問先のマレーシアで北朝鮮のリ・スヨン外相と会談し、拉致被害者らの調査結果の速やかな報告を求める日本の立場をキム・ジョンウン第1書記に直接伝えるよう求め、リ外相は日朝間の合意に基づき調査を誠実に履行していると述べました。
山谷拉致問題担当大臣はこのように述べ、外相会談の結果、北朝鮮政府内で新たな動きが生じるか見極めながら拉致問題の早期解決に向けて北朝鮮への働きかけを強めていく考えを示しました。
夏の全国高校野球は大会3日目。
第4試合は、きょう3試合目の延長戦となりました。
下関商業は同点の3回、4番坂口。
ランナーを1人置いて勝ち越しのタイムリースリーベースヒット。
この回さらに1点を加え3対1とリードを広げます。
しかし白樺学園は8回、4番の加藤。
試合は延長戦に入ります。
延長11回、下関商業は、8番のピッチャー森元。
ツーアウト二塁の場面。
打ってやるぞと気持ちの籠もった一振りはサヨナラヒット。
下関商業、20年ぶりの初戦突破です。
きょうは第2試合と第3試合も延長戦で春夏連覇をねらう敦賀気比と初出場の大阪偕星学園がそれぞれ2回戦に進みました。
では全国のあすの天気です。
台風14号の影響で小笠原諸島は明け方にかけて非常に激しい雨が降るでしょう。
沖縄から北海道は晴れますが、山沿いを中心に雷雨の所があるでしょう。
太平洋側の沿岸は高波に注意が必要です。
生字幕放送でお伝えします≫高田みづえさんです。
31年ぶりにNHKのステージに帰ってきてくださいました。
≫高田みづえさん「硝子坂」でした。
≫31年ぶり?昨日まで一緒にやってたような気がして。
親方、元気かな。
≫元気です。
≫ちっとも変わっていないね。
≫ようこそおいでくださいました。
高田みづえさんがこのNHKホールでお歌いになるのが昭和59年の「紅白歌合戦」以来ですから31年ぶりということで。
高田さん久々のステージでお歌いになったお気持ちはいかがですか?≫もう、緊張でどうにかなりそうです…。
≫芸能界を引退後は結婚されて相撲部屋のおかみさんとなった高田さんですけども今回の復帰に関して親方は何かおっしゃっていますか?≫とても喜んでくれていて今朝もお相撲さんたちがおかみさん、頑張ってねって送ってくれました。
≫では、高田みづえさんにはもう1曲歌っていただきます。
≫デビュー曲「硝子坂」に続いてはあの大ヒット曲。
高田みづえさんありがとうございました。
≫久々の歌声ですね。
≫本当に変わってないもんね。
≫若々しい歌声でしたよね。
≫歌もちっとも変わっていない。
すばらしい。
≫戦後70年そして放送90年にあたる今年の「思い出のメロディー」。
後半はテレビ、ラジオを通して愛された名曲の数々をお送りいたします。
テレビから生まれたビッグスターも登場するんですよね。
≫ビッグといえば次に登場する田原俊彦さんもビッグという言葉がぴったりですよね、北島さん。
≫ぴったしなんてもんじゃないね。
トシちゃんが出てくるときゃーってしゃべる声がぜんぜん聞こえない。
もう何を言っているか分からない。
たのきんトリオ。
トシちゃん、マッチサブちゃん。
≫あれ?なんかちょっと違うような。
≫ちょっと違いましたか?失礼しました。
それじゃあ、トシちゃん!≫今日も会場からキャーという声が聞こえてますよ。
それじゃ、その声をもらってトシちゃんヒットメドレー、いってみよう!≫カモン!皆さん、こんばんは。
元気ですか?連日の猛暑で本当、とんでもないことになってますけどぜひとも皆さんお体、ご自愛ください。
そして後半戦夏も、ハッピーに元気にいきましょう!「思い出のメロディー」。
カモン!≫田原俊彦さんビッグヒットメドレーでした。
≫ハッピー!≫盛り上がりましたね。
≫盛り上がるね、やっぱり。
変わらないね、彼は。
とってもいい雰囲気で。
ありがとうございました。
≫お待たせしました。
続いてこの方の登場です。
≫1つ申しておく。
おのおの、己の分をわきまえよ。
≫現在、放送中の大河ドラマ「花燃ゆ」。
今、物語の舞台は長州毛利家のいわゆる大奥。
松坂慶子さんはその頂点に立つ女帝長州藩主の正室都美姫を熱演されています。
北島さん、松坂さんの衣装いかがですか?≫今、ちょっとチラッと見ただけでガラッと変わっちゃって。
なんかドキドキしているのよ、俺…。
≫松坂さん、このあと歌っていただけるんですよね。
≫ドキドキです。
≫ドラマといえばこれから歌っていただきます松坂慶子さんの曲もご自身が主演されたドラマから生まれたんですよね。
≫ドラマの中で聴く松坂さんの歌ってまたなんとなく色っぽいというかなつやっぽいというかいいのね。
≫北島さん、鼻血出さないようにしてくださいね。
≫出そうだ…。
≫では歌っていただきましょう。
(お便り)歌とともに松坂慶子さんのセクシーな姿に毎週テレビの前にくぎづけでした。
松坂慶子さん「愛の水中花」でした。
≫阿部さん、ちょっとここをたたいて、後ろ。
出そうなんだ、鼻血。
≫魅力的ですてきでしたよね。
さまざまな出来事を伝えてきた放送は今年で90年を迎えました。
ラジオからスタートした放送はテレビの時代になってやがてお茶の間に欠かせない存在になりましたよね。
≫テレビの主役にしちゃったのはテレビを茶の間に主役にしたのはこの方。
ちょっと呼んでみましょうか。
欽ちゃん。
≫萩本欽一さんです。
≫皆さん、こんばんは。
萩本欽一です。
≫どうぞおかけください。
≫久しぶり。
≫元気でよかった。
≫もうちょっと私後ろに下がりたいですね。
私にとって北島三郎さんってどういう方だか皆さん、ご存じ?コント55って知ってますよね。
コンビを組んだときに55号にこの道をまっすぐ行ったらその先に有名があるよという道をくれた人。
≫そういう間柄なんですね。
萩本さんといいますとその後、視聴率100%男と呼ばれるぐらいの方で。
番組をヒットさせる秘けつというのはどういう?≫秘けつとかじゃないですよ。
昔、テレビって小さく、あまり動いちゃいけないとかここから出ちゃだめとかありましたよね。
こっちは出て行っちゃだめって若いときに飛び出したいとき出て行っちゃだめあっちだめ、こっちだめって言うんでそれでも飛び出したくてどうしてそうなるのと上へ飛んだのよ。
≫そういういろんな試行錯誤があって。
≫本当に、歌い手も欽ちゃんの番組に出させてもらってヒットにつながった歌手もいっぱいいるんですよ。
≫昭和46年の「スター誕生!」ですよね、中でも。
大切なエピソードがおありだそうですね。
≫一番最初にスターになった森昌子さん。
昌子ちゃんが出たのが15のとき。
僕、司会だったのでちょっとしたインタビューがあったの。
ふっと出てきたときに頭がなんかちょっと…。
だったもんですからふっと見たまま言っちゃったの。
どうしたの?そのタワシみたいな頭って。
そしたらそうやってみんなが笑うじゃない。
そうやったら昌子ちゃんも笑えばいいじゃない。
それで知らん顔。
無視されて、それでね帰りになって家に帰るときに笑いっていうのはなんでも言えばいいんじゃないおかしければいいんじゃない。
やっぱり、場所とか、人とか考えていわなきゃだめよと。
肝に銘じて。
私の心の中では昌子ちゃんは師匠。
≫珍しいね。
≫ですから、昌子ちゃん?先生に失礼でしょ。
≫「せんせい」っていう歌を歌っているもんですからね。
昌子さん、いるの?≫あら、本当に…。
先生、お久しぶりで…。
≫これから森昌子さんに歌っていただきますがぜひ萩本さんから曲の紹介をお願いしたいんですが。
≫私が司会を?
私と出会って44年前歌のうまい瞳のくりっとした少女でしたその少女は、やがてスターへの階段を駆け上がり大人の心を歌える歌手へと成長しました
発売から1年渥美さんの地道な努力が実を結び有線放送のリクエストによって爆発的な売り上げを記録しました
ここNHKホールから放送されていた人気番組「レッツゴーヤング」その司会といえば石川ひとみさん曲はもちろん「まちぶせ」
聴く人の胸を打つラブソングの名曲ですもともとはチョコレートのCMソングでしたとろけるような愛の世界をダイナミックな歌声で歌い上げる松崎しげるさん
松崎しげるさんありがとうございました。
≫ひと言あるでしょ、私に。
≫何もありません、もう。
本当に今すごい勢いで歌ってましたね。
≫昌子先生にどう言ったらいいでしょうね?≫後ほど、打ち合わせをさせていただきたいと…。
≫あのあとは私が言いますから。
「哀
(かな)しみ」だけでいいんです。
「本線日本海」は私が言いますから。
≫萩本さんにとって憧れの人は松坂さんとうかがっていますが今日お会いになっていかがですか?≫頭の中が混乱しているものですから…。
≫魅力的な女性といいますと美しい歌声で80年代に世の男性をとりこにした歌手がいました。
それがこの方テレサ・テンさんです。
北島さん、テレサさんの歌声の魅力ってどこでしょう。
≫やっぱりお国が違えといえばそれまでなんだけど彼女の歌にはソフトというか、日本人とちょっと違ったなんともいえない伝わってくるものがありますな。
すばらしいですよ。
≫萩本さん、いかがですか?≫テレサ・テンさんといいますと作ったのが、三木たかしさん。
三木たかしさんとすごくお友達のようにしてくれていたの。
ですからこの歌を聴くと三木さんに会うような気がする。
今日も、また三木さんに会えそうです。
テレサさん、ありがとうね。
≫テレサ・テンさんが亡くなって今年で20年です。
昭和61年にヒットしたテレサさんの歌を懐かしい映像でお届けしましょう。
≫いいな。
何度聴いてもいい。
≫まさに名曲は時代を越えるんですね。
≫今日ゲストの萩本さんがお茶の間を席巻していた80年代は女性の時代とも言われましたよね。
≫ちょっとお聞きしたいんですけど欽ちゃんお母さんの役をよくやって皆さんを喜ばせてくれた。
≫確かお母さんの役ではがきを読んでいましたよ。
母と子の会話というんで。
あの時代ね、たくさんくるはがきがねお母さんがみんな家の中心で私の好きな作品なんですよ。
お母ちゃん、毎日おかずが梅干しばっかりじゃないか!って言ったら、お母さんが同じというけど私、梅干しの位置変えてるんだけど。
こういうふうに堂々としている。
子どもたちがもうそろそろ亭主関白の時代が終わりじゃないの。
そう言っているような。
≫本当に、懐かしいね。
≫では、そんな1980年代後半恋に生きる女心を描いた名曲を2曲、お届けしましょう。
(お便り)「恋におちて」は母が大好きでいつも歌っていました。
幼心に父以外に好きな人がいるのかと内心、ドキドキしていました。
(お便り)この曲を聴くと仲間と一緒に仕事も遊びもがむしゃらに頑張っていたころを思い出します。
≫小林明子さん、そして荻野目洋子さんでした。
ありがとうございました。
≫萩本さんありがとうございました。
さっきの、歌のあとはちゃんと昌子ちゃんに…。
≫よろしくね。
じゃあ、失礼しますけど北島さんにひと言、質問があるんですけど年をとって一番大事なことはなんですか?≫よく終わりっていうと終わっちゃうんですけど終わりから始まりなんですね。
≫終わりから始まり。
≫終わったと同時にまた始まりなんです。
≫その言葉をいただいて帰ります。
ありがとうございました。
≫スペシャルゲスト萩本欽一さんでした。
≫ありがとうございました。
さて、時は昭和から平成へ。
この大きな時代の節目に昭和を代表する2つの大きな星が消え去りました。
≫美空ひばりさんそして、石原裕次郎さんです。
≫ひばりさんの思い出っていっても限りなくありますな。
ただ1つこの思い出はこちらが浮きましてとても大事なことを学んだような気がします。
というのは、歌い手もプロの世界。
スポーツもプロの世界。
だからプロでもプロの中のプロでいなければだめだよと言葉じゃなくじかに見せてもらった。
一緒に歌って最後に、「紅白」で歌って一番、俺も最後だった。
そのときの最後が大トリでひばりさん。
私も、それなりに一生懸命歌ったんですけど歌い終わってからひばりさんを迎えて歌ったあと、あれ?今まで歌った歌手は歌い手は俺なんかどこか吹っ飛んじゃったなって残ったのはひばりさんの歌と映像が。
ひばりさんの姿がそのまま。
これぞプロの中のプロなんだなと感じてやっぱり意識しましたね。
≫裕次郎さんとの思い出は?≫裕次郎さんは、なんべんもお会いしているんですけどなんだって足の長いのがとても…。
私、そんなに短いほうじゃないんですがでも、やっぱりかなわなかったですね。
あの人、俳優でありながらソフトな歌声がまた、すばらしいですな。
≫では、2人の昭和を代表する大スターの歌をお届けいたしましょう。
滋賀県坂田恭子さん、60歳ほかたくさんの方からリクエストいただきました今夜は天童よしみさんに歌っていただきます
(お便り)裕次郎さんは私の青春です。
楽しい日も、つらく悲しい日もいつの日も裕次郎さんの歌が私のそばにありました。
裕ちゃんの一番大好きな曲をリクエストします。
≫五木ひろしさんありがとうございました。
≫「第47回思い出のメロディー」もいよいよ大詰めを迎えました。
≫阿部ちゃん、これ。
≫すてき。
≫俺、さっきまでしゃべってばかりいたでしょ?≫今日、司会ということで。
≫俺、歌手ですよ。
お願いだから俺にもちょっと…。
歌っていい?歌わせてください。
≫リクエストしてもいいですか。
≫それ今、聞こうかなと思って…。
もし、松坂さんが俺にリクエストするならどんな歌かなってちょっとドキドキしてきた。
何を聴きたいですか?≫「帰ろかな」を聴かせていただけますか?≫なんといい歌を!ありがとうございます。
≫戦後、時代を彩った名曲の数々は聴く人の心を魔法のようにあのころへといざなってくれる宝物です。
「戦後70年喜びも悲しみも歌とともに」。
北島三郎さん、「帰ろかな」。
≫「帰ろかな」北島三郎さんの熱唱でした。
≫ありがとうございました。
≫「第47回思い出のメロディー」。
いよいよ、最後の1曲になりました。
≫松坂さん今日はいかがでしたか?≫歌は時代を越える。
そして私たちの心に宿る。
そんな思いを強くしたひとときでした。
≫そして、思い出の名曲の数々。
皆さんすばらしい歌声でしたよね北島さん。
≫みんな力が入ってすごい今日は迫力があったこれはお客さんが最高なんですよ。
本当にありがとうございます。
なんか、変な、つたない司会でごめんなさい。
≫それでは、生放送でお送りしてまいりました「第47回思い出のメロディー」。
締めくくり総合司会の北島三郎さん曲紹介をお願いいたします。
≫それでは皆さんとご一緒に「青い山脈」だ、いこう!「第47回思い出のメロディー」をお伝えしました2015/08/08(土) 19:30〜22:00
NHK総合1・神戸
第47回 思い出のメロディー「戦後70年 喜びも悲しみも歌とともに」[字]

「第47回思い出のメロディー〜戦後70年 喜びも悲しみも歌とともに」総合司会:北島三郎 司会:松坂慶子 出演:五木ひろし、小林旭、田原俊彦、高田みづえ ほか

詳細情報
番組内容
今年で47回目をむかえる夏恒例の大型音楽番組「思い出のメロディー」。戦後70年を迎える今年は、終戦から今日まで我々を励ましてきた名曲の数々をおくる。総合司会は北島三郎。司会は松坂慶子。高田みづえ30年ぶりの復活ステージ!10年ぶり出演の田原俊彦はヒットメドレーを。ヘドバと山内惠介による一夜限りのコラボ「ナオミの夢」。夏川りみは沖縄から生中継。松坂慶子は歌手としても「愛の水中花」を披露する。
出演者
【司会】北島三郎,松坂慶子,阿部渉,【出演】渥美二郎,安藤まり子,石川さゆり,石川ひとみ,五木ひろし,荻野目洋子,梶芽衣子,小林明子,小林旭,島津亜矢,初代コロムビアローズ,ジローズ,高田みづえほか

ジャンル :
音楽 – 歌謡曲・演歌
音楽 – ライブ・コンサート
音楽 – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:32531(0x7F13)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: