久永隆一、田中孝文 山西厚
2015年8月15日16時08分
15日にあった政府主催の全国戦没者追悼式には、遺族が様々な思いを胸に参列した。次世代へどう伝えるのか、という課題とも向き合っている。
最年少の参列者は、沖縄県嘉手納町の宮城天音(あまね)ちゃん(3)。陸軍伍長だった曽祖父の篤清(とくせい)さんは1945年6月に沖縄戦で亡くなった。当時28歳だった。
追悼式には祖父の篤正(とくまさ)さん(74)や父の篤志さん(41)ら家族3世代で来た。篤正さんは長男の篤志さんが中学生のころ、沖縄の遺骨収容作業に参加させた。異様な空気が漂う洞窟の地中を掘ると、人骨や手投げ弾が出てきた。戦争を肌で感じたという篤志さんは「行かないと分からないことがある。いつか、自分の子どもたちにも行ってもらいたい」と話す。
天音ちゃんは「戦争」という言葉にまだピンと来ていない様子だという。追悼式を前に、篤志さんは「この子たちが親の世代になった時にも戦争を伝えていってほしい」と語った。
最高齢の参列者は、先月100歳になった京都市東山区の松岡せいさん。44年6月、夫の正二(まさじ)さんはビルマ(現・ミャンマー)で戦死した。享年31。終戦後、復員した正二さんの部下から渡された竹製の箱には小指の骨だけが入っていた。
自らも従軍看護婦として、37年から2年間、中国にいた。「父さん、母さんが日本で待ってるよ」と励ましながら体をさすり、兵士を何人もみとった。「戦争はダメです。国民が苦しむだけです。政治をとる人はよく考えてほしい」
残り:1051文字/本文:1680文字
おすすめコンテンツ
PR比べてお得!