戦後七十年です。しかし歴史の歯車はまるで逆に回りだしたかのようです。私たちはどう考え、どう生きたらいいのか。三つの提言をしてみましょう。
 
 三つの提言というのは実は戦後五十年の社説も掲げていました。題は「僕たちはこう生きる」。
 
 その三つの第一は、日本の進路はあくまで平和の追求ということでした。
 
 冷戦後の世界は大国の重しがとれたが混迷を深めた。その中で日本は戦後の平和貢献をさらに広めようという提案です。平和追求はもちろん今も変わりません。私たちはそう言い続けてきました。
 
◆冷戦には勝てたが…
 日本は憲法を守って海外へ自衛隊を派遣しても武器使用のないような方策をとってきました。他国の軍隊とは違いますが、それが日本のやり方です。
 
 かつて国際政治学者の高坂正堯氏は、国家とは力・利益・価値の体系であると記しました(「国際政治」)。力とは安全保障、利益とは国家間の利害、価値とはその国の正義、何を正当とするか、ということです。
 
 アメリカは三つともでソ連に勝った。しかし今はイラクやアフガニスタンへ仕掛けた戦争で苦しんでいる。かのイスラムの地ではアメリカの民主主義は通用しなかった。価値が違ったのです。
 
 それでは勝ち負けよりも、対立を減らし、流血を減らすにはどうしたらいいか。答えは容易ではありません。
 
 日本は敗戦・非武装という特殊条件を出発点として平和主義を貫いてきました。日米安保に守られつつではありますが、攻める武力より人を守る支援を大切にしてきたのです。
 
 戦後七十年の提言の第一には、やはり平和主義を唱えます。その深化と普及を求めます。
 
◆国家暴走抑えるには
 戦後五十年社説の第二の提言は何と日本人改造論でした。
 
 「寄らば大樹」の日本人では気づかぬうちに再び無謀な戦争へと突入しかねない、だから改造を、というのです。
 
 では今の日本人はどうでしょうか。政府のいうことを唯々諾々と聞いているか。それとも熱狂しているか、反論しているか…。
 
 改造の必要などもはやないのかもしれません。安保法制や原発再稼働の是非をめぐって、賛否は分かれ、行動もあります。一人ひとりがよく考えているのです。
 
 二つめの提言としては、私たちが政治参加の意識をより強くすることといいたい。いうまでもなく政治と国民は一体です。
 
 三つめは、戦後五十年社説は戦中の新聞の反省も踏まえ、国家の暴走を抑えるシステムの構築を唱えていましたが、それはいつの時代でも同じです。
 
 権力とは、暴走するものなのです。止める方法はないのかもしれない。民主主義の最も発達したといわれるアメリカ議会は、のちに泥沼となるアフガン戦争を圧倒的多数で支持しました。世論も沸騰していました。
 
 しかし下院ではただ一人、カリフォルニア州選出のバーバラ・リー議員が反対しました。四二〇対一。リーさんの投票を支えたのはベトナム戦争以来の地元の反戦運動、平和主義です。武力は再びテロを招くと言い切りました。
 
 国家が暴走するのなら、止めるのは国民しかいません。
 
 先の国際政治学者高坂氏は正義のぶつかり合う紛争の原因除去はむずかしいと記したあと、こんな話を紹介しています。
 
 対ソ封じ込め政策を提案した米外交官ジョージ・ケナンはロシアの作家チェーホフの短編「往診中の一事件」が好きだった。主人公の医師は不治の神経症的心臓病の娘さんを診て、わが力の限界を知るが、求めに応じて泊まり、彼女にこう話す。
 
 <あなたの不眠症は尊敬すべき不眠症です。私たちの両親は、夜は別に話もせずぐっすりと眠ったものです。ところが私たちの世代はろくに眠ることもできず、煩悶(はんもん)し、おしゃべりし、たえず自分たちが正しいか正しくないか決めようとしている。子や孫の時代になったら…この問題は解決がついているでしょう>
 
◆人類の不治の病でも
 この場合、病は衝突の種、両親は前の戦争世代、娘さんたちの世代は悩み、しかし対話するといったところでしょうか。戦争は人類の不治の病かもしれないが、治す努力は続けねばならぬというのです。ケナンには、戦争よりも封じ込めだったのです。
 
 二十一世紀の私たちはどう生きるべきか。平和主義を自信をもって続け、希望を捨てずに前へ進むべきだと提言しましょう。
 
 
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