しばらく前の話ですが、作家・コラムニストの勝部元気さんがツイッターで「ドッジボールは暴力的なので学校でやらせるのを早く禁止すべき」と呟いた件で、大炎上し、ドッジボールを禁止するかどうかという議論が盛り上がっておりました。

 さて、ところで、このドッジボールは暴力的なので学校スポーツには向かない、いじめの温床になるからやめるべきだ、という議論、日本だけの話ではありません。

 私は学部の一部と大学院をアメリカで過ごし、その後は、イタリアで国連専門機関に勤務したり、イギリスで働いたりしているので、日本と欧州と行き来する生活を送っています。ドッジボールはアメリカでは盛んですが、欧州では、競歩とか水球とかダーツよりも知名度が150倍ぐらい低い感じのスポーツです。

 アメリカの俗語では、ドッジボールはwar ball(戦争玉) Bombardment(爆撃) murderball,(殺人玉)killerball(殺害玉)poisonball(毒玉)と呼ばれています。

 こういうネーミングからわかるように、アメリカでは、ドッジボールというのは、極めてアグレッシブかつエキサイティングなスポーツの一つで、長年、小学校や中学校の体育や、レク活動で人気のある運動でした。

 ところが、アメリカでは、なんと1986年から、ドッジボールが学校体育における議論になっています。日本との違いは、その議論が、一般人の意見の交換や、単なる感情的な言い合いだったのではなく、専門家による研究であった点です。スポーツだけではなく、科学的裏つけや数値データによる証拠を元に、政策を立案したり、教育カリキュラムを考えるという、大変アメリカ的な考え方が議論の出発点になっています。

 アメリカの議論を見てみると、学校体育で何か問題があると、教育的な価値観や意味など、感情的な議論だけで終始してしまったり、根性論に行き着きがちな日本の議論というのが、いかに野蛮で原始的なものであるかが、よくわかります。根性論だけで太平洋戦争を勝ち抜こうとし、自国の兵士の多くを餓死においやった、日本の無能な意思決定者達も、科学的根拠やデータを無視していましたが、現在の日本でも、その根本は全く変わっていないのです。

 ところで議論きっかけの一つは、学術論文誌であるJournal of Physical Education, Recreation & Danceに掲載された 「Premeditated Murder Let's “Bump-off” Killer Ball」(計画的殺人:殺人玉をやめよう)という論文です。
http://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.1080/07303084.1986.10604342#.VZW792C8Qqg

 この論文では、ドッジボールの教育的効果が疑問視され、このようなス ポーツは排除するべきだと述べられています。

1992年には、イースタンコネチカット大学のNeil Williams教授による、「The Physical Education Hall of Shame」(体育の恥の殿堂)
http://home.comcast.net/~physedteacher/QualityPE/HallofShame1.pdf

という報告書が発表されました。この報告書は大きな話題となり、Williams教授はテレビのニュース番組に出演し、ドッジボールの問題点を訴えます。ネットではドッジボールに関する議論が盛り上がります。

 2001年には、Journal of Physical Education, Recreation & Danceに、「In Issues: Is there a place for dodgeball in physical education」という記事が掲載されます。
http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/07303084.2001.10605732?journalCode=ujrd20#.VZW-B2C8Qqg

 この記事ではドッジボールは、教育的観点からあまり得るものがないので、体育としてやるのはどうか?というドッジボールの問題点が、デラウェア州立大学や、サンディエゴ州立大学の研究者により指摘されています。大変アメリカらしいのが、ドッジボールの教育的観点が、身体的教育だけではなく、社会学的な観点からも考察されている点です。

「同じような能力や体力の生徒で構成されたグループでやらないと、教育的効果がない」
「ボールが一つしかないので、参加できる生徒が限られている」
「ボールを投げる、ぶつける、取るという、単純なスキルしか要求されないので、訓練や練習で技能が向上するわけでもなく、学びも多くはない。生徒のもともとの体力に左右される」
「社会的なスティグマの問題もある。ドッジボールでは少数のオタク(Nerd)がマッチョな生徒の標的となり、ゲームの早期にボールをぶつけられることで、早々にゲームから除外され、コートの外から見ていなければならない。クラス全体からの辱めを受ける」
「勝者は少数であり、多くは敗者となる」
「生徒にゼロサムゲーム(勝つか負けるか)、低い関与、疎外、男女混合教育の不平等、高い怪我の可能性などを体験させたいのか?」

 このような議論を受けて、メイン州、フロリダ州、メリーランド州などでは、2000年前後に、ドッジボールを小学校でやることを推奨しない、もしくは禁止する学校がでてきました。テキサス州のオースティン市のオースティン独立学校地区(The Austin Independent School District)では、1999年からドッジボールが禁止されています。この禁止は公式なもので、ドッジボールが地区や自治体の規模で、公式に禁止されるのは、アメリカで初めての試みでした。

 ここでカリキュラム専門家として働くDiane Farrさんは、ニューヨークタイムズのインタビューに対して「ドッジボールは現代の学校でやるべきものではないですね、特に今日の社会では。コロンバイン高校の件(銃撃事件)や、様々な暴力が存在しますから、子供たちには何を教えるか、十分な注意が必要です」と答えています。Farrさんは、インタビュー中で、1999年4月にコロラドのリトルトンで発生し、12人の生徒犠牲になった無差別銃撃事件も引き合いに出しています。
http://www.nytimes.com/2001/05/06/us/increasingly-schools-move-to-restrict-dodgeball.html

 メリーランドはワシントンDCに近く、リベラルな人が多いので、なんとなくわからなくもないのですが、テキサス州でも禁止というのが驚きです。私は学部時代にテキサスに留学していたのですが、ここは、銃をスーパーで売っている様な州で、女性は真っ赤な口紅の厚化粧、中絶反対派が医者を射殺するみたいな保守的なところなので、マッチョこそよし、という価値観があるところなのです。

 しかし、そういうマッチョで銃が簡単に手に入る土地だからこそ、ドッジボールの禁止が真剣に議論されたのです。

 アメリカで2000年前後に発生した、学生による銃を使った大量殺人事件は、スクールカーストによるイジメが原因の一つであったともいわれています。

 運動が下手くそで、見た目が地味で、友達も少なく、運動会やフットボールでスターになることが絶対になく、ドッジボールでは一番先にボールをぶつけられて、クラス全員から「のろま」「邪魔だよ」「なんで取れないの?」といわれてきた子供達は、運動ができないが為に、早々に仲間はずれにされ、マッチョで単細胞な男子に真っ先に標的にされ、ボールを避けたり取ったりできないというだけで、無能扱いされて、寂しい思いをするのです。

 運動ができることがスクールカーストの上位にくる世界では、パソコンを組み立てるノウハウやアメコミについて語る知識は無視されます。ドッジボールでは、ボールを投げたりぶつけられるのが「楽しい」と感じることがないウスノロは、人間失格で、クラスメイトの誕生会にも呼ばれないし、遠足では、一人でお弁当を食べ、休み時間には、クラスの隅っこで、本を読んで、友達がいないことをごまかす他ないのです。

 いつも仲間はずれの生徒は、スーパーで売っている銃を目にします。それを本当に手に取ってしまうのはごく少数ですが、アメリカでは、本当にぶっ放してしまった生徒がいたのです。

 ドッジボールのコートの隅っこで、「どうしてボールが来ると体が動かないんだろう」と悩んでいた肥満度41%の小学生だった自分には、ドッジボールを禁止しようと真剣に議論する学者が、なぜそんなに真剣なのかが、よくわかるのです。

 テキサスでは、ライフルの弾丸が週末になるとスーパーで特売になっていて、同級生の多くは、車の中にハンドガンを隠し持っているのが当たり前でしたから。