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2015年8月15日

2015年8月15日 (土)

そういえば、高畑勲に対して、誰かのことを悪く言ったら怒られた経験あるなあ。あ、徳間康快か。

誰やったかなあ?

と考えて、徳間康快と思い出しました。


徳間康快はジブリを作ってくれたけれども、プロデューサーとしてはなんか違うと私は思ってきました。

然るに、宮崎駿も、「コクリコ坂から」で徳間康快マンセーしてしまいました。


「心配するな、カネは銀行にいくらでもある」
というのは名言で、私も借金してまで経験を積んだわけです。

が、徳間康快が自ら高畑・宮崎の才能を見い出したわけではないと考えますし、カネを出してくれたからと言っても、もっと細やかな気配りができたと思うのです。


私の目からは、徳間康快も物足りませんでした。

AKBは人間の行動原理さえをも恣意的に曲解してきた

来週末にナゴヤドームで無料ライブすると、名古屋の地下鉄の広告にまで掲示しているようです。

しかし、AKBってめちゃくちゃ有名だったがために、いまさら宣伝されたからって、じゃあいこうかというヒトなどどこにもいないことを、AKS・キングレコードらは少しは理解すべきです。


人間はもともと物々交換をしていました。

このモノと等価と考えるモノを交換していたのです。


それを前提にすると、AKBの握手に1回1,000円で行きたい人間が、一時期わんさか出てきていました。
AKBはそのような人間に支えられていました。

当然、世の中の大部分は、1回1,000円で握手するのはアホらしいと思っていました。

そしていま、これまでのヲタでさえ、AKBの握手に1回1,000円で行くのはアホらしいと思ってきたから、売り上げがどんどん減っているのです。


そうすると、AKBが生き残るためには、新しい価値を創造することが必要で、従前の1回1,000円の握手の手法は変えずに無料イベントでヒトを集めようというのは、人間の行動原理から完全に乖離しています。

経済学の用語でいうと、何とか保っていたパレート最適の状態が、需要の方がどんどん低価格化し供給過剰になっているのです。
だから無料イベントが必要なのです。


"パレート最適"なんて、経済学をちゃんと学んでいない機械工学科の私でさえ知っている概念です。


握手に頼ることなく、公演で新しい概念を示すことはできなかったか?
もちろんそれでも、一時期のブームにはどのみち追いつけなかっただろうとは思うのですが、軟着陸する方法はあり、私はそれを主張してきました。

然るにアキブータン(秋元康)はそれが理解できなかったがために、いまハードランディングしているのです。

アキブータンの見通しの甘さは、近頃も755の失敗に現れています。
私からすれば755なんてどうにも使いようを思いつかなかったのですが、アキブータンはそれさえ見通せませんでした。

今日は図書館に「無私の日本人」を借りに行った件と、そこからアレコレ考えたこと

伊達娘が、"殿、利息でござる!"に出るのが間違いないので、思い立って「無私の日本人」を借りに行きました。

ならばその図書館のものは貸し出されていましたが、違う図書館のものが借りられたので、予約してきました。

図書館なんて行くの久しぶりなので、いろいろ見てみました。

アニメージュと、鉄道ファン誌が置いてあったのですが、他の雑誌は違うブースにあるのになんで・・・?と思ったら、"幼児書"とかなんとか貼ってありました。

アニメージュをサラッと見ましたがワケわかりません。
そもそも私はジブリ作品やその周辺知識を得たくて、25年ほど前より数年間アニメージュを買っていたので、他の作品はよく知りません。

そういえば他のアニメ雑誌のアニメディアとかニュータイプは、買ったことないです。
アニメ自身が好きだったわけではないことを再確認しました。

また、松井玲奈が声優するからか、アニメージュをやたら飾っていました。
そういえば松井玲奈はJTBの時刻表6月号の表紙にもなったのですよね。

さらにそういえば、日立グループが提供する、「世界 ふしぎ発見!」のミステリーハンターにまでなっています。
私へのあてつけちゃうかホンマに。

アイドルとしてだけでなくヲタクとして地位を確立しているようですが、歌とか演技とかができなければ、いつまでも使ってもらえるとはいえないし、彼女もどう進むのか気になるところではあります。

と書くと声優としての出来をチェックしたいところですが、いまの私はそこまで手が回りません。
気には留めました。


アニメージュの読者投稿を読むと、私みたいにキレ味鋭い単刀直入なのではなく、どうでもいいようなのが掲載されているのですが、ひとつ違うと思ったのは、投稿者に30代40代が平気でいた点です。

80年代以降のアニメブームで、アニメが好きになった人間は、一生アニヲタを続けるのだと思いました。

1990年代で40歳なんて1950年生まれとかですからね。
鉄腕アトムが1965年ごろと思いますが、鉄腕アトムをリアルタイムで観た者はまだアニヲタにはなりようがなかったのでしょう。


伊達娘がAKBに入る前より好きな、"銀魂"は、またテレビアニメになっているようです。
ファン投票1位が坂田銀時でしたし。

そういえば、コスプレについての話題で、"はいからさんが通る"の紅緒がしてみたいと書いている人がいて、"はいからさんが通る"の新作アニメがあるのかと思って検索しましたが、違うようです。

コスプレしてきてもいいけど、それ誰も元ネタワカランのちゃうん?とツッコミ入れたくなりました。

アニメージュって、元々スタジオジブリの鈴木敏夫が編集してたんですよ。
私もリアルタイムで知っているわけではありませんが。

鈴木敏夫が編集してたということは、アニメをどこかの方向に持って行きたいという意思が、編集方針にあったはずです。

だからこそ宮崎駿を推して、忙しい宮崎駿に自由にやらせるべく、当時の常識ではなかった(いまでも常識ではないかも)、エンピツ描きでのマンガ連載を認めて、ナウシカの連載が開始され、ナウシカ映画化→ジブリ設立→・・・という流れになっているのです。

鈴木敏夫が宮崎駿を発掘したと言っても過言ではないでしょう。
鈴木敏夫がいなければ、宮崎駿の隆盛はなかったかも知れません。


ウラを返せば、独りで隆盛まで持っていけなかったところが、宮崎駿の限界なのです。

話は変わって。
アニメージュと異なり、"鉄道ファン"は、ひととおり目を通せました。
JR九州筑肥線の305系が、それまでの関係継続で日立製作所製で(JR九州の元社長だか重役だかの子息が日立製作所にいるらしく、JRの中でも最も電車の日立製作所率が高い会社です。新幹線800系はすべて日立製作所製だったと思います)、JR車両としては初めて、永久磁石同期電動機(PMSM)を使ったと書いてありました。

私のいた頃から3年の間で日立製作所は方針転換したのでしょうか?
しかし開発し運用に至るのは難しいので、PMSMに関しては東芝など他社製品なのではないかと疑ってしまいます。

と思ってWikipediaで検索したら、やはりPMSMに関しては東芝製とのことです。

とはいえ私も、元々電気効率のいい鉄道車両に関して、ほんの数パーセントの力率向上を図ることが、本当にメリットになるのか?と考えていた(る)こともあり、ここに関しては日立製作所の判断が完全に誤りとまでは言えません。

とはいえ、原発や新国立競技場が、多くの企業に対して利益を与えるためにカネをバラ撒かれているプロジェクトなのだとして、政治学的に考えれば、PMSMなんて選択の有利な材料になりますよね。

初期投資がいくらになるという計算度外視で、"従来の電車よりも電力使用量が○%下がっています"というのは、人々にアピールできる格好の材料たり得るのです。

改めて政治学的に考えれば、日立製作所はPMSMに食いつくべきでしたし、日立製作所がPMSMに乗り遅れたことは、ウラを返せばPMSMでは東芝に甘い汁を吸わせてやるという、業界内での了解が取れていたのかもとさえ思ってしまいます。


それと、北海道新幹線の札幌駅が、現場ではいまの札幌駅から300mも離れた場所になるとされているとのことを知りました。

JR北海道が、国策として日本政府に対して、費用の追加拠出を主張するための当て馬以外のなにものでもないと思います。


・・・とまあ、アレヤコレヤ考えている間に、私の後ろでは小学校低学年くらいの子供が、蔵書検索パソコンに対してものすごい早さで打ち込んでいました。
しかし蔵書検索パソコンって、ものすごい早さで打ち込む意味を感じませんが。

チャットでさえ、ものすごい早さで打ち込んだところで、言い合いのケンカになってしまい、全てが水泡に帰することだってあるのです。

だいたい、その速度で一流の文章が書ければ、そいつはものすごい小説家になっているのです。

逆に言えば、パソコンヲタはその記述速度に自惚れてしまい、本当に考え主張することを放棄していると、私は考えています。


また、ジジイが、
「自分は5番のパソコン(だか何か)を使っていたが追い出された。ガキがまだ使っている1番のパソコンを使わせろ。あのガキ(どうやら上に挙げたガキっぽい)もそろそろ使用時間切れだから、自分に使う権利がある。」
みたいな趣旨のやりとりを、図書館員さんと一問一答形式で延々とやっていて、イライラしました。

私に対して日立製作所が企業体として個人情報保護法に反した不法行為を働いたような場合はともかく、不法行為が見当たらず、ガキとの間に純粋に譲歩が可能ならば、ちょっと譲歩すればいいのです。
だいたい5番と1番とに違いがあるとは思えません。

賢い人間は、図書館員の考えるケースを想定して、「あなたが言っているのはかくかくしかじかなのですよね?」と噛み砕いて返すでしょう。
そうすると、図書館員は自分の受け取ったものについて、違うところを見つけて指摘するだけで済むのです。


もう一人、私がアニメージュを返した後で、アニメージュを取ってって、それを返したと思ったら古いアニメージュを持ち出して読んでいる、ハタチくらいのオネーチャンがいました。

まあ、私から話しかけるネタはないと思うし、話しかけなかったのですが。

ハタから見ていて、この娘はなにを知りたいのかよくわかりませんでした。
本当にアニヲタならば、アニメージュなりなんなり購読しているでしょう。

いや、アニメディア読者で、アニメージュは購読していないから、図書館で読んだのでしょうか?

本当の意味のアニヲタって、アニメ雑誌を何冊も買って比較していてもおかしくないと思いますが、そんなアニヲタは日本に数えるほどしかいなく、彼らは制作者の側に回っていると思います。

そういえば、阪大鉄研でも、鉄道雑誌を複数読んでいる者はいませんでしたねえ。
情報の違いって面白いと思うのですが。


小学生の頃から言われた、話にオチがなく、話がいろいろ発散する、私の真骨頂です。

ちなみに、宇宙って発散しているようでいて、どこかで収束するんですよね。
ホーキング博士はそう言っていると、どこかで読みました。

同様に言い分についても、いっぱい発散させても、すべてに論理が通っていれば、全部がひとつに収束すると考えています。

私は3年前より、それを"球形の概念"として主張しています。

・・・宇宙ってホンマに収束するんかな?
いまのところ、さすがに私の守備範囲外ですが、宇宙が収束するのかどうかは知りたいです。

というのも、幼少時より、宇宙の果てはどこにあるのか?
宇宙に果てがあるとしても、果ての外もまた宇宙と言えるのではないか?
どこまでも宇宙があるのであれば、地球人以外に宇宙人がいる可能性は、確率的に100%に帰結するしかないのではないか?
宇宙に果てなんてないとすると、我々の存在は一体何なのか?

という根本的な問題について、私はいい解を見つけられていません。

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