どうして戦うのか。思い悩む胸の内を記した手紙がある。終戦の年の3月、一人の少尉がフィリピン・ルソン島から日本の父母にあてた。飛行機で内地へ連絡に戻る同僚に託したという▼その一節をこうつづる。「マニラ湾の夕焼けは見事なものです。こうしてぼんやりと黄昏時(たそがれどき)の海を眺めていますと、どうしてわれわれは憎しみ合い、矛(ほこ)を交えなくてはならないかと、そぞろ懐疑的な気持になります」(『きけ わだつみのこえ』日本戦没学生記念会監修、光文社刊)。この人は、手紙を書いて間もなく戦没した▼マニラではそのころ、日米軍の激しい市街戦があり、大勢の市民が落命している。思い悩んだ個々の将兵もいたが、海を渡った日本軍はアジアを戦火に巻き込んだ。その史実は曲げられない▼ルソン島では、〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ……〉の詩で知られる竹内浩三も戦死している。戦争を嫌った若い詩人である。かつてお姉さんを取材して、話が「侵略」に及んだときの言葉を思い出す▼「やはり自分の意思ではなくても、フィリピンまで行って戦っているのですから。自分も死んでますけれど……」。きょう8月15日は、戦没者を追悼するとともに、アジアの犠牲者に深く頭(こうべ)を垂れる日でありたい▼巧みに厚化粧した戦後70年の首相談話は、国内外とりわけ近隣諸国の人々の心にどう届いたか。不戦と平和をさらなる大樹に育てる誓いの日でもある。歴史認識を首相任せにせず、自分でも考えてみたい。