花房吾早子 中野晃
2015年8月14日14時31分
70年前の8月14日、大阪は米軍のB29爆撃機による空襲にさらされた。主な標的とされた兵器工場だけではなく、爆弾は市街地にも落とされた。多くの市民が犠牲になった終戦前日の悲劇。遺族や当時を知る人たちは思い、伝える。「悲惨で理不尽な戦争はしてはいけない」
「二度と戦争を起こさないように、何ができるか考えていきます」。14日午前11時すぎ、JR京橋駅南口近くの慰霊碑の前で、地元の小学生3人が作文を読み上げた。周囲では、70年前の空襲で亡くなった人の遺族や被災者ら約250人が手を合わせ、あの日の惨状とその後の人生に思いをはせた。
60年前の第1回慰霊祭から参列している橋本幸子さん(70)=大阪府吹田市=は当時、生後2カ月。陸軍の父を空襲で失った。「戦争がなかったら違う生き方があったかな」。一緒に来た夫、娘2人、孫3人と焼香した。
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