2015-08-13

東京の走東性

かつて私は田舎に飽き飽きしており、東京に対し神格的な憧れを持っていた。

くそびえるビル群。先進的なテクノロジー。溢れかえる人。それを支える交通網。駅のターミナル空港

未来を感じさせる東京は、幼い私を興奮させた。

ただ実際に東京に住み着いてみると、東京凄さは単に人が集まるが故のものであって、先天的凄さはあまり見受けられなかった。

当たり前だが、それらも所詮人が作ったものしかない。

そして未来を感じさせる所以鉄道技術建築技術によるもので、未来を日々体感できるようなことはまず私にはない。

東京が誇れるのは文化も僅かにあるであろうが、あまり混沌としすぎていて、それらは洗練さを失いつつある。

人と人が交わることに意味があって、それに揉まれてこそ文化が生まれるんだろうが、洗練さを今の私は追求しているのか。

正直人と関わるのも極力避けたい。

東京キチガイ的な消費社会にも飽き飽きしている。

ブランド物を着たところで何も生まれない。

しかし今はインターネットを使えばちょちょいのちょいとなんでもできる。

もう街なんてぶっちゃけいらなくなってくる。

結局私が思い描いていたような、AKIRAのような未来像と現実的未来は随分とかけ離れていくのだ。

ただそれでも人はわたしのように東京に集まるのだろう。

我を失って恍惚を求める、虫の走光性のように。

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