JAバンクあいち ドームドッジ2015
2015年11月29日
ナゴヤドーム
暮らし大好きなBGM、お気に入りの遺影 自分らしく送る
淡いピンク色のチャイナドレスを着て、首をわずかに傾けてほほ笑むポートレート。愛知県豊田市の元田(もとだ)昭代さん(71)のお気に入りの一枚だ。十五年前、当時勤めていたゴルフ場の慰安旅行先で撮影。自分の葬儀で、遺影として飾るつもりだ。 「着付けもお化粧もプロにやってもらったの。悪くないでしょ」。エンディングノートにはさんで、大切にしまっている。 自分らしい葬儀で送ってほしい。長男(43)にはそう頼んでいる。葬儀は仏式だが、BGMにはシューベルトの「アベマリア」を流してほしいと思う。夫(71)と長女(45)、長男、その家族の九人の名前を、参列者としてノートに記した。 「人が死ぬ確率は百パーセント。生前から死を考え、望むやり方で送られたいと思うのって当然じゃないかしら」。近く葬式費用をまとめた銀行口座を作り、長男に託すつもりだ。 十年前から自分の死について考えている。元田さんの母は終戦の年の暮れ、肺炎のため四十五歳で亡くなった。病床で苦しみながら「この子を頼みます」と父に何度も懇願しながら逝ったと、後に聞いた。そんな母を思えば「幸せな人生を送らせてもらった」。墓は建てず、夫婦で寺に永代供養してもらうつもりだ。 葬儀やお墓に対する考え方が、近年急速に変わりつつある。家族や親族だけで葬儀を行う家族葬や、死後にどうしてほしいのか考える「終活」も一般化した。 元田さんのように、「自分の葬儀のやり方までセルフプロデュースする人も珍しくない」と話すのは尾上正幸さん(55)。葬儀会社「東京葬祭」(東京)役員で、「本当に役立つ『終活』50問50答」の著作がある。 生前に作った動画を流したり、BGMに凝ったり。結婚式のようにこだわりにお金を使いたいと思う人が増えたという。「これほどに自分の死と向き合う時代は過去にないのでは」 一方、葬儀の変遷に詳しい新谷尚紀(しんたにたかのり)・国学院大教授(民俗学)は「葬儀は社会を映す鏡。家族葬や終活の流行は、社会が無縁化していることの表れ」と指摘する。 新谷教授によると、仏式の葬儀が一般的になったのは江戸時代。村ごとのルールに従って営まれた。戦争初期には戦死者を村葬で盛大に送ったこともあったが、戦況の悪化に伴って簡素に。空襲でおびただしい人が亡くなった場合は、葬儀どころではなかった。戦後は村のルールに従いつつ、経済成長に伴って火葬が普及。豪華にもなった。二十一世紀になると、地域のしきたりから自由になり「家族だけ」が中心となりつつある。 地域との関わりが薄れ、しきたりから解放されたことで、自分で選べる能力がある人の自由度が高まった。でもそうでない人にとっては、どういう葬儀をやるのか悩ましい時代でもあるという。 かつて、死は怖くて、できれば考えたくなかったことだった。終活の流行で目立つのは、正反対の前向きな意識だ。「死を身近に体験した人が減っている。死の具体的なイメージを持っていないからこそ、死を前向きに捉えられるのだろう」と想像する。 (諏訪慧) PR情報
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