祈ってばかりいないで仕事しろ!とはなかなか言いにくいワケ

Pocket

かつて大学の同級生でもある友達が「神社などにお祈りしてばかりいる同僚」という話をしてくれました。

非常に興味深い話で、当時私はおおむねそれを「迷信行動の一種」と解釈しました。

断っておきますと「寺社に祈る」という行動が迷信的なのではありません。心理学で言う「迷信行動」とは行動科学の用語で、因果律によっていると言うよりは、ランダム強化によって強化されたものと理解したほうが理解しやすい、観察行動です。

時間の使い方についても人は迷信的になりやすい。ある種の儀式的な行動が、すばやく作業を終わらせるのに欠かせないと信じ込むのには、ただ1度インパクトのあるリワードが得られれば十分なのだろう。1度でもギリギリまで手をつけなかった課題を徹夜で終わらせたという実績を持つと、仕事を期限内に終わらせるにはギリギリまで待つ必要があると信じさえする。

時間に関する迷信 | 佐々木正悟のライフハック心理学

しかし私はその後意外なくらい「超自然的な何かに祈る(または委託する)」というビジネスパーソンが多いということを知らされました。話に聞くケースもあれば、直に耳にするというケースも含めると、そういう人はかなり多いのです。

スポンサード リンク

行動科学的に依然として「ランダム強化」でいけると思うのですが、これはあるいは「強化」を必要としないのかもしれない、という気もしてきました。むしろ「プライミング効果」で説明できてしまうかもしれない。

ある実験がニューヨークの大学生に対して行われた

高齢者を連想させるような単語を使うグループとそうでないグループに

それぞれ共通の5つの単語セットから短文を作るように指示

文章作成問題を終えた学生の廊下を移動する速度は高齢者を連想し短文を作ったグループの方が歩行速度が遅くなっていた

私達を誘導するプライミング効果 | 小さく始めて大きく育てる

老人を連想させるような刺激にさらされ続けると、歩行速度まで遅くなるというような実験は、意外にもけっこう再現性があります。プライミング効果の影響範囲は今後も追試されていくでしょう(面白いし簡単に実験できるから)が、プライミング効果がランダム強化と違うのは、報酬が見えにくいところです。

べつに、歩行を遅くしても「いいこと」があったわけではない。にもかかわらず、ちゃんと刺激に影響を受けて「動きが年寄りくさく」なるようだと。

そう思えば「祈る」ことがべつに仕事の成果に、あるいはまったくつながらなかったとしても、その行動が繰り返されるようになることは、十分にありそうだと思うわけです。

徹底的に唯物的に考え、念じるという行為の影響が当人の脳内を1ナノメートルも外に出ないとしても、当人にとってはそれが「仕事を神秘的にうまくいかせる儀式」だと考えているならば、それは非常にすばやく習慣化するはずです。

プライミングが行動に表れるというのは、象徴的意味が物理的な意味をもつ、少なくとも本人にはある、ということです。マクベス夫人が自分の「血に染まった手」を「洗い流そう」としているようなものです。子供のころに「汚い言葉を使ったら、口をすすぎなさい」という「古いタイプの先生」にいわれて、ちょっと衝撃的だった記憶があります。

同僚に嫌味を言われたり、上司に理不尽な扱いを受けたら「顔を洗ってさっぱりする」ということは、たぶんできそうな気がします。でもそういう効果をあまりに真に受けすぎたら、顔を洗ってばっかりになってしまうでしょう。でも、嫌味と理不尽な扱いがやまない職場にいたとしたら、顔を洗い続けるほうが「異常」と言えるかどうか。

過剰なスピード感を求められ、人手不足なのにリストラしてばかりいる職場にいる人が、「高速」仕事術や、「スピードアップ!」とか「決戦!」みたいな言葉をそこかしこに貼って仕事の速度をわずかでも高めようとしていたら(つまりプライミングに頼りまくっていたら)、それは「異様」でしょうか?

人が祈ってばかりいるとしたら、それなりに理由があるはずなのです。

profile
著者:佐々木 正悟
1973年(昭和48年)生まれ。心理学ジャーナリスト。ビジネス書作家。
人を子ども扱いするのは好きではありません。
もっとも語りたくないのは人生哲学です。