今週のお題「読書の夏」
年子の女の子が出来たときに、妻と話してどういう子供にするかを二人で決めた。
それは
- 本好きな子供にしたい
- 絵か音楽が好きな子供にしたい
- 家の手伝いをちゃんとする子供にしたい
でした。本が好きな子供にするために、週末や夏休みには市の図書館へ連れて行き好きな本を選ばせました。小さい頃は寝る前に読んで欲しい本。大きくなってからは自分が興味ある本。図書館や本屋さんで子供達に言わないようにしていたのは
- 子供が選んだ本に文句をつける
- 興味を押しつける
- 感想は聞くけど、それに対しての批判
でした。子供達が選んだ本に対して、「なんでそんな本を読むの!」とか「こっちの方が面白いのに」とか「そんな考え方はだめ」などは絶対に言いませんでした。親の勤めとして、子供が興味あることには一緒に興味を持つようにし、なるべく子供達が買った本借りた本は読むようにしました。
そんな風に育てて、小学校の時、夏休みの読書優等生の賞状をもらったり、年間100冊ぐらい読むようになり、親よりも本を読む子供になりました。引越の時に、僕の本が多すぎて全部持って行けなくなり、図書館に贈呈する前に好きな本をもって行っていいよ、と言ったら、上の子は中島らもを選び、下の子は山田詠美とアガサクリスティを選びました。それを見たときに、ああ、僕たちに子育ては間違ってなかったな、と確信しました。
僕の本棚には、普通の家庭で子供に読ませなくないような本(「完全自殺読本」「裸心」「アジアン・ジャパニーズ」とか)をおいてある。読みたいかどうかは本人次第。どう感じるかも本人次第。だた、道が間違った方へ行きそうなら正すのは親の役目。
この記事を読みながらそんなことを思った。