平和守る、広島に誓う 福岡県遺族代表で被爆者の小川さん
広島原爆の日の6日、広島市の平和記念式典で、静かに手を合わせる男性がいた。福岡県の遺族代表として出席した大野城市の小川淳二さん(89)。70年前、その手で数え切れないほどの死体を焼いたという。無念のまま灰になった人たちに、何もしてあげられなかった悔いは今も消えない。「70年間、守ってきた平和だけは壊さない」。89歳、最後になるかもしれない式典の席でそう誓った。
広島工業専門学校(現広島大工学部)に在学中、爆心地から1・2キロで被爆した。避難先の公園では、投げ捨てられるように置かれていく死体の処理にも携わった。ちぎれた手足、頭も投げ入れて火をつけた。骨の交じった灰をかき出し、また次の死体を焼いた。
「もう神経はまひしていた。臭いも暑いも何も感じない。ただ黙って動くだけでした」
戦後は広島を離れ、鹿児島県や宮崎県の酒造会社で働いた。退職後に移り住んだ大野城市で被爆者の相談に乗るようになり、被爆者が集う会を立ち上げた。小学校や中学校で戦争体験を語る活動も始めた。
平和記念式典には15年ぶりに出席した。被爆の後遺症で今も右足が左より2センチ短く、体中に無数の傷が残る。年を重ねるごとに体調面の不安は増し、今は胸にペースメーカーを付けている。それでも「生き残った者の責務」との思いで今回、県の代表を引き受けた。
各県の被爆者とは「実相を話すのが大事といわれるが、若い人に通じているだろうか」「2世への継承は簡単ではない」と言葉を交わした。15年前は元気だった人も自分と同様、老いは隠せない。被爆者の平均年齢は今年初めて80歳を超え、福岡県でもこの10年で2400人以上減り、7千人を切った。「いつかは被爆者なき時代が来る」。炎天下の広島で、あらためて痛感させられた。
式典があった平和記念公園の慰霊碑には「過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。「この言葉の意味をもっと広めなければ。70年前に戻るわけにはいかないから」
=2015/08/07付 西日本新聞夕刊=