惨禍 語り継ぐ 広島、長崎の市民が“伝承者”に [長崎県]
被爆者の老いが進む中、凄惨(せいさん)な被爆体験を市民で継承していこうという取り組みが広島、長崎で本格化しつつある。経験していないがゆえに「被爆者の思いや事実と違っていないか」と試行錯誤しながらも、記憶を風化させてはならないと危機感を抱き、“伝承者”たちは人前に立つ。
広島市は今年4月、被爆体験の伝承者として、初めて50人を認定した。市の公募に応募してきた人たちだ。3年にわたって、被爆者から体験を聞き取るなどし、今年4月の認定以降は、ほぼ毎日、市内で講話を行っている。
「70年間核廃絶を叫び続けてもらった役割はもうバトンタッチしなければ」。そう話すのは、伝承者で最年少の保田麻友さん(30)=広島市。多くの人が当時の状況を語りたがらない中で、体験を話してくれた高齢の被爆者たち。「経験を聞いた者の責任を果たしていきたい」
伝承者になるのは、容易ではない。新井俊一郎さん(83)=広島市=の被爆体験を語る際、保田さんは「偶然助かった」という表現を本人から注意された。「死ぬか生きるかという部分。被爆者は使わない言葉だ」。話し合って「紙一重の運命の分かれ道」という表現にした。「(話しても)どう聞き手の心に残ったのか分からない」と悩みながらも、必死に若者たちに訴える。
長崎市は昨年度から、被爆2、3世たちが「家族証言者」として被爆体験を引き継ぎ、講演などができるよう支援を始めた。市に登録している家族証言者は12人。被爆2世の柿田富美枝さん(61)=長崎市=は、母や長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄(すみてる)会長(86)らの証言を聞き、講話を行う。
柿田さんは6月、初めて依頼を受け、長崎市で、全国の自治体関係者を前に話した。「15秒しかない映像です。目をそらさず見てください」と言い、背中一面にやけどを負った子どもの頃の谷口さんの映像を流す。激しい痛みなど「本人のように話せない」部分を補うための工夫だ。会場からの質問はひとつもなかった。伝わったのか、不安は拭えない。それでも続けていく。二度と戦争を繰り返さないために。
=2015/08/07付 西日本新聞朝刊=