家のお風呂場の鏡はなんとか見れる。
そこ以外の鏡は見ようとすると胸が苦しくなる。
たまに見てしまうときがある。ひどく汚い顔だなと見るたびに思う。
見えるじゃなくて本当に汚いから困る。
飲んでる薬の関係で今よりももっと皮膚が汚かったときに丸ビルの地下のトイレで見た顔は忘れない。かおが全体が赤く腫れ上がり、表面はぐちゃぐちゃで白やら赤の凸がたいりょうにあって、塗った薬と肌から出てきた脂っこい液が混ざり合ってすごいことになっていた。虫が張り付いて取れなくなっていた。
鏡を見るとこんな顔を他人に見せているのかと思う。
でもどうにもならないから、鏡を見ないようにしている。
見ないように下を向いて鏡のところを急いで通過して便器に向かう。
手を洗うときは鏡を見ないように下を向いて洗面台に近づき、手を洗い、鏡を見ないように化粧室外へ向かう。
家のトイレの横についている鏡が厄介だ。トイレに行くたびに白色LEDで照らされたおぞましい顔が見える。鏡と逆方向や下を向いて便器に座るようにしている。
顔と同時に人の顔も見ることができない。
小学生のころから人の顔を見ることが苦手だったけど、今はもっと見ることができない。
中学3年生のとき、放課後の学校でクラスの顔を見た瞬間、「ニキビすごいひどいよ 昔はそうじゃなかったのに 皮膚科行けよ」と言われたのだ。
内臓向けの薬でこうなっているのだ 医者にだっていった 医者は内臓向けの薬を飲んでるなら仕方ないと言ってそれっきりだった。
今は薬を飲まなくてすんで、いちばんベストな治療をしてそれよりはずっと良くはなったけど、やっぱりクラスでいちばん汚いようなものだ。
こうして、人の顔がさらに見れなくなった。
高校で二三番目に不細工なやつが唯一の友人だったが、そいつの顔をまともに見たことはない。普通の人の顔は遠くでは見ることが出来るのだけど、彼の顔は遠くからも見ることが出来なかった。しゃべるときはいつも下をむいて彼の顔をみず自分はしゃべっていたし、彼の顔は目に入らないように歩いていた。
彼の不細工な顔を見たくなかった。
学年でいちばん不細工なやつは彼よりももっと醜かった。周りはもはやいないような扱いを彼にしたし彼もそれを受け入れていた。彼が他者が関わるときは大抵容姿で馬鹿にされているときだった。彼の性格は難があったがおそらくそれは容姿のせいだ。
容姿がいい人は大抵性格が悪いと噂されても、みんなから大事にされてた。いちばん不細工なやつが容姿で馬鹿にされたり、周りからゴミ扱いされていたのは性格ではない 容姿だ。
最近、顔を見て喋らないと社会で厳しいのではないと感じている。
どうしてかというと、父親の会社でアルバイトをさせてもらっているがみんな顔を見て喋ってる。
しかし、顔を見てしゃべると嫌がられる気がする。自分のひどい顔をフルにみせるのだから。
容姿が醜い顔をみたくないだろう。自分はあの彼らの顔を思い出すだけで震えるのだから。
でも、顔をみて喋らないとだめなきがする。
どうにもならない 顔がよくないとだめなのか
鏡が怖いのは人としてごく自然な感情だと思う。 鏡と父性はいまわしい。宇宙を増殖させ、拡散させるからである。