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仏と魔との闘争

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 8月 9日(日)22時39分21秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。


おじさん、投稿、ありがとうございます。




>池田先生は3年前、「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕
本を頼む」と言われたとのことです。<



各自が本門の弟子の自覚でその含意を読む事だと思います。




>正木理事長は、それについて、非常に曖昧なことしか言われませんでした。<


本部職員は信用出来ません。正木さんでも同じです。民間にいる人間から反転攻勢が始まるのです。



>学会の発迹顕本と聞いて、私が真っ先に思い浮かべたのは、戸田第2代会長の「創価学会の歴
史と確信」という論文の一節でした。

それは、1973年(昭和53年)6月30日の聖教新聞に掲載された「『教学上の基本問題』
について」という記事によって、その後18年間、学会が引っ込めてしまったものです。

小説「新人間革命」には、その片鱗だけが書かれていますが、これは、学会が宗門に屈服
して、戸田第2代会長が言われた「学会の発迹顕本」を葬ってしまったという重大なでき
ごとでした。

「創価学会の歴史と確信」には、次のように書かれています。

以下、引用

昭和二十年七月,出獄の日を期して,私はまず故会長に、かく、こたえることができる
ようになったのであった。
「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を
流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、わ
れわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」と。
 この自覚は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、いまだ学会自体の発迹顕本
とはいいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない。
しかるに、こんどは学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始し、
次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。
「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心
においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろう
と、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読踊したてまつり、
胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする。しこうして、日蓮大聖人のお教えを身をもっ
てうけたまわり、忠順に自行化他にわたる七文字の法華経を身をもって読みたてまつり、
いっさいの邪宗を破って、かならずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、故会
長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります」
 この確信が学会の中心思想で、いまや学会に禰漫しつつある。これこそ発迹顕本であ
るまいか。この確信に立ち、学会においては、広宣流布大願の「曼荼羅」を、六十四世
水谷日昇上人にお願い申しあげ、法主上人におかせられては、学会の決意を嘉みせられ
て、広宣流布大願の大御本尊のお下げわたしをいただいたのである。

以上、引用終わり

この「創価学会の歴史と確信」の1節が再び日の目を見ることになったのは、宗門と決
別することになった後の1991年(平成3年)9月号の大白蓮華においてでした。

しかし、その意義については何も明らかにされませんでした。

学会員一人一人が、「自分は地涌の菩薩だ。」という自覚を持ち、それが、「学会総体
の偉大な自覚になったこと」をもって、学会の発迹顕本と言われています。

しかし、学会の教学軽視の傾向が、その自覚を薄めていったのではないかと思います。

そして、「創価学会の歴史と確信」を引っ込めていた間に、学会員は、単に上からの指
導に従うだけの将棋の駒のような感覚に陥ってしまったのではないかと思います。

それが、宗門にとっても、学会の中枢にとっても、都合が良いと判断されたのでしょう。<



簡単に言えば、本部の第二宗門化ですね。某掲示板では、先生の会長勇退の戦犯とその潮流の総括がなされていますが、一部の人間に矮小化するレベルの問題ではないと思います。宗門の権威主義と学会本部のご都合主義、官僚主義が緊密に絡みついた複雑な問題です。


先生の時代の途中までが正しかったというのが、私の見解です。先生個人も本部の都合に飲み込まれたと見ています。


先生の影響力の低下から、師弟不二の矮小化が始まり、先生の思想、提言、理念を駆逐する形で、幹部の腐敗と組織の官僚主義が先鋭化して行きます。


先生の思想と行動の空洞化と共に、カネとコネで総体革命すると言う資金力と組織力をバックにした現実主義が敷かれ、正義と平和と言った、三代会長の思想と行動が駆逐されました。


そうした中で、血脈が断絶したと私は見ています。


おじさんご指摘の戸田先生の「創価学会の歴史と確信」のその後の経緯も、宗門の権威主義に怖気づいた学会精神の喪失と見る事が出来ます。


54年問題の総括も、一言にして言えば、学会精神の喪失です。


先生を守る、守らないという次元ではなく、弟子の敗北です。


この敗北から権力との癒着、迎合、平和主義の信念の喪失といった血脈の断絶があったのです。


この間、宗門は、逆に、淡々と地盤を固め、体勢を整えています。


宗門を罵倒すれば、正義になると錯覚した創価学会本部の「相対正義」の敗北です。

相対正義のアンチテーゼが「絶対正義」なのです。



>現在、学会員は地涌の菩薩であるという言葉だけは復活していますが、本当に一人一人
が一騎当千の地涌の菩薩であっては困るというのが、学会中枢の本音ではないかと思わ
れます。

宗門の法主の教義裁定権も、学会の会長の教義裁定権も、一人一人の僧侶や信徒が地涌
の菩薩であったら、成り立ちません。そして、そのような権威主義が学会も宗門も衰退
させていると思います。<



血脈と学会精神と、権威主義と官僚主義は、理念と組織、理想と現実、宗教性と宗派性、普遍性と営利主義と言った形で、輪切りにしたら分かりやすいのです。


いずれにせよ、本部は話になりません。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 
 

学会の発迹顕本

 投稿者:おじさん  投稿日:2015年 8月 8日(土)19時18分46秒 p5134-ipbfp402miyazaki.miyazaki.ocn.ne.jp
返信・引用
  池田先生は3年前、「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕
本を頼む」と言われたとのことです。

正木理事長は、それについて、非常に曖昧なことしか言われませんでした。

学会の発迹顕本と聞いて、私が真っ先に思い浮かべたのは、戸田第2代会長の「創価学会の歴
史と確信」という論文の一節でした。

それは、1973年(昭和53年)6月30日の聖教新聞に掲載された「『教学上の基本問題』
について」という記事によって、その後18年間、学会が引っ込めてしまったものです。

小説「新人間革命」には、その片鱗だけが書かれていますが、これは、学会が宗門に屈服
して、戸田第2代会長が言われた「学会の発迹顕本」を葬ってしまったという重大なでき
ごとでした。

「創価学会の歴史と確信」には、次のように書かれています。

以下、引用

昭和二十年七月,出獄の日を期して,私はまず故会長に、かく、こたえることができる
ようになったのであった。
「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を
流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、わ
れわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」と。
 この自覚は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、いまだ学会自体の発迹顕本
とはいいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない。
しかるに、こんどは学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始し、
次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。
「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心
においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろう
と、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読踊したてまつり、
胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする。しこうして、日蓮大聖人のお教えを身をもっ
てうけたまわり、忠順に自行化他にわたる七文字の法華経を身をもって読みたてまつり、
いっさいの邪宗を破って、かならずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、故会
長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります」
 この確信が学会の中心思想で、いまや学会に禰漫しつつある。これこそ発迹顕本であ
るまいか。この確信に立ち、学会においては、広宣流布大願の「曼荼羅」を、六十四世
水谷日昇上人にお願い申しあげ、法主上人におかせられては、学会の決意を嘉みせられ
て、広宣流布大願の大御本尊のお下げわたしをいただいたのである。

以上、引用終わり

この「創価学会の歴史と確信」の1節が再び日の目を見ることになったのは、宗門と決
別することになった後の1991年(平成3年)9月号の大白蓮華においてでした。

しかし、その意義については何も明らかにされませんでした。

学会員一人一人が、「自分は地涌の菩薩だ。」という自覚を持ち、それが、「学会総体
の偉大な自覚になったこと」をもって、学会の発迹顕本と言われています。

しかし、学会の教学軽視の傾向が、その自覚を薄めていったのではないかと思います。

そして、「創価学会の歴史と確信」を引っ込めていた間に、学会員は、単に上からの指
導に従うだけの将棋の駒のような感覚に陥ってしまったのではないかと思います。

それが、宗門にとっても、学会の中枢にとっても、都合が良いと判断されたのでしょう。

現在、学会員は地涌の菩薩であるという言葉だけは復活していますが、本当に一人一人
が一騎当千の地涌の菩薩であっては困るというのが、学会中枢の本音ではないかと思わ
れます。

宗門の法主の教義裁定権も、学会の会長の教義裁定権も、一人一人の僧侶や信徒が地涌
の菩薩であったら、成り立ちません。そして、そのような権威主義が学会も宗門も衰退
させていると思います。
 

人としての生き方

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 8月 7日(金)22時02分40秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。


かつて、新・人間革命で、神の子としての基督ではなく、人間・イエスの生涯が描かれていました。


宗門教学から、いったん、離れて、人間としての日蓮の生き方を様々な角度から研鑽し、現代に通じる普遍的精神を追求する必要があると思います。

人間としての日蓮の生き方、生き様、行動規範ですね。その上で、御書との整合性を追求し、御本尊の意味も含めて、日蓮正宗のカウンター運動と共に、この両者の教義から、より、普遍的価値を目指す。こういう方向性しか、学会教学の再構築は難しいと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

日蓮の普遍性

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 8月 6日(木)22時22分5秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用
  みなさん、こんばんは。


ある学会員の投稿から引用。


>日蓮系諸宗派の文献を学んできて、日蓮正宗のいう板曼荼羅・大御本尊は、歴史的にも教義的にも、さまざまな問題をかかえているとあらためて感じる。で、それを尊崇する日寛の教学にも、違和感をいだいている。
日寛は、大御本尊が根本の本尊である、という前提で教義を構築しているし、富士に本門の戒壇を、ともいっている。かつ、日寛は、御影(日蓮の像)をも本尊と位置づけているし、日蓮を久遠元初自受用報身如来とも措定している。どれも、日蓮教団草創期にはない教えで、後世の創作である感が満載だ。日寛のことばで、普遍性のあるものの代表的なものは、「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」のたぐいだ、とわたしは思っているけれど、これは、日蓮のことばから教義的に導きだせる結論だと考えられるので、そうなると、日寛教学の必要性って、一体?という気持ちにすらなる。
日寛教学に、へんにしばられると、それを基礎としてきた学会教学は、世界的な思想にはなりえないと思うので、距離のとりかたを考えなければいけない。わたしは、極端な話、日寛教学は、もう学ばなくていいのではないかと思っているが、どうだろうか。<


>日寛が否定した、日辰教学や諸宗派の教義は、いまのものとも別物ですし、当時の批判の角度が現在に通用するとも思えないのですよね。久遠元初自受用報身如来という語は、日辰も使っていて、日寛は、日辰を批判する中で、相手の教義をとりこみました。日寛教学には、いろんな問題があります。古来から、方便品読不読問題等、勤行の形式でゆれてきた日興門流にあって、その議論に決着をつけた等、日寛を評価すべき側面もありますが、五座三座から方便自我偈に勤行の形態をかえた創価学会にとって、その日寛の理論は、あまり重要ではなくなってしまいました。日寛教学は、修行者の平等性を強調するいっぽうで、ともすると、聖地信仰や、一神教的思想、聖職者の権威化につながる可能性をも秘めているので、現代にあっては、取り扱い注意ですね。中途半端にふれるくらいなら、学ばないほうが得策かと。<

>久遠元初自受用報身如来などの「概念」をつかうか、つかわないかは、教義的整合性よりも、運動論として必要かどうかで判断すべきものだとわたしは思っているので、いまの学会の教学の発信は、それはそれで素晴らしく、尊重すべきもの、とも思っています。だから、いま与えられた枠組みの中で、教学をしっかり学ぶことも大事ですね。<


彼の投稿は、支離滅裂な本部の見解よりも、骨格のある大御本尊否定の見解です。

日蓮に肉薄する事が、明日の学会の使命になる予感がします。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

正義の条件

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 8月 4日(火)21時03分45秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用
  みなさん、こんばんは。


法華講員さん、投稿、ありがとうございます。



これは学会が「正法が前提」であったからこそ、民衆を救ってこれた過去の話です。<


否定しませんよ。現証ですから。



>「その意味では」という書き方は、
他の意味ならば、救済出来るというような意味なのでしょうか?
ならば、故人の救済はどうするつもりですか?



人々を救済してこそ、宗教の存在意義がある。宗教など、人を救ってなんぼですよ。


日蓮正宗の折伏で、人々を救済し、正法を広めてください。応援しています。



>では現在のこの罪障は、どう消滅できるのでしょうか?<


まず、貴方が、こんな所で投稿していないで、一般会員ではなく、創価学会の副会長や執行部、本部職員を徹底的に、破折してください。あなたの力が必要なんです。それが、学会を救う近道です。



>破門以降での僕のような入会者には、功徳はないはずです。<


歓喜や功徳は、まず、絶対的な「信」に依って立つのです。御本尊に対する絶対的な確信と信心によって歓喜が生まれます。ですから、日蓮正宗の本尊を拝みなさい。




>「正法が前提」の上での話であるならば、何も言うことはありませんが・・。<


正法が前提ですよ。ですから、貴方とは対立しないのです。



>歴代会長の人生の指針とかは別として、
「正法が前提」ではない、「仏法における学会指導」は無意味です。
それは罪障消滅出来ないからです。<


その通りです。異論はないでしょう。



>【広宣流布の偽装】*創価学会では御本尊と境智冥合出来ない!
*仏力・法力→日蓮正宗(本尊)
*信力・行力→創価学会
日蓮正宗と創価学会という、三宝の違う団体のバラバラの四力では、
功徳があるほうがオカシイと考えるのが、道理です。
三宝の違う団体の本尊は、拝む必要も広める必要もありません!
教義的には否定しているのですから、尚更拝む必要ありません。<


正論です。



>広宣流布の偽装という悪知識は、叩きつぶさねばなりません。
もし、偽装していないというのであるならば、
学会の広宣流布達成時には、どのようにするのか返答出来ますか?<


創価学会本部に、広宣流布はできません。日蓮大聖人の正法と違うものを広めても、それは広宣流布ではない。


SGIは、フランス政府からカルト指定を受けました。謗法の現証です。



https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

青い太陽さんは、悪知識に加担していませんか?

 投稿者:法華講員  投稿日:2015年 8月 4日(火)20時13分44秒 softbank126068126014.bbtec.net
返信・引用
  毎日、暑いですね!体調の方は大丈夫ですか?

〉また、宿命転換や人間革命、絶対平和主義も、宗門の教義ではなく、学会の発展的応用です。
〉これらを、実践の中で駆使し、民衆を救ってきたのが創価学会です。
これは学会が「正法が前提」であったからこそ、民衆を救ってこれた過去の話です。

だから、
>本部の悩乱で、御本尊が使えなくなった。
>その意味では、民衆を救う事が出来なくなりました。
「その意味では」という書き方は、
他の意味ならば、救済出来るというような意味なのでしょうか?
ならば、故人の救済はどうするつもりですか?

〉今の学会は滅茶苦茶ですが
では現在のこの罪障は、どう消滅できるのでしょうか?
>宗門の教義を発展、応用して来た功徳や福運は大きいと思う。
破門以降での僕のような入会者には、功徳はないはずです。


〉より、普遍性のあるもに再構築する必要がある。
「正法が前提」の上での話であるならば、何も言うことはありませんが・・。

歴代会長の人生の指針とかは別として、
「正法が前提」ではない、「仏法における学会指導」は無意味です。
それは罪障消滅出来ないからです。

【広宣流布の偽装】*創価学会では御本尊と境智冥合出来ない!
*仏力・法力→日蓮正宗(本尊)
*信力・行力→創価学会
日蓮正宗と創価学会という、三宝の違う団体のバラバラの四力では、
功徳があるほうがオカシイと考えるのが、道理です。
三宝の違う団体の本尊は、拝む必要も広める必要もありません!
教義的には否定しているのですから、尚更拝む必要ありません。

〉より、普遍性のあるもに再構築する必要がある。
広宣流布の偽装という悪知識は、叩きつぶさねばなりません。
もし、偽装していないというのであるならば、
学会の広宣流布達成時には、どのようにするのか返答出来ますか?




  
 

指導の普遍性

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 8月 4日(火)00時55分3秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

法華講員さん、投稿、ありがとうございます。




>特に戸田先生の重要な指導がなければ、
学会から法華講に移動することもなかったと思います。
それくらい偉大な指導者だったと思います。<



戸田先生の指導の全てに普遍性があるのではないと思いますよ。

例えば、戸田先生の折伏経典では、過去世の謗法や邪宗の害毒というものがある。日蓮正宗の宗教的純粋性や厳格な他宗との差異の強調は重要ですが、仏法が洞察である以上、戸田先生の生命論にも限界はあるし、完全ではない。戸田先生は、「自分が山を登ったから、君たちも登れと言っていない。一緒に山を登ろう」と述べられている。


この邪宗の害毒に対して、願兼於業というテーゼを学会は発信した。また、宿命転換や人間革命、絶対平和主義も、宗門の教義ではなく、学会の発展的応用です。

これらを、実践の中で駆使し、民衆を救ってきたのが創価学会です。

確かに、宗門の御本尊には魅力がある。いや、御本尊に対する信心の姿勢は無習うべきものがある。

今の学会は滅茶苦茶ですが、宗門の教義を発展、応用して来た功徳や福運は大きいと思う。

より、普遍性のあるもに再構築する必要がある。それは、私どもの使命なのです。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

「法に依って人に依らざれ」

 投稿者:法華講員  投稿日:2015年 8月 4日(火)00時16分47秒 softbank126068126014.bbtec.net
返信・引用
  青い太陽さん、「法に依って人に依らざれ」です。
学会精神は「法」ではありません。罪障消滅も出来ません。

牧口先生・戸田先生は、正法で回向して差し上げるのが、
本当の恩返しではないでしょうか?僕はそうしています。
特に戸田先生の重要な指導がなければ、
学会から法華講に移動することもなかったと思います。
それくらい偉大な指導者だったと思います。

僕は、戸田先生に叱られるようなことはしていないつもりです。
僕の現在は、30年前の「青い太陽さん」と同じかもしれません!

学会精神と宗教の混同で、皆さん退会しないのでしょうね!
ここに集う創価学会員さんは、
戸田先生が生きておられたら、激怒されること間違いなしです!

皆さんが、創価学会員でいることは、
本物の広宣流布の妨害にもなりますし、
三宝の違う本尊拝んで広めて(これで功徳があるほうがオカシイ)
罪障積むのは、もう止めにしませんか?







 

破門

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 8月 3日(月)22時21分14秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。


法華講員さん、投稿、ありがとうございます。



>「お元気で」だなんて、書かないで欲しいのですが・・・(笑)。<



まあ、日蓮正宗も創価学会も同じ宗教だったわけですからね。

というよりも、日蓮正宗・法華講の一つの講だったのが創価学会ですし、日蓮正宗の信徒団体だったし、日蓮正宗を外護する団体でした。

故・北条会長は、日蓮正宗と創価学会は、カトリックとプロテスタントの関係と指摘していましたが、カトリックとプロテスタントは対立する事はなかったのです。カトリックから派生したのがプロテスタントですからね。

創価学会は、日蓮正宗の信徒団体だったという出自を忘れて、宗門への攻撃を始めました。宗門も学会も水面下での攻防はありましたが、教団を上げて熾烈な罵倒、中傷合戦を繰り広げました。


その結果、創価学会への解散宣告、破門へと展開します。


創価学会の出自から、両者が対立するのは当然であり、その出自の経緯から、学会は解散するのが筋との指摘は、一理も二理もあります。


宗門への分離独立から、全く新しい普遍性を生み出すなら、学会の存在意義もある。

だが、日蓮正宗の教義を引き継ぐ形で化義を変更してきた学会に、自己変革する試みも見られず、ここに来て、大御本尊を信受の対象としないという会則変更に打って出る。その理由が、大御本尊が安置されている場所が謗法の地となったという、当にばれている情報操作を使ってきた。


学会本部の欺瞞と限界と組織維持と、法盗人の様態が顕現しましたね。

日興門流からの脱却と言えば聞こえはいいが、実質的な血脈の否定です。また、過去、学会が批判してきた身延と同じ立ち位置になっている。

今回の会則変更から、透けて見えるのは、破門の意味の重さでしょうね。


まあ、だから、お元気で、なのです。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

青い太陽さんへ

 投稿者:法華講員  投稿日:2015年 8月 2日(日)21時44分7秒 softbank126068126014.bbtec.net
返信・引用
  「お元気で」だなんて、書かないで欲しいのですが・・・(笑)。  

安保法制に関して

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 8月 2日(日)14時44分12秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用 編集済
  みなさん、こんにちは。


安保法制に関する政府与党、自公の発言を抉る武器として以下、提示します。



戦争遂行のための国策プロパガンダとして、イギリスの政治家アーサー・ポンソンビーは次の10要素を導き出しました。(以下、出典:ウィキペディア)
1.われわれは戦争をしたくはない。
2.しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ。
4.われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命(大義)のために戦う。(正戦論)
5.そしてこの大義は神聖(崇高)なものである。(聖戦論)
6.われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが、敵はわざと残虐行為におよんでいる。
7.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
8.われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大。
9.芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

自分自身の旗を掲げよ

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 7月28日(火)00時18分35秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用
  みなさん、こんばんは。

法華講員さん、レス、ありがとうございます。


>学会精神は、とっくに腐ってしまっています。<



いやいや、ここに、私がいる限り、学会精神は不滅です。

三色旗が朽ちたとしても、私が、絶対平和の獅子の本当の獅子の旗を掲げて前進しますよ。ありがとう。お元気で。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

青い太陽さんへ

 投稿者:法華講員  投稿日:2015年 7月27日(月)23時04分40秒 softbank126068126014.bbtec.net
返信・引用
  ご返答ありがとうございます。
青い太陽さんは、近所に住む学会員たちとはまるで違い、
個人的には、とても好感の持てる方ですね!
>戸田先生は、病める人、悩める人、貧しい人にを救うために、
>日蓮正宗の御本尊を使いました。
>本部の悩乱で、御本尊が使えなくなった。
>その意味では、民衆を救う事が出来なくなりました。

結果的には、民衆が救えないと理解していながら、
広めていたも何にもならないのではないでしょうか?

学会精神は、とっくに腐ってしまっています。
教育など掲げながら、嘘ばかりです。
嘘ばかり書いてる現在の学会に、平和等語る資格ありません!
言論のテロリストですし、打倒祈願など人間のすることではありません。
人間教育の崩壊です。

「南無妙法連華経」と同じ題目唱えていても、
「法」が違うから、学会員さんとは同志ではありません。
「戒壇の大御本尊」に参詣出来る資格があるかないかでは、
大きく意味が異なります。







 

法華講員様へ

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 7月27日(月)21時36分43秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。


法華講員さん、投稿、ありがとうございます。


>青い太陽さん、創価学会員の皆さんへ

暑中お見舞い申し上げます!
毎日暑い日が続きますが、
夏バテしないようにご自愛下さいませ。<


非常に暑いですね。高温注意報なども発令されています。水分補給やエアコンの活用など、暑さ対策には、要注意ですね。ありがとうございます。



>青い太陽さんの家の御本尊は、
学会作成の日寛上人書写本尊でしょうか?<


はい。




>本部に挑むよりも、多くの悩める人、病める人、
>苦しんでいる人を救う事の方が直道の近道だと私は個人的に思います。

青い太陽さんは、自分が学会員のままでも、
罪障消滅出来るとお考えでしょうか?
自分自身のことだけではなく、ご先祖様のことまで考えていますか?
罪障消滅出来なければ、成仏などあり得ないはずです。<



私どもは、日蓮正宗の信仰をしていたのであって、他の宗教を信じていたのではありません。宗門の教義を軸に、歴代会長の指導を基軸として、日夜、精進して来たのであって、キリスト教やイスラム教や、他の仏教を信仰して来たのでありません。

ですから、法華講員さんと、私どもは、同じ宗教、同じ信仰をしているのであって、そういう意味では、同志なのです。



>本部に対する正義は理解できるのですが、
ここの皆さんが学会員のままでは、
謗法与同罪は避けられないのではないでしょうか?
(創価学会は広宣流布偽装団体です)
創価学会卒業生として、皆さんのことが本当に心配です。<



謗法与同罪は、法華経誹謗、正法誹謗を与同する事です。悪を滅する破邪顕正の精神は不滅です。私どもは、学会精神と共にあります。


>連続投稿失礼します。
青い太陽さんが、学会員のままで本部に反論していても、
正法広めてることにはならないのではないでしょうか?<



第一次宗門問題、第二次宗門問題は、教義的な対立というよりも、カネにまつわる生臭い攻防だと思っています。宗門の権威主義と学会本部の一部の輩による謀略、これらに組みする事無く、あらゆる、悪を滅する普遍的精神を発信していこうと思っています。



>僕は、戸田先生が法華講へ行きなさい!と
背中押された気がしてます。
学会が間違ってると思うのであれば、
僕と同じ選択してみたらどうですか?<



自分自身の信心が惰弱であるなら、創価学会にいても宗門にいても同じだと思いますよ。違うのは本尊だけです。


宗門の方が、御本尊に対する態度や姿勢が真摯で誠実です。かつては、創価学会もそうでした。今回の会則変更に見られるような本部の態度から、血脈は流れないし、功徳も出ないと思いますよ。それは、法華講員さんのご指摘の通りです。


日蓮正宗からの原理主義からの批判を待つまでもなく、日興門流は、日蓮仏法の純粋性、大聖人仏法の純化された教えですから、本部がこれだけ滅茶苦茶なら、御本尊の功力も少ないと、一般常識からも指摘できます。





>大聖人の御書の通りに行動すれば、
血脈否定の学会にいたら、御書の通りにはなりませんし、
三宝の違う本尊拝んで、どうやって人が救えるのか考えて見て下さい!
支離滅裂なだけでしかありません。
信心でどうにかなるものでもないはずです。
学会は、もう破綻しているのです。<



仰る通りです。文証、理証、現証の三証から分かります。特に、現証ですね。師弟不二の履き違えの、池田先生を祭り上げ、権力と迎合する姿は、鎌倉幕府に擦り寄り、大日如来を祭り上げた、真言宗を彷彿とさせます。


また、絶対平和主意を蹂躙する姿勢は、退転を意味すると思いますよ。


戸田先生は、病める人、悩める人、貧しい人にを救うために、日蓮正宗の御本尊を使いました。本部の悩乱で、御本尊が使えなくなった。その意味では、民衆を救う事が出来なくなりました。


だが、宗門を外護していた学会の、民衆に広く伝播した実践の折伏は、生きていると思います。


実際に、庶民に手取り足取り、指導、激励し、民衆を蘇生させて行ったのは、他ならぬ創価学会です。


また、自分は、創価学会という言葉に特別な意味を感じるし、学会精神に忠実に生きる事を使命としています。


また、絶対平和主義も、宗門ではなく、学会の理念です。


宗門の教義は骨格であって、その実践、応用、哲学は、創価学会が構築して来たものです。

本部がこのような勿怪でも、私どもは、御書と学会指導に忠実に生きる事を規範として、今後も、精進して参ります。宜しくお願い申し上げます。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

青い太陽さんへ

 投稿者:法華講員  投稿日:2015年 7月27日(月)00時10分18秒 softbank126068126014.bbtec.net
返信・引用
  またまた、連続投稿失礼します。

>大聖人の御書の通りに行動すれば、
血脈否定の学会にいたら、御書の通りにはなりませんし、
三宝の違う本尊拝んで、どうやって人が救えるのか考えて見て下さい!
支離滅裂なだけでしかありません。
信心でどうにかなるものでもないはずです。
学会は、もう破綻しているのです。
 

青い太陽さんへ

 投稿者:法華講員  投稿日:2015年 7月26日(日)23時17分40秒 softbank126068126014.bbtec.net
返信・引用
  連続投稿失礼します。
青い太陽さんが、学会員のままで本部に反論していても、
正法広めてることにはならないのではないでしょうか?

僕は、戸田先生が法華講へ行きなさい!と
背中押された気がしてます。
学会が間違ってると思うのであれば、
僕と同じ選択してみたらどうですか?
 

青い太陽さんへ

 投稿者:法華講員  投稿日:2015年 7月26日(日)22時54分6秒 softbank126068126014.bbtec.net
返信・引用
  青い太陽さん、創価学会員の皆さんへ

暑中お見舞い申し上げます!
毎日暑い日が続きますが、
夏バテしないようにご自愛下さいませ。

青い太陽さんの家の御本尊は、
学会作成の日寛上人書写本尊でしょうか?

>本部に挑むよりも、多くの悩める人、病める人、
>苦しんでいる人を救う事の方が直道の近道だと私は個人的に思います。

青い太陽さんは、自分が学会員のままでも、
罪障消滅出来るとお考えでしょうか?
自分自身のことだけではなく、ご先祖様のことまで考えていますか?
罪障消滅出来なければ、成仏などあり得ないはずです。

本部に対する正義は理解できるのですが、
ここの皆さんが学会員のままでは、
謗法与同罪は避けられないのではないでしょうか?
(創価学会は広宣流布偽装団体です)
創価学会卒業生として、皆さんのことが本当に心配です。




 

地涌の菩薩の自覚に尽きる

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 7月25日(土)22時35分7秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。


ちくわねこさん、投稿、ありがとうございます。


>こんばんは。

初めて投稿いたしましたのに、ご親切なご教示、ありがとうございます。

私は結婚しております。子どもはいません。
夫は今、長年の念願であった職に就くことができて、家を離れて遠い所にいます。<



ご就職、誠におめでとうございます。

貴女が健気な信心を貫き、旦那様が、御宮使いを法華経とされた結果だと思います。



>夫も会員で、私と同じ様に「今回の会則変更は間違っている」と考えています。
しかし、携帯電話の電波も届かないような所にいますので、こまめに連絡を取り合
う訳にはいきません。<


ご家族が遠方にいる時こそ、家族の絆を深め、異体同心の信心を貫くべきだと思います。全く、臆する事はありません。



>私の周囲の学会員の方々は、皆、「本部の言うことに従ってれば間違いない」と言います。
私はそのように自分の頭で考えないのには我慢できませんので、<


上に全ての責任を任せ、盲目的に付和雷同するのは、日蓮の革新性も民衆の自律能動的な主体性もない、念仏的思考です。



>この地区で、婦人部の方たちに信頼の厚い、
役付きの女性に正面からぶつかったことがあります。
その女性は私の指摘には反論できませんので、「信心の目で見なさい」「心こそ大事です」と言うばかりで、
最後には「忙しいから」と逃げてしまいました。
しかし、私の身近な婦人部の方たちは「難しくて判らない」と言うばかりです。<



信心と教学は車輪の両輪であって、信心を深めるための教学であり、教学を深めるための信心です。教学的に納得のいかない事でも、信心の視野から俯瞰すると大きな沃野が広がっている事もあります。一面的に見る事なく、様々な視点から眺める事です。西から山が登れないなら、東に回って山を登る事も出来ます。複眼的に様々な角度から見る事ですよ。視野狭窄に陥る事なく、大きな信心の目で眺める事です。



>一人一人話せば、とても良い方たちばかりなのです。私は、彼女らが大好きです。
でも、私の思いは伝わりません。
私は非常に孤独なのです。<


厳しい言い方をすれば、獅子は伴侶を求めずです。創価学会はお友達サークルではありません。お友達サークルなら、別の会に所属すればいいのです。ただ、みなさんに機根がありますから、周囲と摩擦を起こす事は避けないといけません。ここは智慧を使って、信心を磨くチャンスととらえるべきです。



>SNSで知り合った、ある学会員の方は「こんな学会はすぐに潰れるから、やりあってもムダ」と言うばかりですし。

ですから、私は何とか身近な仲間の目を覚ましてやりたいと思い、今回のような行動に出ました。
こんな学会からは除名されようが構わないと思っていますが、彼女らのことが気がかりです。
私がこのような行動に出たことは、隠してもいませんので皆、知っています。
私は、今、引くわけには行かないのです。
「無駄なことを」と言われても構いませんので、本部に挑むしかないのです。<


無駄な事ではないですよ。本部にぶつかってみてもいいでしょう。その過程で見えて来るものもあります。ただ、感情に任せて、本部と対立する事は避けないといけません。

大聖人は、顔色を調えて、落ち着いて、しっかりした口調で語って行くべきだと仰っています。理路整然と話し、相手を言い負かすのではなく、慈悲と慈愛で包み込むように、語って行くのです。また、祈りと共に一念を定めて、言上するのです。結果、相手も、本部も変わらないかも知れませんが、貴女が変わります。必ず、成長した姿で如節修行の成果を得る事が出来ます。その黄金の成長の証こそ、人間革命の黄金の姿です。


>同じ様な境遇にいる方は、おそらく多いのでは、と思われます。
私と夫、そして多分いらっしゃる同志の方々は、救われなくても良いのでしょうか。<


悩んでいるなら、行動するべきです。大聖人の御書の通りに行動すれば、結果は出ますよ。臆する事も辛抱する事もありません。


全ては、信心なのです。先輩の婦人部の方が「信心で見る」というのは、一面の真理です。教学的に論破出来たとしても、信心がなければ、ただのディベートです。信心で戦うのです。

付和雷同している周囲の婦人部よりも、一歩も二歩も、前進出来ます。それが獅子の本当の勝利の姿です。



>本部に挑み続ける以外に方法があるのなら、どうか教えてください。
お願いいたします。<


本部に挑むよりも、多くの悩める人、病める人、苦しんでいる人を救う事の方が直道の近道だと私は個人的に思います。


でも、貴女は納得されないのですね。


それならば、本部を論破する教学をつけるのです。学ぶのです。御書と学会指導を研鑽するのです。ペーパーテストの試験で教授を取るよりも、実践の教学です。力をつけて、本部の官僚を論破してしまいなさい。

そして、この機会を軸に、旦那様との絆を深め、周囲との調和を重んずる智慧を養い、力まず、弛まず、諦めず、怒らず、根気よく修行のつもりで戦うのです。


仏法に無駄はないのです。

罰を受けるのは本部なのです。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

行動を起こした理由は

 投稿者:ちくわねこ  投稿日:2015年 7月25日(土)19時07分44秒 p3109-ipngn100305sizuokaden.shizuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  こんばんは。

初めて投稿いたしましたのに、ご親切なご教示、ありがとうございます。

私は結婚しております。子どもはいません。
夫は今、長年の念願であった職に就くことができて、家を離れて遠い所にいます。

夫も会員で、私と同じ様に「今回の会則変更は間違っている」と考えています。
しかし、携帯電話の電波も届かないような所にいますので、こまめに連絡を取り合
う訳にはいきません。

私の周囲の学会員の方々は、皆、「本部の言うことに従ってれば間違いない」と言います。
私はそのように自分の頭で考えないのには我慢できませんので、この地区で、婦人部の方たちに信頼の厚い、
役付きの女性に正面からぶつかったことがあります。
その女性は私の指摘には反論できませんので、「信心の目で見なさい」「心こそ大事です」と言うばかりで、
最後には「忙しいから」と逃げてしまいました。
しかし、私の身近な婦人部の方たちは「難しくて判らない」と言うばかりです。

一人一人話せば、とても良い方たちばかりなのです。私は、彼女らが大好きです。
でも、私の思いは伝わりません。
私は非常に孤独なのです。

SNSで知り合った、ある学会員の方は「こんな学会はすぐに潰れるから、やりあってもムダ」と言うばかりですし。

ですから、私は何とか身近な仲間の目を覚ましてやりたいと思い、今回のような行動に出ました。
こんな学会からは除名されようが構わないと思っていますが、彼女らのことが気がかりです。
私がこのような行動に出たことは、隠してもいませんので皆、知っています。
私は、今、引くわけには行かないのです。
「無駄なことを」と言われても構いませんので、本部に挑むしかないのです。

同じ様な境遇にいる方は、おそらく多いのでは、と思われます。
私と夫、そして多分いらっしゃる同志の方々は、救われなくても良いのでしょうか。

本部に挑み続ける以外に方法があるのなら、どうか教えてください。
お願いいたします。
 

会則変更

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2015年 7月24日(金)22時18分59秒 softbank126203184119.bbtec.net
返信・引用 編集済
  みなさん、こんばんは。


おじさん、佐藤さん、ちくわねこさん、Qさん、投稿、ありがとうございます。


ちくわねこさん、はじめまして。


ちくわねこさんの投稿に返信しますね。




>私は、去年の会則改変について大きな疑問を感じている一末端女性会員です。
周囲の学会員に疑問をぶつけていても埒が明きませんので、本部に直接異議申し立
てをする機会を待っていました。
すると、Facebookの友達である、ある有名な方やそのお友達の方も同じ気持ちでい
ることを知りました。
そこで、連絡を取り合い、昨日(7月23日)に、信濃町へ向かいました。
結局参加できたのは、私とその某有名人の方なのですが、戦略を考えました。
「とりあえず段階を踏んでいこう」ということで、先ずは信濃町にある「創価旭日
会館」で行っている
「相談室」へと赴き、疑問を尋ねてみて反応を見ました。

尋ねたのは

1.大石寺にある大御本尊について。
日寛上人の教義書に、「弘安二年の本門戒壇の御本尊は究竟中の究竟、本懐中の本
懐なり。
既に是れ三大秘法の随一なり」(「三大秘法禀承事」1,021ページ)
と書かれている事に大きく逸脱していないでしょうか?
また、
「なんといっても御本山(大石寺)に登り、親(した)しく大御本尊様を拝(おが)
まなくては、本物の信心になれない」
(戸田城聖全集3-490)
等の、これまでの会長の指導との矛盾をどのように説明しますか?

2. 日蓮大聖人の仏法に帰依する私たちが何をご本尊とするのかは、
創価学会に決定する権利があるというのは、何を根拠にしていますか?

3.世界広宣流布のためとおっしゃいますが、日本での流布はそんなに進んでいる
と言えますか?
むしろ学会員は減少しているのでは?

主には、このような質問でした。
これらに対する返答としては、

1.確かに、矛盾しているように見えるかもしれない。
しかし、これらは「僧俗和合」の時代の話で、今は状況が変わった。
別に「弘安二年の大御本尊」を否定しているのではなく、一御本尊としてはいる。
ただ、御本尊の安置されている宗門は法に背き創価学会を破門した。
だから「受持の対象としない」と言っているのであって、関係が正常化したら、ま
た受持の対象とする。
(何を受持の対象とするのかは学会が決めるのですか?という質問には)
そうだ。なぜなら学会は正しいからである。

2.創価学会は日本のみならず、世界に公宣流布している。
公宣流布を行っているのは学会だけであり、だから学会は正しいのだ。
(それは、循環論法では?という疑問に対しては)
そうかもしれないが、学会だけが世界に公宣流布してることはたしかだ。

3.若い入会者が増えている。
(具体的な数字は?という質問には、返答なし)

こんな感じでした。
最初の一歩としては、まあまあかと思われます。
ただ、私たちには創価学会の教学部を論破するだけの「教学力」が無いところが弱
点です。
どなたか、教学に自信をお持ちで、私たちに協力してくださる方はいらっしゃらな
いでしょうか?<



というか、論破する必要はないと思いますよ。本部が狂っているのですから、本部の相談室に聞いても、狂った回答しか得られないのが、道理です。

本部職員は宗教で飯を食っている人間のクズです。金儲けのために学会の存続を考えている畜生ですから、そのような宗教乞食に教えをこう必要は全くありませんよ。


当然の如く、循環論法で煙に巻くのです。創価学会本部だと思って行くから勘違いするのです。カルト宗教の本社に行ったと思えば分かりやすいですよね。


残念ですが、これが現実ですよ。

こんな阿呆の狂態に付き合う必要はありません。一人でも多くの病める人、貧しい人、悲しんでいる人、悩んでいる人を、日蓮仏法の方程式を使って、抜苦与楽し、最大の慈悲と激励で魂の救済をする事に励んで下さい。

そこに、仏法の神髄がある。正義と慈悲がある。日蓮と同義なら、衆生は、みな、成仏するのです。

大乗仏教の王道は、民衆を救う事でしか成仏出来ないのです。菩薩の行です。


目の前の一人を救うのです。

本部なんか相手にしている暇なんかないんですよ。


補足、教学的な参考として拙文を貼っておきますhttp://blog.livedoor.jp/u2pwnr/archives/8013531.html


http://blog.livedoor.jp/u2pwnr/archives/8013322.html

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

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